77 / 118
第3章 血の叫び
73 夏祭り
しおりを挟む
町の子供たちがランドセルの代わりにビーチバッグや虫取り網を持って駆け回るのを見て、ああ、学校はもう休みなんだなと気付く。ミンミンゼミの大合唱も今が真っ盛りだ。
暑さが比較的ましなうちにと、二人の仕事がともに落ち着いたところで新藤が自主探査を入れた。探査機を操るのは例によって一希だ。今日はなんと五十キロのマリトンが出たため、立ち入り禁止の標識とロープを残し、埜岩基地に寄って報告を入れた。
埜岩からの帰り道、信号待ちで止まった軽トラのそばを、浴衣姿の女の子たちが笑い声を上げながら通り過ぎる。一希と同じぐらいの年頃だから、大学生か。祭の会場で男の子たちと落ち合って、皆で焼きそばでもつつきながら花火を眺めるのだろう。
「知り合いか?」
「あ、いえ……そういえば今日最終日なんだなと思って」
「最終日?」
「野々石公園の夏祭りです。最終日は歩阪湾に上がる花火が目玉で……もしかしたらうちから見えるかもしれないですね。距離はありますけど高台だから」
「ふーん」
車が再び走り出し、交差点をいくつか曲がると、歩道を行く家族連れや若い男女がしだいに増えてきた。そのほとんどが色とりどりの浴衣姿。
華やかに、あるいはしっとりと結い上げられた女性たちの髪を次々と見せつけられ、これが女の嗜みだと説かれているような気分になる。たまに見かけるショートヘアだって、分けてピンで留めたり、花飾りを付けたりして様になっていた。
それに引き換え、一希の髪は相も変わらず後ろで一本にまとめたきり。ここしばらく切りにも行けていないから、無駄に伸び切ってボサボサだ。
浴衣だって、一希が着たところでどうだろう。うなじもくるぶしも、「色っぽい」より「たくましい」という形容がぴったりくるに違いない。群衆から目をそらし、少し泥の残った我が手を見つめる。
気付けば車は商店街を抜けていた。が、そこで右折。帰宅ルートとは全く逆方向になる。
「先生?」
「寄り道だ」
車は浴衣の集団の背中を追い越しながら走っていたが、道が詰まりはじめ、新藤は脇道へと折れた。随分遠い寄り道だな、と思っていると、公園通りへとやや強引に合流する。
「この分じゃ駐車場は無理だな」
「先生、まさか野々石公園に?」
「物欲しそうに見てたろ」
「えっ、違います。ああもうそんな時期なんだなと思っただけです」
「停めるのは難しそうだから、その辺で降りて好きなだけ見てこい。金はあるか?」
「……こんな目立つ格好でこんな場所歩けませんよ」
主張の強いオレンジ色の作業服が夏祭り会場でどれほど注目を浴びるかなど、想像したくもない。
「なら運転を代われ。適当に流してる間に何か買ってきてやる。何が欲しいんだ?」
いつになく頓珍漢なことを言う師匠に、くすりと笑ってしまいそうになったのはほんの一瞬。たちまち鳩尾の辺りがしくしくと痛み出す。どうしてこんなに苦しいのだろう、的外れな優しさというものは……。
何でもない風を装って一希は答える。
「いいんです、どうせ買うほどのものなんて売ってないんです。子供のおもちゃとか、昔ながらのお菓子とかぐらいで……すみません、なんか、せっかく寄ってくださったのに」
もっとまともな服装だったら、新藤と一緒に出店を冷やかして歩いてみたかった。そう思うとますますいたたまれず、一希はうつむいた。新藤の視線を感じる。一希の真意が読めず困惑しているのが手に取るようにわかる。
やがて新藤は諦めたようにハンドルを切った。
「すみませんでした、お時間をお取りしてしまって」
「まったくだ。こんなとこまで来たんだから、もうひと仕事付き合え」
「はい、何なりと」
暑さが比較的ましなうちにと、二人の仕事がともに落ち着いたところで新藤が自主探査を入れた。探査機を操るのは例によって一希だ。今日はなんと五十キロのマリトンが出たため、立ち入り禁止の標識とロープを残し、埜岩基地に寄って報告を入れた。
埜岩からの帰り道、信号待ちで止まった軽トラのそばを、浴衣姿の女の子たちが笑い声を上げながら通り過ぎる。一希と同じぐらいの年頃だから、大学生か。祭の会場で男の子たちと落ち合って、皆で焼きそばでもつつきながら花火を眺めるのだろう。
「知り合いか?」
「あ、いえ……そういえば今日最終日なんだなと思って」
「最終日?」
「野々石公園の夏祭りです。最終日は歩阪湾に上がる花火が目玉で……もしかしたらうちから見えるかもしれないですね。距離はありますけど高台だから」
「ふーん」
車が再び走り出し、交差点をいくつか曲がると、歩道を行く家族連れや若い男女がしだいに増えてきた。そのほとんどが色とりどりの浴衣姿。
華やかに、あるいはしっとりと結い上げられた女性たちの髪を次々と見せつけられ、これが女の嗜みだと説かれているような気分になる。たまに見かけるショートヘアだって、分けてピンで留めたり、花飾りを付けたりして様になっていた。
それに引き換え、一希の髪は相も変わらず後ろで一本にまとめたきり。ここしばらく切りにも行けていないから、無駄に伸び切ってボサボサだ。
浴衣だって、一希が着たところでどうだろう。うなじもくるぶしも、「色っぽい」より「たくましい」という形容がぴったりくるに違いない。群衆から目をそらし、少し泥の残った我が手を見つめる。
気付けば車は商店街を抜けていた。が、そこで右折。帰宅ルートとは全く逆方向になる。
「先生?」
「寄り道だ」
車は浴衣の集団の背中を追い越しながら走っていたが、道が詰まりはじめ、新藤は脇道へと折れた。随分遠い寄り道だな、と思っていると、公園通りへとやや強引に合流する。
「この分じゃ駐車場は無理だな」
「先生、まさか野々石公園に?」
「物欲しそうに見てたろ」
「えっ、違います。ああもうそんな時期なんだなと思っただけです」
「停めるのは難しそうだから、その辺で降りて好きなだけ見てこい。金はあるか?」
「……こんな目立つ格好でこんな場所歩けませんよ」
主張の強いオレンジ色の作業服が夏祭り会場でどれほど注目を浴びるかなど、想像したくもない。
「なら運転を代われ。適当に流してる間に何か買ってきてやる。何が欲しいんだ?」
いつになく頓珍漢なことを言う師匠に、くすりと笑ってしまいそうになったのはほんの一瞬。たちまち鳩尾の辺りがしくしくと痛み出す。どうしてこんなに苦しいのだろう、的外れな優しさというものは……。
何でもない風を装って一希は答える。
「いいんです、どうせ買うほどのものなんて売ってないんです。子供のおもちゃとか、昔ながらのお菓子とかぐらいで……すみません、なんか、せっかく寄ってくださったのに」
もっとまともな服装だったら、新藤と一緒に出店を冷やかして歩いてみたかった。そう思うとますますいたたまれず、一希はうつむいた。新藤の視線を感じる。一希の真意が読めず困惑しているのが手に取るようにわかる。
やがて新藤は諦めたようにハンドルを切った。
「すみませんでした、お時間をお取りしてしまって」
「まったくだ。こんなとこまで来たんだから、もうひと仕事付き合え」
「はい、何なりと」
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる