42 / 92
第3章 蜜月
42 誇示
しおりを挟む
翌朝、千尋は携帯のアラームで目を覚ました。ベッドに浅葉の姿はなく、洗面所の方から物音がする。先に起きてシャワーを浴びていたらしい。じきに
「おはよ」
と髪を拭きながら出てきた。
「おはよ。例によって早起きね」
言い終わらぬうちに、まだ少し湿ったままの温かい肌に包まれる。大きな掌が、後ろから千尋の頭を撫でた。
「一緒に出ようかなあと思って」
「え? 出る前に朝ご飯用意してこうと思ってたのに。ゆっくりしてけば?」
「送らせてくれる? 大学まで」
「えっ、ほんと?」
そういうことならもちろん大歓迎だ。浅葉と過ごす時間が増えるのだから。
千尋は運転免許すら持っていないし、車での道順などさっぱりわからないが、そこは予想通り、全く心配無用だった。浅葉は何のナビゲーションもなしに、妙な裏道を何度か抜けながら、渋滞に引っかかることもなく大学のキャンパスに到着した。
正門の脇に車を寄せると、浅葉はわざわざ降りてきて千尋を抱き締めた。朝の大学入口というシチュエーションに配慮してか、舌を絡めこそしなかったものの、たっぷり三秒ほど千尋の唇を塞ぐ。
ようやく解放されると、千尋は何となく周囲の視線を感じながら手を振った。
「ありがとね。じゃあ……気を付けて」
ありきたりな言葉だが、千尋はそこに真摯な祈りを込めた。どうか危険な目に遭わないで、と。
さっと手を上げて応えた浅葉の姿があまりに美しく、いつまでも見つめていたくなる。後ろから次々とやってくる学生の群れに流されるように、千尋はその場を後にした。
一限の教室に向かうため三号館に足を踏み入れたその時、バシッと背中を叩かれた。振り返ると、テニスサークルの後輩二人が、これでもかというぐらいニヤついている。
「チーさん、すごーい」
「彼氏いるとか聞いてないですよぉ。しかも朝っぱらから超ラブラブ」
彼氏ができた、という話は、同期の中でもごく親しい数人にしかまだしていなかった。
「あ……ご、ごめんね」
一応謝りながらも、ヤバい、見られた、というのが本音だった。一年の女子の中でも練習や飲み会への出席率がやたら高いこの二人にバレたとなると、千尋がいかにラブラブであるかがサークル中に知れ渡るのも時間の問題だ。
「じゃ、後で詳しく聞かせてくださいね、彼氏のこと」
と千尋をつつき、二人は連れ立って二階へと上がっていった。
十二月二十二日。浅葉の携帯から電話があった。着信画面にその名を見ただけで千尋の胸は高鳴ったが、いざ出てみると、それは残念ながらデートの誘いではなかった。しばらく連絡できなくなる、という何とも残念な用件。
「しばらくって……」
「まだわからないけど、多分一ヶ月以上にはなりそうだな」
(そんなに……)
そんなの嫌、と言ったところで状況は変わらない。千尋は他にどうしようもなくて、
「そう」
とだけ言った。
「こんなこと言ったからって慰めになるかわかんないけど、連絡つかなくなるのはお前だけじゃない。うちの連中、長尾も、課長も、みんなだ。ちょっくら孤軍奮闘ってとこかな」
なんと特殊な仕事なのだろう。千尋は何と答えればよいのかわからなかった。千尋の心中を察したらしい浅葉も、それっきり黙ってしまう。
千尋は余計な心配をかけたくなくて、精一杯いい子を演じた。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てくださいね」
「お前もな」
と浅葉は微かに笑った。
次に会えるのは一体いつになるのだろう。いよいよあさってがクリスマスイブだというのに。
* * * * * *
千尋との電話を切った浅葉は、ネクタイを緩め、ふと思い出して鞄の外ポケットのファスナーを開けた。
先日千尋がくれた合鍵をそこから左手で取り出しながら、右手はつい確かめるように左胸に触れていた。胸ポケットの中のリングが、小さいけれど確かに、指先に感じられる。
左の手首では時計の秒針が、右の掌では妙な熱の奥にある頼りない鼓動が、それぞれ勝手に時を刻む。二つの音が噛み合うことはないとわかっていながら、無駄に耳を澄ました。真実は常に一つだけだと、誰が言ったのだったろうか……。
浅葉は左手の鍵をぎゅっと握り締めると、キッチンのキャビネットを開け、奥の方へとしまい込んだ。
* * * * * *
「おはよ」
と髪を拭きながら出てきた。
「おはよ。例によって早起きね」
言い終わらぬうちに、まだ少し湿ったままの温かい肌に包まれる。大きな掌が、後ろから千尋の頭を撫でた。
「一緒に出ようかなあと思って」
「え? 出る前に朝ご飯用意してこうと思ってたのに。ゆっくりしてけば?」
「送らせてくれる? 大学まで」
「えっ、ほんと?」
そういうことならもちろん大歓迎だ。浅葉と過ごす時間が増えるのだから。
千尋は運転免許すら持っていないし、車での道順などさっぱりわからないが、そこは予想通り、全く心配無用だった。浅葉は何のナビゲーションもなしに、妙な裏道を何度か抜けながら、渋滞に引っかかることもなく大学のキャンパスに到着した。
正門の脇に車を寄せると、浅葉はわざわざ降りてきて千尋を抱き締めた。朝の大学入口というシチュエーションに配慮してか、舌を絡めこそしなかったものの、たっぷり三秒ほど千尋の唇を塞ぐ。
ようやく解放されると、千尋は何となく周囲の視線を感じながら手を振った。
「ありがとね。じゃあ……気を付けて」
ありきたりな言葉だが、千尋はそこに真摯な祈りを込めた。どうか危険な目に遭わないで、と。
さっと手を上げて応えた浅葉の姿があまりに美しく、いつまでも見つめていたくなる。後ろから次々とやってくる学生の群れに流されるように、千尋はその場を後にした。
一限の教室に向かうため三号館に足を踏み入れたその時、バシッと背中を叩かれた。振り返ると、テニスサークルの後輩二人が、これでもかというぐらいニヤついている。
「チーさん、すごーい」
「彼氏いるとか聞いてないですよぉ。しかも朝っぱらから超ラブラブ」
彼氏ができた、という話は、同期の中でもごく親しい数人にしかまだしていなかった。
「あ……ご、ごめんね」
一応謝りながらも、ヤバい、見られた、というのが本音だった。一年の女子の中でも練習や飲み会への出席率がやたら高いこの二人にバレたとなると、千尋がいかにラブラブであるかがサークル中に知れ渡るのも時間の問題だ。
「じゃ、後で詳しく聞かせてくださいね、彼氏のこと」
と千尋をつつき、二人は連れ立って二階へと上がっていった。
十二月二十二日。浅葉の携帯から電話があった。着信画面にその名を見ただけで千尋の胸は高鳴ったが、いざ出てみると、それは残念ながらデートの誘いではなかった。しばらく連絡できなくなる、という何とも残念な用件。
「しばらくって……」
「まだわからないけど、多分一ヶ月以上にはなりそうだな」
(そんなに……)
そんなの嫌、と言ったところで状況は変わらない。千尋は他にどうしようもなくて、
「そう」
とだけ言った。
「こんなこと言ったからって慰めになるかわかんないけど、連絡つかなくなるのはお前だけじゃない。うちの連中、長尾も、課長も、みんなだ。ちょっくら孤軍奮闘ってとこかな」
なんと特殊な仕事なのだろう。千尋は何と答えればよいのかわからなかった。千尋の心中を察したらしい浅葉も、それっきり黙ってしまう。
千尋は余計な心配をかけたくなくて、精一杯いい子を演じた。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てくださいね」
「お前もな」
と浅葉は微かに笑った。
次に会えるのは一体いつになるのだろう。いよいよあさってがクリスマスイブだというのに。
* * * * * *
千尋との電話を切った浅葉は、ネクタイを緩め、ふと思い出して鞄の外ポケットのファスナーを開けた。
先日千尋がくれた合鍵をそこから左手で取り出しながら、右手はつい確かめるように左胸に触れていた。胸ポケットの中のリングが、小さいけれど確かに、指先に感じられる。
左の手首では時計の秒針が、右の掌では妙な熱の奥にある頼りない鼓動が、それぞれ勝手に時を刻む。二つの音が噛み合うことはないとわかっていながら、無駄に耳を澄ました。真実は常に一つだけだと、誰が言ったのだったろうか……。
浅葉は左手の鍵をぎゅっと握り締めると、キッチンのキャビネットを開け、奥の方へとしまい込んだ。
* * * * * *
0
お気に入りに追加
121
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
想い出は珈琲の薫りとともに
玻璃美月
恋愛
第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。
――珈琲が織りなす、家族の物語
バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。
ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。
亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。
旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる