70 / 118
第3章 血の叫び
66 恋
しおりを挟む
「私もね、好きな人、先生なんだ」
「えっ? あ、学校の?」
「うん。音楽の」
「へえ。どんな先生?」
「チャビってあだ名で、本人わかってないと思うけど、実はハゲチャビンの略なんだよね」
「ひっどい!」
「ほんとハゲてんだもん。お腹も出てるし、背低いし」
どこが好きなの? と口走りそうになった。かわいいキャラクター的な意味で「好き」なのかもしれないと思ったから。
「黒板の字とか超汚いくせに、ピアノめっちゃうまくて。すごいんだよ。歌ったらオペラの人みたいだし」
ミレイは休みなくしゃべり続けた。
「面白いから人気あるんだよね、男子にも女子にも。合唱部の顧問だからさ、合唱部、部員多すぎ注意報で。歌とかお前ら興味ないだろみたいな。ま、私もその一人だったんだけど」
ミレイの「好き」は本物だった。
「授業とか、みんなの前ではちょっと演じてるっぽいとこもあるんだけどね」
彼女は恋をしていた。
「でも一人で質問とか行くと、また冗談とか言うのかと思ったらすごい真面目な顔になって。本気で進路相談とか乗ってくれちゃって。なんかそれが男に見えちゃったっていうか」
そうだった。そういえば恋ってこんなだった。
「でもね、結婚してるんだ。子供もう大学生だって。そりゃそうだよね。年も年だもん」
一希は黙って聞きながら、布団の端でそっと目尻を拭った。
「よかったーと思っちゃった。もしさ、独身とか言われたら、こっちだってなんか頑張っちゃうじゃん。無駄に頑張っちゃう。そんで、頑張ってる自分に酔ったりとかしちゃいそうじゃん。合唱部もさ、追っかけ根性だけで居続けてもしょうがないし、それはチャビにも悪いと思って結局辞めたんだ。……ちょっと何泣いてんの!? 一希ちゃん!」
「ごめん、だって……」
「やだー! そういう段階もう過ぎたから私。去年去年。もう終わったんだってば」
でも、「好きだった人」とは言わなかったくせに。
「このマセガキが!」
と襟元をくすぐってやると、全くマセていない黄色い歓声が上がった。
(先生が好き、か。若いなあ……)
自分にもこんな頃があったなあ、などという感傷が首をもたげる。しかし、十四歳当時の一希は果たして、今のミレイのようにからっとした生き方をしていただろうか。ミレイとて悩みがないわけではないだろうが、傍から見る限りはかなり恵まれた家庭に育っている。立派な仕事に就いて町中から慕われているお父さんと、専業主婦の優しいお母さん。そして元気いっぱいの弟に、愛らしい妹。
廊下の向こうから、処理室の扉が開き、そして閉まる音が聞こえた。ミレイに布団を貸してしまった新藤は、今夜は徹夜を決め込んでいるのかもしれない。カレンダーに書かれていた限りでは特に予定の作業はなかったはずだが、工具の整備でもしているのだろうか。仏頂面で淡々と手を動かす新藤の姿を思い浮かべる。
ミレイと新藤が仲良く同じ皿をつつく様子を本当の親子みたいだと微笑ましく眺めた一希だが、新藤が普段使っている布団に何の遠慮もなくくるまってすやすやと眠るミレイの姿には、やや複雑な感情が湧いた。
先生として尊敬してはいるけど……。「けど」何なのかとミレイに問われた時、男の人として見たことはない、好きとは違う、と断言できなかった。何もバカ正直になる必要などない場面なのに、偽ることすらできなかった。
一希の感情はいつの間にか、一希自身が自覚していたより一歩も二歩も先へと進んでしまっていたらしい。
「えっ? あ、学校の?」
「うん。音楽の」
「へえ。どんな先生?」
「チャビってあだ名で、本人わかってないと思うけど、実はハゲチャビンの略なんだよね」
「ひっどい!」
「ほんとハゲてんだもん。お腹も出てるし、背低いし」
どこが好きなの? と口走りそうになった。かわいいキャラクター的な意味で「好き」なのかもしれないと思ったから。
「黒板の字とか超汚いくせに、ピアノめっちゃうまくて。すごいんだよ。歌ったらオペラの人みたいだし」
ミレイは休みなくしゃべり続けた。
「面白いから人気あるんだよね、男子にも女子にも。合唱部の顧問だからさ、合唱部、部員多すぎ注意報で。歌とかお前ら興味ないだろみたいな。ま、私もその一人だったんだけど」
ミレイの「好き」は本物だった。
「授業とか、みんなの前ではちょっと演じてるっぽいとこもあるんだけどね」
彼女は恋をしていた。
「でも一人で質問とか行くと、また冗談とか言うのかと思ったらすごい真面目な顔になって。本気で進路相談とか乗ってくれちゃって。なんかそれが男に見えちゃったっていうか」
そうだった。そういえば恋ってこんなだった。
「でもね、結婚してるんだ。子供もう大学生だって。そりゃそうだよね。年も年だもん」
一希は黙って聞きながら、布団の端でそっと目尻を拭った。
「よかったーと思っちゃった。もしさ、独身とか言われたら、こっちだってなんか頑張っちゃうじゃん。無駄に頑張っちゃう。そんで、頑張ってる自分に酔ったりとかしちゃいそうじゃん。合唱部もさ、追っかけ根性だけで居続けてもしょうがないし、それはチャビにも悪いと思って結局辞めたんだ。……ちょっと何泣いてんの!? 一希ちゃん!」
「ごめん、だって……」
「やだー! そういう段階もう過ぎたから私。去年去年。もう終わったんだってば」
でも、「好きだった人」とは言わなかったくせに。
「このマセガキが!」
と襟元をくすぐってやると、全くマセていない黄色い歓声が上がった。
(先生が好き、か。若いなあ……)
自分にもこんな頃があったなあ、などという感傷が首をもたげる。しかし、十四歳当時の一希は果たして、今のミレイのようにからっとした生き方をしていただろうか。ミレイとて悩みがないわけではないだろうが、傍から見る限りはかなり恵まれた家庭に育っている。立派な仕事に就いて町中から慕われているお父さんと、専業主婦の優しいお母さん。そして元気いっぱいの弟に、愛らしい妹。
廊下の向こうから、処理室の扉が開き、そして閉まる音が聞こえた。ミレイに布団を貸してしまった新藤は、今夜は徹夜を決め込んでいるのかもしれない。カレンダーに書かれていた限りでは特に予定の作業はなかったはずだが、工具の整備でもしているのだろうか。仏頂面で淡々と手を動かす新藤の姿を思い浮かべる。
ミレイと新藤が仲良く同じ皿をつつく様子を本当の親子みたいだと微笑ましく眺めた一希だが、新藤が普段使っている布団に何の遠慮もなくくるまってすやすやと眠るミレイの姿には、やや複雑な感情が湧いた。
先生として尊敬してはいるけど……。「けど」何なのかとミレイに問われた時、男の人として見たことはない、好きとは違う、と断言できなかった。何もバカ正直になる必要などない場面なのに、偽ることすらできなかった。
一希の感情はいつの間にか、一希自身が自覚していたより一歩も二歩も先へと進んでしまっていたらしい。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる