君の思い出

生津直

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第3章 蜜月

50 誤解

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 三月十一日。浅葉からの電話は二週間ほど途絶とだえていた。

 今回は何の前置きもなかった分、千尋は苛立いらだち始めた。向こうから連絡がない限り安否あんぴすらもわからないというのが困りもの。

 そんな中、気をまぎらわそうと今日少し遠出した帰り道、千尋は立ち寄ったコンビニで思いがけぬ人物に出くわした。食料を買い込んでいるらしき長尾だ。

 挨拶しようとしたその時、見かけても知らないふりをするという約束を思い出した。仕方なく見て見ぬふりを決め込んでいると、

「あれ? 千尋ちゃん?」

と、長尾の方から声がかかった。これ幸いとばかりに、千尋は二言三言挨拶をわした後、最も気になっていることを聞いてみた。



 帰宅してから、千尋は着替えもせずベッドに転がったまま、かれこれ一時間以上悶々もんもんとしていた。

(聞かなきゃよかった……)

 知ったからといって何かの助けになるわけでもないし、誰かに愚痴ぐちれるような話でもない。千尋は結局そのままふてくされるようにして眠ってしまった。



 三月十三日。ついに千尋の携帯が鳴った。発信元は公衆電話。……間違いない。

「もしもし」

「千尋、元気?」

「ええ、まあ」

「今から二時間いたんだけどさ」

「ふーん」

 わざと冷たく返した。

「時間ある?」

「ないです」

 こんなことを言ってやったらさぞかし慌てるだろうと思ったが、浅葉は間髪かんぱつ入れずに、

「そうか。残念だ」

と来た。千尋はかえってイライラをつのらせ、

「私もいろいろあるんです。急に言われても、都合良くぱっとなんか合わせられません」

とぶちまけた。浅葉は、

「そりゃそうだ。ごめんな、忙しい時に」

 あくまで落ち着いている。

 浅葉が高圧的な態度に出たならすぐさまねじ伏せてやろうと待ち構えていた千尋だったが、こうもあっさり引き下がられては打つ手がない。完敗だった。苛立ちはたちまち、悔しさと罪悪感の入り混じった涙に変わった。

「また電話する」

という浅葉の声に、思わずすがりついた。

「待って……」

 浅葉は言われるままに待った。電話口ですすり泣く千尋に、ただ耳を傾けている。千尋は大きく息を吸い込むと、つぶやくように言った。

「嘘です。暇です」

 怒って電話を切られるのではないか、と今さら不安になる。しかし浅葉はそのままの調子で言った。

「会って話したい。今どこ?」

琴家町ことやちょう

 今日はゆっくり本を探したくて、自宅から電車で三十分ほどの大型書店に来ていた。

「そしたらさ、中洲台なかすだいの駅前まで来れる?」

「はい」

「じゃあ、改札で。俺も四十分ぐらいかかるけど」

「はい」

 なるほど。あまりに時間がないから中間地点で会おうということだ。千尋はすぐに本屋を出て駅に向かった。

 中洲台駅の改札を出ると、目に見えてやつれた浅葉が待っていた。それでも、千尋の姿を見付けるとその顔に笑みが広がる。千尋は、困らせてやりたかった気持ちも忘れて駆け寄った。

 浅葉はいつものようにぎゅっと千尋を抱き締めると、

「車の中で話そう。すぐそこ」

と千尋の手を引いた。路上に停めてあった黒い乗用車の後部座席に乗り込むと、奥へ詰めて千尋を隣に座らせる。浅葉は、

「どう、最近?」

と無難なところから切り出したが、時間がないのは千尋にもわかっている。千尋は思い切ってみずから本題のふたを開けた。

「長尾さんに会ったの。コンビニでばったり」

「へえ」

「浅葉さんがどうしてるか、聞きました」

「うん」

「教えてくれました。また護衛の仕事で、しばらく缶詰め状態だって」

 まだ続きがあることを、浅葉は察しているようだった。

「それで?」

 千尋は、あの時の長尾の口調をはっきりとおぼえていた。

「でも、今度の女の子はすっごくエッチだから、あいつきっと今頃楽しんでる、って……」

 浅葉は深々とため息をついた。

「信じるのか、そんなくだらない冗談を」

「信じません」

 自分でも驚くほど鋭い声が車内に響いた。

「浅葉さんはそんなことしないってわかってます。でも……」

 いつの間にか涙が頬を伝っていた。

「あなたが……誰かと一日中、毎日狭い部屋に一緒にいて、同じ……一つのベッドで寝たりしてるのかと思ったら……」

 最後はもう声にならなかった。両手で顔をおおった千尋の肩に、浅葉の手がそっと置かれた。
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