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第3章 蜜月
27 愛嬌
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廊下も全体に明かりを落としてあり、ところどころに丁寧に生けられた花が凛と立っている。突き当たりを静々と曲がる年配の女性らしき浴衣の後ろ姿を一度見かけたきり、すれ違う客もいない。
「さすがに空いてるな」
「月曜ですもんね」
エレベーターで一階に下り、「大浴場」の矢印を辿っていくと、すぐに紺とえんじの暖簾が目に入った。
「お前どうせ長風呂だろ。あの辺で待ってる」
浅葉が指差したのは、マッサージチェアや自動販売機が並ぶ休憩エリア。
「じゃ、気長にお待ちを」
と手を振り、千尋は女湯の暖簾をくぐる。脱いだスリッパを揃えようと振り返ると、その長身を折り曲げるようにしてこちらを覗いている浅葉と目が合う。シッシッと手で追い払うと、ペロッと舌を出し、ひょいと首をすくめて逃げていった。
(修学旅行じゃあるまいし……)
内心呟きながら、千尋はつい頬が緩むのを隠せなかった。男にこういう茶目っけを振りまかれるとめっぽう弱い。しかも、浅葉ほど仕事のできる人となればなおさらだ。
奥へ進むと、脱衣籠が一つだけ使われている。大浴場といっても大きさは大したことはないが、この分ならゆっくりできそうだ。
浴室の扉を開けると、硫黄臭のする湯気だけで肌が潤ってしまいそうだった。
(そういえば、温泉なんていつ以来だろ)
長方形の湯船がL字型の洗い場に囲まれているだけの簡素な造りだが、端に地味ながら打たせ湯があるのが嬉しかった。
露天風呂に出ると、八十に手が届きそうなにこやかな女性が一人、湯船の縁に腰掛けていた。こんばんは、と挨拶を交わし、千尋も湯に浸かる。
十分な広さで少し熱め。千尋好みだ。頭上に張り出した半屋根にだいぶ隠されてしまってはいるが、星が綺麗に見える。平たい湯口からつるつると落ちる柔らかな湯を桶で斜めに受けると、下の小川の低い音がそれに代わって耳に届いた。
「いいお風呂」
という彼女の一言が、千尋の思いを代弁していた。
ぽかぽかと温まった千尋がいい気分で出てくると、浅葉は休憩エリアのソファーにすっかり根を下ろしている風だ。
「どう?」
「うん。いいお湯でした」
浅葉はソファーから立ち上がり、湯上がりの千尋をしばし鑑賞した。すっぴんは既に一週間にわたってさらした仲だが、改めてまじまじと見られると照れ臭い。
「ちゃんとゆっくり入れました?」
千尋は、浅葉のあまりに素早い行水ぶりを思い出す。
「うん。男湯貸し切り状態でさ。そっちは?」
「お婆さんが一人。孫トークにたっぷりお付き合いしちゃいました」
「お前、気に入られそうだもんな、婆さんに」
そう言いながら傾けている瓶入りの飲み物は、どう見てもイチゴミルクだ。テーブルには既に空になったコーヒー牛乳の瓶が立っている。
「これ半分飲まない? メロンも気になってんだよね」
「もうその辺にしとかないと。もうすぐ八時だし」
「ああ、そういや腹減ったな」
千尋はつい噴き出した。あれだけ次々と食べていた饅頭は一体どこの別腹に入ったというのか。
(何この人、手に負えないんですけど……)
浅葉と一緒にいると、甘やかな苦笑が絶えない。コンビニのサンドイッチを一分で平らげ、それで一日の食事が終わりというあの部屋の浅葉は何だったのだろう。
「さすがに空いてるな」
「月曜ですもんね」
エレベーターで一階に下り、「大浴場」の矢印を辿っていくと、すぐに紺とえんじの暖簾が目に入った。
「お前どうせ長風呂だろ。あの辺で待ってる」
浅葉が指差したのは、マッサージチェアや自動販売機が並ぶ休憩エリア。
「じゃ、気長にお待ちを」
と手を振り、千尋は女湯の暖簾をくぐる。脱いだスリッパを揃えようと振り返ると、その長身を折り曲げるようにしてこちらを覗いている浅葉と目が合う。シッシッと手で追い払うと、ペロッと舌を出し、ひょいと首をすくめて逃げていった。
(修学旅行じゃあるまいし……)
内心呟きながら、千尋はつい頬が緩むのを隠せなかった。男にこういう茶目っけを振りまかれるとめっぽう弱い。しかも、浅葉ほど仕事のできる人となればなおさらだ。
奥へ進むと、脱衣籠が一つだけ使われている。大浴場といっても大きさは大したことはないが、この分ならゆっくりできそうだ。
浴室の扉を開けると、硫黄臭のする湯気だけで肌が潤ってしまいそうだった。
(そういえば、温泉なんていつ以来だろ)
長方形の湯船がL字型の洗い場に囲まれているだけの簡素な造りだが、端に地味ながら打たせ湯があるのが嬉しかった。
露天風呂に出ると、八十に手が届きそうなにこやかな女性が一人、湯船の縁に腰掛けていた。こんばんは、と挨拶を交わし、千尋も湯に浸かる。
十分な広さで少し熱め。千尋好みだ。頭上に張り出した半屋根にだいぶ隠されてしまってはいるが、星が綺麗に見える。平たい湯口からつるつると落ちる柔らかな湯を桶で斜めに受けると、下の小川の低い音がそれに代わって耳に届いた。
「いいお風呂」
という彼女の一言が、千尋の思いを代弁していた。
ぽかぽかと温まった千尋がいい気分で出てくると、浅葉は休憩エリアのソファーにすっかり根を下ろしている風だ。
「どう?」
「うん。いいお湯でした」
浅葉はソファーから立ち上がり、湯上がりの千尋をしばし鑑賞した。すっぴんは既に一週間にわたってさらした仲だが、改めてまじまじと見られると照れ臭い。
「ちゃんとゆっくり入れました?」
千尋は、浅葉のあまりに素早い行水ぶりを思い出す。
「うん。男湯貸し切り状態でさ。そっちは?」
「お婆さんが一人。孫トークにたっぷりお付き合いしちゃいました」
「お前、気に入られそうだもんな、婆さんに」
そう言いながら傾けている瓶入りの飲み物は、どう見てもイチゴミルクだ。テーブルには既に空になったコーヒー牛乳の瓶が立っている。
「これ半分飲まない? メロンも気になってんだよね」
「もうその辺にしとかないと。もうすぐ八時だし」
「ああ、そういや腹減ったな」
千尋はつい噴き出した。あれだけ次々と食べていた饅頭は一体どこの別腹に入ったというのか。
(何この人、手に負えないんですけど……)
浅葉と一緒にいると、甘やかな苦笑が絶えない。コンビニのサンドイッチを一分で平らげ、それで一日の食事が終わりというあの部屋の浅葉は何だったのだろう。
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