君の思い出

生津直

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第3章 蜜月

30 部屋風呂

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 部屋に戻ると、布団ふとんが二組並べて敷いてあった。品の良い和柄わがらの掛け布団が柔らかな明かりに照らされ、まくらの両脇にはまっさらなシーツが見える。どこか生々しいその光景に、千尋はつい委縮いしゅくしかけていた。

 全ては自分次第だと千尋は思う。今さらでも何でも、千尋が嫌だと言い出せば浅葉は手を出さないだろう。このまま勢いに任せてしまいたい気持ちもあるにはあるが、ちょっとワンクッション置いて冷静になってみようか……。

 スリッパを脱いで上がりながらそんなことを考えていると、無意識のうちにベランダの水面に目が向いていた。

「お前、部屋風呂入るんだろ?」

「えっと……」

(でも、どうやって?)

「俺ちょっと飲み物買ってくるからさ」

 浅葉はもう鍵を手にドアを開けている。

「十分で戻る」

と言い残して出ていくと、がちゃっと外から鍵を掛けた。

(全てお見通し、か)

 確かに長尾が感心するだけのことはある。微妙な女心も、浅葉の手にかかれば何の障害にもならないようだ。



 十分間のプライバシーを得た千尋は急いでトイレを済ませると、ベランダに二つ並んだ木の椅子に、洗面所に干してあった二人分のバスタオルをかけた。部屋の隅に浴衣を脱いで丸め、その中に下着を収める。

 手桶に湯をすくって冷えた体をさっと流し、濡れて輝く御影石を跨いで湯に浸かった。少し迷ったが、ベランダのガラス戸は十センチほど開けておいた。よかったら一緒にどうぞ、というサインのつもりだ。浅葉の目の前で浴衣を脱ぐ度胸はないが、湯の中に隠れていれば何とかなるだろう。浅葉なら千尋を困らせるようなことはしない。

 静かだった。目隠しのすだれの下に隙間があり、浴槽の縁との間から外が見えた。大浴場の露天とは反対側を向いているらしく、眼下の明かりもだいぶ少ない。

 千尋はわずかな街の灯を眺め、浅葉とこれまで辿たどってきた道を振り返った。何だかできすぎているような気がしなくもない。ある日突然警察に呼ばれ、護衛の刑事と恋に落ちるなんて。それに……。

(こんなに魅力的な人が本当に私と?)

 ひたいに汗が浮くのを感じ、湯から半身を乗り出す。冷たい風を受けていると、あの庭園での浅葉の言葉が思い出された。理由がわかるぐらいなら苦労しない……。それは千尋だって同じだ。

 どこが好きか、と問うなら、今となってはとにかく全部だった。まず単純にかっこいいし、命懸けで守ってくれた上に、ふたを開けてみればこんなに優しくて居心地のいい人。そういう誰もがれる要素に千尋もまた好意を抱いた、それだけのことかもしれない。

 ただ、千尋の直感的な部分が、その単純な図式に当てはまらない何かを訴えていた。浅葉の何かに途方もない力で惹き付けられている気がする。まるでこうなることがあらかじめ決まってでもいたかのように……。
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