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第4章 苦悩
78 苛立ち
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買い物に寄るつもりだったが、そんなことも忘れてまっすぐ帰ってきてしまった。でもどうせ食欲もないからいいや、と投げやりに思う。
千尋はいつもの習慣で、靴を脱ぎながらバッグから携帯を取り出す。もう一度見るまでもなく、濃厚なキスを交わす男女の画ははっきりと脳裏に焼き付いていたが、それでも開かずにはいられなかった。
真智子は一体何枚撮ったのだろう。あのキスの後、談笑する二人の様子が何枚か映り、かなりアップになっていたところから大幅に引いた画像になった。
ソファーがコの字型に置かれ、二人の周りには似たような派手なスーツ姿の男が数人と、同じく派手な女があと二人。
そして浅葉のすぐ隣には、高そうな茶のスーツをパリッと着こなした体格の良い男がいた。髪に白いものが混じり、だいぶ年配に見える。大きなサングラスのレンズ越しに、鋭い不気味な目が光っている。最後の写真では、浅葉がその男の煙草に火を付けていた。
八月二十九日。夏休み中の土曜日。給料日後でもあり、ファミレスは大混雑だった。
丸一日のシフトを終え、ぐったりと疲れて帰宅した千尋は、アパートの階段を上がったところで思わずきゃっと声を上げそうになった。浅葉が千尋の部屋のドアに背をもたれ、腕を組んで立っていた。
一体いつから待っていたのだろう。鍵は持っているし、なくたってどうにかして開けられるくせに……。
「お帰り」
というその声に、浅葉の感情を読み取ることはできなかった。
千尋は、真智子に会った一昨日から昨日にかけて、公衆電話から二回と浅葉の携帯から一回、かかってきた電話を無視していた。いつまでも出ずにいればいずれ訪ねてくるだろうと予想はついていたが、いざとなるとどう接してよいのかわからない。
浅葉がどういう行動に出るか試してみたくなり、目の前で黙って鍵を回し、ドアを引いた。千尋に付いて入ってくる様子はない。ただじっと千尋を見ている。そのまま閉め出してしまおうかとも思ったが、千尋は自分でも気付かないうちに口にしていた。
「お話があります」
「うん」
浅葉は千尋の次の言葉を待っている。千尋は無性に苛立ち、浅葉の方へと乱暴にドアを押し開いた。それを片手で受け止めた浅葉に背を向けた瞬間、玄関に並べてあったサンダルを踏みつけて転びそうになる。
ぱっと背後から伸びてきた手を咄嗟に払いのけ、バッグを思い切り投げ付けた。
「触らないで!」
浅葉は足元に落ちたバッグを拾い上げ、玄関へと慎重に足を踏み入れると、後ろ手にドアを閉めた。千尋は、浅葉の手をこれほど嫌悪する自分が信じられなかった。足が震え、何とも気味の悪い目まいがした。
無意識に壁に手を付くと、次の瞬間、その場にへたり込んでいた。あの写真の浅葉が目の前にちらつく。視界が潤み、吐き気がした。なぜこんな目に遭わなければならないのだろう。
ずっと溜め込まれていたものが一気に噴き出してくるようだった。千尋は全てをぶつけて泣きじゃくった。あの温泉宿での浅葉の声が遠くでこだましていた。泣きたい時は泣いていい。でも俺はその理由が知りたい……。
千尋には、自分が何を求め、何を訴えているのかわからなかった。謝罪の言葉だろうか。何に対して? 世のため人のため、任務を完璧に遂行したことに対して?
頭の中はぐちゃぐちゃだったが、千尋の体はあくまで正直に浅葉の胸の温もりを求めていた。その優しさと愛情を取り戻したかった。
いや、今ここでそれを拒んでいるのは、他ならぬ千尋自身だ。
浅葉は、千尋のヒステリーの原因についておそらく察しがついているだろう。一体どうやってそれを知ったのかと、問いただすなら早くそうすればいいのに。視界の端に映る浅葉が一向にうろたえる様子を見せないことにますます腹が立つ。
浅葉にとっては、過去の恋愛でも通ってきた道なのではないか。いや、もっと壮絶な修羅場だって何度も経験してきているかもしれない。千尋ごときに泣き喚かれたところで痛くも痒くもないのだろうか。
このままではあまりに惨めだと思い、キッと睨みつけると、その視線を浅葉はまっすぐに受け止めた。千尋の両目に突き刺さった視線は、千尋の向こう側の、もっと先を見ているようだった。
千尋はいつもの習慣で、靴を脱ぎながらバッグから携帯を取り出す。もう一度見るまでもなく、濃厚なキスを交わす男女の画ははっきりと脳裏に焼き付いていたが、それでも開かずにはいられなかった。
真智子は一体何枚撮ったのだろう。あのキスの後、談笑する二人の様子が何枚か映り、かなりアップになっていたところから大幅に引いた画像になった。
ソファーがコの字型に置かれ、二人の周りには似たような派手なスーツ姿の男が数人と、同じく派手な女があと二人。
そして浅葉のすぐ隣には、高そうな茶のスーツをパリッと着こなした体格の良い男がいた。髪に白いものが混じり、だいぶ年配に見える。大きなサングラスのレンズ越しに、鋭い不気味な目が光っている。最後の写真では、浅葉がその男の煙草に火を付けていた。
八月二十九日。夏休み中の土曜日。給料日後でもあり、ファミレスは大混雑だった。
丸一日のシフトを終え、ぐったりと疲れて帰宅した千尋は、アパートの階段を上がったところで思わずきゃっと声を上げそうになった。浅葉が千尋の部屋のドアに背をもたれ、腕を組んで立っていた。
一体いつから待っていたのだろう。鍵は持っているし、なくたってどうにかして開けられるくせに……。
「お帰り」
というその声に、浅葉の感情を読み取ることはできなかった。
千尋は、真智子に会った一昨日から昨日にかけて、公衆電話から二回と浅葉の携帯から一回、かかってきた電話を無視していた。いつまでも出ずにいればいずれ訪ねてくるだろうと予想はついていたが、いざとなるとどう接してよいのかわからない。
浅葉がどういう行動に出るか試してみたくなり、目の前で黙って鍵を回し、ドアを引いた。千尋に付いて入ってくる様子はない。ただじっと千尋を見ている。そのまま閉め出してしまおうかとも思ったが、千尋は自分でも気付かないうちに口にしていた。
「お話があります」
「うん」
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ぱっと背後から伸びてきた手を咄嗟に払いのけ、バッグを思い切り投げ付けた。
「触らないで!」
浅葉は足元に落ちたバッグを拾い上げ、玄関へと慎重に足を踏み入れると、後ろ手にドアを閉めた。千尋は、浅葉の手をこれほど嫌悪する自分が信じられなかった。足が震え、何とも気味の悪い目まいがした。
無意識に壁に手を付くと、次の瞬間、その場にへたり込んでいた。あの写真の浅葉が目の前にちらつく。視界が潤み、吐き気がした。なぜこんな目に遭わなければならないのだろう。
ずっと溜め込まれていたものが一気に噴き出してくるようだった。千尋は全てをぶつけて泣きじゃくった。あの温泉宿での浅葉の声が遠くでこだましていた。泣きたい時は泣いていい。でも俺はその理由が知りたい……。
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いや、今ここでそれを拒んでいるのは、他ならぬ千尋自身だ。
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