4 / 7
第四話
しおりを挟む翌朝、ひんやりとした空気の中で、ぶるりと身を震わせて鳴海は目覚めた。どうやら、あのままうつらうつらと眠ってしまったらしい。布団も敷かずに寝入ってしまったのだから、寒気がして当然かもしれない。だが、自分で取り出した覚えのない掻巻が掛けられているのに、気付いた。
誰かが、鳴海の様子を見て掻巻を持ってきてくれたのだろう。そして、文机の横にはあの破れた着物があった。
そっと広げてみると、ほつれたところは綺麗な縫い目で再び縫い合わせてある。破れた痕跡は、目立たなかった。さらに、芳之助から借りた羽織には、ぴしりと火熨斗が当てられている。
そこへ、昨夜声を掛けておいた女中がやって来た。
「おはようございます、鳴海様。お召し物を……」
そこで、女は口を噤んだ。
「まあ、どなたかが既に繕ってくださったのですね」
明らかに、ほっとしている。失礼な、と思いながらも、鳴海はうむ、と曖昧な返事をした。
「では、私はこれで」
女中は引き下がろうとして、もう一度まじまじと着物の縫い目を手に取って眺めた。
「それにしても、見事な針目ですわね。失礼ながら、大谷家の女性の方々の手とは思えません」
「そうなのか?」
思わず、女中の言葉に釣られて鳴海は問い質した。まずいことを言った、とでも言うように、女中は首を竦めた。
「内緒にして下さいませ」と前置いてから、彼女は簡単に説明してくれた。どうやら、大谷家の女性は家風の如く、大らかな性格の女性が多いという。それらの性格からか、針仕事も機能的には何ら支障がないものの、たまに手直ししたくなるものも混じっているのだそうだ。ただし主筋に対して直言するのは失礼に当たるから、あまりにも目に余るものは、女中がそっと手直しすることもあるのだと言う。
那津が不器用なのは知っていたが、それ以外の女性たちの繕い物の出来不出来については、気づかなかった。さすが同性の目は違う。
「あら、お目覚めになったのですね。朝餉が出来ていますから、早くお召し替えなさいませ」
ずかずかとやってきたのは、玲子だった。なるほど、確かに大らかな性分である。
ついでなので女中に着替えを手伝わせ、男帯を締めて義経袴をつけると、気分も引き締まった。女中は再度鳴海に向かって頭を下げると、台所を手伝うために水屋への廊下を曲がって姿を消した。
それにしても、この仕立をしてくれたのは、誰か。女中の言葉から推測するに、心当たりのある人物は、一人しかいなかった――。
「――で、一人ではこの店に入りづらいから、私を出汁にしたわけですか」
呆れたように店先で呟いたのは、衛守である。今日は六の日で藩の公休日であるから、鳴海も衛守も、非番なのだった。二人が今やりあっているのは、中島黄山の店の軒先である。黃山は二本松藩の御用商人であるが、元々は生糸の商いから身を立て、その店先では女性向けの小物なども売っているのだった。もっとも、時には藩の探索方を引き受けたり、勘定方を通じて藩の御用金を用立てるなど、なかなかしたたかな一面も持っている男である。
女性に苦手意識があるとは言え、さすがの鳴海でも、今回のりんの細やかな気遣いには何かしら応えてやりたいと感じた。そこで、りんが喜びそうな女性向けの品物を選びに来たのである。だが、六年も鳴海から距離を取っていた上に、年の差は大きい。りんに何を贈ったらいいいのか、鳴海は途方に呉れた。そこで、比較的りんに近い年頃の娘と交際中の衛守を、連れてきたというわけである。
「義姉上に感謝の念を伝えるのに、贈り物をするというのはいい心掛けですよ。ですが、私だって女性の好みに通じているわけではないんですからね」
大の男二人が、女性用の華やかな小物を前にしてああだこうだと言い合っているのは、なかなか滑稽な絵面だった。
「こんな面倒なことをしないで、義姉上を直接お誘いすればいいではないですか」
「馬鹿。りんは俺より九歳も下なんだぞ。端から見れば、どう見たって良女を廉わす不逞の輩ではないか」
鳴海は、衛守を睨みつけた。
鳴海の容貌は、お世辞にも優しげとは言い難い。しかも、日頃から武芸で鍛え上げているから、筋骨隆々の体躯と来ている。男から見ればそれが魅力的に映るのだろうが、そんな鳴海が一回り近くも齢が離れたりんを連れた図は、どう想像してもいたいけな女性を騙す、悪人のようだった。
それに引き換え江口家の血を引く衛守は、男にしては小柄であり、顔立ちも鳴海より遥かに穏やかである。少なくとも鳴海が直接りんを連れてくるより、衛守を連れて助言をもらったほうが、よほどましというものである。
「兄上って、結構見栄っ張りですよね」
衛守も、負けじと鳴海を睨み返した。衛守は普段は穏やかなくせに、幼い頃から共に育ってきたからか、鳴海に対して割とずけずけと遠慮のないところがある。
そこへ通りかかったのは、上崎家のアサだった。例の、衛守の想い人である。
「衛守様。鳴海様。ご機嫌麗しゅう」
そう述べて軽く頭を下げるアサを見て、衛守が愁眉を開いた。
「丁度良かった。アサ殿、今日はこの後用事は?」
「いいえ」
アサは、首を横に振った。
「兄上が義姉上に贈り物をしたいというから、一緒に見立ててくれないかな」
なるほど、そういうことか。鳴海は、思わず唸った。確かに、男二人で選ぶよりも、女性の目の方が間違いない。
鳴海の唸りに一瞬びくりとした様子のアサだったが、恋人である衛守が一緒ということで、安心したのだろう。にっこりと笑ってみせた。
「鳴海様の奥様というと、確か……」
「江口家の、りん様だ。まだ二十一とお若いし、我々が選んでも、感覚が合うかどうかわからないから」
その口上は、鳴海より余程こなれている。道理で、衛守の方が恋路に関しては通じているわけだと、鳴海は腑に落ちた。だが、何となく面白くない。まったく、小さい頃は鳴海の後をついて回ってばかりいたくせに、いつの間に女性を口説く技を身に着けたのだろう。
「分かりました。任せて下さいな」
アサは、男たちを店の中に誘った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
晩夏の蝉
紫乃森統子
歴史・時代
当たり前の日々が崩れた、その日があった──。
まだほんの14歳の少年たちの日常を変えたのは、戊辰の戦火であった。
後に二本松少年隊と呼ばれた二本松藩の幼年兵、堀良輔と成田才次郎、木村丈太郎の三人の終着点。
※本作品は昭和16年発行の「二本松少年隊秘話」を主な参考にした史実ベースの創作作品です。
空蝉
横山美香
歴史・時代
薩摩藩島津家の分家の娘として生まれながら、将軍家御台所となった天璋院篤姫。孝明天皇の妹という高貴な生まれから、第十四代将軍・徳川家定の妻となった和宮親子内親王。
二人の女性と二組の夫婦の恋と人生の物語です。

あやかし娘とはぐれ龍
五月雨輝
歴史・時代
天明八年の江戸。神田松永町の両替商「秋野屋」が盗賊に襲われた上に火をつけられて全焼した。一人娘のゆみは運良く生き残ったのだが、その時にはゆみの小さな身体には不思議な能力が備わって、いた。
一方、婿入り先から追い出され実家からも勘当されている旗本の末子、本庄龍之介は、やくざ者から追われている途中にゆみと出会う。二人は一騒動の末に仮の親子として共に過ごしながら、ゆみの家を襲った凶悪犯を追って江戸を走ることになる。
浪人男と家無し娘、二人の刃は神田、本所界隈の悪を裂き、それはやがて二人の家族へと繋がる戦いになるのだった。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
拾われ子だって、姫なのです!
田古みゆう
歴史・時代
南蛮人、南蛮人って。わたくしはれっきとした倭人よ!
お江戸の町で与力をしている井上正道と、部下の高山小十郎は、二人の赤子をそれぞれ引き取り、千代と太郎と名付け育てることに。
月日は流れ、二人の赤子はすくすくと成長した。見目麗しい姿と珍しい青眼を持つため、周囲からは奇異の眼で見られる。こそこそと噂をされるたび、千代は自分は一体何者なのだろうかと、自身の出自について悩んでいた。唯一同じ青眼を持つ太郎と悩みを分かち合おうにも、何かを知っていそうな太郎はあまり多くを語らない。それがまた千代を悶々とさせていた。
そんな千代を周囲の者は遠巻きに見ながらも、その麗しさに心奪われる者は多く、やがて年頃の千代にも縁談話が持ち上がる。
しかし、当の千代はそんなことには興味がなく。寄ってくる男を、口八丁手八丁で退けてばかり。
果たして勝気な姫様の心を射止める者が、このお江戸にいるのかっ!?
痛快求婚譚、これよりはじまりはじまり〜♪

竹束(1575年、長篠の戦い)
銅大
歴史・時代
竹束とは、切った竹をつなげた盾のことです。室町時代。日本に鉄砲が入ってくると同時に、竹束が作られるようになります。では、この竹束は誰が持ち、どのように使われたのでしょう。1575年の長篠の戦いに参加した伊勢の鉄砲足軽とその家人の視点で、竹束とその使い方を描いてみました。

直刀の誓い――戦国唐人軍記(小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品で)
牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)倭寇が明の女性(にょしょう)を犯した末に生まれた子供たちが存在した……
彼らは家族や集落の子供たちから虐(しいた)げられる辛い暮らしを送っていた。だが、兵法者の師を得たことで彼らの運命は変わる――悪童を蹴散らし、大人さえも恐れないようになる。
そして、師の疾走と漂流してきた倭寇との出会いなどを経て、彼らは日の本を目指すことを決める。武の極みを目指す、直刀(チータオ)の誓いのもと。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる