君の思い出

生津直

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第1章 護衛

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 決して座り心地が良いとは言えないパイプ椅子に腰掛けたままあやうくうたた寝しかけた頃、よく通る明るい声が響いた。

「田辺さん、お待たせ」

 入口に現れたのは、ベージュのパンツスーツの女性。三十五、六といったところか。可愛らしい丸顔に眼鏡をかけ、親しみやすい雰囲気があった。

坂口さかぐちです」

 テーブルにぽんと置かれた名刺に「巡査部長」とある。

 これまでの経緯やら、千尋がこれから置かれる状況やらを彼女が平たく説明してくれている間、千尋は真面目に耳を傾けた。

 状況が状況だからそれなりに緊張はしているが、今ここにいること自体がどうも現実と思えずにいた。誰にも話せていないからなおさらかもしれない。今回のことは一切口外しないようにと言い渡されている。千尋はそういったことには元より律儀だから、母にも友人にも言っていないし、SNSにももちろん書き込んでいない。



 ふと、部屋の入口に人影を感じた。千尋は目だけ動かして何気なくそちらを見やる。

(えっ……)

 思わず視線が釘付けになった。

 いや、もちろん知り合いでも何でもない。ただ、こんな殺風景な場所で見かけるには、その男はあまりに美しすぎた。

「あ、今ひと通り説明したところです」

と、坂口がその人物に声をかけて立ち上がる。

 戸口にたたずんでいるのは、すらりと背の高いスーツ姿の男。身長は一八〇以上はあるだろう。手足も日本人離れした長さ。すっと通った鼻筋に、ごく自然に整った眉。引き締まった顎のライン。

 歳は見たところ三十代……後半だろうか。髪はあと少しでワイシャツのえりに当たりそうな長さだが、そういうスタイルというよりは、放っておいたら伸びてしまったという雰囲気。

 一般人の中に紛れ込んだ舞台俳優かのような圧倒的なインパクトの一方で、その身から放たれる緊張感には言い知れぬ魔力が宿っていた。アーモンド型の目は鋭くも深さを感じさせ、千尋を吸い込んでしまいそうだ。 

「じゃ、行ってらっしゃい」

という坂口の声で、千尋は我に返った。坂口はおどけるような敬礼をしてみせ、足早に出ていった。

 男は顔も体型も文句なしの美形だが、一体何が気に入らないのか、表情ははなはだ険しい。彼はつかつかと部屋に入ってくると、唐突に第一声を発した。

「田辺千尋か?」

 そのな口調に、私、犯罪者じゃないんですけど、と言い返したくなる。

「はい」

と答える声に、つい抗議のニュアンスがこもってしまう。

 長いこと黙って千尋をにらみつけた挙句に発されたのは、何の愛想もない短い言葉だった。

「よろしく」

(ほんとに「よろしく」と思ってます?)

とはもちろん口に出さず、千尋は何とか常識的な挨拶を返した。

「……あ、こちらこそ。よろしくお願いします」

 本人は名乗りもしなかったが、担当刑事が浅葉あさばという男であることは先ほど坂口から知らされていた。浅葉は、ダークグレーに細い白ストライプの入ったスーツの上着を脱ぐと、千尋の向かいの椅子の背にバサッと放った。かすかに煙草の匂いが上る。

(えっ、もしかして吸う人……?)

 狭い部屋で少なくとも数日間、浅葉とほぼ二人きりになると坂口から聞かされたばかりだ。そんな環境でスパスパ吸われたのではかなわない。千尋は早くも逃げ出したくなった。そこへ浅葉が告げる。

「トイレに行くなら今のうちに行ってこい。五分後に出るぞ」

 千尋は慌てて立ち上がりながら、

(だから犯罪者じゃないってのに……)

と心の中で反抗する。せっかく端正な顔をしていても、態度がこれでは台無しだ。千尋の脳内には「前途多難」の四文字が点灯していた。
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