15 / 36
15 和気さんの花金
しおりを挟む
姉様が言っていた「再来週の頭」は、果てしなく遠かった。スマホを触る度に、和気さんの番号を表示させてしまう。もちろんこんな時にかけるわけにはいかないから、うっかり分別を失って通話ボタンを押してしまう前に慌てて画面を閉じるのだが。
そして「再来週」の火曜日になった時、ようやく和気さんが出社してきた。さすがに少し疲れた様子はあるが、幾分力の抜けたニコニコがちゃんとそこにあって私は安心した。
ランチタイムに上のカフェテリアでサンドイッチを食べていると、和気さんが藤野さんと連れ立ってやってきた。私を見つけてひょいと手を上げた和気さんと、それにつられてこちらに目を向けた藤野さんに、私は黙って会釈する。
二人は私からは少し離れたテーブルで向き合い、担々麺らしきものをすすりながら何かしゃべっている。もちろん不在中の業務の動きについても積もる話があるだろうが、何となく仕事の話ばかりではないように見えた。もしかしたら、俺のオヤジの時もなあ、みたいな共感トークが繰り広げられているのかもしれない。
そっか、今はおっさん同士でいたい時かもな……。
一刻も早く二人で会って、和気さんの精神状態が大丈夫であることを確認したかったが、連絡するのはしばらく待ってからの方がいいかもしれない。
しかしその日の晩、和気さんの方からこんな携帯メールが届いた。
<<ご心配おかけしました。お陰様でもろもろ無事に済み、ようやく落ち着いてきました。それはそうと、お昼あんなんで足りるの? 夜はいっぱい食べるのにね(笑)>>
和気さん!!!
思わずスマホを抱き締めそうになる。電話したくなる気持ちを抑え、返信を打つ。
<<おちょぼ口なのでお昼の一時間ではあれが限界です。夜いっぱい食べる時も、ちょっとずつだから時間かかります。効率悪っ!!!>>
「また和気さんといっぱい食べたいです」と最後に入れかけたが、それは消去してから送った。今は、和気さんが家で一人で一瞬ニコッとしてくれればそれでいい。
その週の金曜日、私は帰りのエレベーターで珍しく和気さんと鉢合わせした。
「おぉ、今帰り?」
「はい……」
他にも同じ会社の別部署と思われる数人が乗り合わせているため、うかつな口は利けない。慎重に「上司との会話」を演出する。
「ちょっとお早めですか、今日?」
「今日ねえ、近所のスーパーで豚バラが特売なんだって。まだあるかなぁ」
「ふふ、抜け目ないチェックですね」
「アプリでね、通知が来るのよ」
「すごーい。使いこなしてるじゃないですか」
「うちにさ、うっかりもらっちゃったキムチがいっぱいあって」
「ああ、それを豚キムチの刑に」
「そう。そんで一杯やろうかなと思って」
「野球見ながら」
「そうね」
一階に着くまでの間に、私はすっかり頬が緩みきってしまっていた。和気さん、和気さん。いいね。おいしそうで楽しそうな花金の晩酌だね。私もお呼ばれにあずかりたいな……。
もちろん、たとえ和気さんが一時的に一人暮らしだからといって自宅に上げてくれるようなことはないとわかっているし、そんなことを要求するつもりもない。それなのに……。私の意思とはまた別のところで、ハッピーな妄想が暴走してしまうことが、このところ時々あった。
その日の実家の夕飯は天ぷらで、テレビは母の好きなバラエティだったが、私の頭は和気さんの豚キムチとプロ野球のことで一杯だった。和気さんのことを考え続けていないと、一ヶ月ほど前にビルの陰であんな独創的なキスをしたことが果たして現実だったのかどうかすらも、確信が持てなくなりそうだった。
そして「再来週」の火曜日になった時、ようやく和気さんが出社してきた。さすがに少し疲れた様子はあるが、幾分力の抜けたニコニコがちゃんとそこにあって私は安心した。
ランチタイムに上のカフェテリアでサンドイッチを食べていると、和気さんが藤野さんと連れ立ってやってきた。私を見つけてひょいと手を上げた和気さんと、それにつられてこちらに目を向けた藤野さんに、私は黙って会釈する。
二人は私からは少し離れたテーブルで向き合い、担々麺らしきものをすすりながら何かしゃべっている。もちろん不在中の業務の動きについても積もる話があるだろうが、何となく仕事の話ばかりではないように見えた。もしかしたら、俺のオヤジの時もなあ、みたいな共感トークが繰り広げられているのかもしれない。
そっか、今はおっさん同士でいたい時かもな……。
一刻も早く二人で会って、和気さんの精神状態が大丈夫であることを確認したかったが、連絡するのはしばらく待ってからの方がいいかもしれない。
しかしその日の晩、和気さんの方からこんな携帯メールが届いた。
<<ご心配おかけしました。お陰様でもろもろ無事に済み、ようやく落ち着いてきました。それはそうと、お昼あんなんで足りるの? 夜はいっぱい食べるのにね(笑)>>
和気さん!!!
思わずスマホを抱き締めそうになる。電話したくなる気持ちを抑え、返信を打つ。
<<おちょぼ口なのでお昼の一時間ではあれが限界です。夜いっぱい食べる時も、ちょっとずつだから時間かかります。効率悪っ!!!>>
「また和気さんといっぱい食べたいです」と最後に入れかけたが、それは消去してから送った。今は、和気さんが家で一人で一瞬ニコッとしてくれればそれでいい。
その週の金曜日、私は帰りのエレベーターで珍しく和気さんと鉢合わせした。
「おぉ、今帰り?」
「はい……」
他にも同じ会社の別部署と思われる数人が乗り合わせているため、うかつな口は利けない。慎重に「上司との会話」を演出する。
「ちょっとお早めですか、今日?」
「今日ねえ、近所のスーパーで豚バラが特売なんだって。まだあるかなぁ」
「ふふ、抜け目ないチェックですね」
「アプリでね、通知が来るのよ」
「すごーい。使いこなしてるじゃないですか」
「うちにさ、うっかりもらっちゃったキムチがいっぱいあって」
「ああ、それを豚キムチの刑に」
「そう。そんで一杯やろうかなと思って」
「野球見ながら」
「そうね」
一階に着くまでの間に、私はすっかり頬が緩みきってしまっていた。和気さん、和気さん。いいね。おいしそうで楽しそうな花金の晩酌だね。私もお呼ばれにあずかりたいな……。
もちろん、たとえ和気さんが一時的に一人暮らしだからといって自宅に上げてくれるようなことはないとわかっているし、そんなことを要求するつもりもない。それなのに……。私の意思とはまた別のところで、ハッピーな妄想が暴走してしまうことが、このところ時々あった。
その日の実家の夕飯は天ぷらで、テレビは母の好きなバラエティだったが、私の頭は和気さんの豚キムチとプロ野球のことで一杯だった。和気さんのことを考え続けていないと、一ヶ月ほど前にビルの陰であんな独創的なキスをしたことが果たして現実だったのかどうかすらも、確信が持てなくなりそうだった。
0
お気に入りに追加
37
あなたにおすすめの小説
恋とキスは背伸びして
葉月 まい
恋愛
結城 美怜(24歳)…身長160㎝、平社員
成瀬 隼斗(33歳)…身長182㎝、本部長
年齢差 9歳
身長差 22㎝
役職 雲泥の差
この違い、恋愛には大きな壁?
そして同期の卓の存在
異性の親友は成立する?
数々の壁を乗り越え、結ばれるまでの
二人の恋の物語
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
元カノと復縁する方法
なとみ
恋愛
「別れよっか」
同棲して1年ちょっとの榛名旭(はるな あさひ)に、ある日別れを告げられた無自覚男の瀬戸口颯(せとぐち そう)。
会社の同僚でもある二人の付き合いは、突然終わりを迎える。
自分の気持ちを振り返りながら、復縁に向けて頑張るお話。
表紙はまるぶち銀河様からの頂き物です。素敵です!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる