君の思い出

生津直

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第1章 護衛

15 別離

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 扉が開いたままの個室から、廊下を行く長尾が見えた。千尋は慌てて呼び止める。

「長尾さん」

「あ、千尋ちゃん。なんか大変だったみたいね。ついさっき聞いてさ。大丈夫?」

「はい、何とか。あの、ありがとうございました。いろいろお世話になりました」

「まあ、俺は大したことしてないけどね」

「いえ、長尾さんがいてくださって、とても助かりました。あの……浅葉さん、は?」

「ああ、多分、課長とお話し中、かな?」

「そうですか……終わるまで待っててもいいですか? 一応、帰る前にご挨拶をと思って」

「うん、もうそろそろ出てくると思うけど。ちょっと見てこようか」

と、長尾が小走りに消えていく。

 挨拶といっても、何を言うつもりなのか千尋自身にもわからない。今日限り二度と会うこともないという事実を、ただ認めたくないだけだった。



 慌ただしい大部屋で、長尾はちょうど手が空いたらしい浅葉を呼び止める。

「なあ、千尋ちゃんが帰る前にご挨拶したいってさ」

「挨拶?」

 長尾は声を落とし、

「恋する乙女の顔だったぜ。ご多分に漏れずってやつ? なんかまた告白とかされちゃうんじゃないの? うまくフォローしとけよ」

 長尾にはなかなかそういううまい話は回ってこないが、浅葉が女性の護衛を担当すると必ずと言っていいほど最後に登場するシーンだった。浅葉は事も無げに、

「ああ」

と答え、苛立いらだつでもうわつくでもなく千尋の元へと向かった。長尾はその背後から、

「色男は毎度大変ね」

と、からかう。手厚い護衛に対する感謝や、警護が解かれることへの不安を口実にして、最後に浅葉に言い寄ろうと悪あがきする女性は少なくない。



 バタバタと人の出入りの激しい廊下の一角に、千尋はぼんやりとたたずんでいた。

「まだいたのか」

という声に顔を上げると、気のせいか幾分いくぶん疲れた様子の浅葉が歩いてくるところだった。

「浅葉さん……ありがとうございました。本当に」

 一瞬千尋を見、そして床に落ちた浅葉の目が、痛みにでも耐えるかのように固く閉ざされた。

「お怪我は……大丈夫ですか?」

「こんなことで済むなら万々歳だ」

 なるほど。もしかしたら、他の事件で負うような怪我に比べれば軽い方なのかもしれない。しかし、深く重いため息をついた浅葉は、万々歳とは程遠く見えた。

 そこへ、坂口と若い男性二人が連れ立って通りかかった。その途端、浅葉の表情は瞬時に生気を取り戻し、すきのない敏腕刑事のそれに戻っていた。ついでに、事務的な口調までもがよみがえる。

「まあ、いろいろあったからな。不安になるのは無理もない」

(……えっ?)

 千尋は、それが自分に対してかけられた言葉であることを心の中で確認した。決して泣き言をこぼしたわけでもないのに、なぜそんなことを言われるのだろう。よっぽど青ざめた顔でもしていただろうか。確かに、つい先ほど男に襲われたショックは残っているが……。

 無意識に髪を整えた千尋の脇を、坂口たちが通り過ぎていく。浅葉はかまわず続けた。

「大抵は時間が解決するもんだ」

「はあ……」

「一ヶ月経ってまだ落ち着かないようなら、専用の窓口に電話するといい」

(専用の……窓口?)

「番号を入れといてやろう。携帯は?」

「あ、はい」

 千尋は、わけがわからぬまま、今日坂口から返された自分のスマホをバッグから取り出し、ロックを解除して浅葉に渡した。

 生傷が痛々しく残る手からすらりと伸びた指が、素早く番号を打ち込む。そんな浅葉の姿を、千尋は見納みおさめのつもりでぼんやりと眺めていた。

「大抵すぐにはつながらないが、着信を残しておけばそのうち向こうからかかってくる」

 浅葉がそう早口で言い終えた時、長尾が呼んだ。

「おい、車出るってよ」

 浅葉は長尾に手を上げて合図してみせると、携帯を千尋の方に差し出した。千尋は、それを受け取った右手が電話ごとぎゅっと握られるのを感じた。

(えっ?)

 一瞬のことだった。次の瞬間、千尋はこの一週間見つめ続けた背中を見送っていた。
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