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第1章 護衛
6 不穏な動き
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九月六日。朝、目が覚めると、既に訪れているのがわかった。月々の厄介なお客様が……。千尋は大抵、初日が一番辛い。
相変わらずデスクに向かっている浅葉に、おはようございます、と声をかけてトイレに行き、再びベッドに潜り込む。眠気は十分だが、腰回りの鈍痛の主張が大したもので、うまく寝付けない。丸まって目をつぶり、何とかやり過ごそうとしていると、浅葉がぼそっと呟いた。
「薬を飲んだらどうなんだ」
(えっ?)
さすが刑事、生理痛を見抜くぐらい朝飯前なのか。それとも、千尋の様子がわかりやすすぎたのか……。
「あ、すみません……あの、普段なるべく飲まないようにしてまして」
浅葉は、パソコンのモニターに向かったまま、腕を組んで言った。
「何かあった時に……まあ何もないとは思うが、いざとなった時、すぐ動ける状態でいてくれた方がこっちも助かるんだ」
もし、猫撫で声でよしよしされたりしようものなら、千尋はますます意固地になっていただろう。しかし「こっちも助かる」と言われてしまうと、世話になっている身で逆らうわけにもいかなくなった。
「はい……あの、じゃあ飲んでみます」
素直に従うことにし、床にあった袋に手を伸ばす。すると、
「先に何か食べた方がいい」
浅葉が立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
「あんまり食欲が……」
と言いかけた千尋の目の前に差し出されたのは、プリンだった。なるほど。甘くて柔らかい物なら入らないことはない。千尋が礼を言って受け取ると、浅葉はデスク横の袋からプラスチックのスプーンを取り出して手渡す。
「あ、すみません、どうも……」
(いいのかしら、こんな至れり尽くせりで……)
もちろん、護衛に就いた刑事としての責任感でしかなく、他意はないはず。それでも、有無を言わせないようでいてきっちり気遣ってくれる、そんな浅葉の態度を、普段身近にいる頼りない男友達とつい比べてしまう。
(ま、三十代ともなれば、年の功か……)
九月七日。再び長尾が顔を出した。いつものように差し入れの袋を置き、千尋と二言三言交わすと、浅葉の肩をつついた。
「ん?」
「ちょっと……」
長尾が千尋の方をちらっと見やった。浅葉がその視線を追い、千尋と目が合う。
「ちょっと外してもらっていいか?」
「あ、はい」
とベッドを下りたものの、席を外すったってこの狭い部屋で一体……と浅葉を見ると、その目が示したのは案の定、バスルームの扉だった。
(まあ、それ以外ないですからね)
「ごめんね」
と申し訳なさそうにしている長尾に、千尋は笑顔で、
「ごゆっくり」
と声をかけると、おとなしくバスルームに入り、ドアを閉めた。
長尾が声をひそめる。
「田辺の自宅周りをうろうろしてた男がいる」
「へえ」
「へえ……? それだけ? そろそろ勘付かれたと見んのが筋じゃねえの?」
「まあ奴らもそこまでバカじゃないからな」
千尋がしばらく留守にしていることに問題の暴力団組織が勘付いたとすれば、どこかで保護されているのではという発想に至っても不思議はない。警察の護衛が付いていることが彼らに知れれば、千尋が握っているはずの情報も当然警察に渡ったという理解になる。つまり黙らせるには手遅れなわけで、千尋の身は晴れて安泰になるが、取引は不発に終わるか仕切り直しとなり、検挙の機は失われる。
警察としては一般市民の安全確保の傍ら、確実に取引現場も挙げたい。だからこそ普段の生活環境から千尋を他へ移し、彼らの目から遠ざけるという手段が取られたのだ。しかし護衛が長期化すれば、千尋が自宅にいないことから背後の警察の存在が知れてしまう可能性がある。
「バレたらバレた時だろ」
と、浅葉は椅子の上で伸びをした。
「お前さ、なんかそっちに持ってこうとしてねえか?」
「用件はそれだけか?」
直接答えない浅葉にもう一度聞いても無駄であることは、長尾が一番よく知っている。浅葉の思惑は長尾にも大体予想がついた。上はいつだって検挙率を上げたがる。現場の人間にはその方針に口を出すような権限はない。かつてその犠牲になったのが……。
「用が済んだら持ち場に戻れ」
いや、長尾の用件はまだあった。
「実はな、外出させようって話が出てる」
浅葉が空を睨んで固まった。長尾はデスクの端にもたれて続けた。
「とりあえず一回姿を見せとこうってことだろな。接触はしてこないと踏んでるんだろ」
浅葉の眉間に皺が寄る。長尾は浅葉の反応を窺いながら言う。
「相手が小さいからってナメてんだよ。でかいとこよりもこういう系の方が却ってわけわかんなくて一番危ないとか、お偉いさん達は考えたこともないだろうからな。課長は例によって間を取りたい感じだったけど、今回ばかりはな。間ってどこだ、って話だろ」
浅葉は何やら考え込んでいた。
「ま、予告まで。じゃあな」
と、長尾は玄関に向かった。
相変わらずデスクに向かっている浅葉に、おはようございます、と声をかけてトイレに行き、再びベッドに潜り込む。眠気は十分だが、腰回りの鈍痛の主張が大したもので、うまく寝付けない。丸まって目をつぶり、何とかやり過ごそうとしていると、浅葉がぼそっと呟いた。
「薬を飲んだらどうなんだ」
(えっ?)
さすが刑事、生理痛を見抜くぐらい朝飯前なのか。それとも、千尋の様子がわかりやすすぎたのか……。
「あ、すみません……あの、普段なるべく飲まないようにしてまして」
浅葉は、パソコンのモニターに向かったまま、腕を組んで言った。
「何かあった時に……まあ何もないとは思うが、いざとなった時、すぐ動ける状態でいてくれた方がこっちも助かるんだ」
もし、猫撫で声でよしよしされたりしようものなら、千尋はますます意固地になっていただろう。しかし「こっちも助かる」と言われてしまうと、世話になっている身で逆らうわけにもいかなくなった。
「はい……あの、じゃあ飲んでみます」
素直に従うことにし、床にあった袋に手を伸ばす。すると、
「先に何か食べた方がいい」
浅葉が立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
「あんまり食欲が……」
と言いかけた千尋の目の前に差し出されたのは、プリンだった。なるほど。甘くて柔らかい物なら入らないことはない。千尋が礼を言って受け取ると、浅葉はデスク横の袋からプラスチックのスプーンを取り出して手渡す。
「あ、すみません、どうも……」
(いいのかしら、こんな至れり尽くせりで……)
もちろん、護衛に就いた刑事としての責任感でしかなく、他意はないはず。それでも、有無を言わせないようでいてきっちり気遣ってくれる、そんな浅葉の態度を、普段身近にいる頼りない男友達とつい比べてしまう。
(ま、三十代ともなれば、年の功か……)
九月七日。再び長尾が顔を出した。いつものように差し入れの袋を置き、千尋と二言三言交わすと、浅葉の肩をつついた。
「ん?」
「ちょっと……」
長尾が千尋の方をちらっと見やった。浅葉がその視線を追い、千尋と目が合う。
「ちょっと外してもらっていいか?」
「あ、はい」
とベッドを下りたものの、席を外すったってこの狭い部屋で一体……と浅葉を見ると、その目が示したのは案の定、バスルームの扉だった。
(まあ、それ以外ないですからね)
「ごめんね」
と申し訳なさそうにしている長尾に、千尋は笑顔で、
「ごゆっくり」
と声をかけると、おとなしくバスルームに入り、ドアを閉めた。
長尾が声をひそめる。
「田辺の自宅周りをうろうろしてた男がいる」
「へえ」
「へえ……? それだけ? そろそろ勘付かれたと見んのが筋じゃねえの?」
「まあ奴らもそこまでバカじゃないからな」
千尋がしばらく留守にしていることに問題の暴力団組織が勘付いたとすれば、どこかで保護されているのではという発想に至っても不思議はない。警察の護衛が付いていることが彼らに知れれば、千尋が握っているはずの情報も当然警察に渡ったという理解になる。つまり黙らせるには手遅れなわけで、千尋の身は晴れて安泰になるが、取引は不発に終わるか仕切り直しとなり、検挙の機は失われる。
警察としては一般市民の安全確保の傍ら、確実に取引現場も挙げたい。だからこそ普段の生活環境から千尋を他へ移し、彼らの目から遠ざけるという手段が取られたのだ。しかし護衛が長期化すれば、千尋が自宅にいないことから背後の警察の存在が知れてしまう可能性がある。
「バレたらバレた時だろ」
と、浅葉は椅子の上で伸びをした。
「お前さ、なんかそっちに持ってこうとしてねえか?」
「用件はそれだけか?」
直接答えない浅葉にもう一度聞いても無駄であることは、長尾が一番よく知っている。浅葉の思惑は長尾にも大体予想がついた。上はいつだって検挙率を上げたがる。現場の人間にはその方針に口を出すような権限はない。かつてその犠牲になったのが……。
「用が済んだら持ち場に戻れ」
いや、長尾の用件はまだあった。
「実はな、外出させようって話が出てる」
浅葉が空を睨んで固まった。長尾はデスクの端にもたれて続けた。
「とりあえず一回姿を見せとこうってことだろな。接触はしてこないと踏んでるんだろ」
浅葉の眉間に皺が寄る。長尾は浅葉の反応を窺いながら言う。
「相手が小さいからってナメてんだよ。でかいとこよりもこういう系の方が却ってわけわかんなくて一番危ないとか、お偉いさん達は考えたこともないだろうからな。課長は例によって間を取りたい感じだったけど、今回ばかりはな。間ってどこだ、って話だろ」
浅葉は何やら考え込んでいた。
「ま、予告まで。じゃあな」
と、長尾は玄関に向かった。
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