君の思い出

生津直

文字の大きさ
上 下
16 / 92
第2章 再会

16 日常

しおりを挟む
 十月十五日。一限から四限までみっちりと授業がまっているところへ、ファミレスのバイト仲間が風邪をひき、千尋が急遽きゅうきょ代わりに呼び出された。いつになく慌ただしい水曜日。

 ようやくシフトを終えての帰り道。千尋は電車に揺られながら、携帯の画面を見ているようで見ていなかった。

 別れぎわに浅葉から「不安になるのは無理もない」と言われた時にはぴんと来なかったが、確かに千尋はあれ以来、精神的に安定しているとは言えなかった。

 何となく落ち着かない日々が続き、食欲が落ち、体重も三キロほど減っている。自分が命を狙われたという事実によるものか、初めて聞いた本物の銃声のせいか、それとも……。

 幸い、近所とはいえ、あの公園は通るまいと思えば通らずに済む位置にある。なるべく思い出さないように努め、どうしてもあの時の恐怖がよみがえってしまう時には、駆け付けてくれた浅葉の姿を急いで脳内に呼び戻すようにしていた。

(今頃どうしてるかな……きっと私のことなんか忘れて、他の仕事で忙しくしてるよね)

 一ヶ月経っても落ち着かないようなら……という最後の日の言葉。あれから五週間が過ぎていた。

 生活自体は間もなく日常を取り戻し、夏休みの残りの期間はバイトに明け暮れた。

 十月に入り後期の授業が始まると、千尋のカレンダーは再び授業とサークル活動、バイト、そして飲み会に埋め尽くされた。しかし、完全に落ち着いたかと聞かれれば、やはりそうとは言いがたい。

 友達とはしゃいでいる時でさえも、の自分とは何かが違うことに気付かされる。家事もテキパキとは進まず、あまりにも日常とかけ離れたあの一週間を断片的に思い出しながら、浅い眠りにつく日々が続いていた。



 帰宅して携帯を取り出し、千尋はあの番号を見つめた。

 あの日、浅葉が千尋の電話に打ち込んだのは、携帯の番号だった。それを千尋は「例の」という名前で登録していた。

 専用の相談窓口と浅葉は言っていたが、それはいわゆるPTSDだとか、そういった深刻なケースを想定してのことだろう。この苛立いらだちとも心細さともつかぬ妙な落ち着かなさが、果たして相談するほどの症状だろうか。それに、こんなつかみどころのない心情について相談したところで、誰が何をしてくれるというのだ。

 しかし、疲れた体に熱いシャワーを浴びているうちに、お世話になった警察組織への挨拶あいさつがてら、かけるだけかけておくか、という気持ちが芽生めばえた。役に立たなかったとしても、今より悪くはなりようがない。

 濡れた髪をタオルで包み、携帯を開く。十一時を回っていた。こんな時間だし、どうせつながらない、と決め込んで、千尋はついに例の番号に電話をかけた。



 十月二十日。月曜は四限の後まっすぐ帰宅することが多いが、今日はレポートのための調べ物で少し遅くなった。図書館を出た千尋は、ぞろぞろと連れ立ってキャンパスの出口に向かうサークル仲間に出くわした。

「ね、千尋も行かない?」

と既にどうやらいい気分になっているのは、同じ二年の孝子たかこだ。

 月曜は練習がないから、四限明けか下手すれば昼過ぎから部室で飲み始める連中がいる。今日もそのパターンだろう。テニスサークルとは名ばかりで、練習はどちらかというとおまけのようなもの。メインの活動は飲み会、というのが実態だ。

「ごめん、レポート」

と、千尋は両手を合わせる。

「なーにお利口ちゃんぶってんの? そんなの飲んでからでいいじゃん」

「そう言ってて前期に落としたやつの再履さいりなんだよね」

「いいじゃん、そんなのもう。落としたもんなんか忘れて、次いきなよ、次!」

(そういえば……)

 千尋は、孝子が最近彼氏と別れたばかりなのを思い出した。このところつい飲みすぎるのもそのせいだろう。

「おいおい、そのぐらいにしとけ」

 孝子をたしなめたのは、三年の高遠義則たかとおよしのり。千尋は恐縮して言う。

「すみません、ヨシさん。孝子大丈夫かなあ、この後」

「いつかみたいに前触まえぶれなくパタンといかれるよりはいいかな。気を付けて見とくよ」

「ウーロンハイって言ってウーロン茶飲ませとけば、どうせわかりませんから」

「おっ、さすが専属調教師」

「シーッ」

と千尋は人差し指を立てながら笑いをこらえる。酔って荒れだした孝子は千尋がなだめるとおとなしくなる、という内輪うちわネタだが、孝子本人にはそんな自覚は全くないはず。

 皆と一緒に歩いて正門に着くと、居酒屋に向かう仲間たちが千尋に手を振った。

「じゃ、お疲れ」

「レポート頑張れ」

「うん、ごめんね、またね」

 集団の最後尾に残った義則が千尋に歩み寄る。

「気を付けてね。あんまり無理しないで。じゃあまた……あさって」

 千尋は笑顔でうなずき、駅に向かった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

想い出は珈琲の薫りとともに

玻璃美月
恋愛
 第7回ほっこり・じんわり大賞 奨励賞をいただきました。応援くださり、ありがとうございました。 ――珈琲が織りなす、家族の物語  バリスタとして働く桝田亜夜[ますだあや・25歳]は、短期留学していたローマのバルで、途方に暮れている二人の日本人男性に出会った。  ほんの少し手助けするつもりが、彼らから思いがけない頼み事をされる。それは、上司の婚約者になること。   亜夜は断りきれず、その上司だという穂積薫[ほづみかおる・33歳]に引き合わされると、数日間だけ薫の婚約者のふりをすることになった。それが終わりを迎えたとき、二人の間には情熱の火が灯っていた。   旅先の思い出として終わるはずだった関係は、二人を思いも寄らぬ運命の渦に巻き込んでいた。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

鳴宮鶉子
恋愛
crazy Love 〜元彼上司と復縁しますか?〜

処理中です...