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和解

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 須賀川の城を攻め落とし、松の内が過ぎると、戦の戦功論賞について話し合われた。総指揮を取った美濃守を中心に、それぞれの手柄に応じて身分の引き上げなどを行うというのだ。
 その席で問題となったのが、民部大輔の身上だった。
 戦が始まる直前に、民部大輔は浜尾から姿を消した。だが、平時においては浜尾の経営に力を注ぎ、それなりに領民に慕われていたらしい。民部が館を置いていた相会村あいおいむらは、民部が入植してから人々を積極的に受け入れ、その人柄を慕って住む人も徐々に増えていった。
 また民部は、治部大輔の妹である千歳御前を北の方として迎え入れていたものの、治部大輔にも与さなかった。積極的に為氏方に味方したわけでもないのだが、和田方に仇を為したとも言い難かった。これを、どのように評価したものか。
「あれで、浜尾の民にはなかなか慕われております。浜尾の民も、民部様民部様と、未だに我々よりも懐いておる」
 行方の知れない民部大輔に代わって浜尾の民らの面倒を見ている源蔵は、苦笑を浮かべて一同に報告した。
「民部殿は、武勇には欠けるかもしれません。だが、為政者としては優れておりましょう。そうでなければ、あそこまで民に慕われることはありますまい」
 源蔵の言葉に勇気づけられたのか、山城守が切り出した。
「民部殿のご子息は、未だ成人の儀を迎えておりませぬ。そのような幼い子を寡夫が育てるわけがなく、千歳御前を離縁されるわけにはいかなかったのでしょうな。また、和田方に加われば妻の兄の首を取ったと非難され、治部方につけば御屋形への不義の誹りは免れなかったでしょう。民部殿が身を隠されたのも、道理というものでござる」
 山城守の言葉に、美濃守は何か考え込んでいるようだ。しばし黙考していたかと思うと、やがて、山城守の方に顔を向けた。
「山城守殿。ひょっとして、民部殿の行き先をご存知なのか?」
 山城守が頷いた。
「心当たりがある。恐らく、塩松の石橋殿を頼っておられるのではないか」
 塩松は、現在の二本松市の東和地区に当たる。山城守によると、民部は元々塩松を支配している石橋氏と交流があったというのだ。須賀川からは若干の距離があるが、一日あれば訪える距離である。戸惑っている図書亮に、舅の下野守が説明してくれた。奥州管領大崎氏の支族であり、京都扶持衆の一派である。鎌倉からの扶持を受けている二階堂とは対立関係にあった時期もあるが、一色家と同じ様に足利の血を引く一族だった。
 民部が名族の庇護を受けているとなれば、二階堂家としても迂闊に手出しできない。
「石橋殿の元で朽ち果てるならば、それでもよろしかろう」
 日頃は快男児であるのに、遠藤雅楽守は皮肉めいた物言いをした。どうも、出水の時の呑気な言動を未だに根に持っているらしい。
「まあまあ」
 取りなすように、安房守が雅楽守を宥めた。さらに、山城守が言葉を重ねた。 
「現在では石橋殿の下へ身を寄せているとはいえ、民部殿は二階堂の御一門。御屋形に弓を引かなかった一事を鑑みても、叛心のないことは明らかだ。負目を感じさせることなく再び召し出して一城でも任せれば、向後は御屋形のために役立とうとするのではないか」
「なるほど」
 安房守が、膝を打った。下座で聞いている図書亮には、甘過ぎる処置のように感じられたが、戦後処置としては、それも間違いではないだろう。治部大輔の場合と異なり、民部には咎められるべき罪は少ない。強いて挙げるならば、浜尾の領営を放棄したくらいか。
 さらに、山城守は言葉を続けた。確かに民部は治部大輔の妹姫である千歳御前を北の方に迎えたが、為氏も治部大輔の娘を妻として迎えた。民部も為氏も、そのことの本質に大差はないのだから、千歳御前を迎え入れたというだけで叛心のない伯父を討ったとあれば、却って御屋形の評価を下げることになるだろう。
 そう言うと、山城守はちらりと図書亮の方を見た。その視線にどのような意味があるのか。何となく癇に障り、図書亮は視線を伏せた。
「山城守殿の申されることは尤もである。治部大輔のことはともかく、甥御が罪のない伯父を討ったとあれば、外聞も悪い。元々民部殿は俠気のある御方だ。再び二階堂の一門として御屋形をお支え頂くのが宜しいのではないか」
 どうやら、安房守は再び民部大輔を迎え入れるのに、賛成のようだ。先の戦で和田の者も多くの人材を失った。これ以上、無用に血が流されるのは防ぐべきだと考えているのだろう。また、民部の庇護を理由として石橋家に二階堂の内政に口を挟まれるのを、嫌ったのかもしれなかった。
 一同の話を静かに聞いていた美濃守が、顔を上げた。
「この話は、二階堂一門の根幹に関わるお話だ。二階堂惣領である御屋形の判断を仰ぐのが筋であろう」
 美濃守の言う通りである。そこで、源蔵が岩間館へ為氏を呼びに行った。須賀川の城は焼けてしまったため、新しく須賀川に城ができるまで、為氏は従来通りに岩間館に住んでいる。
 為氏は、どこかさっぱりとした面持ちで合議の場に現れた。
「北沢の伯父上には元々恨みなどない。浜尾の民に慕われていたというから、良き領主だったのだろう。そのようなお人柄であれば、喜んで須賀川にお迎え致そうではないか」
 そこでこの和解案を提案し、かつ民部の所在を掴んでいるらしい山城守が、塩松に民部を迎えに行くことになった。

 山城守は早速その日のうちに、塩松に向けて馬を走らせた。図書亮が須賀川に下向してきた頃に、散々民部大輔の有り様を聞かされたからだろうか。あのときに詳らかに状況を教えてくれたのは、やはり安房守と山城守だった。その時と比較して手のひらを返したような態度に、若干の不信感が拭えない。だが、為氏が受け入れると決めたからには、図書亮が口を挟めることではなかった。
 翌日、峯ヶ城の門前に山城守と民部の姿があった。この日は四天王らも須賀川の復興を一旦家臣らに任せ、和田にやってきていた。
 民部は、やはりどこか落ち着かない様子で視線を泳がせている。それを受け入れる和田の者らも、様々だ。嘉例であるという者、民部に胡乱な視線を投げかける者。
 図書亮はというと、どちらでも良かった。首魁の治部大輔を斃したのだから、後は正当な二階堂氏の惣領である為氏についていくのみだ。
 為氏が上座につくと、民部は深々と頭を下げた。
 民部は正月の挨拶も兼ねて、予め用意していたのだろう。三つ盛亀甲の花菱を染め抜いた老緑おいみどり素襖すおうを身に着けている。岩間館と結ぶ廊下を渡ってやってきた為氏は、やはり濃色こきいろに庵木瓜を染め抜いた素襖を着ていた。
「御屋形。この度は再びお目もじ叶い、恐悦至極に存じます」
 そして、その両眼からはぽたぽたと涙がこぼれ出ていた。傍目から見れば通常の甥と伯父の対面であるが、民部なりに感じ入るところがあったのだろう。
「伯父上。もう過ぎたことです。このめでたい席に、涙は不要。愉快に飲み明かそうではございませんか」
 にこりといなす為氏に、民部が顔を上げた。為氏が、美濃守の家老である安藤左馬助に目で合図を送ると、左馬助はすっと席を立って酒膳の用意をしに行った。
 しばし待っていると、正月らしく三宝に乗せて酒器が運ばれてきた。為氏が盃の一つを民部に手渡し、銚子から民部の杯に注ぐ。民部がそれを受けて一息に煽ると、その盃を為氏に渡し、同じ動作が繰り返された。仲直りの盃というわけである。
「これだけではつまりませぬな」
 為氏は、よほど機嫌がいいと見える。何を思ったか、着ていた濃色の素襖を脱ぐと、それを民部に差し出した。図書亮は、思わず感嘆の溜め息をついた。
「一色殿。あれはどのような意味で?」
 側にいた箭部紀伊守が、図書亮に尋ねた。須賀川では共に戦った、りくの従兄弟である。
「あれは、衣を交換することで縁を深めようという意味があるのです。古の物語などで、後朝の別れの場面でよく出てきますでしょう?」
「なるほど」
 図書亮の説明に、紀伊守も深々と頷いた。二人の眼の前では、民部が慌てて自分の着物を脱いでいる。為氏はそれを受け取ると、袖を通して改めて衣装を整えた。衣装がそっくり取り替えられ、為氏は海老茶、民部は黒の着物に装いが改められた。
「過去の怨恨を越えて、二階堂一族としてまとまろうということか」
 図書亮がこの地に来たばかりの頃に聞かされた、東衆と西衆の怨恨。和田衆と須賀川衆の対立の背後には、その感情的な対立も複雑に絡んでいた。為氏と三千代姫の婚姻では叶わなかった怨恨の解消を、二階堂一族の惣領となった為氏は、家臣たちの眼の前で暗黙の内に宣言してみせたのだった。もはや子供ではなく、一端の政治家である。
「民部殿。これからのことであるが」
 主に代わり、美濃守が改まった口調で告げた。
「民部殿は一度は浜尾の地を離れられた。それ故、再度浜尾を治めてもらう、というわけには参りませぬ」
 美濃守の言葉に、民部はやや肩を落とした。一度浜尾を抜け出したものの、元々その土地を愛おしみ、鎌倉での居住地の名をつけていたくらいである。民部が落胆するのも無理はなかった。
「白方郷の明石田の西に、広い野の原がある。あの辺りは岩瀬と安積の搦手だ。浜尾の民らに慕われたその腕を、今度は明石田の地で振るってはもらえませぬか」
 その言葉に、はっと民部が顔を上げた。
 図書亮は、内心唸った。なるほど、上手い手を使うものである。隣の領地には安房守がおり、また、須田一族から信頼されている国人の明石田左馬助もいる。南に隣接するのは須田兄弟の三男、須田三郎兵衛が治める袋田。為氏らは民部に恩を売りつつ、二度と民部がふらふらしないように、人員が配置されたのだった。これならば、たとえ北から伊東の手が伸びてきたとしても、民部がやすやすとは寝返ることはないだろう。
「まことに、勿体ないお言葉でござる」
 本気で感動したらしい民部の様子に、安房守がひっそりと苦笑を浮かべているのを、図書亮は確かに見た。
「伯父上。浜尾の民は未だに伯父上のことを慕っておられるとの由。これも、伯父上が岩瀬の地に縁があったということでしょう。今後、民との縁の証として浜尾の姓を名乗られては如何か?」
 為氏の提案に、民部は相好を崩した。
「それはまことに有り難い。これからは、浜尾と名乗りましょう。御屋形の御恩、浜尾一族の末代まで伝えて参ります。正月には、今日の寿ぎの験として、御素襖引きを行わせましょうぞ」
 民部も、自分のした行為が格別咎められることなく、再度二階堂一族として迎えられたのが余程うれしかったのだろう。この言葉通り、浜尾家では正月十一日に、嘉例として「御素襖引き」が行われるようになったという。

「堅苦しい話はこれくらいにしよう。皆の者、後は無礼講と致す」
 ぱん、と為氏が両手を打ち合わせた。それを機に、がやがやと家臣たちが思い思いの場所へ散っていく。あちこちで円座ができ、峯ヶ城の女たちが給仕をしている。時折、美濃守が何やら安藤に耳打ちしながら、この宴を取り仕切っているのが目に入った。須賀川の街が再建されれば、為氏も宿願だった須賀川城に入る。既に家臣たちのための奉公人町が作られることも決まっており、恐らく峯ヶ城で皆で飲んで騒ぐのは、これが最後になるだろう。
 眼の前には、山海の珍味が持ち込まれており、めでたい席であるということで、干した鯛の焼き物もあった。さすがに新鮮な鎌倉の鯛には風味が劣るが、図書亮にとっても久しぶりの海の味だった。
 図書亮は、箭部紀伊守、須田源蔵らと席を囲っていた。少し離れたところでは、忍藤兵衛が須田秀泰の配下である樫村らと酒を酌み交わしている。
 久しぶりの鯛の味は、やはり美味だ。三年以上も須賀川にいるのだからすっかりこの地に馴染んだかのように錯覚するが、幼い頃より慣れ親しんだ味は、そうそう忘れられるものではない。
「――御屋形も、海の物を口にされるのは久しぶりであろうな」
 思わず、そんな感想が図書亮の口をついて出た。
「そうなのか?」
 源蔵が、訝しげに尋ねた。
「須賀川では、滅多に海の物を口に出来ないからな。私も久しぶりに口にした」
 笑いながら銚子を片手にやって来たのは、何と主の為氏である。思わず平伏しかけた家臣らに対し、為氏は片手で制した。
「たまには、若い者同士で飲みたいときもある。美濃守らに見つかるとうるさいから、騒がないでくれ」
 珍しく、為氏の若者らしい愚痴を聞いて、図書亮は笑みを零した。確かに、日頃は謹厳な美濃守を筆頭に、老臣に囲まれている為氏である。三千代姫を失って以来、若い者と親しく語り合うこともなかったのだろう。三千代姫を失ったのは、その意味でも大きな痛手だったに違いない。もっとも、三人とも為氏よりは遥かに年上なのだが。
「御屋形。よく民部殿を許される気になりましたね」
 率直に疑問を呈したのは、紀伊守だ。紀伊守も、箭部一族として先鋒の一陣を預かり、獅子奮迅の働きを見せた。箭部一族の戦死者の全てを把握しているわけではないが、彼も多くの身内を失ったに違いない。
「そうだな……」
 為氏は微かに眉根を寄せた。
「伯父上は弱いところもおありかもしれぬ。だが、私を害そうとしたことは一度たりとてなかった。その御心をもう一度信じてみようと思う」
 源蔵が、じっとその言葉に耳を傾けている。
「それに、私にとっては唯一血の繋がる御方だ。やはりどのような経緯があろうと、無下には出来ぬ」
 為氏の言葉は、図書亮にも痛いほど理解できた。図書亮も、永享の乱で父を失い、宮内一色家の家臣団は瓦解した。この地にやってきてりくという妻を得たが、やはりいくつになっても身内は尊い。
 背後で、嗚咽の声が聞こえた。ぎょっとして図書亮が振り返ると、そこには民部大輔の姿があった。先程為氏から賜った着物の袖口で目頭を拭い、せっかくの上等の着物が台無しである。
「伯父上。そこまでお泣きにならなくとも」
 さすがの為氏も、苦笑している。
「失礼。御屋形がお優しい方だというのは、幼少の頃より良く存じておりましたが……。昔日のように、伯父と甥として語り合うことも、久しくなくなってしまった……。御屋形は、亡き大殿によう似て参られましたな」
 民部大輔はそう言うと、再び袖口で目元を脱ぎった。
 その声色は、確かに身内そのものの言い方だった。そして、ようやく為氏の他に三人の若者が着座しているのに気づいた様子で、改めて頭を下げた。
「源蔵殿も、ご立派になられました。そして、そちらは箭部……」
 幼い頃治部大輔に抱かれたこともあるという源蔵は、民部とも顔見知りだったらしい。源蔵は、苦笑しながら会釈を返し、下の名前を思い出してもらえなかった紀伊守は、改めて紀伊守を名乗っていた。
 最後に、民部は図書亮と視線を合わせた。
「そなたは一色殿であったな。御屋形の御成婚の折に、ご自身も安房守殿の姪御を娶られたとか」
 図書亮も名を名乗り、会釈を返す。民部が図書亮を覚えていたのは、意外だった。図書亮が民部と話をするのはこれが初めてである。
「図書亮は、あと二ヶ月ほどで、ようやく父になるそうです」
 源蔵の説明に、民部が何度も頷いた。もっとも、そういう源蔵はとっくに三児の父である。紀伊守も鹿嶋館に妻子がおり、須賀川城攻めのときは紀伊守の北の方が女衆を指図して、男たちの戦支度を手伝っているのを図書亮は見かけていた。
「伯父上は、最後まで千歳御前を見事お守りになりましたな」
 為氏がほんの少しの羨望と寂しさを漂わせながら、民部に語りかけた。だがそれに対し、民部は首を横に振っただけだった。
「千歳は愛おしい。また、あの通りの容貌の持ち主ではありますが、一介の姫に過ぎませぬ」
 為氏の婚礼のときに見た千歳姫の容貌を、図書亮は思い出そうとした。確かに美人だった。だが、と民部は続けた。
「治部大輔殿は、恐ろしい御方だった」
 ぶるり、と民部が身を震わせた。
「確かに、治部大輔は手強い相手でした」
 源蔵が苦々しげに相槌を打った。須賀川城の決戦で、治部は三人の眼の前で女たちを刺殺し、目の前で腹を斬ってみせた。須賀川の真の主は、自分であると最期まで主張していた。源蔵はそのように説明を重ねた。
 為氏が、興味深げにこちらを見ている。美濃守と共に愛宕山本陣にいた為氏には、初めて聞く話なのだろう。
 だが、民部は源蔵の言葉に苛立たしげに首を振った。
「いや、そういうことではない。治部大輔殿の本当の恐ろしいところは、己の目的を達するためであれば、意のままに相手を操り、仏にも悪鬼にも変幻自在であるところであった。千歳も三千代姫も、間違いなく兄や父を慕っておっただろう。姫等に対しては、治部殿は良き兄であり、父であった」
 その言葉に、為氏の顔が歪む。為氏も、三千代姫を送り返した時点で、戦への予感はあったのかもしれない。だが、まさか治部大輔が姫の行列と知りながら襲撃してくるとは、夢にも思わなかっただろう。治部大輔の思考は、常人の遥か斜め上を行くものだった。
 図書亮も、民部の言葉で思い出されることがあった。あの出水の際に、四天王らは「治部大輔は、出水の多い土地と知っていながら、民部に北沢の土地への移住を勧めたのではないか」と疑っていた。鎌倉からの詮議を躱すために民部を宥め透かし、いざとなれば捨て駒にするつもりだったのではないか。守屋筑後守は、図書亮にそのように説明してくれたのだった。
「だがこれから政に関わっていけば、そのような者等と関わっていく機会も出てこよう。その時には、ゆめゆめ人の心をお忘れあるな」
「人の心……」
 戦の前に、図書亮は藤兵衛から「言葉の割に脆いところがある」と指摘されたばかりだった。だが、民部の言葉は、それを否定するものなのか。それとも理性を超越して尚、人としての情を忘れるなと述べているのか。
 図書亮が思いに耽っている間に、他の四人は民部と話が弾んでいた。とりわけ源蔵は、浜尾の地について熱心に話し込んでいる。どうも、浜尾の地はこのまま源蔵が管理を引き継ぐことになるらしかった。そのため、訊いておきたいことも山ほどあるのだろう。和田方と治部大輔の剣呑な空気を察して民部が浜尾から消えた後、浜尾の民の世話をしてきたのは、源蔵である。
 いつの間にか他の四人の顔つきは為政者としてのそれに変わっており、未だ陣借りをしているだけの図書亮は、自ずと聞き役に回るしかない。
 話はさらに変わっていき、民部がなぜ浜尾を抜け出したかという話題に移っていた。民部によると、出水の後に治部大輔が他の地域の民の為に救いの手を差し伸べなかったという知らせがもたらされたときは、さすがの民部も、戦を覚悟したという。だが心の奥底では治部を恐ろしいと思いつつ、建前上は義理の兄である。かと言って、為氏に弓を引けば、たちまち源蔵らの軍勢が四半刻もしないうちに浜尾に駆けつけただろう。息を潜めるようにして三日ほど待ってみたが、為氏からは何の音沙汰もない。いよいよ為氏が怒っているかと思い、進退極まった。覚悟を決めて腹を切って和田方の怒りを鎮め、少しでも家臣の命を救おうとしたところ、家老の佐藤や後藤に窘められたというのである。
 最初両人は、民部にみすみす腹を斬らせたら、面目が立たず命を全うできないと訴えたのだった。
「我等も民部様に殉じて、命を捨てるのは容易いことです」
 そう述べたのは、佐藤だった。だが、その後の弁舌が振るっていた。
「西伯は菱里に逃れ、晋の文公や翟公も国を追われました。どの先人も皆、王道覇道を問わず死を許されなかったものです。晋の文公などは范蠡が書き残しているように、越王勾践から受けた恥辱を晴らさんと、敢えて死を選ばず会稽の恥を雪ぎ、国を復活させました」
 さらに、佐藤は民部が自害することになれば、それは為氏を敵と見做したことを意味してしまう。却って和田方の恨みを買うだろうと指摘したというのだ。
 そこで、せめて為氏方に浜尾の地を丸ごと差し出し、忠義の証を見せようとしたというのだ。
 その言葉に、困ったように源蔵が頭を掻いた。確かに、民部の後始末をしたのは源蔵で、三千代姫離縁が切り出された席でも、そのことを指摘していた。だが、民部の家臣の忠義心には感心したらしい。元々陽気な気性の源蔵である。民部の振る舞いに一時は立腹していたものの、恨むほどではないのだろう。
「確かに、命を捨てるだけが忠義ではござらぬ。主の命を全うさせようとするのも、また忠義の証。伯父上は、良い御家来を持たれましたな」
 為氏は、感じ入ったように寿ぎの言葉を述べた。その言葉に、他の者も頷く。
 あの須賀川との戦以来、為氏は少し変わった気がする。以前は家臣の勢いに押されることが多かったのが、為政者としての器が見えるようになってきた。
 それに引き換え、自分はどうだろう。戦働きでは確かに功を挙げたが、須賀川との決着もついた今、いつまでも陣借りのままではいられない。為氏の言葉に、図書亮は軽い焦燥を覚えた。

 民部大輔を迎えての宴から数日後、合議の場でそれぞれの新しい領地の発表が行われた。
 あの梶原の首を取ってきたのだ。須賀川城との膠着状態を打破するきっかけを作ったのは、図書亮らの働きも大きい。当然、期待するものはあった。
「――ところで、一色殿」
「はっ」
 相変わらず謹厳な美濃守の声は、いつもと何ら変わることがなかった。
「此度の戦での功により、取木村とりきむらを治めてもらいたい」
 念願の、土地による恩賞だった。だが、取木という村は聞いたことがない。やや上座に座っている舅の顔を見ると、微妙な表情をしている。
 図書亮は、合議が終わった後に舅を捕まえて尋ねた。
「下野守さま。取木村とはどの辺りなのでしょう」
 下野守は、図書亮に説明するのを躊躇していたが、やがて渋々といった体で説明してくれた。
「広沢山はご存知かな?」
「いいえ。和田から離れた場所だというのはわかりますが」 
 嫌な予感がする。ひょっとして名前からして、かなり外れの方ではないか。
 図書亮の予感は的中した。
「広沢山は宇津峰の南東にある山だ。取木村は、その北西にある村邑を指す。広沢山には甘露寺観音堂もあり、また、田村庄との境にも近い。先立ってのお主の武勇を見込んで、その土地を任せたいのかもしれんが……」
 思わず、呻きそうになった。建前としては、確かに筋が通っている。また、二階堂家中では新参者なのだから、ある程度辺鄙な土地を与えられるのは、止むを得ないだろう。だが、功績の割に恩賞が少なすぎるのではないか。
「……後は、家に戻ってからりくにでも訊くがよい」
 下野守は気の毒そうな顔を作り、小声で告げた。その様子からすると、まだこの場では言えないことがあるのだろう。他の家臣の耳目もある。図書亮は渋々頷いた。
 帰宅後、りくに「取木村を賜った」と告げると、りくも微妙な顔をした。
「取木村ですか……」
 りくの言葉の響きからすると、あまり望ましくない土地なのだろうか。
「下野守さまのお話で、山間にあるというのは伺った」
 山にあるということは、領地の見回りなども苦労が多いに違いない。
「それだけではなく……。あの辺りは地味が痩せていると聞いたことがあります」
 りくは、困った顔を見せた。釣られて、図書亮も眉根を寄せる。
 土地が痩せているということは、農民もあまりおらず、税収が期待出来ないということだ。他の家臣の面前ではさすがにそこまで指摘できず、下野守としては、精一杯聞こえの良いように図書亮に説明してくれたのだろう。徴税権は図書亮にあるから、一色家の家計にも影響を及ぼす。
 この四年余り、家名を上げ、少しでも妻の生活を楽にしてやりたいと思っていた図書亮としては、気勢が挫かれる思いだった。
 命懸けだったあの戦いの結果が、これか。

「美濃守さまに、申し上げてみる」
 どうにも腹が収まらず、翌日、図書亮は峯ヶ城に戻ってきていた美濃守を捕まえようと、その居室を訪ねた。訪ってみると、丁度安房守も同席していた。どうやら、二人で須賀川領内の新しい割り振りについて話合っていたらしい。
「これは、婿殿。如何なされたかな」
 相変わらず笑顔を絶やさず、本音が読めない安房守である。
「新領についてのご相談がございます」
 思い切って切り出したが、美濃守はちらりと視線を投げかけたのみだった。
「せめて、和田に近い場所を管理させていただけませんでしょうか」
 りくの出産も間近なのである。一色家としてはこれからますます物入りになるのだから、少しでも作物の上がりの多い土地を分けてもらえないと困るのだ。
「これは、既に決まったこと」
 美濃守は一瞬筆を止めて図書亮の方を見たが、再び手元の図面に視線を落とした。その視線を追うと、堤の辺りに「忍」という文字が見えた。どうやら、幼馴染は源蔵の配下として組み入れられ、その一角の所領が貰えるらしい。視線をずらしていくと、その図面の遥か右端の方、小塩江の辺りに「取木」の文字を見つけた。確かに宇津峰の麓であり、作物の上がりは期待できなさそうである。
 同じ時期に二階堂家臣団に入った幼馴染の土地と比較しても、随分と扱いに開きがあるではないか。
「あの戦いで功を挙げたのは、一色殿だけではない。塩田殿も手柄を上げられ、所領安堵をせねばならぬ」
 図面に新たに「塩田」の文字を書き入れながら、美濃守が平坦な声で告げた。
 塩田一族は、やはり須賀川に昔から住んでいる一族である。所領の配分からすれば、図書亮の隣人ということになるだろう。だが、納得できないものはできない。
「一色殿。あの辺りは田村領との境に近い。田村への備えが重要なのは、承知しておろう」
 安房守が横から口を添えた。どうやら安房守も、美濃守の考えに賛成のようである。それも、図書亮の不満に油を注いだ。今まで散々「婿殿」と持ち上げていたのに、この期に及んでわざわざ「一色殿」と呼びかけた安房守に、どこか作為的なものを感じたのだ。
 初めて、図書亮は安房守に反発心を感じた。それを安房守も察したのか、束の間、剣呑な空気が漂う。
 空気が変わったからだろうか。美濃守は、ようやく図書亮と視線を合わせ、眉を上げた。
「もしも取るべき首を取り落としていなかったのならば、和田に近い所領を差し上げたであろうがな。今はこれで堪忍されよ」
 美濃守の言葉に、図書亮の首筋が粟立った。
「美濃守殿。一色殿は梶原の首を取ってまいりましたが……。ご自分で討たれたわけではないので、功として落ちるということではなかったのですか?」
 話が違う、といった体で安房守が首を傾げた。どうやら、安房守は美濃守の胸中全てを伝えられたわけではないらしい。
「まあ、そういうことですな」
 美濃守は、口元に曖昧な笑みを浮かべてみせた。
 だが、図書亮には美濃守の言わんとしていることを即座に理解した。美濃守の言う首とは、梶原の首ではない。美濃守は、図書亮が治部大輔の息子である行若を見逃したことを知っている。告げ口をしたのは、あの牛頭に違いなかった。
 牛頭は、戦場における一介の忍びだと図書亮は思いこんでいた。だが、やることに手が込みすぎている。なぜ、このような真似を……。
「一色殿。お話はもうよろしいですかな」
 美濃守の言葉に、図書亮ははっとした。美濃守にあの一事が知られている以上、図書亮に交渉の余地はない。黙って引き下がるしかなかった。
「まだこれから功績を立てる機会はあろう。まずはこの地の内政について、ゆるりと取り組まれよ」
 図書亮が諦めたのを見て、安房守は再びいつもの人の良さげな笑みを浮かべた。だが、この箭部一族の長も一筋縄ではいかないことを、四年あまりの付き合いで図書亮も理解していた。唇を噛みしめ、頭を下げてすごすごと美濃守の部屋を退出した。
(古狸め……)
 奇しくも、その古狸の弟の住む地名は狸森である。図書亮に説明してくれたときの素振りを思うと、まさか舅まで噛んでいるとは思えないが、やはり気分はよろしくない。
 せめてもの救いは、須賀川の街の奉公人町に、新しい屋敷を賜ることくらいだろうか。
 それにしても、りくにどのように説明したものだろうか。図書亮は、頭を抱えた。
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元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

薙刀姫の純情 富田信高とその妻

もず りょう
歴史・時代
関ヶ原合戦を目前に控えた慶長五年(一六〇〇)八月、伊勢国安濃津城は西軍に包囲され、絶体絶命の状況に追い込まれていた。城主富田信高は「ほうけ者」と仇名されるほどに茫洋として、掴みどころのない若者。いくさの経験もほとんどない。はたして彼はこの窮地をどのようにして切り抜けるのか――。 華々しく活躍する女武者の伝説を主題とし、乱世に取り残された武将、取り残されまいと足掻く武将など多士済々な登場人物が織り成す一大戦国絵巻、ここに開幕!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

九州のイチモツ 立花宗茂

三井 寿
歴史・時代
 豊臣秀吉が愛し、徳川家康が怖れた猛将“立花宗茂”。  義父“立花道雪”、父“高橋紹運”の凄まじい合戦と最期を目の当たりにし、男としての仁義を貫いた”立花宗茂“と“誾千代姫”との哀しい別れの物語です。  下剋上の戦国時代、九州では“大友・龍造寺・島津”三つ巴の戦いが続いている。  大友家を支えるのが、足が不自由にもかかわらず、輿に乗って戦い、37戦常勝無敗を誇った“九州一の勇将”立花道雪と高橋紹運である。立花道雪は1人娘の誾千代姫に家督を譲るが、勢力争いで凋落する大友宗麟を支える為に高橋紹運の跡継ぎ統虎(立花宗茂)を婿に迎えた。  女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。  だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。  その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。  島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。  その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。    

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