爆弾拾いがついた嘘

生津直

文字の大きさ
上 下
100 / 118
第4章 命賭す者

96 後継者

しおりを挟む
「研究って、ちなみにどういう……」

「お前にぺろっとしゃべれるぐらいなら大した研究じゃないな」

「……そう、ですよね。魅力的なお話なんですか?」

「まあな」

「義理とかじゃなくて……先生ご自身がなさりたいと?」

「ああ」

「でも、お父様の大切な施設を手放してまで動く気はないって……」

「手放したくないからこそ保留にしてたんだ。後継者が育つまで待ってくれと」

 思わず耳を疑った。

「そんな……それなら、私なんかより前に処理士の資格を持ってる人がいくらでもいたじゃないですか」

「施設を一つ売っ払うことと、親の形見をゆずることは違う」

 だからこそなおさら、「なぜ自分に」と思わずにはいられない。

「私は……あの時なんか、今よりもっとどうしようもなくて、ただの身の程知らずな助手崩れで……」

「そうだな。その通りかもしれん」

 否定してくれないところがいかにも新藤らしい。

「でも、俺には極楽鳥のひなに見えた」

(……私が?)

「処理士の日常を見てみたい。お前はそう言ったろ」

「……はい」

「俺も同じだ。お前の日常を見てみたかった」

「先生……」

「誰もが当たり前に憎んできた相手を、右にならって自動的に憎むことは簡単だ。だがそんな中、お前は一番難しいはずの道をごく自然に、まるで赤ん坊が母親を求めでもするように選び取ろうとしていた。自分は直接の加害者でも被害者でもない。でも、両者をへだてている罪を見て見ぬふりはできない。その罪を周りにつられて恨むより、自分のものとして償うことにおのれを捧げたい、と」

 一希はそれを聞き、あの日の新藤を思い出していた。ただただ雲の上の人だった。

「どんな風に寝て起きて、どんな飯を食って、毎日どんな暮らしをしていればそんなことが言えるのか……お前の足跡を踏んで歩いてみれば、俺にも何かがつかめるんじゃないかと思ってな。ま、俺はお前にはなれんってのが結論だが、お陰で非常に有意義だった」

 一希は、信じられない思いでその言葉を受け止める。まさかそれほどまでに自分のことを買ってくれていたなんて。

 新藤は不意に歩みを進めた。どっしりとした安全靴が砂利混じりの土を踏み、数歩先で止まる。

 新藤の足元に影を作っている白い光。一希はその源をまっすぐに見つめた。夜空に突き刺した画鋲がびょうの頭のような月。目に染みる。

 もし、嫌だと言ったらどうなるのだろう。そんな自信はない、補助士のままでいたい、あるいは、業界を離れて家庭に入りたい、とでも言い出したら、新藤はどう反応するだろう。実際、どこまで本気かは別として、そんな弱音が喉まで出かかっていた。

 何と答えればよいのかわからないまま、新藤の後頭部でそよぐ髪を見つめた。床屋とこやに行きそびれてそのままなのだろう、中途半端な長さだ。

「お前が継いでくれるなら……」

 二人の間を、柔らかい夕暮れの風が渡っていった。

「俺は今までで一番やりたい仕事ができる」

(先生……)

 つくづく意外だ。一希には、新藤は根っから現場の人というイメージがあった。それを離れてまでやりたいことがあったなんて……。

 命令や指示ではない。これは、新藤から一希への頼み事だ。他の誰でもない、冴島一希への。自分がまさか断るはずなどないと、最初からわかりきっている。迷うふりをしたくなるのは、自分の中の女の部分がごねているだけだと自覚できていた。いっそみっともなく駄々をこねてしまえたら楽だろう。しかし、それは新藤を困らせ、失望させるだけだ。

 熱いものが一筋ひとすじ一希のほおを伝い、夜風に冷やされる間もなく、後から後から込み上げては流れ落ちた。まるでこの二年間の全てがあふれ出るように。

 初めて門を叩いた日の緊張感。住み込み指導の申し出。いろんなことがありすぎた共同生活。どの場面も、この人に対する思いに満ち満ちていた。それは憧れであり、それは感謝であり、それは恋だった。どれももはや、単独の感情として切り離すことなどできない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

ことりの上手ななかせかた

森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行
恋愛
堀井小鳥は、気弱で男の人が苦手なちびっ子OL。 しかし、ひょんなことから社内の「女神」と名高い沙羅慧人(しかし男)と顔見知りになってしまう。 それだけでも恐れ多いのに、あろうことか沙羅は小鳥を気に入ってしまったみたいで――!? 「女神様といち庶民の私に、一体何が起こるっていうんですか……!」 「ずっと聴いていたいんです。小鳥さんの歌声を」 小動物系OL×爽やか美青年のじれじれ甘いオフィスラブ。 ※エブリスタ、小説家になろうに同作掲載しております

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...