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第2章 修練の時
51 美夜月の告白
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平岡を門の外まで見送って戻ってきた一希は、処理室の扉に数センチの隙間を見付けた。新藤は中にいる。しかし作業中ではないということだ。
(まさか、座敷の話し声までは聞こえてないよね……)
そっと中の様子を窺おうと近付くと、ふっと扉が開き、新藤が顔を出した。
「帰ったか?」
「はい。すみません、お騒がせして。高校の同級生なんです」
「ああ、そう言ってたな。何しに来たんだ?」
「あ、まあ、近況確認っていうか……たわいない雑談ですけど」
「ふーん」
新藤は処理室の中に戻って扉を閉めようとする。
「あ、先生、もしかして、平岡君がいたから作業できなかったりとかしてました?」
「いや、いるのは別に構わんが、お前が悲鳴でも上げたら聞こえた方がいいだろ」
「え!?」
そういう心配をしていたのか。
「まさか! そんな人じゃないんです。わりと優等生な部類で、礼儀正しくて……」
「それだけのことで油断するな」
「それだけってわけじゃ……でも、いいんです、話は済みましたから。もう来ませんから」
「どうだろうな」
新藤はそれだけ言うと、扉を閉めてしまった。赤ランプが灯る。
(やっぱり、なんか雰囲気って伝わっちゃうものなのかな……)
男が一人で訪ねてきたから警戒しただけなのか、それとも、二人の間の空気に新藤は何かを察したのか。一希には思い当たる節があるだけに気になった。
高校一年の秋。一希がアルバイトを終えて帰宅すると、玄関前で平岡が待っていた。一希の目の前ににゅっと拳を突き出し、反対側の手で一希の手首を取った。渡されたのは学ランのボタン。視線を上げると彼はもういなかった。
美夜月の第三ボタン。元はといえばスム族の風習だ。それをワカの若者たちに知らしめたのは、ある人気漫画だった。愛の証として互いの服のボタンを交換する男女が描かれ、誰もが軽い気持ちでそれを真似、一躍ブームになった。
スム族は月に神性を見出す。と言っても、宗教として確立されているわけではなく、民間信仰のようなもの。昔ながらの慣習で月を愛でる行事が多く、血の三日月の刺青もこれに由来する。
そして、一年で一番きれいな月が見られると言われている、美夜月の日。月暦が基準になるから、日常的に使われているカレンダー上での日付は毎年変わるが、いずれにしても秋の一日だ。
我が国では今や、単純にデートをする日、恋心を打ち明ける日、仲間うちでプレゼントを交換する日になってしまっているが、スム文化でいう本来の美夜月の告白は違った。
一番大切な服の第三ボタンを、思いを寄せる相手に贈る。渡された方は一年かけて真剣に答えを出し、翌年の美夜月の日に返事をする。答えがノーならボタンを返す。両思いならそこで初めて自分の第三ボタンをお返しに渡し、互いに相手のボタンを自分の服に縫い付ける。
恋する若者にとって一年は長い。最初にボタンを渡す方も、一年で気が変わってはまずいのだから責任重大だ。その先一年間、答えがわからずとも相手を思い続けるという宣言といってもいい。
一希が平岡から受け取ったのがその本来の意味を負ったボタンであることは、十分すぎるほど伝わった。
自分のことをそんな風に思ってくれる人がいたことは嬉しかった。とはいえ、平岡のことは好きでも嫌いでもなかった。あまり知らない人だった。何より、進学準備を進めながら父親の面倒を見る一希には恋にうつつを抜かしている余裕などなかった。
一年後の美夜月の日は、勉強とアルバイトに明け暮れるうち、いつの間にか過ぎていた。年が明けた頃にようやく思い出し、丁重にボタンを返して謝った。失くしていなかったのがせめてもの救いだ。
平岡は怒りもせず、気が変わったらいつでも誘ってと言ってくれた。しかし、間もなく一希は父親を亡くし、いよいよデートどころではなくなった。縁がなかったとしか言いようがない。
仮に好きだったとしても、あるいは今から気が変わったとしても、一体何をどうできるというのだ。一希は補助士になる夢を諦めるつもりはない。
平岡だろうと他の誰だろうと、不発弾処理などという特殊かつ男臭い世界を目指す女をもらってくれなどとはとても言えない。かといって、軽い気持ちでその場限りの付き合いができるようには、一希は生まれついていなかった。
(まさか、座敷の話し声までは聞こえてないよね……)
そっと中の様子を窺おうと近付くと、ふっと扉が開き、新藤が顔を出した。
「帰ったか?」
「はい。すみません、お騒がせして。高校の同級生なんです」
「ああ、そう言ってたな。何しに来たんだ?」
「あ、まあ、近況確認っていうか……たわいない雑談ですけど」
「ふーん」
新藤は処理室の中に戻って扉を閉めようとする。
「あ、先生、もしかして、平岡君がいたから作業できなかったりとかしてました?」
「いや、いるのは別に構わんが、お前が悲鳴でも上げたら聞こえた方がいいだろ」
「え!?」
そういう心配をしていたのか。
「まさか! そんな人じゃないんです。わりと優等生な部類で、礼儀正しくて……」
「それだけのことで油断するな」
「それだけってわけじゃ……でも、いいんです、話は済みましたから。もう来ませんから」
「どうだろうな」
新藤はそれだけ言うと、扉を閉めてしまった。赤ランプが灯る。
(やっぱり、なんか雰囲気って伝わっちゃうものなのかな……)
男が一人で訪ねてきたから警戒しただけなのか、それとも、二人の間の空気に新藤は何かを察したのか。一希には思い当たる節があるだけに気になった。
高校一年の秋。一希がアルバイトを終えて帰宅すると、玄関前で平岡が待っていた。一希の目の前ににゅっと拳を突き出し、反対側の手で一希の手首を取った。渡されたのは学ランのボタン。視線を上げると彼はもういなかった。
美夜月の第三ボタン。元はといえばスム族の風習だ。それをワカの若者たちに知らしめたのは、ある人気漫画だった。愛の証として互いの服のボタンを交換する男女が描かれ、誰もが軽い気持ちでそれを真似、一躍ブームになった。
スム族は月に神性を見出す。と言っても、宗教として確立されているわけではなく、民間信仰のようなもの。昔ながらの慣習で月を愛でる行事が多く、血の三日月の刺青もこれに由来する。
そして、一年で一番きれいな月が見られると言われている、美夜月の日。月暦が基準になるから、日常的に使われているカレンダー上での日付は毎年変わるが、いずれにしても秋の一日だ。
我が国では今や、単純にデートをする日、恋心を打ち明ける日、仲間うちでプレゼントを交換する日になってしまっているが、スム文化でいう本来の美夜月の告白は違った。
一番大切な服の第三ボタンを、思いを寄せる相手に贈る。渡された方は一年かけて真剣に答えを出し、翌年の美夜月の日に返事をする。答えがノーならボタンを返す。両思いならそこで初めて自分の第三ボタンをお返しに渡し、互いに相手のボタンを自分の服に縫い付ける。
恋する若者にとって一年は長い。最初にボタンを渡す方も、一年で気が変わってはまずいのだから責任重大だ。その先一年間、答えがわからずとも相手を思い続けるという宣言といってもいい。
一希が平岡から受け取ったのがその本来の意味を負ったボタンであることは、十分すぎるほど伝わった。
自分のことをそんな風に思ってくれる人がいたことは嬉しかった。とはいえ、平岡のことは好きでも嫌いでもなかった。あまり知らない人だった。何より、進学準備を進めながら父親の面倒を見る一希には恋にうつつを抜かしている余裕などなかった。
一年後の美夜月の日は、勉強とアルバイトに明け暮れるうち、いつの間にか過ぎていた。年が明けた頃にようやく思い出し、丁重にボタンを返して謝った。失くしていなかったのがせめてもの救いだ。
平岡は怒りもせず、気が変わったらいつでも誘ってと言ってくれた。しかし、間もなく一希は父親を亡くし、いよいよデートどころではなくなった。縁がなかったとしか言いようがない。
仮に好きだったとしても、あるいは今から気が変わったとしても、一体何をどうできるというのだ。一希は補助士になる夢を諦めるつもりはない。
平岡だろうと他の誰だろうと、不発弾処理などという特殊かつ男臭い世界を目指す女をもらってくれなどとはとても言えない。かといって、軽い気持ちでその場限りの付き合いができるようには、一希は生まれついていなかった。
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