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第9話:記憶の彼方に

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「僕はまだ、8年前は捜査一課にいてね……。」


北条が話す、過去の話。
当時、警視監だった高橋が捜査一課の刑事を引退し、幹部として昇格したのが、9年前のことだった。


「北条、俺の代わりに組んで欲しい奴がいる。まだ新人だが、才能はある。一緒に組んで、刑事のいろはを叩き込んでやってくれねぇか?」


北条の前に、高橋が直々に若手刑事を連れてきた。
長髪を無造作に束ねた、端正な顔つきの若者だった。


灰島 一誠はいじま いっせいです。」


灰島と名乗るその刑事は、当時の『伝説のバディ』の一角にも物怖じすること無く、堂々としていた。


「お前……新入りならあれだろ、北条さんに会えて興奮とかしないのか?」


現捜査一課長である稲取も、当時は北条と同僚だった。
そんな稲取が、灰島を冷やかす。


「……別に。刑事は芸能人じゃない。追いかけるのは刑事じゃなくて、悪人。そうでしょう?」


このときの灰島の真っ直ぐな視線を見て、北条は高橋がなぜこの青年を自分につけたのかを理解した。


「……正論だね。勿論そうさ。追うべきは犯人。稲取くん、こりゃぁ一本取られたね。」


あまり波風が立っても、灰島の今後のためにはならない。
北条は稲取をからかうことで、その場の緊張感を一気に和らげた。


「灰島くん、これからよろしくね。別に僕のことは先輩だとかそんな風に思わなくていいから、効率的に事件を片付けていこうじゃないの。」

「了解です。願ってもない提案です。俺、無駄に体力、使いたくないんで。」


北条と灰島が固く握手を交わすその傍らで、何とも言えない不満げな表情の稲取が呟いた。


「……生意気な奴。」



捜査一課のメンバーからの第一印象は、あまり良いものでは無かったが、灰島はそんな前評判を意図も簡単に覆してみせた。

天才的な頭脳と推理力を持つ北条を、灰島は持ち前の行動力、そして分析力でサポートしたのだ。


「あいつ、北条さんの推理についていったぜ……」

「射撃のセンスもすごいぞ、あいつ。」

「警察学校では首席だったらしいぜ?」


評判よりも結果が全て。
それが、警察官の世界である。
そんな警察官の世界の中で、灰島は文字通り実力で結果を出していった。


やがて一課内で不動のエースとなった、北条、そして稲取。
そのふたりの後ろに一番手でついていくのは、一課の刑事の満場一致で灰島であった。


一課の伝説・北条。
マムシの稲取
そして天才・灰島。


この3人の名は警視庁内のみにとどまらず、日本国内に知れ渡っていくのであった。


「へぇ、彼女さんも同じ刑事なんだ~。」

「えぇ。四課で今は働いてます。」

「四課で!?彼女さんがマル暴とは……恐れ入ったよ。」


幾度と無くふたりで事件を解決していくうちに、北条と灰島の間には確かな信頼関係が生まれていた。


「聞いたことあります?『氷の新堂』……。」

「あー、四課長に聞いたよ~。筋モノの怒鳴り声にも動じない、肝っ玉の据わった若手がいるって……って、もしかして……?」

「えぇ。そいつです。」

「驚いたねぇ……。カップル揃って期待の新人とは、警視庁もこれで安泰だ!」

「冷やかさないでくださいよ……。」



灰島は、自分のことを北条に話すようになった。
北条も、灰島の話は興味深く感じたのか、会話は弾んだ。

名実ともに、警視庁捜査一課の最強コンビ。
そう、周囲からは囁かれるようになった。


「ところで、どうして一課に?……やっぱり悪を許さぬ正義の塊?」


ある日、北条は灰島にこう訊ねた。
警察官になる者、動機は人それぞれである。

昔、命を救われた。
近所の交番勤務のお巡りさんが優しかった、カッコ良かった。
凶悪事件に立ち向かう姿に憧れて。
ドラマの影響
悪を純粋に許せないから。


あらゆる動機で警察官に志願し、そして警察学校でふるいにかけられる。
警察学校で、若者達はその想いがどれだけ本気なのかを確かめさせられるのだ。


「ずっと、追ってる事件があるんです。」

「警察を志す頃から?そんなに前から追ってるって……時効は?」

「とっくに時効が成立してしまってるんですが、証拠が何一つあがって来なかったんです。なにも分からないまま時効なんて……被害者は納得がいかないじゃないですか。だから、俺が刑事になって、必ず真相を暴いてやると……。」


このときの灰島の表情に、北条は何か鬼気迫るものを感じた。


「……身内?」

灰島が、驚いた顔をする。

「それだけ追いたい事件、他人じゃまず考えられないよね。身内の誰かが被害に遭った、そうじゃないかな~って。」

「……仰る通りです。妹が、暴行を受けました。」


灰島の顔が、みるみる険しくなっていく。


「まだ中学生だった妹が、当時大学生だった男に暴行された。そのせいで、妹は……。」

「……話してくれてありがとう。もういいよ。」


灰島の表情で、その先のことが容易に推理できた北条。

「妹の人生を奪った奴を、必ず俺は見つけてやりたい。逮捕はもう出来ないけど……ちゃんと詫びて欲しい。そう思うんです。それが、俺が警察官に志願した理由です。」


灰島の瞳には、炎のような強い光が見えたのであった。

灰島は、一課で事件と向き合いながら、ひとり妹の事件も追っていた。
もう時効の成立している暴行事件。
捜査技術の進歩した現代でさえ、証拠のひとつも出なかったそんな事件に、灰島はずっと疑問を抱き続けてきたのだ。

そして、北条と灰島がコンビを組んで、1年が経とうとした、ある日のこと……。


「北条さん……。」


真っ青な顔で、北条に声をかける灰島。

「どうした、ごはん食べてないの?」

北条が冗談を言う。
……が、灰島は表情ひとつ変えずに言葉を紡ぐ。


「やっと見つけたんです。犯人を……。」

「……妹さんの?」

「はい……。」


ずっと追い続けていた、妹に暴行をはたらいた犯人。
その人物が分かったことは、喜ばしいことのはず。
それでも浮かない表情の灰島に、北条は何か悪い予感を感じた。


「ちょっと、場所を変えようか……。」


恐らく灰島は、自分ひとりでは処理しきれない事案に直面してしまったのだ。
そう思った北条は、少しでも灰島の力になろうと、じっくり話を聞くことに決めた。しかし……。


「入電です!東京湾岸ビルで占拠事件発生!犯人はビル最上階に立て籠り、警察との交渉を求めている様子!犯人グループは8人!」


無情にも、事件を報せる声が事務所内に響き渡った。


「必ず話は聞くよ。僕も力になりたいからね。」

「すみません。ありがとうございます……。じゃぁ、この事件が終わったら、ウチに来ませんか?ゆっくり飲みながら話したいし……司……あぁ、彼女のことも紹介したいので。」

「お?ご馳走してくれるのかい?嬉しいねぇ!……じゃぁ尚更、さっさと事件を解決しなければ、だね。」

「……はい!」


このときのことを、北条は後悔していた。
少しだけゆっくりと、灰島の話を聞いてあげることが出来たら。
もう少し早く、灰島の異変に気付くことが出来たなら……と。


到着した東京湾岸ビル周辺は、物々しい雰囲気に包まれていた。

何度か爆発したであろうプラスチック爆弾。
粉々に砕け散った火炎瓶。

へし折られた角材など、その場で大きな抗争があったことを物語る風景であった。



「これはまた派手だねぇ……誰が犯人なんだい?」


北条が面倒くさそうな表情で近くの警備員に問う。


「はい、ずっと身を隠していた、麻薬の密輸組織のようです。なんでも、この近くの極道組織と抗争にまで発展したそうで……。」

「じゃぁ、四課も合同だね?」

「はい、ビルの反対側にいます。」


聞けば、暴力団幹部の男と密輸組織が麻薬の受け渡しをしている途中、トラブルになり抗争にまで発展したそうだ、


「一筋縄じゃ、いかなさそうだねぇ……。」

「……それで、警察との交渉って、何を犯人グループは要求してるんだろうね……。」

「分かりません。犯人グループはただ、『警察と交渉させろ』の一点張りで……。我々が近づこうものなら、あのように火炎瓶や手榴弾で牽制を……。」


「うーん、警察……誰が出ていけば満足してくれるのか。君たちだって警察官でしょ?でも、君たちではダメ……。じゃぁ、僕が行ったところで、だよね?」


『警察と交渉する』


そのたった一言が、北条には難解な鍵のように思えた。


「北条さん、相手の話に乗ってやる必要はねぇ。奴らの死角から突入して縛り上げてやれば良いじゃねぇか!」

北条、灰島と同行していた稲取が、鼻息荒く北条に言う。


「まぁ、それも一理あるんだけどね……。まずは犯人グループがどこの誰かをしっかりと見定めなければね……。」

北条のその言葉に、灰島が何かを感じ取る。


「確かに。通報では『抗争に発展した』と言っていた。しかし……その暴力団組織はどうした?逃げた?いや、暴力団が尻尾を巻いて逃げるなど、恥。メンツにかけても、ただ逃げる真似だけはしないはず……。」

「……100点だよ。戦うにしてもやられるにしても、この周辺にひとりも暴力団関係者がいないのはおかしい。その捜索も同時に行うべきだね。」


消えた暴力団組織。
そして、ビルに立て籠る犯人達の正体……。


北条と灰島は、現状の不可解さに戸惑う。


「とにかく、四課が合流したら、両方の捜索を始めよう。あとは、ビルのなかにいる犯人の特定。」

「……了解。」

「……おぅ。」


ほどなくして、捜査四課が合流した。


「やぁ熊さん。相変わらず熊だねぇ……。」

「あぁん?北条テメェ、喧嘩売ってんのか?」


パトカーから出てきた、派手なスーツ姿の大男。
彼こそが捜査四課長、熊田 力くまだ ちからその人である。
暴力団関係者でさえ恐れ、『ヤクザ狩りの熊』とも呼ばれている。


「熊田さん、ここに来るまでに新たな情報は?」

稲取も、北条と共に一目置く人物である熊田。
彼が不確かな情報で自ら動く男ではないことを、重々承知していた。


「……ねぇよ。ここに『鬼神会』の奴らがいるのは間違いねぇ。」

「……え」


熊田の言葉に、稲取が凍りつき、北条が振り返った。

「おやおや……まさかの鬼神会……。人員が足りないんじゃないの?」


鬼神会。
それは関東を牛耳る、極道組織の東の一角である。

他の極道組織が小さく見えるほどの大団体。
そんな鬼神会が、この事件に絡んでいたのだ。

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