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第1章 護衛
11 収束へ
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少し落ち着いてから部屋に戻ると、そういえば昼食を食べていなかったと気付く。しかしあまり食欲もない。千尋は、昨日長尾が持ってきたコンビニのおにぎりを一つ、半ば義務感で飲み下した。
浅葉は床に落ちていたワイシャツをそのまま着たらしく、下がジーパンに替わったこと以外、デスクに向かう背中は昨日までと何ら変わりなく見えた。千尋は、海苔のかけらが残ったビニールを弄びながら、その後ろ姿をいつまでも飽きることなく見つめた。
「浅葉さん」
「ああ」
「あの……今日はベッド使ってください」
何やら書類を睨んでいた浅葉が、顔を上げる。
「その怪我で床ってわけには……」
ここへ来てからずっと満足に寝ていないし、明日は取引当日ということで忙しくなるだろう。睡眠を取るなら危険が去った今晩がチャンスのはずだった。
「別にかまわん。いつものことだ」
千尋は食い下がる。
「私、不安です。自分の警護担当者が万全のコンディションじゃないなんて……」
その時、浅葉の後ろ姿が一瞬微笑んだように見えてドキッとした。しかし返事はない。その背中に向かって千尋は続けた。
「しっかり休んでいただかないと安心できません。一応まだ明日まであるわけですし」
浅葉は、肩越しに言った。
「じゃあ、こうしよう。半分だけ貸してくれ」
(えっ? 今、何て?)
ベッドを見下ろす。千尋が大の字になれば両手がはみ出す程度の大きさだ。まあカップルなら二人並んで寝ても大して窮屈ではないのかもしれないが……。そこまで考えて、千尋は赤面した。
浅葉はそんな千尋などおかまいなしの様子で続ける。
「お前にも万全の状態でいてもらわないと困る。いいか、半分だぞ。侵入してくるなよ」
床の方がよく眠れそうです、と言いそうになるのを、もう一人の千尋が押しとどめた。
九月九日。表の工事の音で目が覚める。カーテンの隙間から光が差していた。千尋は、早々とベッドに入り、浅葉の分を残して壁側に寄って寝ていたことを思い出した。
恐る恐る寝返りを打ってみるも、反対側は空っぽ。浅葉はとっくに起きて活動していたらしい。バスルームで電話をかけていたようで、携帯を手に出てきた。いつものように短く挨拶だけを交わす。昨日までの疲労の色は目に見えて和らいでいた。
すぐ隣で寝息を立てる浅葉を思い浮かべると、何か温かいものが心に灯るような気がした。ただ、ついぐっすりと眠ってしまって自分にその記憶がないことが、千尋には残念だった。
長尾が電話傍受に成功し、取引は今日の夜と判明していた。千尋は一旦署に戻り、取引の開始を待って自宅に送り届けられる。用心するに越したことはない、ということらしい。
署に着くと、千尋は坂口に呼ばれ、最初に説明を受けたあの部屋にやってきた。
坂口は「型通りの質問」と断った上で、いくつか千尋に尋ねる。この一週間、困ったことや不快に思うようなことはなかったか、という趣旨だ。後からセクハラだの何だの訴えられても困るからだろう。警察には細かい規定があるはずだ。まさかベッドを分け合ったなどとは口が裂けても言えない。千尋は優等生の受け答えで乗り切った。
浅葉は到着するなり検挙準備に取りかかってしまい、千尋にかまっている暇などなさそうだ。いつの間にか、自宅に送ってくれる車の出る時間が迫っていた。
(あーあ、あっけない……)
何を期待するわけでもないが、せめてきちんとお礼を言うぐらいの時間は欲しかった。
取引現場への出発間際、浅葉は石山のデスクに向かった。
「課長」
「ん」
「田辺の自宅送還ですが」
「ああ」
「俺が行きます」
石山は眉をひそめた。
「お前は今から検挙要員だと言ったろ」
「田辺の希望です」
「そんなもん断れ」
「実は、ちょっと気になることがありまして」
「何だ」
「田辺の自宅付近をうろついてた男です」
「この件とは関係ないかもしれん」
「あの後、何度か同じ場所で目撃されてますね?」
石山は驚き、いぶかしむ。
「なぜお前がそれを?」
地元の交番から、確かにその通りの報告が入っている。今回の取引の関係者である可能性が高いため、警戒させないよう職務質問は控えろと指示してあった。
「話せば長くなります。とにかく、事実ですよね?」
「だったらどうなんだ? 関係してても、今さら田辺に用はないはずだろ」
「確かに、口封じの必要はなくなりました」
「じゃあ何だ?」
「個人的な興味かもしれません」
石山は唖然とした。
「随分と想像力豊かだな。まあ、あり得ない話じゃないが、残念ながら管轄外だ。お前の関心事でもないはずだが?」
石山は探るような目を向け、浅葉はその目と睨み合った。
「田辺が何か不安がっているなら、正規のルートで通報させろ。うちにはそんな暇はない」
浅葉が黙ってその場を離れようとすると、石山の声がそれを追った。
「勝手な真似はするなよ」
浅葉は肩越しに、
「担当者にはくれぐれも油断するなと伝えてください。では、現場に向かいます」
と答え、廊下へと出ていった。
浅葉は床に落ちていたワイシャツをそのまま着たらしく、下がジーパンに替わったこと以外、デスクに向かう背中は昨日までと何ら変わりなく見えた。千尋は、海苔のかけらが残ったビニールを弄びながら、その後ろ姿をいつまでも飽きることなく見つめた。
「浅葉さん」
「ああ」
「あの……今日はベッド使ってください」
何やら書類を睨んでいた浅葉が、顔を上げる。
「その怪我で床ってわけには……」
ここへ来てからずっと満足に寝ていないし、明日は取引当日ということで忙しくなるだろう。睡眠を取るなら危険が去った今晩がチャンスのはずだった。
「別にかまわん。いつものことだ」
千尋は食い下がる。
「私、不安です。自分の警護担当者が万全のコンディションじゃないなんて……」
その時、浅葉の後ろ姿が一瞬微笑んだように見えてドキッとした。しかし返事はない。その背中に向かって千尋は続けた。
「しっかり休んでいただかないと安心できません。一応まだ明日まであるわけですし」
浅葉は、肩越しに言った。
「じゃあ、こうしよう。半分だけ貸してくれ」
(えっ? 今、何て?)
ベッドを見下ろす。千尋が大の字になれば両手がはみ出す程度の大きさだ。まあカップルなら二人並んで寝ても大して窮屈ではないのかもしれないが……。そこまで考えて、千尋は赤面した。
浅葉はそんな千尋などおかまいなしの様子で続ける。
「お前にも万全の状態でいてもらわないと困る。いいか、半分だぞ。侵入してくるなよ」
床の方がよく眠れそうです、と言いそうになるのを、もう一人の千尋が押しとどめた。
九月九日。表の工事の音で目が覚める。カーテンの隙間から光が差していた。千尋は、早々とベッドに入り、浅葉の分を残して壁側に寄って寝ていたことを思い出した。
恐る恐る寝返りを打ってみるも、反対側は空っぽ。浅葉はとっくに起きて活動していたらしい。バスルームで電話をかけていたようで、携帯を手に出てきた。いつものように短く挨拶だけを交わす。昨日までの疲労の色は目に見えて和らいでいた。
すぐ隣で寝息を立てる浅葉を思い浮かべると、何か温かいものが心に灯るような気がした。ただ、ついぐっすりと眠ってしまって自分にその記憶がないことが、千尋には残念だった。
長尾が電話傍受に成功し、取引は今日の夜と判明していた。千尋は一旦署に戻り、取引の開始を待って自宅に送り届けられる。用心するに越したことはない、ということらしい。
署に着くと、千尋は坂口に呼ばれ、最初に説明を受けたあの部屋にやってきた。
坂口は「型通りの質問」と断った上で、いくつか千尋に尋ねる。この一週間、困ったことや不快に思うようなことはなかったか、という趣旨だ。後からセクハラだの何だの訴えられても困るからだろう。警察には細かい規定があるはずだ。まさかベッドを分け合ったなどとは口が裂けても言えない。千尋は優等生の受け答えで乗り切った。
浅葉は到着するなり検挙準備に取りかかってしまい、千尋にかまっている暇などなさそうだ。いつの間にか、自宅に送ってくれる車の出る時間が迫っていた。
(あーあ、あっけない……)
何を期待するわけでもないが、せめてきちんとお礼を言うぐらいの時間は欲しかった。
取引現場への出発間際、浅葉は石山のデスクに向かった。
「課長」
「ん」
「田辺の自宅送還ですが」
「ああ」
「俺が行きます」
石山は眉をひそめた。
「お前は今から検挙要員だと言ったろ」
「田辺の希望です」
「そんなもん断れ」
「実は、ちょっと気になることがありまして」
「何だ」
「田辺の自宅付近をうろついてた男です」
「この件とは関係ないかもしれん」
「あの後、何度か同じ場所で目撃されてますね?」
石山は驚き、いぶかしむ。
「なぜお前がそれを?」
地元の交番から、確かにその通りの報告が入っている。今回の取引の関係者である可能性が高いため、警戒させないよう職務質問は控えろと指示してあった。
「話せば長くなります。とにかく、事実ですよね?」
「だったらどうなんだ? 関係してても、今さら田辺に用はないはずだろ」
「確かに、口封じの必要はなくなりました」
「じゃあ何だ?」
「個人的な興味かもしれません」
石山は唖然とした。
「随分と想像力豊かだな。まあ、あり得ない話じゃないが、残念ながら管轄外だ。お前の関心事でもないはずだが?」
石山は探るような目を向け、浅葉はその目と睨み合った。
「田辺が何か不安がっているなら、正規のルートで通報させろ。うちにはそんな暇はない」
浅葉が黙ってその場を離れようとすると、石山の声がそれを追った。
「勝手な真似はするなよ」
浅葉は肩越しに、
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