爆弾拾いがついた嘘

生津直

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第1章 弟子入り

18 覚悟

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〈はい新藤〉

 受話器を通じて届く声は、顔が見えない分、一段と無愛想に聞こえる。

「新藤さん。冴島です」

〈おお〉

「あの、今日出してきました、退学届」

〈ん。で?〉

「アルバイトの方はまだ、これから……です」

〈ああ〉

 当てが外れたという声だ。準備ができたら電話しろと言われていたのに、まだできていないのだから当然だ。どこから話せばよいだろう。まだ迷いがあると言ってしまおうか。

〈どうした?〉

「……いえ、一応首尾をお知らせしておこうと思いまして」

 そうごまかしたつもりだったが、それだけの電話ではないことを新藤は見抜いていた。

〈同級生に嫌味でも言われたか?〉

 いや、同級生にはまだ話してすらいない。しかし、彼らに知られれば嫌味しか聞かされないであろうことは容易に想像がついた。「女は得だ」などとやっかまれるのが落ちだろう。

「いえ、実は、教官たちの反応があまり……」

?〉

「あ、土橋先生はしっかりやりなさいって言ってくれたんですけど、他の教官たちがたまたまその場にいて……」

 本当はたまたまではない。土橋を廊下に呼び出す代わりに職員室の中で切り出したのは、新藤建一郎に弟子入りするという誇らしい事実を周りの教官にも自慢したかったからだ。廊下ですれ違う度に「女が何の用だ」とでも言いたげなさげすみの目を向けてきた彼らを見返してやりたいという気持ちが裏目に出たのだった。

 しばしの間があり、新藤が低く呟く。

〈驚いたな〉

 慰めてほしいという甘えが一希の心中で首をもたげる。が、次の瞬間、冷や水を浴びせられた。

〈お前は好意的な反応を期待してたってことか?〉

「えっ?」

〈周りが敵だらけだなんてことは、とっくにわかってたんじゃないのか?〉

「あ、はい、まあ……ただ、新たな問題というか……」

〈問題?〉

 ここまで来たら言うしかない。

「住み込みっていうところに、なんか……いかがわしい印象を持たれてしまったみたいで」

 言いながら、気まずいあまり照れ笑いがこぼれる。しかし新藤は平然と応じた。

〈そりゃ当然だろう。普通に考えれば十分いかがわしいからな〉

(え? そんな……)

 新藤は世間からそういう目で見られることを想定済みだったということか。

〈そう思われるのが嫌ならやめとけ。いざ移り住めばその日のうちに学校中、翌日には町中の噂になる。赤の他人に白い目で見られて尻軽呼ばわりされて、婚期も確実に遅れるぞ〉

 新藤が意地悪でそんなことを言っているのではないことはわかる。それが現実なのだ。

〈それが嫌なら、今のアルバイトを続けながら外から通うでも構わんが、お前の空き時間に都合よく俺の手が空いてるとは限らんからな。資格試験の受験は大幅に遅れると思え〉

 新藤のスケジュールの不規則さは、一希も承知している。

〈ただし、住み込みをやめたからといって中傷がむわけじゃない。そういう奴らはお前に不愉快な思いをさせることが生きがいなんだ。次から次へと材料を見付けてはあれやこれや言ってくることに変わりはないぞ。お前だってまさか、女が歓迎される世界だと思ってたわけじゃないだろう?〉

「それはもちろん……かなり異端なことをしてるという自覚はありますし、世間の目が冷たいことも想定済みです。ただ……」

〈……ただ?〉

(本当に教官たちの言う通り、体で払うようなことになったら……?)

「いえ、その……新藤さんにもご迷惑がかかるだろうと思ったものですから」

〈迷惑な時は遠慮なくそう言ってやるから安心しろ。俺が黙って我慢するとでも思うか?〉

「それならいいんですけど……」

 上滑りな台詞せりふを重ねる一希の耳に、新藤のため息が届く。

〈決心が固まりきってないなら出直してこい。それからこの際はっきり言っておくが、この先聞こえてくるのは悪口ばかりになるぞ。口だけならまだいいが、こっぴどい嫌がらせも覚悟しなきゃならん。それでもやりたいという意味だと思っていたが、違うのか?〉

 あの履歴書のことを言っているのだ。補助士を目指している理由。

〈ハンデを乗り越えるだけの動機が、お前にはあると思ったんだがな〉

 内容を思い起こしてみれば、随分大それたことを書いてしまったものだ。しかし、そこに嘘はなかった。おのれの胸の奥に手を突っ込むようにして何度も見つめ直し、裸になるような気持ちで真摯につづった決意。

 それを唯一真正面から受け止めてくれた相手が、今電話の向こうにいる。そんな人が果たして、下心でこんな提案をするだろうか。

〈それだけの覚悟がないなら、住み込み云々うんぬんは抜きにしても、補助士人生自体が続かんぞ。今ならまだ遅くはない。大学に行くなり他の修業を積むなりして、別の道を歩め〉

「いえ……」

 住まいをともにすれば、後ろ指を指されるのは一希だけではない。冷ややかな噂によって失うものが大きいのはむしろ新藤の方だ。それなのに、この人は。

「いいえ」

 自身の声音こわねから、逡巡しゅんじゅんが消える。気付けば一希は、目の前の壁に向かって背筋をぴんと伸ばしていた。

「お世話になります、新藤

 新藤には見えないとわかっていながら、他にどうしようもなくて、一希はただ深々と頭を下げた。新藤は静寂にしばし耳を傾けた末に言った。

〈準備ができたら電話しろ〉

 昨日そう言われていたのに、もう一度言わせてしまった。次に電話する時こそ、準備はできている。

 この人についていこう。これまでにないほど強く、そう思った。


  * * * * * *

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