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第一話

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文久元年。大谷おおや鳴海なるみ信古のぶふるは、自室で義理の甥である二階堂衛守信近えもりのぶちかと向かい合っていた。
 鳴海の家である大谷彦十郎ひこじゅうろう家は、女性が多い。何せ先々代の彦十郎、すなわち鳴海の実父である信吉のぶきちとその次の彦十郎である信義のぶよしの子らを合わせて、一時は十一人もの娘がいたのだ。それに加えて、義兄信義の妻である玲子れいこ、祖母のはなが彦十郎家の家政を取り仕切っている。信義が義兄だというのは、信義が江口家から養子に入った後に、鳴海が誕生したという事情によるものである。鳴海が大人になった今では姉妹の多くが他家に嫁いでいるが、末子である鳴海が子供の頃には、姉たちの玩具にされて育った感があった。
 鳴海の生母であるすゑは、鳴海が十四歳のときに黄泉に下った。だが、これだけ多くの女性に囲まれて育てば、母の不在を悲しむこともない。いや、むしろ女性に対して恐怖心を抱いて育ったと言っても過言ではないだろう。
 そんな鳴海の元へ、やはり江口家から嫁いできたのが、鳴海より九つ年下のりんだった。りんは六年前に輿入れしてきたにも関わらず、未だに自己主張をしない、存在感の薄い妻である。その存在感の薄さが、余計に鳴海の神経を苛立たせた。ただでさえ女性に対して苦手意識があるのに、鳴海の心中にお構いなく、鳴海が気がつくと空気の如く近くにいる。その極端さがたまらなく嫌だ。
 常日頃から女性の声が絶えない喧しい屋敷である。その中でちんまりと大人しくしているのも勘に障るし、かといって出しゃばっていたらますます鳴海の神経を逆撫でするに違いない。つまり、存在そのものが何となく気に入らないのだ。
「兄上、その言い草はないでしょう」
 衛守は、そう言って鳴海を嗜めた。衛守は信義の二男であり、甥と言っても、鳴海より三歳年下なだけであるから、弟と言った方が近いかもしれない。彦十郎家の家庭事情は複雑なため、都度説明するのも面倒だ。そのため、対外的には鳴海の弟ということで通している。衛守は信義の息子ではあるが、信吉のいわゆる「恥かきっ子」として遅くに生まれた鳴海からすれば、実の弟とほぼ同義なのだった。
「衛守、お前はどうして女に優しくできるのだ」
 鳴海は顔をしかめてみせた。衛守は近頃、上崎こうざき家のアサといい感じらしい。大谷家と上崎家では家格に大分差があるが、二本松藩では、時折身分差を越えた縁組も見られる。この先、衛守とアサは本当に結ばれるかもしれなかった。
 まことに、よくできた男だとは思う。だが、女に目尻を下げる姿は頂けない。それでも、衛守は鳴海と正反対の性格にも関わらず、武芸にも通じているところなどは、さすが戦国の世から武勇で鳴らした大谷家の男だった。衛守自身は既に長兄の信成が彦十郎の名跡を継いでいることもあり、大谷家の本姓でもある二階堂の姓を名乗っている。
「義姉上も、彦十郎家の皆によく尽くしていらっしゃるではありませんか」
  それは、鳴海も認めざるを得ない。だからこそ、何となく妻が苦手なのだ。そもそも跡取り問題として考えるのならば、鳴海より一つ下の信成が既に彦十郎を継いでいるのだから、それで十分だとも思う。一士分として一生を終えるであろう鳴海は、出来れば気楽な独り身でいたかったのだ。城中では同じ年頃の者らと談笑することもあるが、さすがに家老の縁戚を貰い受けておきながら、「妻が嫌だ」とは言いづらい。こうして鳴海が腹を打ち割って話せるのは、衛守くらいなものだった。
「兄上は、情がこわい」
 そう言って、衛守はくすりと笑った。
 そこへ、すっと茶を持って入ってきたのは、当のりんである。
「どうぞ」
 小声でそう述べると、二人分の茶を載せた盆を置いた。先程から談笑を続けている二人に気を利かして、茶を持ってきてくれたらしい。
「義姉上。痛みいります」
 自分の方が余程年上にも関わらずりんに頭を下げる衛守に対し、鳴海は軽く肯くにとどめ、そっぽを向いた。襖が閉められてりんの足音が遠のいたのを確認すると、衛守が溜息をついた。
「兄上。子供ではないのですから、礼を言っても罰は当たらないでしょう」
 衛守の言うことは、道理である。
「感謝はしている」
 鳴海はむっつりと答えた。
「だからそれを口にしても、罰は当たらないと言っているのです。言葉にしなければ、通じないこともあるのですよ」
 鳴海は、返す言葉が見当たらずに押し黙った。本音を言うと、独り身でいたかったのもさることながら、九歳年下のりんと、何を話せばいいのか分からないのだ。そんな鳴海の本音を知っている衛守は、説教を重ねる。
「もしもですよ?兄上が戦に出られて、敵にやられたらどうします。このままでは義姉上は、兄上の本心を知ることなく後家となるのですよ。兄上に嫁がれてから思いを通じ合うことのないまま後家になるのでは、哀れではありませんか」
「縁起でもないことを言うな」
 むっとして、思わず衛守を睨みつけた。確かに現在、二本松藩では安政の頃から遠く房州富津に警衛を出しているが、それでも戦乱に巻き込まれたという話は聞こえてこない。まして、二本松に戦火が及ぶなどは、想像したこともなかった。
「お前、この俺がむざむざと敵にやられると思うのか」
「そりゃあ、兄上に勝る御方はそういらっしゃらないでしょうけれどね」
 鳴海の言葉は、二本松藩をよく知らない者が聞けば自信過剰と聞こえるかもしれない。だが、決して鳴海の言葉は奢りではなかった。師範の免状こそ所持していないものの、鳴海はありとあらゆる武術に熟達しており、どの武術においてもほぼ負け知らずである。仮に鳴海が戦場に立ったとしたら、二本松藩の勇士として名を馳せるに違いなかった。
 もっとも、徳川の世になってからは長らく泰平が保たれ続けている。二本松藩の番兵も、たまに一揆鎮定に駆り出されることはあっても、戦そのものに参加することはなかった。たとえ一揆鎮定であったとしても、相手は百姓であるから、本気になれば武士には敵わない。それは、どの藩も同じであった。
「このままでは、義姉上がお気の毒ですよ。それに、父上や母上、養泉ようせん様(信吉の号)も心配なさっています」
 義理の父母や実父の名を出されると、耳が痛かった。女性は苦手だが、大谷家の体面というものもある。また、跡取りである信成がいる以上、今の鳴海はある意味居候のようなものだ。いずれは鳴海自身も独立して、別に家を構えなければならない。まして妻と不仲で子供がいないなど、論外である。
 衛守の言う事は、正論である。正論で鳴海の痛いところを突いてくるだけに、次第に腹が立ってきた。このようなときは、武芸で憂さを晴らすに限る。
 残った茶を一気に飲み干すと、鳴海は湯呑を盆に載せて立ち上がった。そのまま濡れ縁に出て、草履を突っかける。
「兄上。逃げるのですか?」
 若干の揶揄を含んだ衛守の声を背後に聞きながら、振り返らずに鳴海は答えた。
「道場へ行ってくる」
 城下には、いくつか剣術師範の道場がある。その何処かで、汗を流してくるつもりだった。
「あまり遅くならないようにしてくださいよ」
 返事代わりに右手を上げると、潜戸を抜け、鳴海は一之町にある屋敷を出た。
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