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最終章
第112話 決着
しおりを挟む車で移動する間、和彦はひたすら困惑していた。隣でハンドルを握る里見は、ドライブを楽しんでいるかのように、気軽に話しかけてくる。しかし、降ろしてほしいと頼んでみると、首を振って拒むのだ。
恫喝してくるわけでもなく、それどころか声を荒らげることすらしない里見だが、和彦を帰したくないという確固たる意志は伝わってくる。
状況としては今まさに連れ去られているのだが、切迫感や危機感は乏しい。
里見の真意や、英俊との関係がどうしても気になるのだ。
話を聞いて、揺れる気持ちにケリがつくなら――と、どこか言い訳じみたことを、和彦は自分に言い聞かせる。
膝の上で握り締めていた手をゆっくりと開く。覚悟を決めるしかなかった。
「……結局、里見さんの思うとおりになってたんだよね。昔から」
和彦の非難がましい言葉を受け、里見は短く笑い声を洩らす。
「君には多少強引に出たほうがいいって、知ってるからね。自分からあれこれとワガママを言う子じゃなかったから」
「持って生まれた性分かな。ぼくの周囲は、そういう人……男ばかりだ」
ピリッと車内の空気が緊張する。和彦は、あえて里見の表情を確認しなかった。
車は、あるマンションの駐車場に入り、エンジンが切られる。戸惑う和彦に対して、里見は先に車を降りると、後部座席に置いた和彦の荷物を取り上げる。目が合うと頷かれ、車内に一人残るわけにもいかず、渋々和彦もあとに続く。
エントランスに入ると、里見は集合郵便受の前で立ち止まる。郵便物を取り出している間、和彦は所在なくガラス扉越しに外の通りを眺めていた。
「――静かだろ」
ふいに里見に話しかけられる。
「うん……」
「オフィス街にあるから、生活するには不便な場所なんだ。ただ、仕事に集中はできる」
「あっ、じゃあ、ここが仕事用に借りてる部屋?」
「出勤も楽だし、出張帰りとか、駅が近いから寝泊まりするにもいい場所なんだ。年相応に、家でも買おうかと考えたこともあるんだけど、独り身で、なんでもかんでも自分だけで処理していくことを考えたら、都合に合わせて部屋を行き来する生活のほうが、おれの性分には合ってるかなって」
別れてから再会するまでの里見の生活について、思いを馳せないわけではない。魅力的な外見と、仕事での有能さを持ち合わせた人物だ。出会いなどいくらでもあったはずだ。
巡り合わせとは怖いものだと、エレベーターで三階に上がりながら和彦は心の中で呟く。
足を踏み入れた里見の仕事部屋は、適度に物が多く、それでいてきちんと片付いていた。
「……昔の里見さんの部屋を思い出すなあ」
リビングダイニングで仕事をしているのか、テーブルの上には何冊もの本やファイルが積み重ねられ、空いたスペースはわずかだ。どこで食事をとっているのかと見回してみれば、どうやらキッチンカウンターで済ませているようだ。小さな食器棚には、わずかな食器類が収まっている。
その食器棚の上に置かれた、赤い花をつけたシクラメンの植木鉢を眺めていると、コートを脱いだ里見がキッチンに入る。
「そこら辺のクッションを適当に使っていいよ。ちょっと待って。今お茶を淹れるから」
「里見さん、ぼく、あまり長居は――」
できないというより、したくない。この部屋に連れてこられたことで和彦には、抗えない力に巻き取られてしまいそうな予感があった。里見と長く一緒にいることで、その力はどんどん強くなっていく。聞きたいことだけを聞いて、早く帰りたい。
「大丈夫。送っていくから」
里見が背を向けたため、発しかけた言葉は口中で消える。仕方なく和彦もコートを脱いだが、素直に腰は下ろせない。
ふと、半分ほど引き戸が開いている隣の部屋が気になった。
「……里見さん、こっちの部屋、入っていい?」
「かまわないよ。おもしろいものはないけど」
壁際に置かれたベッドはあえて視界に入れないようにして、和彦が歩み寄ったのは、スチール製の本棚だった。専門書ばかりが並んでいるかと思いきや、意外にも写真集もスペースを取っている。一冊手に取って開いてみると、国内の自然風景を撮ったものだ。
お茶が入ったと呼びにきた里見は、和彦が写真集を開いているのを見て、微妙な表情を浮かべる。
「それは――」
里見の様子から、和彦は即座に理解した。
「ああ……、そうか。これは、兄さんが置いてる本なんだ」
他人の宝物に触れてしまったような罪悪感に、慌てて写真集を本棚に戻す。食器棚の上に置かれたシクラメンの植木鉢も、おそらく英俊が持ち込んだものだろう。
英俊の痕跡がしっかりと残るこの部屋に、自分を連れてきた里見の無神経さが腹立たしかった。
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