爆弾拾いがついた嘘

生津直

文字の大きさ
上 下
39 / 118
第2章 修練の時

37 憂鬱

しおりを挟む
 新藤を目指すための第一歩として、一希は工業高校を志望した。母は女の子が行くようなところじゃないと言って当初は反対したが、一希が粘るうちに徐々に態度が軟化した。自分も苦労してきたから、女の子が手に職をつけるのも悪くないと思ったのかもしれない。あるいは、毎年女子の人数が一割にも満たないと知り、同窓生同士で結婚させるのに有利だとでも期待したか。

 しかし、一希が見事合格した時、母はすでに全身を病におかされていた。医者にはあと一年と言われていたが、春風邪をこじらせて亡くなった。一希の入学式に出るのだと最期まで望みをかけながら……。

 一希の高校時代は、勉強とアルバイトと家事に追われる日々だった。青春と呼ばれるものの色や香りは記憶にない。やもめとなった父は、同級生の父親たちと比べるとはるかにけて見えた。生涯を通じて世の偏見に悩まされ、働くことが難しかった父は家にこもりがちだったが、かといって家事ができるわけでもない。母がアルバイトを掛け持ちして家計を支えながら全てを引き受けていたのだ。

 いわば大黒柱だった母が亡くなり、一希がその後を継ぐしかなかった。世話をすべき弟や妹がいないことと、父が国から終身給付を受けていた戦災孤児補償金が救いだった。父は元より娘の将来をさほど気にかけてはいなかったから、技術訓練校への進学にも反対しなかった。

 受験を一年後に控えた冬、一希が帰宅すると、父がトイレで倒れていた。すでに息はなかった。とにかくショックだったし、各所への連絡に手一杯だった。病院で清められた遺体と二人きりになった時、ようやく涙が出た。父を失った悲しみ以上に、これで少し生活が楽になるという安堵と、そんな思いを抱いてしまう自分に対する嫌悪感で泣いた。

 今日、埜岩のいわ基地を訪れたのは、新藤から預かった書類を提出するためだった。担当の軍曹に挨拶して渡すべきものを渡せば終わりのはずだったが、軍曹はジャージ姿の一希を小馬鹿にしたように眺め回して言った。

「ここは女子供が出入りする場所じゃない。早くいい人を見付けて立派に子供を産むことだ。それが一番の親孝行だと思うがね」

 そういう心無い反応には慣れたつもりだった。しかし、一体何が一希の感情を揺さぶったのだろう。「親孝行」という言葉だろうか。あるいは、「立派に子供を産む」と改めて言われてみて、自分がいよいよその選択肢をあきらめようとしていることを突きつけられたのか。

 水平線に沈む夕日を見送ってから、思いがけず時間が経ってしまっていた。このままでは体も冷え切ってしまう。憂鬱ゆううつな心を引きずるようにして何とか自転車にまたがり、車道の右側をのろのろと走った。交通量はあまり多くないから、ぽつりぽつりとある街灯の光と、自転車に付けた弱々しいライトだけが頼りだ。

 途中すれ違った車が一台。追い抜いていったのが一台。そして今、新たに一台が背後から近付いてきている。と、その車がはっきりと減速したのが音でわかった。警戒して振り向くと、見慣れた軽トラックよりも先に、開いた窓から突き出した新藤の険しい顔が目に留まった。

「あ、先生……」

 新藤は車を申し訳程度に端に寄せて停めた。

「随分と長旅だな。何やってんだ、こんな遅くまで」

「……すみません」

「謝れと言ってるんじゃない。何やってんだと聞いてるんだ」

「今、帰るところです」

「奇遇だな、俺もだ。今までどこにいた?」

「埜岩基地に行って……」

「四時半頃電話したら、とっくに出たと言われたぞ」

「すみません、その後、寄り道してました」

「なるほど。しかし買い物にしちゃ随分身軽だな」

「そう、ですね」

 身軽どころか、手ぶらだ。

「何があった?」

「何も……気分転換してただけです。自転車乗ってたら、もう少し走りたくなっちゃって」

「サイクリングを楽しむのは自由だが、時間を考えろ。真っ暗だぞ」

「大丈夫です、子供じゃありませんから」

 そう言いながら、軍曹に言われた「女子供」という言葉が一希の脳裏をよぎり、涙が込み上げそうになる。嫌だ。先生に泣きつくなんて絶対に嫌だ。他の誰かならともかく、先生にだけは……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

「水を守る」~叔母さんと二人の少女(水シリーズ①)

小原ききょう
現代文学
小学五年生の主人公村上陽一は母の年の離れた妹の叔母さんと本の話をしたり一緒にいろんな所に出かけたりする日々を送っていた。 そんな陽一にはすごく気になる場所があった。それは近所にある古いアパートとそれを見下ろすかのように立っている高台の家だ。 ある日アパートから出てきた中年男と女が封筒を受け渡しするのを見た日から全てが始まる。 陽一は近所の商店街の駄菓子屋で店番をする女の子小川悠子と高台に住む良家の娘香山仁美の二人の少女と知り合いになる。 やがて陽一は小川悠子が義父から虐待を受けていることを知るがどうすることもできないでいた。物語は進み、陽一は二人の少女に隠された秘密を知ることになる。 陽一を温かく見守り支えてくれる叔母さんとの会話や出来事を通して陽一自身が次第に成長し、二人の少女の秘密と叔母さんとの関係がリンクする。 町の人々の今まで見えていなかった部分が見えはじめ、全てが繋がり奇跡が訪れる時、陽一は誰が本当に好きなのかに気づく。   【シリーズ小説の時系列】 春       「遠野静子の憂鬱」     ↓      ↓             夏「水を守る」                     ↓ 秋「水の行方」     ↓        ↓ 冬「水をすくう」 「長田多香子の憂鬱」

アル・ゴアに刺激されて!

ハリマオ65
現代文学
清水憲一は、下町の質屋・清水質店の跡取り息子。質屋は、とにかく情報もが大切である。そのため情報源の居酒屋、キャバレ、クラブに出入りしていた。その他、大切なのは、今後どうなっていくか、それを知るためには、クラブのママ、政治家とのつき合い、そのため政治家のパーティーにも参加。また、質屋に必要な資質は、正直者で計算が早く、質草が、本物か偽物か、お客の良し悪しを見分ける目が要求される。ところが、賢吉の息子、清水浩一は、バブル時に勢いのあった兜町の株取引に興味を持った。学問の方は、化学が好きで、特にアル・ゴアの「不都合な真実」を見て、地球温暖化問題に早くから興味を持った。そのためには、銭が必要と考え、投資で稼ぎ、自分の夢を現実のものにしていく物語。是非、読んで下さいね。

「三条美玲の炎上」スピンオフ・田中翔の業務日誌

中岡 始
現代文学
翔を中心に描かれるこの物語は、青海の宿で巻き起こった騒動を通して、彼がプロフェッショナルとしての自分を見つめ直し、成長していく姿を描いている。 有名インフルエンサー三条美玲の滞在は、一見して特別な時間を過ごすためのものだった。しかし、美玲が翔の相方・隼人に求める「VIP対応」は、単なるサービスを超えた特別な期待を含んでおり、徐々にそのリクエストは過剰になっていく。やがて、彼女の不満はSNSで炎上し、ホテル全体がその波に飲まれることに。 翔は、隼人と共に対応しながら、この予期せぬ事態に巻き込まれていくが、そこには自らがホテルマンとして何を大切にし、どうあるべきかを考えさせられるきっかけがあった。プロフェッショナリズムとは何か、真のホスピタリティとはどこにあるのか――騒動の中で、翔はこれらの問いに対する答えを見つけようと奮闘する。 ホテルの公式声明、合同インタビューなど、次々と対応が進む中で、翔は隼人との絆を深め、共に成長していく。果たして彼は、この騒動を通じてどのような変化を遂げるのか? そして、翔の目指す理想のホテルマン像はどこへ辿り着くのか? 翔がその道のりの中で見つける「答え」が、読者を新たな気付きへと導くだろう。困難を乗り越える彼の姿から目が離せない。翔の挑戦と葛藤に、どうか注目してほしい。

悟る、クレイジーサイコレズ

木下寅丸
恋愛
 弟が自殺してから1年が過ぎた。  定禅寺高校2年生の木下サトルは、人との関わりを避けて学校生活を送っていた。そんな態度にムカつき、同級生の神崎瞳はある日キレた。  「パジャマ姿で朝弟が首を吊っていた、俺の気持ちを分かるわけないだろ!」と言うサトル。『パジャマ姿』というキーワードに違和感を感じた瞳。クレイジーでサイコでレズな彼女は、弟さんの死の真相を知りたがる。  弟が自殺した本当の理由とは一体?  マイノリティサイコ恋愛学園禄。『悟る、クレイジーサイコレズ』今始まる。 ※やる気次第の不定期更新です。終わらないかもしれませんがご容赦ください<m(_ _)m>

声を聴かせて

文月 青
現代文学
特に目的もなく日々を過ごす大学生の西崎剛は、夏休みのある暑い日、自宅付近の公園で高校生の相原海とその弟の陸に出会う。 声をかけてもろくに返事もせず、指しゃぶりばかりしている陸を見て、躾がなっていないと指摘した西崎だったが、後に陸が障害児で言葉を話せないことを知る。 面倒を嫌い、何事も自分には関係ないと流しがちだった西崎は、それをきっかけに二人に興味を持ち、自ずと関わってゆくようになる。やがて友人の挫折や陸の障害を通して、海に惹かれている自分に気づいたとき、初めて彼女が背負っているものの大きさに直面するが…。 「海を守りたい」 それぞれの思いが交錯する中、西崎が導き出した答えは…?

『♡ Kyoko Love ♡』☆『 LOVE YOU!』のスピン・オフ 最後のほうで香のその後が書かれています。

設樂理沙
ライト文芸
過去、付き合う相手が切れたことがほぼない くらい、見た目も内面もチャーミングな石川恭子。 結婚なんてあまり興味なく生きてきたが、周囲の素敵な女性たちに 感化され、意識が変わっていくアラフォー女子のお話。 ゆるい展開ですが、読んで頂けましたら幸いです。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 亀卦川康之との付き合いを止めた恭子の、その後の♡*♥Love Romance♥*♡  お楽しみください。 不定期更新とさせていただきますが基本今回は午後6時前後 に更新してゆく予定にしています。 ♡画像はILLUSTRATION STORE様有償画像  (許可をいただき加工しています)

シニカルな話はいかが

小木田十(おぎたみつる)
現代文学
皮肉の効いた、ブラックな笑いのショートショート集を、お楽しみあれ。 /小木田十(おぎたみつる) フリーライター。映画ノベライズ『ALWAIS 続・三丁目の夕日 完全ノベライズ版』『小説 土竜の唄』『小説 土竜の唄 チャイニーズマフィア編』『闇金ウシジマくん』などを担当。2023年、掌編『限界集落の引きこもり』で第4回引きこもり文学大賞 三席入選。2024年、掌編『鳥もつ煮』で山梨日日新聞新春文芸 一席入選(元旦紙面に掲載)。

処理中です...