27 / 118
第2章 修練の時
25 助手
しおりを挟む
一希は当初、住み込みという言葉を特に重く受け止めていなかった。職員室で教官たちに笑われるまで、相手が男であることすら意識しそびれていた。
資格を取ったらすぐに活躍できるよう、今のうちに現場のことをもっと知っておきたい。その意欲だけに突き動かされて、尊敬する処理士の自宅に押しかけ、間借りするに至った。しかし、蓋を開けてみればそれは紛れもなく、男性と二人きりで暮らしをともにすることだった。
洗濯一つ取っても、家族でもない男性の汗が染みた衣類に触れることに、最初は何だか申し訳ないような気分になった。一希の方は、一応これまでのやりとりを経て知らない仲ではないつもりだし、恩義も感じているし、これからお世話になる相手でもあるせいか、不快感や嫌悪感は湧かない。しかし、当の先生の方はどうだろう。
特に下着などは、助手とはいえ女性に洗われることを本人が嫌がるのではとも考えたが、それだけ残すのも失礼な気がする。かといって、わざわざ聞けばこちらも気まずいし、向こうも遠慮するかもしれない。しばし考えた末に思い切ってまとめて洗ってみたところ、特に咎められることはなかったため、一希はそれを正解と受け取ることにした。
しかめっ面のイメージが強い新藤だが、決して気難しい人物ではないことはすぐにわかった。仕事以外のことは概ねどうでもよいらしく、家事や雑用のやり方は一切一希に任された。洗濯物の畳み方や食器棚の中身の配置も、全て一希流を黙って受け入れている。
一希が加わったことによる生活面の変化にも丸っきり頓着する様子がない。それどころか、新藤が見せた意外なまでの順応性に、一希はかわいらしさすら覚えた。
洗面所の床に積まれていた汚れた衣類は一希が用意したかごに入れるようになったし、洗面台に無造作に横たえられていた歯ブラシも、一希が空き缶を持ってきて自分の歯ブラシと一緒に立てておいてやればそれ以降はきちんとそこに立てている。
扉を半開きにしたまま小用を足す後ろ姿を見かけることも、三日目にはなくなった。それでいて便座だけはいちいち下げない辺りが、師匠としての尊厳を主張しているように思えて笑いを誘われた。
一週間ほど経った頃には、なぜかたっぷりと水を吸った上で絞られた形跡のある下穿きが洗濯かごに放り込まれていた。何らかの事情で本人があらかじめ手洗いしたものだろうか。嫁入り前の娘としては何だか見てはいけないものを見たような気になってしまうが、新藤はそういったことをちまちまと隠す男ではないらしい。単に忙しいだけかもしれないが、ある種の潔さのような部分は、一希の目には男らしさとして映った。
乾いた洗濯物を取り込み終え、一希は新藤のカレンダーに目をやる。
(今日は五時まで現場、だったよね。どこって言ってたっけ?)
予定帳で場所を確認し、車での所要時間の見当を付ける。大抵はどこかへ寄り道をしてから帰ってくるらしいから、帰宅は七時近くになるだろう。いつもこれぐらいの時間に帰ってきてくれれば、夕食のタイミングが見計らいやすいのに。
初日から一希も薄々勘付いてはいたが、新藤の食事は非常に不規則だった。家で細々とした作業をしている時は、ごく短時間の休憩がてら簡単なものをつまむだけというパターンがほとんど。といっても、その休憩は何分おき、何時間おきと決まっているわけではないから、ちょうどその時に温かいものを用意してやることは難しかった。
いずれ食べるだろうと台所のテーブルに数品出しておいてやれば、それが何であれ黙ってつつき、処理室か大机に戻っていく。しかし、一希もそれなりに新藤から仕事を与えられているため決して暇ではない。ちょっと油断して料理を出し忘れていると、冷蔵庫に直箸を突っ込んで慌ただしくおかずを貪る新藤に出くわすことになる。そんな日々を経て一希は自然と「冷めてもおいしいもの」を中心に献立を考えるようになっていた。
資格を取ったらすぐに活躍できるよう、今のうちに現場のことをもっと知っておきたい。その意欲だけに突き動かされて、尊敬する処理士の自宅に押しかけ、間借りするに至った。しかし、蓋を開けてみればそれは紛れもなく、男性と二人きりで暮らしをともにすることだった。
洗濯一つ取っても、家族でもない男性の汗が染みた衣類に触れることに、最初は何だか申し訳ないような気分になった。一希の方は、一応これまでのやりとりを経て知らない仲ではないつもりだし、恩義も感じているし、これからお世話になる相手でもあるせいか、不快感や嫌悪感は湧かない。しかし、当の先生の方はどうだろう。
特に下着などは、助手とはいえ女性に洗われることを本人が嫌がるのではとも考えたが、それだけ残すのも失礼な気がする。かといって、わざわざ聞けばこちらも気まずいし、向こうも遠慮するかもしれない。しばし考えた末に思い切ってまとめて洗ってみたところ、特に咎められることはなかったため、一希はそれを正解と受け取ることにした。
しかめっ面のイメージが強い新藤だが、決して気難しい人物ではないことはすぐにわかった。仕事以外のことは概ねどうでもよいらしく、家事や雑用のやり方は一切一希に任された。洗濯物の畳み方や食器棚の中身の配置も、全て一希流を黙って受け入れている。
一希が加わったことによる生活面の変化にも丸っきり頓着する様子がない。それどころか、新藤が見せた意外なまでの順応性に、一希はかわいらしさすら覚えた。
洗面所の床に積まれていた汚れた衣類は一希が用意したかごに入れるようになったし、洗面台に無造作に横たえられていた歯ブラシも、一希が空き缶を持ってきて自分の歯ブラシと一緒に立てておいてやればそれ以降はきちんとそこに立てている。
扉を半開きにしたまま小用を足す後ろ姿を見かけることも、三日目にはなくなった。それでいて便座だけはいちいち下げない辺りが、師匠としての尊厳を主張しているように思えて笑いを誘われた。
一週間ほど経った頃には、なぜかたっぷりと水を吸った上で絞られた形跡のある下穿きが洗濯かごに放り込まれていた。何らかの事情で本人があらかじめ手洗いしたものだろうか。嫁入り前の娘としては何だか見てはいけないものを見たような気になってしまうが、新藤はそういったことをちまちまと隠す男ではないらしい。単に忙しいだけかもしれないが、ある種の潔さのような部分は、一希の目には男らしさとして映った。
乾いた洗濯物を取り込み終え、一希は新藤のカレンダーに目をやる。
(今日は五時まで現場、だったよね。どこって言ってたっけ?)
予定帳で場所を確認し、車での所要時間の見当を付ける。大抵はどこかへ寄り道をしてから帰ってくるらしいから、帰宅は七時近くになるだろう。いつもこれぐらいの時間に帰ってきてくれれば、夕食のタイミングが見計らいやすいのに。
初日から一希も薄々勘付いてはいたが、新藤の食事は非常に不規則だった。家で細々とした作業をしている時は、ごく短時間の休憩がてら簡単なものをつまむだけというパターンがほとんど。といっても、その休憩は何分おき、何時間おきと決まっているわけではないから、ちょうどその時に温かいものを用意してやることは難しかった。
いずれ食べるだろうと台所のテーブルに数品出しておいてやれば、それが何であれ黙ってつつき、処理室か大机に戻っていく。しかし、一希もそれなりに新藤から仕事を与えられているため決して暇ではない。ちょっと油断して料理を出し忘れていると、冷蔵庫に直箸を突っ込んで慌ただしくおかずを貪る新藤に出くわすことになる。そんな日々を経て一希は自然と「冷めてもおいしいもの」を中心に献立を考えるようになっていた。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中

拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる