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第4章 苦悩
72 弔い
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浅葉はデスクを片付けて部屋を出ると、駐車場への出口に向かう廊下を途中で折れ、署内のジムに寄った。
限界まで頭をひねり、そして汗をかけ。秀治、お前は特にな……。
中学生だった当時は教科書と同じ戯言にしか聞こえなかったその教えの意味が、今になってわかる。
浅葉はつい普段以上に体に負荷をかけ、痛むような汗を流してから家路についた。
数日ぶりに自室の扉を開くと、しんとした暗闇が出迎えた。この分だと隣は留守だろう。
キッチンのカウンターの下、一番端の扉を開き、独りそこに佇むボトルを取り出す。流しの上の扉からはグラスを二つ。それをリビングのテーブルに並べ、窓を開けた。
重たい空気がこもった部屋に、ひんやりとした夜風が吹き込んだ。遠い昔、濡れた頬に潮風が打ち付けたあの感覚が蘇る。
あれは高校一年の夏休みを間近に控えた、月がやけにでかい晩だった。
浅葉は、期末試験の最終日を適当に乗り切った後、いつものように湾岸の倉庫跡に集合し、仲間の殴り合いを見物していた。そこへ、いつになく取り乱した兄貴から携帯に入ったあの知らせ。
どうやって電話を切ったのかもおぼえていない。どこに向かっているのかもわからぬまま無免のバイクを飛ばし、ガス欠になるまで走り続け、動かなくなった愛車を乗り捨てて力尽きるまで夜の街を歩いた。
四日後に知り合いの雀荘で寝泊まりしているところを担任の教師に見つかって連れ戻されるまで、何度かかかってきた兄貴からの電話にだけは出ていたが、自宅には帰らなかった。
葬式ぐらい出てやればよかった、とようやく思えるようになったのは、巡査部長に昇格した頃だったろうか。
十二年物のブレンドウイスキー。本人が買ったのがいつなのかはわからないが、少なくともその主を失ってから十五年。黒のラベルがいよいよくすんでいる。
浅葉は床に腰を下ろし、年に一度だけ開くその蓋を回した。瓶を傾け、二つのグラスの底を湿らす。その一つを手に取り、琥珀の水面を揺らした。
「また一年経っちまったな……」
ふと顔を上げると、本棚の上の写真に目が行った。チクリとするその痛みに、目をつぶって堪えた。一番聞きたくない声が、一番聞きたくないセリフを投げつけてくる。
秀治、先に進めないのはびびってるからだぞ。現実から目を背けるな。まず向き合わなければ何も解決しないんだ……。
「うるせえ」
再び目を開けると、テーブルの上に残ったグラスが、静かに、しかし厳然とその場に座し、視界に干渉してくる。
浅葉は手元のグラスを握り締め、他方の手で頭を抱えた。そのてっぺんに思い切り爪を食い込ませる。しばらくそうしていると少し楽になった。
「どうせ期待通りだろ」
自嘲の笑みは、あちらに見えているのかいないのか。
「ほら、シャキッとしろって殴れよ。今なら十分張り合えるぞ」
浅葉は一度もうまいと思ったことのないその酒を、ひりついた喉に流し込んだ。
七月三十日。浅葉は静かな覚悟を胸に、マイカーを走らせていた。
長い間渋り続けていた堀崎が、ようやく話を聞いてくれることになったのだ。かつて暴力団にいた人間だが、今は完全に足を洗い、会社経営で成功している。
受刑中の宇田川との面会がこの時点で叶っていない以上、あとは宇田川の周辺にいる人間の中で信頼できる人物をあたるしかなかった。浅葉の知る限りでは、堀崎はその唯一の可能性だった。
浅葉は警察手帳も通常の装備も署に残したまま、ごく普通のスーツ姿で、名刺だけを持って堀崎のオフィスを目指していた。
じりじりと音のするような今日の日差しが、罪人を追ってあの日からやってきた地獄の使者のように感じられてならなかった。
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