君の思い出

生津直

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第3章 蜜月

52 呼び出し

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 四月八日。春休みが終わり、新学期が始まった。千尋は大学三年に進級し、キャンパスは昨年と同様、新歓ムードで満たされている。

 浅葉からはその後、例の護衛の仕事が終わったと電話があり、それからしばらくったある日、またちょっと「こもり系」の仕事に捕まってる、と手短に連絡をもらっていた。

 会えないのは辛い。それでも、浅葉が精一杯示してくれた誠意を信じ、千尋は何とか持ちこたえていた。



 二限の最中、頬杖ほおづえついでにうとうとしかけた時、バッグの中で携帯が振動する音にはっと目が覚めた。取り出してみると「公衆電話」とある。

 千尋は机の上に広げていたノートと筆記用具をまとめてざばっとバッグに放り込み、通話ボタンを押しながら極力静かに教室を抜け出した。

「もしもし」

「あ、もしかして、授業中?」

「うん。外出たから、もう大丈夫。今、休憩?」

「三時間もらった。長尾様様だ」

 その言葉と声で、千尋は今から浅葉に会えると確信した。

「でも……寝なくていいの?」

「どうせ寝るなら、お前のそばで寝たいな」

 千尋は生唾なまつばを飲み込んでいた。高鳴る胸を抑えながら尋ねる。

「今、どこ?」

 浅葉は、どこかもったいぶるように間を置いて言った。

「お前んちまで……三十分」

 なるほど。そういうつもりなら、反対する理由はどこにもない。

「私、一時間ぐらいかかるけど……そうだ、鍵は?」

「うん、肌身離さず」

 それを聞いた千尋の口元がついゆるむ。やっぱり渡しておいて正解だった。

「じゃ、中入って待ってて。私が着くまで、ちゃんと寝ててね」

 言いながら、千尋の足はもうキャンパスの出口に向かって駆け出していた。



  * * * * * *



 三十分後、千尋のいないこの部屋に、浅葉は一人たたずんでいた。

 窓際に干してある洗濯物にさわやかな生活感が香る。プラスチックの物干しには、タオルやタンクトップ、靴下などが几帳面きちょうめんに並べられていた。

 カーテンを留めている帯の部分には、洗濯ばさみを円形に配したハンガーが掛かっている。そこには下着が吊るしてあった。

 浅葉の足はひとりでにそちらへと向かっていた。

 グレーの地にパステルカラーのポップながらが踊るショーツが二種類。レースを基調にした淡いピンクの上下。

 その隣には、花柄の刺繍ししゅうが入ったネイビーブルーが一組。千尋の普段の趣味からすれば数段大人っぽいテイストのそのブラジャーに、浅葉はそっと手を触れ、銀色の刺繍を指でなぞった。



  * * * * * *



 千尋は予定通り一時間で自宅の最寄駅に着いたが、ふと考えた。

 浅葉の寝付きの良さは天下一品だが、それでもまだほとんど眠れていないはずだ。三時間あると言っていた。早く会いたいのはやまやまだったが、もう少し寝させよう、と決意し、千尋は駅前のコンビニで時間をつぶすことにした。

 しかし、雑誌など眺めるふりをしてみるものの、写真も文字もまるで頭に届いてこない。そろそろ一時間は眠れたかな、と当たりを付け、いざ自宅へ向かう。

 ドアを開けると、浅葉は千尋のベッドで気持ち良さそうに伸びをしていた。

「お帰り」

「ただいま」

「授業サボって、悪い子だ」

と、浅葉は腕を組み、険しい顔を作ってみせる。

「悪い刑事さんにそそのかされちゃって」

 千尋は靴を脱いで上がり、いつもはとりあえずベッドに置くバッグを今日は床に置いた。椅子には浅葉のスーツが掛かっている。

「ちゃんと眠れた?」

「お前の作戦通り、たっぷりね」

(なんだ、バレてたか……)

 既に「パジャマ的なものもないのでやむを得ず」全裸の浅葉は、千尋を抱き寄せると、そのままベッドの中へと連れ込む。愛に満ちたキスでじっくりと千尋をうるおしたかと思うと、突然チュっと音を立てて千尋の舌の先を吸った。二人の間に笑みがこぼれる。

 浅葉は千尋の髪を後ろからかき上げ、探るように顔を覗き込んだ。千尋は曖昧に微笑ほほえむ。

「あのね、終わり切れてないというか、まあ多少名残があるかも、っていう……」

「真っ最中でも俺は別にかまわないけどね」

「いや、そういうわけには……」

と言いながらも、愛しい浅葉に抱かれたくない日などもはやなかった。

「ね、シャワー浴びてきていい?」

「後にしなよ、そんなの」

 浅葉は千尋の首筋に手を這わせる。

「さっぱりしちゃって、もういいやってなるだろ、お前は」

 確かに、せっかくのムードがシャワーで冷めてしまった経験が千尋には何度かあった。

(でも、浅葉さんがなぜそれを……)

「もしかして、俺にも洗ってこいとか思ってる?」

「ううん、そんなこと……あ、でも何日も前に浴びたっきりとか言わないでよね」

「失敬だな。今朝浴びたっつーの。お仕置きするぞ、こら」

と千尋の耳を舐め回す。千尋は降参して抱き付くと、改めてその舌をせがみ、ただひたすらその甘美な儀式を味わった。
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