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第4章 命賭す者
92 浴衣
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まるで何か重大な一線を越えてしまったような気がして、翌朝は顔を合わせる自信がなく、一希は意図的に寝坊した。突き動かされるまま、あの場で目の前の新藤にいっそすがりついてしまえば、今頃は笑い話で済んでいたのだろうか。
新藤が出かけたのを見計らって起き出すと、クラス六の爆破処理は新聞やテレビでも大きく取り上げられていた。事故でも起きない限り、処理士の名前が表に出ることはそうそうない。作業開始を控えた現場の録画映像に、準備を進めるオレンジ色の後ろ姿が二つ、小さく映っていた。
同居しながら、しかも同じ仕事に関わりながら、相手をそうそう避け続けられるものではない。その日の夕方には寝室のドアがノックされた。一希は黙っておずおずとドアを開ける。
「埜岩から電話」
「あ、はい。ありがとうございます」
出てみると、デトンの安全化補助の依頼だった。もちろん引き受ける。
電話を切って戻ってくると、座卓にはノートや書類が広げられたままになっており、新藤は立ったついでとばかりに台所でスイカを貪っていた。一希が昨日半分に切っておいたものを流しの台に置いて、そこから直に。
受注を報告するつもりだった一希はつい笑みをこぼす。新藤がそれに気付き、引き出しからもう一つ先割れスプーンを出して「お前も食うか?」の目配せ。途端に昨晩からのモヤモヤが晴れ渡り、一希は満ち足りた気持ちになった。
流しの前に並んで立ち、甘そうなところを奪い合いながらあっという間に食べ尽くす。新藤は自分のスプーンを一希に手渡すと、座敷の書類に戻った。
一希はそのまま夕食の支度を始めた。何事もなかったようでありながら、確実に昨日までとは違う何かが一希の胸の奥を温めていた。
* * * * * *
去年の夏に一希が物欲しそうに眺めていた野々石公園の夏祭り。新藤はいつから計画していたのか、この祭りに檜垣家を巻き込んだ上で一希を誘った。しかも、着ていくものがないという一希に浴衣を貸してくれるよう、あらかじめ芳恵に頼んでおいてくれたらしい。
紺の地に白の牡丹柄。地味でごめんね、と芳恵は恐縮していたが、赤みがかったピンクの帯は、一希にはむしろ華やかすぎるぐらいに思われた。
一希に化粧をさせたがるミレイを丁重に制し、頬紅だけを芳恵に借りて薄く入れさせてもらう。
髪もあまり凝ったスタイルには慣れていないため、無理はするまいと低い位置で丸くまとめるだけにしたのだが、ミレイの手で耳周りに後れ毛を垂らされてしまった。確かにおしゃれ度は増した気がするが、何だか落ち着かない。張り切りすぎているようで痛々しく見えないだろうかと不安になってしまう。
二歳になったリアンまでもが浴衣を着せてもらっている中、新藤だけが藍色の半袖シャツにグレーのズボン、足元はスニーカーという出で立ちだった。檜垣が言うには、「貸してやると言ったのに、浴衣は好きじゃないと断られた」のだそうだ。きっと似合うだろうにと、一希は少々残念に思った。
かくして、五人家族プラス師弟の七人が揃った。綿菓子を手に出店を回り、地元有志の踊りを眺め、花火を見上げる。
「ケンケン、さっきから一希ちゃんに見とれっぱなしじゃない?」と騒ぐミレイに、赤面したのはどうやら一希だけ。黙ってろ、とばかりに人差し指を立てた新藤の余裕の身振りを、どう解釈したものか。
国内最長の樹齢を誇る香神杉をバックに皆で記念撮影をしようという時、新藤の腕が一希の肩に回った。
一希は思わず息を呑み、写真向けの笑顔をかろうじて作りながらも、温かなその重みに意識を集中させていた。この手に何もかも委ねてしまいたい。
そして、しみじみ思った。あの灯台で花火を見てから、一年が経ったのだと。
新藤が出かけたのを見計らって起き出すと、クラス六の爆破処理は新聞やテレビでも大きく取り上げられていた。事故でも起きない限り、処理士の名前が表に出ることはそうそうない。作業開始を控えた現場の録画映像に、準備を進めるオレンジ色の後ろ姿が二つ、小さく映っていた。
同居しながら、しかも同じ仕事に関わりながら、相手をそうそう避け続けられるものではない。その日の夕方には寝室のドアがノックされた。一希は黙っておずおずとドアを開ける。
「埜岩から電話」
「あ、はい。ありがとうございます」
出てみると、デトンの安全化補助の依頼だった。もちろん引き受ける。
電話を切って戻ってくると、座卓にはノートや書類が広げられたままになっており、新藤は立ったついでとばかりに台所でスイカを貪っていた。一希が昨日半分に切っておいたものを流しの台に置いて、そこから直に。
受注を報告するつもりだった一希はつい笑みをこぼす。新藤がそれに気付き、引き出しからもう一つ先割れスプーンを出して「お前も食うか?」の目配せ。途端に昨晩からのモヤモヤが晴れ渡り、一希は満ち足りた気持ちになった。
流しの前に並んで立ち、甘そうなところを奪い合いながらあっという間に食べ尽くす。新藤は自分のスプーンを一希に手渡すと、座敷の書類に戻った。
一希はそのまま夕食の支度を始めた。何事もなかったようでありながら、確実に昨日までとは違う何かが一希の胸の奥を温めていた。
* * * * * *
去年の夏に一希が物欲しそうに眺めていた野々石公園の夏祭り。新藤はいつから計画していたのか、この祭りに檜垣家を巻き込んだ上で一希を誘った。しかも、着ていくものがないという一希に浴衣を貸してくれるよう、あらかじめ芳恵に頼んでおいてくれたらしい。
紺の地に白の牡丹柄。地味でごめんね、と芳恵は恐縮していたが、赤みがかったピンクの帯は、一希にはむしろ華やかすぎるぐらいに思われた。
一希に化粧をさせたがるミレイを丁重に制し、頬紅だけを芳恵に借りて薄く入れさせてもらう。
髪もあまり凝ったスタイルには慣れていないため、無理はするまいと低い位置で丸くまとめるだけにしたのだが、ミレイの手で耳周りに後れ毛を垂らされてしまった。確かにおしゃれ度は増した気がするが、何だか落ち着かない。張り切りすぎているようで痛々しく見えないだろうかと不安になってしまう。
二歳になったリアンまでもが浴衣を着せてもらっている中、新藤だけが藍色の半袖シャツにグレーのズボン、足元はスニーカーという出で立ちだった。檜垣が言うには、「貸してやると言ったのに、浴衣は好きじゃないと断られた」のだそうだ。きっと似合うだろうにと、一希は少々残念に思った。
かくして、五人家族プラス師弟の七人が揃った。綿菓子を手に出店を回り、地元有志の踊りを眺め、花火を見上げる。
「ケンケン、さっきから一希ちゃんに見とれっぱなしじゃない?」と騒ぐミレイに、赤面したのはどうやら一希だけ。黙ってろ、とばかりに人差し指を立てた新藤の余裕の身振りを、どう解釈したものか。
国内最長の樹齢を誇る香神杉をバックに皆で記念撮影をしようという時、新藤の腕が一希の肩に回った。
一希は思わず息を呑み、写真向けの笑顔をかろうじて作りながらも、温かなその重みに意識を集中させていた。この手に何もかも委ねてしまいたい。
そして、しみじみ思った。あの灯台で花火を見てから、一年が経ったのだと。
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