72 / 118
第3章 血の叫び
68 上級への道
しおりを挟む
処理済みのサラナを車に積み込んで去っていく檜垣を見送った後、一希は大机にロプタの練習用の道具を並べてはみたものの、心ここにあらずだった。集中していざ取りかかる、という気分になれない。
とりあえず始めてしまえば集中できるだろうか。まずは深呼吸。目をつぶり、手順を頭の中でイメージしてみる。しかし、すぐに新藤の土気色の頬が頭をよぎった。
(ああ、もう……)
集中できない。一希は目の前の子爆弾を見つめた。これがもし本物の爆発物だったら……。
今の自分の心理状態では安全に処理できるという確信は持てない。ならば延期するか、新藤のように代理を頼んで自分は手を引くのが正解だろう。使い物にならない状態なら、使わないでくれとあらかじめ宣言するのがプロの責任。一生忘れるなと新藤からきつく言われたルールの一つだ。
一希は大きく息をついた。やめよう。今日はやめておこう。あくまで完璧なまま反復練習を積むことが目的なのだから、覚悟が怪しいならやめると判断すべきだ。
(そっか。必要なのはここで引く勇気なんだ……)
知識や技術や体力以前に、自分の限界を知り、表立ってそれを認めることが安全確保の最低条件。頑張り屋さんと言われ続けて育った一希には、つい限界以上のことをやろうとする癖がある。しかし、この世界では新藤の言う通り、やろうとしたならば完璧にやりおおせなければ、自分や誰かの命が失われるかもしれないのだ。
(先生、私も今日はお休みにします)
胸の内でそう宣言すると、一希は機材を片付け、風呂を沸かした。
翌朝、一希が目を覚ますと、座敷はすでに開け放たれ、普段の血色を取り戻した新藤が二日前の残り物を掻き込んでいた。一希が遅ればせながらお粥を作ってやると、昼前にはそれも平らげた。
本当なら弱っている時にこそ看病してやりたかった。師匠が己の弱点の扱い方を重々心得ていることに、一希は尊敬の念を抱くと同時に、少々残念な気持ちにさせられた。
自分が一つ屋根の下に住まわせてもらっていながら、仕事を代わってやれない悔しさもじわじわと湧いてくる。昨日檜垣が帰っていった後、一希は処理室の鍵を返されていないことに気付いた。しかし考えてみれば、補助士でしかない一希に鍵を預けるわけにはいかないのだ。
檜垣が鍵を見付けた棚の一角を見てみたが、そこには戻されていなかった。それなのに、今日廊下を行く新藤の手の中に、鍵はいつの間にか握られていた。どこに隠しておけ、もしくは、どこに隠したぞ、というやりとりが電話でなされたのだろう。誰から隠すのかといえば、一希しかいない。
もちろん二人とも処理士としての規則に従っているだけのことで、他意はない。そうわかってはいても、何だか蚊帳の外に追いやられたようで、一希の気持ちは沈んだ。自分にもっと能力があれば、もっと役に立てれば、という焦りが募る。
実際、中級補助士としての一希の仕事の入りは芳しくなかった。新藤の仕事の手伝い以外では、安全化の補助がかろうじて一件。しかし、これも新藤がどこかで聞きつけ、うちの冴島を使ってくれと埜岩にかけ合った成果だった。あとは頼み込んで許可してもらった見学ばかり。
はっきりと何か言われたわけではないが、行く先々で「女のくせに」という嘲笑の色を帯びた顔に出会うことは日常茶飯事だ。
(一年目で中級受けてたからまだよかったけど……)
この時点で初級止まりだったらと思うと、ぞっとする。新藤が一希の飛び級を決めた時、もしかしたら平均的な補助士よりも中級から上級への昇格に長期間を要する可能性を見越していたのかもしれない。
一度経験した道具渡しと基本的な補助の評判は悪くなかった。しかしそれらは本来初級レベルの仕事ともいえる。実務未経験の段階で中級を取ったのだから最初はそれでよかったが、さすがにいつまでもこのままでは上級合格という目標が遠のいてしまう。せめて数をこなしたい。
とりあえず始めてしまえば集中できるだろうか。まずは深呼吸。目をつぶり、手順を頭の中でイメージしてみる。しかし、すぐに新藤の土気色の頬が頭をよぎった。
(ああ、もう……)
集中できない。一希は目の前の子爆弾を見つめた。これがもし本物の爆発物だったら……。
今の自分の心理状態では安全に処理できるという確信は持てない。ならば延期するか、新藤のように代理を頼んで自分は手を引くのが正解だろう。使い物にならない状態なら、使わないでくれとあらかじめ宣言するのがプロの責任。一生忘れるなと新藤からきつく言われたルールの一つだ。
一希は大きく息をついた。やめよう。今日はやめておこう。あくまで完璧なまま反復練習を積むことが目的なのだから、覚悟が怪しいならやめると判断すべきだ。
(そっか。必要なのはここで引く勇気なんだ……)
知識や技術や体力以前に、自分の限界を知り、表立ってそれを認めることが安全確保の最低条件。頑張り屋さんと言われ続けて育った一希には、つい限界以上のことをやろうとする癖がある。しかし、この世界では新藤の言う通り、やろうとしたならば完璧にやりおおせなければ、自分や誰かの命が失われるかもしれないのだ。
(先生、私も今日はお休みにします)
胸の内でそう宣言すると、一希は機材を片付け、風呂を沸かした。
翌朝、一希が目を覚ますと、座敷はすでに開け放たれ、普段の血色を取り戻した新藤が二日前の残り物を掻き込んでいた。一希が遅ればせながらお粥を作ってやると、昼前にはそれも平らげた。
本当なら弱っている時にこそ看病してやりたかった。師匠が己の弱点の扱い方を重々心得ていることに、一希は尊敬の念を抱くと同時に、少々残念な気持ちにさせられた。
自分が一つ屋根の下に住まわせてもらっていながら、仕事を代わってやれない悔しさもじわじわと湧いてくる。昨日檜垣が帰っていった後、一希は処理室の鍵を返されていないことに気付いた。しかし考えてみれば、補助士でしかない一希に鍵を預けるわけにはいかないのだ。
檜垣が鍵を見付けた棚の一角を見てみたが、そこには戻されていなかった。それなのに、今日廊下を行く新藤の手の中に、鍵はいつの間にか握られていた。どこに隠しておけ、もしくは、どこに隠したぞ、というやりとりが電話でなされたのだろう。誰から隠すのかといえば、一希しかいない。
もちろん二人とも処理士としての規則に従っているだけのことで、他意はない。そうわかってはいても、何だか蚊帳の外に追いやられたようで、一希の気持ちは沈んだ。自分にもっと能力があれば、もっと役に立てれば、という焦りが募る。
実際、中級補助士としての一希の仕事の入りは芳しくなかった。新藤の仕事の手伝い以外では、安全化の補助がかろうじて一件。しかし、これも新藤がどこかで聞きつけ、うちの冴島を使ってくれと埜岩にかけ合った成果だった。あとは頼み込んで許可してもらった見学ばかり。
はっきりと何か言われたわけではないが、行く先々で「女のくせに」という嘲笑の色を帯びた顔に出会うことは日常茶飯事だ。
(一年目で中級受けてたからまだよかったけど……)
この時点で初級止まりだったらと思うと、ぞっとする。新藤が一希の飛び級を決めた時、もしかしたら平均的な補助士よりも中級から上級への昇格に長期間を要する可能性を見越していたのかもしれない。
一度経験した道具渡しと基本的な補助の評判は悪くなかった。しかしそれらは本来初級レベルの仕事ともいえる。実務未経験の段階で中級を取ったのだから最初はそれでよかったが、さすがにいつまでもこのままでは上級合格という目標が遠のいてしまう。せめて数をこなしたい。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
スルドの声(反響) segunda rezar
桜のはなびら
現代文学
恵まれた能力と資質をフル活用し、望まれた在り方を、望むように実現してきた彼女。
長子としての在り方を求められれば、理想の姉として振る舞った。
客観的な評価は充分。
しかし彼女自身がまだ満足していなかった。
周囲の望み以上に、妹を守りたいと望む彼女。彼女にとって、理想の姉とはそういう者であった。
理想の姉が守るべき妹が、ある日スルドと出会う。
姉として、見過ごすことなどできようもなかった。
※当作品は単体でも成立するように書いていますが、スルドの声(交響) primeira desejo の裏としての性質を持っています。
各話のタイトルに(LINK:primeira desejo〇〇)とあるものは、スルドの声(交響) primeira desejoの○○話とリンクしています。
表紙はaiで作成しています
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
この初恋は犬も食わない
松丹子
恋愛
狛江紗也加(30)は、兄の友人・蓮田翔に長年、片想いをしている。
妹扱いをしてくる翔とは、つかず離れずの距離を保っている。
モヤモヤした思いを抱えながら、諦めることも、勇気を持つこともできない紗也加。
このこじらせた初恋――いったいどうするべきか。
*後日談に先立ち、本編のみ公開します
*端本やこ様とのコラボレーション企画です(キャラクター原案:端本やこ様)
本作を一作目として、計4作の連作。
いずれも五万字程度の作品ですので、ぜひ合わせてお楽しみください。
「カナリアを食べた猫」https://www.alphapolis.co.jp/novel/820388505/117346719(端本やこ様)
「小悪魔うさぎの発情期」https://www.alphapolis.co.jp/novel/219337452/31593834(松丹子)
「チキンさんの事始め」https://www.alphapolis.co.jp/novel/820388505/479591770(端本やこ様)
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
後宮の棘
香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
一日5秒を私にください
蒼緋 玲
恋愛
【第一部】
1.2.3.4.5…
一日5秒だけで良いから
この胸の高鳴りと心が満たされる理由を知りたい
長い不遇の扱いを受け、更に不治の病に冒されてしまった少女が、
初めて芽生える感情と人との繋がりを経て、
最期まで前を向いて精一杯生きていこうと邁進する第一弾。
【第二部】
境遇を悲観せず前向きに生きること、
テオルドに人を想う感情を起動させ、
周りとの関わりを経てユフィーラは命を繋いだ。
王国内での内輪揉め問題や国内部の黒い部分。
新しい命との邂逅。
人伝に拡がる保湿剤からの出逢い。
訳アリ使用人達の過去。
楽観主義でも大切な人達の為に時には牙を剥くユフィーラ。
更に拡がった世界で周りを取り込んでいくユフィーラ節第二弾。
その他外部サイトにも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる