出航、前夜

生津直

文字の大きさ
上 下
23 / 36

23 鳶の事情

しおりを挟む
 それから間もなく、今度は姉様のうち一人のお母様が亡くなった。自宅で急に苦しみだして、そのままあっけなく。周りが覚悟していれば死んでいいというものでもないが、急だった分、余計に気の毒に感じられることは間違いない。彼女が忌引きびきで休んでいる間のチームミーティングは、それこそまるでお通夜だった。

 恋愛で泣けるなんて、贅沢なことなんだなと思う。これだけ人がいれば、産休・育休があったり、親の葬式があったり、いろんなことがある。でも、私の身にはまだ、そのどれも起きていない。一人、また一人と結婚していく友達を見て、すごろくの「上がり」をイメージしてしまう私は、彼らから見たら一体どれほど幼稚だろう。

 和気さんが私にさとすように吐露した、人間というものの限界。あの日の和気さんの言葉を、私は日々反芻はんすうし続けていた。夫婦とはそういうものだと受け入れて久しいということかもしれないが、あるいは、結婚にりている人の発言という風にも受け取れなくはなかった。



 和気さんは、九月の終わりから十月頭にかけてという、中途半端な時期に一週間半の夏休みを取った。どのように過ごしたのかは聞いていない。

 それより前の八月中には、私からのメールへの返信に「今息子がうちに来てる」と書いてきた。大学四年の夏にして無事に就職が決まったので、ちょっといい焼肉屋さんに連れていってお祝いした、と。しかしそこに、奥さんと娘の匂いはしなかった。娘は高校生だから夏休み中だろうし、奥さんだって、どんな仕事をしているのかは知らないがお盆休みぐらいありそうなものなのに。

 直感的に思った。大阪に、きっと男がいる。それはあの美しすぎる娘の父親かもしれないし、全然関係ない新しい男かもしれない。

 娘のことが話題になったのは、たったの一度だけ。和気さんが最初の奥さんと死別していることを、初めて聞かされた時だ。娘は、「再婚してから生まれた子」。和気さんは確かにそう言った。ただし、「僕の子」だとは一言も言っていない。

 二十年前に最初の奥さんを亡くし、娘は現在推定十七歳。つまり再婚したのは、その間の約三年間のどこかの時点だ。妻と死に別れた直後に次のお嫁さんをもらうとは考えにくいから、一年か二年後に縁談がまとまったとして……。再婚してからわりとすぐに生まれた子であるはず。それだけの期間に奥さんが早速浮気をしたとすれば、ちょっと普通ではない。

 考えれば考えるほどわからなくなっていく。息子を連れて毎年前妻の墓参りに行くぐらいだから、お子さんたちも自分たちが異母兄妹であることは当然知っているだろう。そして今、息子は北海道、妻と娘は大阪に住んでいる。

 奥さんが大阪に転勤になったというのは去年の春。それが娘の高校入学と重なり、娘もついていくことになった。和気さんはそういう言い方をしていたが……。逆に、娘が高校生になるタイミングに合わせて、母親が転勤を願い出たという可能性はないだろうか?

 娘が和気さんの子ではないと仮定しての話だが、それを知っているのは一体誰と誰なのか。奥さんはもちろん身に覚えがあるだろうが、和気さんは? 特に疑ってもいないのか、あるいは気付いていながら見て見ぬふりをしているのか、あるいは、浮気したらできちゃいましたとはっきり明かされた上で、一緒に育ててきたのだろうか? それとも……和気さんの再婚相手は、すでに妊婦だったのか?

「再婚してから生まれた子」。再婚してから身ごもったとは限らない。幼い息子を抱えた寡夫かふのところに嫁に来てもらうというのは、本来はかなり難しい話だ。しかし、相手の女性にもそれなりの事情があったと考えれば、ギブアンドテイクが成立する。妊娠中に夫を亡くした、あるいは禁断の恋によって新しい命を授かったシングルマザーを、和気さんは自分の息子の母親として受け入れたのかもしれない。

 娘は何も知らずにオギャアと生まれ、すくすくと育ち、ある日突然、お父さんは実はあなたの本当のお父さんではないのよ、と聞かされる。お兄ちゃんとは異母兄妹どころか、お父さんも違うのよ、と。

 他人のおっさんと、他人の青年が、毎日家の中にいる。多感な年頃の女の子が、それを不快に思わないとも限らない。あの子ももうじき高校生だし、精神的に安定するまで、このざわついた環境と一度距離を置いてみるのもいいんじゃないかしら。……そんな風に言われたら、和気さんはきっと逆らえない。いや、和気さんの方から彼女たちを外に出したという可能性も……。

 そんなシナリオをあれこれと思い描き、私は重たい溜め息をこぼす。私のネガティブ思考にブレーキはない。全ては私の勝手な妄想でしかなかった。気付けば、和気さんの徹底した「複雑な家庭」っぷりが、一人の男の人生としてまことしやかに私の脳内に構築されつつあった。もちろん、複雑だから不幸とは限らないが、このような筋書きから幸福を連想することは、私には難しい。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

隠れオタクの女子社員は若社長に溺愛される

永久保セツナ
恋愛
【最終話まで毎日20時更新】 「少女趣味」ならぬ「少年趣味」(プラモデルやカードゲームなど男性的な趣味)を隠して暮らしていた女子社員・能登原こずえは、ある日勤めている会社のイケメン若社長・藤井スバルに趣味がバレてしまう。 しかしそこから二人は意気投合し、やがて恋愛関係に発展する――? 肝心のターゲット層である女性に理解できるか分からない異色の女性向け恋愛小説!

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

極上の彼女と最愛の彼 Vol.2~Special episode~

葉月 まい
恋愛
『極上の彼女と最愛の彼』 ハッピーエンドのちょっと先😊 結ばれた瞳子と大河 そしてアートプラネッツのメンバーのその後… •• ⊰❉⊱……登場人物……⊰❉⊱•• 冴島(間宮) 瞳子(26歳)… 「オフィス フォーシーズンズ」イベントMC 冴島 大河(30歳)… デジタルコンテンツ制作会社 「アートプラネッツ」代表取締役

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~

けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。 私は密かに先生に「憧れ」ていた。 でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。 そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。 久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。 まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。 しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて… ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆… 様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。 『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』 「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。 気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて… ねえ、この出会いに何か意味はあるの? 本当に…「奇跡」なの? それとも… 晴月グループ LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長 晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳 × LUNA BLUホテル東京ベイ ウエディングプランナー 優木 里桜(ゆうき りお) 25歳 うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

10 sweet wedding

国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。

処理中です...