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23 鳶の事情
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それから間もなく、今度は姉様のうち一人のお母様が亡くなった。自宅で急に苦しみだして、そのままあっけなく。周りが覚悟していれば死んでいいというものでもないが、急だった分、余計に気の毒に感じられることは間違いない。彼女が忌引で休んでいる間のチームミーティングは、それこそまるでお通夜だった。
恋愛で泣けるなんて、贅沢なことなんだなと思う。これだけ人がいれば、産休・育休があったり、親の葬式があったり、いろんなことがある。でも、私の身にはまだ、そのどれも起きていない。一人、また一人と結婚していく友達を見て、すごろくの「上がり」をイメージしてしまう私は、彼らから見たら一体どれほど幼稚だろう。
和気さんが私に諭すように吐露した、人間というものの限界。あの日の和気さんの言葉を、私は日々反芻し続けていた。夫婦とはそういうものだと受け入れて久しいということかもしれないが、あるいは、結婚に懲りている人の発言という風にも受け取れなくはなかった。
和気さんは、九月の終わりから十月頭にかけてという、中途半端な時期に一週間半の夏休みを取った。どのように過ごしたのかは聞いていない。
それより前の八月中には、私からのメールへの返信に「今息子がうちに来てる」と書いてきた。大学四年の夏にして無事に就職が決まったので、ちょっといい焼肉屋さんに連れていってお祝いした、と。しかしそこに、奥さんと娘の匂いはしなかった。娘は高校生だから夏休み中だろうし、奥さんだって、どんな仕事をしているのかは知らないがお盆休みぐらいありそうなものなのに。
直感的に思った。大阪に、きっと男がいる。それはあの美しすぎる娘の父親かもしれないし、全然関係ない新しい男かもしれない。
娘のことが話題になったのは、たったの一度だけ。和気さんが最初の奥さんと死別していることを、初めて聞かされた時だ。娘は、「再婚してから生まれた子」。和気さんは確かにそう言った。ただし、「僕の子」だとは一言も言っていない。
二十年前に最初の奥さんを亡くし、娘は現在推定十七歳。つまり再婚したのは、その間の約三年間のどこかの時点だ。妻と死に別れた直後に次のお嫁さんをもらうとは考えにくいから、一年か二年後に縁談がまとまったとして……。再婚してからわりとすぐに生まれた子であるはず。それだけの期間に奥さんが早速浮気をしたとすれば、ちょっと普通ではない。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。息子を連れて毎年前妻の墓参りに行くぐらいだから、お子さんたちも自分たちが異母兄妹であることは当然知っているだろう。そして今、息子は北海道、妻と娘は大阪に住んでいる。
奥さんが大阪に転勤になったというのは去年の春。それが娘の高校入学と重なり、娘もついていくことになった。和気さんはそういう言い方をしていたが……。逆に、娘が高校生になるタイミングに合わせて、母親が転勤を願い出たという可能性はないだろうか?
娘が和気さんの子ではないと仮定しての話だが、それを知っているのは一体誰と誰なのか。奥さんはもちろん身に覚えがあるだろうが、和気さんは? 特に疑ってもいないのか、あるいは気付いていながら見て見ぬふりをしているのか、あるいは、浮気したらできちゃいましたとはっきり明かされた上で、一緒に育ててきたのだろうか? それとも……和気さんの再婚相手は、すでに妊婦だったのか?
「再婚してから生まれた子」。再婚してから身ごもったとは限らない。幼い息子を抱えた寡夫のところに嫁に来てもらうというのは、本来はかなり難しい話だ。しかし、相手の女性にもそれなりの事情があったと考えれば、ギブアンドテイクが成立する。妊娠中に夫を亡くした、あるいは禁断の恋によって新しい命を授かったシングルマザーを、和気さんは自分の息子の母親として受け入れたのかもしれない。
娘は何も知らずにオギャアと生まれ、すくすくと育ち、ある日突然、お父さんは実はあなたの本当のお父さんではないのよ、と聞かされる。お兄ちゃんとは異母兄妹どころか、お父さんも違うのよ、と。
他人のおっさんと、他人の青年が、毎日家の中にいる。多感な年頃の女の子が、それを不快に思わないとも限らない。あの子ももうじき高校生だし、精神的に安定するまで、このざわついた環境と一度距離を置いてみるのもいいんじゃないかしら。……そんな風に言われたら、和気さんはきっと逆らえない。いや、和気さんの方から彼女たちを外に出したという可能性も……。
そんなシナリオをあれこれと思い描き、私は重たい溜め息をこぼす。私のネガティブ思考にブレーキはない。全ては私の勝手な妄想でしかなかった。気付けば、和気さんの徹底した「複雑な家庭」っぷりが、一人の男の人生としてまことしやかに私の脳内に構築されつつあった。もちろん、複雑だから不幸とは限らないが、このような筋書きから幸福を連想することは、私には難しい。
恋愛で泣けるなんて、贅沢なことなんだなと思う。これだけ人がいれば、産休・育休があったり、親の葬式があったり、いろんなことがある。でも、私の身にはまだ、そのどれも起きていない。一人、また一人と結婚していく友達を見て、すごろくの「上がり」をイメージしてしまう私は、彼らから見たら一体どれほど幼稚だろう。
和気さんが私に諭すように吐露した、人間というものの限界。あの日の和気さんの言葉を、私は日々反芻し続けていた。夫婦とはそういうものだと受け入れて久しいということかもしれないが、あるいは、結婚に懲りている人の発言という風にも受け取れなくはなかった。
和気さんは、九月の終わりから十月頭にかけてという、中途半端な時期に一週間半の夏休みを取った。どのように過ごしたのかは聞いていない。
それより前の八月中には、私からのメールへの返信に「今息子がうちに来てる」と書いてきた。大学四年の夏にして無事に就職が決まったので、ちょっといい焼肉屋さんに連れていってお祝いした、と。しかしそこに、奥さんと娘の匂いはしなかった。娘は高校生だから夏休み中だろうし、奥さんだって、どんな仕事をしているのかは知らないがお盆休みぐらいありそうなものなのに。
直感的に思った。大阪に、きっと男がいる。それはあの美しすぎる娘の父親かもしれないし、全然関係ない新しい男かもしれない。
娘のことが話題になったのは、たったの一度だけ。和気さんが最初の奥さんと死別していることを、初めて聞かされた時だ。娘は、「再婚してから生まれた子」。和気さんは確かにそう言った。ただし、「僕の子」だとは一言も言っていない。
二十年前に最初の奥さんを亡くし、娘は現在推定十七歳。つまり再婚したのは、その間の約三年間のどこかの時点だ。妻と死に別れた直後に次のお嫁さんをもらうとは考えにくいから、一年か二年後に縁談がまとまったとして……。再婚してからわりとすぐに生まれた子であるはず。それだけの期間に奥さんが早速浮気をしたとすれば、ちょっと普通ではない。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。息子を連れて毎年前妻の墓参りに行くぐらいだから、お子さんたちも自分たちが異母兄妹であることは当然知っているだろう。そして今、息子は北海道、妻と娘は大阪に住んでいる。
奥さんが大阪に転勤になったというのは去年の春。それが娘の高校入学と重なり、娘もついていくことになった。和気さんはそういう言い方をしていたが……。逆に、娘が高校生になるタイミングに合わせて、母親が転勤を願い出たという可能性はないだろうか?
娘が和気さんの子ではないと仮定しての話だが、それを知っているのは一体誰と誰なのか。奥さんはもちろん身に覚えがあるだろうが、和気さんは? 特に疑ってもいないのか、あるいは気付いていながら見て見ぬふりをしているのか、あるいは、浮気したらできちゃいましたとはっきり明かされた上で、一緒に育ててきたのだろうか? それとも……和気さんの再婚相手は、すでに妊婦だったのか?
「再婚してから生まれた子」。再婚してから身ごもったとは限らない。幼い息子を抱えた寡夫のところに嫁に来てもらうというのは、本来はかなり難しい話だ。しかし、相手の女性にもそれなりの事情があったと考えれば、ギブアンドテイクが成立する。妊娠中に夫を亡くした、あるいは禁断の恋によって新しい命を授かったシングルマザーを、和気さんは自分の息子の母親として受け入れたのかもしれない。
娘は何も知らずにオギャアと生まれ、すくすくと育ち、ある日突然、お父さんは実はあなたの本当のお父さんではないのよ、と聞かされる。お兄ちゃんとは異母兄妹どころか、お父さんも違うのよ、と。
他人のおっさんと、他人の青年が、毎日家の中にいる。多感な年頃の女の子が、それを不快に思わないとも限らない。あの子ももうじき高校生だし、精神的に安定するまで、このざわついた環境と一度距離を置いてみるのもいいんじゃないかしら。……そんな風に言われたら、和気さんはきっと逆らえない。いや、和気さんの方から彼女たちを外に出したという可能性も……。
そんなシナリオをあれこれと思い描き、私は重たい溜め息をこぼす。私のネガティブ思考にブレーキはない。全ては私の勝手な妄想でしかなかった。気付けば、和気さんの徹底した「複雑な家庭」っぷりが、一人の男の人生としてまことしやかに私の脳内に構築されつつあった。もちろん、複雑だから不幸とは限らないが、このような筋書きから幸福を連想することは、私には難しい。
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