6 / 92
第1章 護衛
6 不穏な動き
しおりを挟む
九月六日。朝、目が覚めると、既に訪れているのがわかった。月々の厄介なお客様が……。千尋は大抵、初日が一番辛い。
相変わらずデスクに向かっている浅葉に、おはようございます、と声をかけてトイレに行き、再びベッドに潜り込む。眠気は十分だが、腰回りの鈍痛の主張が大したもので、うまく寝付けない。丸まって目をつぶり、何とかやり過ごそうとしていると、浅葉がぼそっと呟いた。
「薬を飲んだらどうなんだ」
(えっ?)
さすが刑事、生理痛を見抜くぐらい朝飯前なのか。それとも、千尋の様子がわかりやすすぎたのか……。
「あ、すみません……あの、普段なるべく飲まないようにしてまして」
浅葉は、パソコンのモニターに向かったまま、腕を組んで言った。
「何かあった時に……まあ何もないとは思うが、いざとなった時、すぐ動ける状態でいてくれた方がこっちも助かるんだ」
もし、猫撫で声でよしよしされたりしようものなら、千尋はますます意固地になっていただろう。しかし「こっちも助かる」と言われてしまうと、世話になっている身で逆らうわけにもいかなくなった。
「はい……あの、じゃあ飲んでみます」
素直に従うことにし、床にあった袋に手を伸ばす。すると、
「先に何か食べた方がいい」
浅葉が立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
「あんまり食欲が……」
と言いかけた千尋の目の前に差し出されたのは、プリンだった。なるほど。甘くて柔らかい物なら入らないことはない。千尋が礼を言って受け取ると、浅葉はデスク横の袋からプラスチックのスプーンを取り出して手渡す。
「あ、すみません、どうも……」
(いいのかしら、こんな至れり尽くせりで……)
もちろん、護衛に就いた刑事としての責任感でしかなく、他意はないはず。それでも、有無を言わせないようでいてきっちり気遣ってくれる、そんな浅葉の態度を、普段身近にいる頼りない男友達とつい比べてしまう。
(ま、三十代ともなれば、年の功か……)
九月七日。再び長尾が顔を出した。いつものように差し入れの袋を置き、千尋と二言三言交わすと、浅葉の肩をつついた。
「ん?」
「ちょっと……」
長尾が千尋の方をちらっと見やった。浅葉がその視線を追い、千尋と目が合う。
「ちょっと外してもらっていいか?」
「あ、はい」
とベッドを下りたものの、席を外すったってこの狭い部屋で一体……と浅葉を見ると、その目が示したのは案の定、バスルームの扉だった。
(まあ、それ以外ないですからね)
「ごめんね」
と申し訳なさそうにしている長尾に、千尋は笑顔で、
「ごゆっくり」
と声をかけると、おとなしくバスルームに入り、ドアを閉めた。
長尾が声をひそめる。
「田辺の自宅周りをうろうろしてた男がいる」
「へえ」
「へえ……? それだけ? そろそろ勘付かれたと見んのが筋じゃねえの?」
「まあ奴らもそこまでバカじゃないからな」
千尋がしばらく留守にしていることに問題の暴力団組織が勘付いたとすれば、どこかで保護されているのではという発想に至っても不思議はない。警察の護衛が付いていることが彼らに知れれば、千尋が握っているはずの情報も当然警察に渡ったという理解になる。つまり黙らせるには手遅れなわけで、千尋の身は晴れて安泰になるが、取引は不発に終わるか仕切り直しとなり、検挙の機は失われる。
警察としては一般市民の安全確保の傍ら、確実に取引現場も挙げたい。だからこそ普段の生活環境から千尋を他へ移し、彼らの目から遠ざけるという手段が取られたのだ。しかし護衛が長期化すれば、千尋が自宅にいないことから背後の警察の存在が知れてしまう可能性がある。
「バレたらバレた時だろ」
と、浅葉は椅子の上で伸びをした。
「お前さ、なんかそっちに持ってこうとしてねえか?」
「用件はそれだけか?」
直接答えない浅葉にもう一度聞いても無駄であることは、長尾が一番よく知っている。浅葉の思惑は長尾にも大体予想がついた。上はいつだって検挙率を上げたがる。現場の人間にはその方針に口を出すような権限はない。かつてその犠牲になったのが……。
「用が済んだら持ち場に戻れ」
いや、長尾の用件はまだあった。
「実はな、外出させようって話が出てる」
浅葉が空を睨んで固まった。長尾はデスクの端にもたれて続けた。
「とりあえず一回姿を見せとこうってことだろな。接触はしてこないと踏んでるんだろ」
浅葉の眉間に皺が寄る。長尾は浅葉の反応を窺いながら言う。
「相手が小さいからってナメてんだよ。でかいとこよりもこういう系の方が却ってわけわかんなくて一番危ないとか、お偉いさん達は考えたこともないだろうからな。課長は例によって間を取りたい感じだったけど、今回ばかりはな。間ってどこだ、って話だろ」
浅葉は何やら考え込んでいた。
「ま、予告まで。じゃあな」
と、長尾は玄関に向かった。
相変わらずデスクに向かっている浅葉に、おはようございます、と声をかけてトイレに行き、再びベッドに潜り込む。眠気は十分だが、腰回りの鈍痛の主張が大したもので、うまく寝付けない。丸まって目をつぶり、何とかやり過ごそうとしていると、浅葉がぼそっと呟いた。
「薬を飲んだらどうなんだ」
(えっ?)
さすが刑事、生理痛を見抜くぐらい朝飯前なのか。それとも、千尋の様子がわかりやすすぎたのか……。
「あ、すみません……あの、普段なるべく飲まないようにしてまして」
浅葉は、パソコンのモニターに向かったまま、腕を組んで言った。
「何かあった時に……まあ何もないとは思うが、いざとなった時、すぐ動ける状態でいてくれた方がこっちも助かるんだ」
もし、猫撫で声でよしよしされたりしようものなら、千尋はますます意固地になっていただろう。しかし「こっちも助かる」と言われてしまうと、世話になっている身で逆らうわけにもいかなくなった。
「はい……あの、じゃあ飲んでみます」
素直に従うことにし、床にあった袋に手を伸ばす。すると、
「先に何か食べた方がいい」
浅葉が立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
「あんまり食欲が……」
と言いかけた千尋の目の前に差し出されたのは、プリンだった。なるほど。甘くて柔らかい物なら入らないことはない。千尋が礼を言って受け取ると、浅葉はデスク横の袋からプラスチックのスプーンを取り出して手渡す。
「あ、すみません、どうも……」
(いいのかしら、こんな至れり尽くせりで……)
もちろん、護衛に就いた刑事としての責任感でしかなく、他意はないはず。それでも、有無を言わせないようでいてきっちり気遣ってくれる、そんな浅葉の態度を、普段身近にいる頼りない男友達とつい比べてしまう。
(ま、三十代ともなれば、年の功か……)
九月七日。再び長尾が顔を出した。いつものように差し入れの袋を置き、千尋と二言三言交わすと、浅葉の肩をつついた。
「ん?」
「ちょっと……」
長尾が千尋の方をちらっと見やった。浅葉がその視線を追い、千尋と目が合う。
「ちょっと外してもらっていいか?」
「あ、はい」
とベッドを下りたものの、席を外すったってこの狭い部屋で一体……と浅葉を見ると、その目が示したのは案の定、バスルームの扉だった。
(まあ、それ以外ないですからね)
「ごめんね」
と申し訳なさそうにしている長尾に、千尋は笑顔で、
「ごゆっくり」
と声をかけると、おとなしくバスルームに入り、ドアを閉めた。
長尾が声をひそめる。
「田辺の自宅周りをうろうろしてた男がいる」
「へえ」
「へえ……? それだけ? そろそろ勘付かれたと見んのが筋じゃねえの?」
「まあ奴らもそこまでバカじゃないからな」
千尋がしばらく留守にしていることに問題の暴力団組織が勘付いたとすれば、どこかで保護されているのではという発想に至っても不思議はない。警察の護衛が付いていることが彼らに知れれば、千尋が握っているはずの情報も当然警察に渡ったという理解になる。つまり黙らせるには手遅れなわけで、千尋の身は晴れて安泰になるが、取引は不発に終わるか仕切り直しとなり、検挙の機は失われる。
警察としては一般市民の安全確保の傍ら、確実に取引現場も挙げたい。だからこそ普段の生活環境から千尋を他へ移し、彼らの目から遠ざけるという手段が取られたのだ。しかし護衛が長期化すれば、千尋が自宅にいないことから背後の警察の存在が知れてしまう可能性がある。
「バレたらバレた時だろ」
と、浅葉は椅子の上で伸びをした。
「お前さ、なんかそっちに持ってこうとしてねえか?」
「用件はそれだけか?」
直接答えない浅葉にもう一度聞いても無駄であることは、長尾が一番よく知っている。浅葉の思惑は長尾にも大体予想がついた。上はいつだって検挙率を上げたがる。現場の人間にはその方針に口を出すような権限はない。かつてその犠牲になったのが……。
「用が済んだら持ち場に戻れ」
いや、長尾の用件はまだあった。
「実はな、外出させようって話が出てる」
浅葉が空を睨んで固まった。長尾はデスクの端にもたれて続けた。
「とりあえず一回姿を見せとこうってことだろな。接触はしてこないと踏んでるんだろ」
浅葉の眉間に皺が寄る。長尾は浅葉の反応を窺いながら言う。
「相手が小さいからってナメてんだよ。でかいとこよりもこういう系の方が却ってわけわかんなくて一番危ないとか、お偉いさん達は考えたこともないだろうからな。課長は例によって間を取りたい感じだったけど、今回ばかりはな。間ってどこだ、って話だろ」
浅葉は何やら考え込んでいた。
「ま、予告まで。じゃあな」
と、長尾は玄関に向かった。
0
お気に入りに追加
122
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました
加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる