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第2章 修練の時
42 内省
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翌日、「冴島の棚」は空になっていた。新藤が全てをどこかに隠したのだ。昨日危険を顧みなかったのはなぜか。その答えがわかるまで他の仕事は禁止。
一希は途方に暮れた。考えろといったって、考えることだけをそう何時間もできるものではない。洗濯でも、と思えばもう庭に干されており、ゴミもきっちり片付いていた。そしてダメ押しのように、朝っぱらから大量の惣菜が届く。まさかと思って台所に行ってみると、ご飯も昼時には炊き上がるように炊飯器がセットされていた。
(もうちょっと抜かりあってもいいんじゃ……)
それでいて、一希が何をしているかを監視する素振りもない。考えてみれば当然だ。真面目に考えて答えを出さなければ困るのは一希の方なのだから。
仕方なく家の周りを軽く走ったり、自転車で街を走ってみたり、気が向けば台所にも立ったり。冷蔵庫の中身との兼ね合いはこの際無視して、自分が作りたい料理を時間に追われることなくのんびりと作る。「考える」ための環境を整えようと思うと、自ずと体調にも気を配るようになり、没頭しすぎず一割二割の余力を残すという発想が生まれた。
元気を出す、という名目を自分の中に用意して、アイスクリームも買った。これまでは贅沢だと思って我慢していたが、生活費の管理権も新藤に一旦没収されてしまったのをよいことに、自分の貯金から出したのだ。バケツ型の容器に入ったストロベリー味で、大きければ大きいほど割が良いため、一番大きいのを。
ところが、冷凍庫に入れて一晩経ち、一希がいざ容器を開けてみると、中身は早くも三分の二ほどに減っている。それを見て、つい笑みがこぼれた。大きなスプーンでピンク色のアイスを容器から直接すくう新藤が目に浮かぶ。そして思い出される「共有財産」という言葉。この分なら次回買う時には生活費から出しても問題なさそうだ。
新藤は、一希に逃げられても困らないとの宣言通り、何の支障もなさそうに日々をこなしている。その様子を眺めるうち、一希は自分がここにいる意味を改めて悟り始めていた。
雑用を奪われてから四日目の晩、一希は一日の仕事を終えた新藤を呼び止めた。大机で師匠と対峙する一希には、倒れて説教を食らった時の打ちひしがれた気持ちはもうなかった。
「優先順位を間違っていました」
「ん」
「本来安全が第一。それに次ぐ二番目を挙げるとすれば、予定された作業の全うです。私はその二つの前に、自己満足を置いていました。いつか先生がおっしゃった通り、優先順位を履き違えた結果、危険を招いてしまったと思います」
新藤はじっと聞き入り、小さなため息の後に言った。
「いかに男と張り合うか。それが今のお前の最大の関心事だ」
「……はい」
答えを出すためにと与えられた時間だが、実際には、自分でも薄々わかっていた答えを認め、そして口に出すための四日間だった。
「女であることが優先順位を見失わせるなら、俺だって反対せざるを得んぞ。『これだから女は』、『所詮女だから』……そういう雑音はお前が何をどうしようと絶対になくなることはない。そんなもんに振り回されて真の目的を見失うような奴に補助士は務まらん」
「はい……」
歯切れの悪い返事を、黙って見逃す新藤ではない。
「何だ」
「……おっしゃる通り、です」
「それで?」
そう、問題はその先。
「あの、先生」
「ん」
「そんなことでは務まらないってことはわかったんですが、これからどうすればいいのかが……」
「ああ」
「男社会でいかに対等にやっていくかって、もう長いこと考え続けてきたような気がするんです。私にとっては大事なことでもあって、生き残るために必要な気もするし……だから、はい今から忘れます、って言える感じじゃなくて」
「そりゃそうだ」
「え?」
「はい忘れますと簡単に言うようなら、出直してこいと怒鳴らなきゃならん」
「先生……」
新藤は軽く伸びをし、天井を仰いだ。
「難しいことだな、偏見を捨てるってのは」
「偏見……ですか?」
「そうだ。お前の中にある偏見だ」
(私の? 周りのじゃなくて?)
「お前は自分が女だと意識すまい、させまいとするあまり、却って誰よりも自分の性別にこだわってる」
霧が晴れたような気がした。言われてみればその通りだ。しかし、一希がようやく素直に頷けるのも、四日間真剣に己の心と向き合った今だからこそだ。新藤にはもっと早くからわかっていたのかもしれない。
一希は途方に暮れた。考えろといったって、考えることだけをそう何時間もできるものではない。洗濯でも、と思えばもう庭に干されており、ゴミもきっちり片付いていた。そしてダメ押しのように、朝っぱらから大量の惣菜が届く。まさかと思って台所に行ってみると、ご飯も昼時には炊き上がるように炊飯器がセットされていた。
(もうちょっと抜かりあってもいいんじゃ……)
それでいて、一希が何をしているかを監視する素振りもない。考えてみれば当然だ。真面目に考えて答えを出さなければ困るのは一希の方なのだから。
仕方なく家の周りを軽く走ったり、自転車で街を走ってみたり、気が向けば台所にも立ったり。冷蔵庫の中身との兼ね合いはこの際無視して、自分が作りたい料理を時間に追われることなくのんびりと作る。「考える」ための環境を整えようと思うと、自ずと体調にも気を配るようになり、没頭しすぎず一割二割の余力を残すという発想が生まれた。
元気を出す、という名目を自分の中に用意して、アイスクリームも買った。これまでは贅沢だと思って我慢していたが、生活費の管理権も新藤に一旦没収されてしまったのをよいことに、自分の貯金から出したのだ。バケツ型の容器に入ったストロベリー味で、大きければ大きいほど割が良いため、一番大きいのを。
ところが、冷凍庫に入れて一晩経ち、一希がいざ容器を開けてみると、中身は早くも三分の二ほどに減っている。それを見て、つい笑みがこぼれた。大きなスプーンでピンク色のアイスを容器から直接すくう新藤が目に浮かぶ。そして思い出される「共有財産」という言葉。この分なら次回買う時には生活費から出しても問題なさそうだ。
新藤は、一希に逃げられても困らないとの宣言通り、何の支障もなさそうに日々をこなしている。その様子を眺めるうち、一希は自分がここにいる意味を改めて悟り始めていた。
雑用を奪われてから四日目の晩、一希は一日の仕事を終えた新藤を呼び止めた。大机で師匠と対峙する一希には、倒れて説教を食らった時の打ちひしがれた気持ちはもうなかった。
「優先順位を間違っていました」
「ん」
「本来安全が第一。それに次ぐ二番目を挙げるとすれば、予定された作業の全うです。私はその二つの前に、自己満足を置いていました。いつか先生がおっしゃった通り、優先順位を履き違えた結果、危険を招いてしまったと思います」
新藤はじっと聞き入り、小さなため息の後に言った。
「いかに男と張り合うか。それが今のお前の最大の関心事だ」
「……はい」
答えを出すためにと与えられた時間だが、実際には、自分でも薄々わかっていた答えを認め、そして口に出すための四日間だった。
「女であることが優先順位を見失わせるなら、俺だって反対せざるを得んぞ。『これだから女は』、『所詮女だから』……そういう雑音はお前が何をどうしようと絶対になくなることはない。そんなもんに振り回されて真の目的を見失うような奴に補助士は務まらん」
「はい……」
歯切れの悪い返事を、黙って見逃す新藤ではない。
「何だ」
「……おっしゃる通り、です」
「それで?」
そう、問題はその先。
「あの、先生」
「ん」
「そんなことでは務まらないってことはわかったんですが、これからどうすればいいのかが……」
「ああ」
「男社会でいかに対等にやっていくかって、もう長いこと考え続けてきたような気がするんです。私にとっては大事なことでもあって、生き残るために必要な気もするし……だから、はい今から忘れます、って言える感じじゃなくて」
「そりゃそうだ」
「え?」
「はい忘れますと簡単に言うようなら、出直してこいと怒鳴らなきゃならん」
「先生……」
新藤は軽く伸びをし、天井を仰いだ。
「難しいことだな、偏見を捨てるってのは」
「偏見……ですか?」
「そうだ。お前の中にある偏見だ」
(私の? 周りのじゃなくて?)
「お前は自分が女だと意識すまい、させまいとするあまり、却って誰よりも自分の性別にこだわってる」
霧が晴れたような気がした。言われてみればその通りだ。しかし、一希がようやく素直に頷けるのも、四日間真剣に己の心と向き合った今だからこそだ。新藤にはもっと早くからわかっていたのかもしれない。
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