君の思い出

生津直

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第3章 蜜月

42 誇示

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 翌朝、千尋は携帯のアラームで目を覚ました。ベッドに浅葉の姿はなく、洗面所の方から物音がする。先に起きてシャワーを浴びていたらしい。じきに

「おはよ」

と髪をきながら出てきた。

「おはよ。例によって早起きね」

 言い終わらぬうちに、まだ少し湿ったままの温かい肌に包まれる。大きなてのひらが、後ろから千尋の頭を撫でた。

「一緒に出ようかなあと思って」

「え? 出る前に朝ご飯用意してこうと思ってたのに。ゆっくりしてけば?」

「送らせてくれる? 大学まで」

「えっ、ほんと?」

 そういうことならもちろん大歓迎だ。浅葉と過ごす時間が増えるのだから。




 千尋は運転免許すら持っていないし、車での道順などさっぱりわからないが、そこは予想通り、全く心配無用だった。浅葉は何のナビゲーションもなしに、妙な裏道を何度か抜けながら、渋滞に引っかかることもなく大学のキャンパスに到着した。

 正門の脇に車を寄せると、浅葉はわざわざ降りてきて千尋を抱き締めた。朝の大学入口というシチュエーションに配慮してか、舌をからめこそしなかったものの、たっぷり三秒ほど千尋の唇をふさぐ。

 ようやく解放されると、千尋は何となく周囲の視線を感じながら手を振った。

「ありがとね。じゃあ……気を付けて」

 ありきたりな言葉だが、千尋はそこに真摯しんしな祈りを込めた。どうか危険な目にわないで、と。

 さっと手を上げて応えた浅葉の姿があまりに美しく、いつまでも見つめていたくなる。後ろから次々とやってくる学生の群れに流されるように、千尋はその場を後にした。

 一限の教室に向かうため三号館に足を踏み入れたその時、バシッと背中を叩かれた。振り返ると、テニスサークルの後輩二人が、これでもかというぐらいニヤついている。

「チーさん、すごーい」

「彼氏いるとか聞いてないですよぉ。しかも朝っぱらから超ラブラブ」

 彼氏ができた、という話は、同期の中でもごく親しい数人にしかまだしていなかった。

「あ……ご、ごめんね」

 一応あやまりながらも、ヤバい、見られた、というのが本音だった。一年の女子の中でも練習や飲み会への出席率がやたら高いこの二人にバレたとなると、千尋がいかにラブラブであるかがサークル中に知れ渡るのも時間の問題だ。

「じゃ、後で詳しく聞かせてくださいね、彼氏のこと」

と千尋をつつき、二人は連れ立って二階へと上がっていった。



 十二月二十二日。浅葉の携帯から電話があった。着信画面にその名を見ただけで千尋の胸は高鳴ったが、いざ出てみると、それは残念ながらデートの誘いではなかった。しばらく連絡できなくなる、という何とも残念な用件。

「しばらくって……」

「まだわからないけど、多分一ヶ月以上にはなりそうだな」

(そんなに……)

 そんなのいや、と言ったところで状況は変わらない。千尋は他にどうしようもなくて、

「そう」

とだけ言った。

「こんなこと言ったからってなぐさめになるかわかんないけど、連絡つかなくなるのはお前だけじゃない。うちの連中、長尾も、課長も、みんなだ。ちょっくら孤軍奮闘ってとこかな」

 なんと特殊な仕事なのだろう。千尋は何と答えればよいのかわからなかった。千尋の心中を察したらしい浅葉も、それっきり黙ってしまう。

 千尋は余計な心配をかけたくなくて、精一杯いい子を演じた。

「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てくださいね」

「お前もな」

と浅葉はかすかに笑った。

 次に会えるのは一体いつになるのだろう。いよいよあさってがクリスマスイブだというのに。



  * * * * * *



 千尋との電話を切った浅葉は、ネクタイをゆるめ、ふと思い出して鞄の外ポケットのファスナーを開けた。

 先日千尋がくれた合鍵をそこから左手で取り出しながら、右手はつい確かめるように左胸に触れていた。胸ポケットの中のリングが、小さいけれど確かに、指先に感じられる。

 左の手首では時計の秒針が、右の掌では妙な熱の奥にある頼りない鼓動が、それぞれ勝手に時を刻む。二つの音が噛み合うことはないとわかっていながら、無駄に耳を澄ました。真実は常に一つだけだと、誰が言ったのだったろうか……。

 浅葉は左手の鍵をぎゅっと握り締めると、キッチンのキャビネットを開け、奥の方へとしまい込んだ。



  * * * * * *
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