君の思い出

生津直

文字の大きさ
上 下
1 / 92
第1章 護衛

1  幕開け

しおりを挟む
 ほんの出来心だった。

 写真でさんざんにらみ続けた相手と、いずれ顔を合わせることは珍しくない。そんないつものルートを、いつもよりも確実に、いつもよりも早く、辿たどりたくなってしまった。

 これぐらいのことは許される……。気付けば浅葉あさばはそんな言い訳を繰り返し、必死でそこに根拠を供給していた。

 そして、罪は犯された。

 その先に待っていたのは、残酷なまでに甘美な時間。黄金色こがねいろに輝く奇跡の海に溺れるようなだった。



  * * * * * *



 九月二日。田辺千尋たなべ ちひろは、身動きする度にきしむパイプ椅子に座り、ぼんやりとくうを見つめていた。足を組み替える度に、「楽」だけがの黒いローヒールパンプスがコツンと音を立てる。

 車で連れて来られたのは、四角いだけの地味な建物だった。案内されるまま階段を上がると、壁には「薬物銃器対策課」のプレート。通されたこの部屋にも洒落っ気はない。奥の席に座って待つよう言われてから、十分ほどっている。

 まさか自分が警察の世話になるとは、夢にも思っていなかった。都内で一人暮らしをする国立大学二年生の千尋は、時にハメを外しはしても、あくまで自他ともに認める善良な市民だ。



 約一週間前のこと。見知らぬ女性が千尋のアパートを訪ねてきたのが全ての始まりだった。

 呼び鈴がピンポーンと鳴ったのは、朝十一時過ぎ。セールスだろうと決め込み、居留守を使おうとした。が、ピンポーンが間隔をけて二度、三度。

 こちらの在宅を確信してでもいるのか。実際、飲み会から一夜明けて目覚めた頃を見計らったようなタイミング。控え目に言って気味が悪い。

 足音を忍ばせてドアに近付いてみる。そっと覗き穴から覗くと、グレーのスーツ姿の女性がたたずんでいた。

 彼女の右腕が壁へと伸びるのが見え、四度目のピンポーンが鳴った。その直後、女性はコンコンコンコンとドアをノックし、少しこちらに顔を寄せたかと思うと、

「田辺さん、おはようございます。警察の者です」

と来た。

「はあ?」

 思わず声を上げ、千尋は慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。相手は笑いを噛み殺すような素振りで、ジャケットの内側から二つ折りの手帳を取り出した。開いてのぞき穴越しに見せられたそれは、テレビドラマで見るのとそっくりの警察手帳だ。

(何これ……私、寝ぼけてる?)

 いや、昨晩はそんなに飲んでいないし、今朝は普通に起きて洗濯と掃除を済ませたところだ。清く正しいことこの上ない。

 先方は落ち着いた笑みを崩さず、所属と名前を名乗った上で、こう続けた。

「お忙しいところすみません。お話ししたいことがありますので、少々お時間よろしいですか?」

 女の一人暮らしに警戒心は必須。これは噂に聞く詐欺かもしれない、という咄嗟とっさの判断を自画自賛しながら千尋は答えた。

「あのー、恐れ入りますが、少々お待ちいただけますか?」

 素早くスマホを操作し、この自称警察を外で待たせたまま最寄りの警察署に電話。彼女が名乗っている肩書きと氏名を告げたところ、正真正銘の巡査だと判明した。

 待たせたことを丁重にあやまって部屋に上がってもらい、お茶を出して詳しく聞いてみると、全く予想し得なかった突飛とっぴな話が飛び出した。

 暴力団組織の間で近々麻薬取引がある。……という情報を警察がつかんだ。それだけならどうということはないが、その取引の日時と場所を千尋が知っているのではないかという。

 何の冗談かと耳を疑ったが、警察官を相手に笑い飛ばすわけにもいかない。何でも、ファックスで匿名の通報が入り、情報を握る人物として千尋の名前と、身元を特定する情報が書かれていたのだそうだ。そんな真っ赤な嘘を流しそうな人物に心当たりはないが、名簿か何かを使った無作為ないたずらかもしれない。

 結局、警察もこの件はデマと認識しているとのことで、千尋は安堵した。巡査は「参考人としての事情聴取」と断った上でいくつか質問をしてはきたが、千尋が何も知らないと正直に答えると、メモだけ取って帰っていった。



 ところが、今日になって再び警察からの電話。なんと、くだんの暴力団にも千尋が情報を手にしたという誤報が伝わっているという。取引日時が警察にバレてはたまらんと慌てた彼らが、千尋を「探している」という知らせ。

 それって、口封じのために始末しようってことですか、という質問に歯切れの良い答えが返ってこなかったところを見ると、おそらくその通りなのだろう。冗談じゃない。

 いずれにしても、取引が彼らの思惑おもわく通りに成立するか警察が現場を押さえるまで、千尋の身の安全を保護させてくれというのだった。

(まったく、いつからそんなドラマな人生に……)
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

幸せの見つけ方〜幼馴染は御曹司〜

葉月 まい
恋愛
近すぎて遠い存在 一緒にいるのに 言えない言葉 すれ違い、通り過ぎる二人の想いは いつか重なるのだろうか… 心に秘めた想いを いつか伝えてもいいのだろうか… 遠回りする幼馴染二人の恋の行方は? 幼い頃からいつも一緒にいた 幼馴染の朱里と瑛。 瑛は自分の辛い境遇に巻き込むまいと、 朱里を遠ざけようとする。 そうとは知らず、朱里は寂しさを抱えて… ・*:.。. ♡ 登場人物 ♡.。.:*・ 栗田 朱里(21歳)… 大学生 桐生 瑛(21歳)… 大学生 桐生ホールディングス 御曹司

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

狂愛的ロマンス〜孤高の若頭の狂気めいた執着愛〜

羽村美海
恋愛
 古式ゆかしき華道の家元のお嬢様である美桜は、ある事情から、家をもりたてる駒となれるよう厳しく育てられてきた。  とうとうその日を迎え、見合いのため格式高い高級料亭の一室に赴いていた美桜は貞操の危機に見舞われる。  そこに現れた男により救われた美桜だったが、それがきっかけで思いがけない展開にーー  住む世界が違い、交わることのなかったはずの尊の不器用な優しさに触れ惹かれていく美桜の行き着く先は……? ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ ✧天澤美桜•20歳✧ 古式ゆかしき華道の家元の世間知らずな鳥籠のお嬢様 ✧九條 尊•30歳✧ 誰もが知るIT企業の経営者だが、実は裏社会の皇帝として畏れられている日本最大の極道組織泣く子も黙る極心会の若頭 ✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦・━・✦ *西雲ササメ様より素敵な表紙をご提供頂きました✨ ※TL小説です。設定上強引な展開もあるので閲覧にはご注意ください。 ※設定や登場する人物、団体、グループの名称等全てフィクションです。 ※随時概要含め本文の改稿や修正等をしています。 ✧ ✧連載期間22.4.29〜22.7.7 ✧ ✧22.3.14 エブリスタ様にて先行公開✧ 【第15回らぶドロップス恋愛小説コンテスト一次選考通過作品です。コンテストの結果が出たので再公開しました。※エブリスタ様限定でヤス視点のSS公開中】

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...