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須賀川下向
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貧乏籤を引いた。
それが、一色図書亮の正直な感想だった。ため息しか出てこない。どうして、こんな鄙の地に足を踏み入れることになってしまったのだろう。
図書亮は名字からも分かるように、名門一色家の血を引いている。一色家は鎌倉時代に北条氏に睨まれ御家を潰されそうになったところを、足利家にとりなしてもらったという。そのため足利家には絶対忠誠の誓いを立てているのだった。一色家の祖である公深は鎌倉幕府に仕え、さらにその孫である直氏は、足利尊氏に仕えて鎮西探題の役目も拝領した。さらに九州が平らげられると関東の所領に戻ってきて、鎌倉公方に仕える「宮内一色家」の祖となった。
ここまではまあ良かった。ついていなかったのは、近年である。
そもそもは、幕府の開祖である足利尊氏公が、当時南北朝の対立から南朝の残党勢力への備えとして、「鎌倉公方」の役職を設けたことによる。この鎌倉公方の初代の座には、二代目将軍義詮公の弟君である「基氏」公が就任した。
図書亮の父の時家は、一族である直兼共々、鎌倉公方である足利持氏にたいそう信頼され、相模守護に任じられた。だが、その持氏は京都にいる六代将軍義教と、悉く対立した。
そればかりではなく、時家が任じられた相模守護の任命権は京都の幕府が持つものであり、この人事は鎌倉府の独断だった。これも永享の乱の遠因の一つである。
さらに、初代鎌倉公方基氏の息子である氏満は、一説によると「将軍」になることを約束されていたという。だがその約束は果たされず、氏満は長男の満兼に後を嗣がせた。だけでなく、その弟である「満貞」を須賀川にある稲村御所に、さらに「満直」を安積郡にある「篠川」に派遣した。表向きは「南朝の残党勢力に睨みを効かせる」という事だったが、奥州の勢力を掌中にし、上方の幕府に対抗するとの意図も会ったのだろう。特に稲村公方は、当時既に須賀川の領主として自他共に認められていた「二階堂氏」の後ろ盾を得て、稲村に新たに館を築いた。二階堂氏と鎌倉公方の「足利家」の縁は、このときから深まっていたのである。
二階堂一族は、刑部行嗣の時代には一族を挙げて起誓文を稲村公方に差し出すなど、鎌倉公方からも「信頼できる一族だ」と認識されていた。
だが、その稲村公方は先年の「永享の乱」で持氏と共に、鎌倉で命を散らした。
早い話が、この「永享の乱」で持氏側についた一族は、言わば「負け組」である。だが、「二階堂家は鎌倉以来の名家であり、多少負けを蒙ったとしても、なんとかしてくれるだろう」という打算から、彼等の一族郎党の他にも、「旗本」としてこの岩瀬への下向に加わっている者たちもいたのである。
そんな沈んだ気分とは裏腹に、天気は良い。
時は弥生十三日。鎌倉を発ってから六日目にして踏んだ「岩瀬」の地は、とても戦乱が待っているとは思えない土地だった。うらうらと暖かな日であり、鎌倉よりも「みちの奥」の感が強い岩瀬地方でも、のんびりとした空気が漂っている。
「おい、ため息をつくな」
隣を歩いていた忍藤兵衛が、肘で図書亮の脇腹をつついた。
「美濃守様に叱られるぞ」
「ふん。美濃守殿は為氏公のお守りで手一杯だろうよ」
藤兵衛の言う所の「美濃守」というのは、須田美濃守のことに違いなかった。実質、須賀川二階堂家臣団の牽引役である。
そもそも、一色家は足利一門に系譜を連ねる名門である。血筋の折り目の正しさから言えば「二階堂家」にも引けをとらないのであり、藤兵衛の言うところの「美濃守」は、一色家から見れば陪臣にも等しい身分だ。
とは言え、今隣を歩いている藤兵衛は鎌倉で幼い頃から共に過ごしてきた仲だ。彼も血筋からすれば、一色家よりも格は落ちる。
それを思えば、ここで身分がどうのこうの並べ立てても、野暮なだけだろう。
藤兵衛は鎌倉居住時代、彼の父が須賀川にいた稲村公方に仕えていたこともあり、早くから二階堂家の家中の者とは顔見知りだったらしい。鎌倉にいた時分に藤兵衛が語った所によると、忍氏は「白川結城氏」の血を引いているという。藤兵衛が二階堂氏を頼ったのは、その関係もあるのかもしれなかった。
また、稲村公方は岩瀬地方における鎌倉府の出先機関であり、出羽・奥羽の守護大名や探題のまとめ役でもあった。永享の乱でその稲村公方が消滅し、さらに結城合戦で結城氏が悉く誅されたのは、藤兵衛にとってはかなり衝撃的な出来事だっただろう。
さらに、一旦は幕府側についた「篠川公方」も、永享十二年、有力な家人であった結城氏朝らの呼びかけに応じた畠山・石橋・伊東・蘆名・田村・石川の連合軍に亡ぼされた。
つまり現在、南奥における「鎌倉府」の出向機関、即ち「奥州府」は壊滅しているのである。
――そこへ、為氏一行はのこのことやってきた。
「そもそも、何で為氏公が岩瀬に下向することになったんだよ」
図書亮は、藤兵衛に小声で尋ねた。さすがに、二階堂一門の耳に入っては拙い話だろう。
「うーん。何でも、発端は為氏公のお父上が亡くなったのが、始まりだったとのことだ」
「そうそう。昨年嘉吉三年に、お亡くなりになられたらしい。その前年に、須賀川城を途中まで築城されていたというから、元々こちらに骨を埋めるつもりだったのかもしれんな」
脇から、倭文半内が口を挟んだ。この男も元々は下野国出身であり、足利家の家来筋である。
半内の言葉に、藤兵衛がしたり顔でうなずいた。
「ふうん。で、為氏公は今いくつだっけ?」
二階堂家中の中では比較的新顔である図書亮は、新しい主のことはよく知らなかった。
「お前なあ。主となる方のお歳くらい知っておけ」
そう言いつつも、半内は「今年で十三になられる」と教えてくれた。
「十三!?」
思わず、大声が出てしまった。途端に、周りの武士にぎろりと睨まれる。図書亮は、慌てて首を竦めた。
十三と言ったら、まだ子供ではないか。そんな子供に、よくついていこうと決意したものだ。自分も、藤兵衛も半内も。
いや、それは他の面々も同じに違いなかった。
「お人柄は優れていらっしゃるとのことだ」
藤兵衛が、とりなすように述べた。
「子供の人柄が当てになるかよ」
「お主、ひねくれ過ぎだ」
半内が笑った。
「何か、御屋形様のことで気になることでもあるのかな?」
向こうから馬首を巡らせて、人好きのする男がやってきた。反射的に、図書亮は頭を下げた。相手は明らかに図書亮とは格が違う。馬に乗ってやってきたところを見ると、二階堂一門衆か四天王の一人に違いなかった。
「いえ。図書亮は鎌倉に住んでいたときには二階堂家の皆様と交わることがありませんでしたから、まずは御屋形様のお人柄を知っていただきたく……」
半内が、慌てて取り繕ってくれた。
「ふむ。それなら儂から説明しようか」
相手はにこにこと人の良さげな笑みを浮かべている。だが、その目は笑っていないことに、図書亮は気づいた。
「儂は、箭部安房守。これでも、二階堂家では家老を勤めている」
自ら名乗ってくれて助かった。やはり四天王の一人だった。これが舐めた態度を取り続けていたら、手打ちにされても文句は言えないところだっただろう。見たところ、年は四十路半ばか。さらに、彼の後ろからもう一人武将が現れた。こちらはすっかり鬢が白くなっているが、まだ姿勢はしゃんとしていて、背筋が伸びている。こちらも雰囲気からすると、二階堂家の重鎮に違いない。
「これは、遠藤雅楽守殿」
下野守は軽く会釈をした。
「この者たちが、若君の話を聞きたいそうな」
「ふむ」
遠藤雅楽守は、ちらりとこちらに一瞥を寄越した。
「確か上州宮内一色家のご子息でしたな」
図書亮は黙って会釈を返した。陪臣ともいうべき相手に頭を下げねばならぬことに、軽く屈辱を感じるのだ。
「二階堂家の若君は御年十三になられるが、一門の諸士は悉く若君のお人柄を慕っておる」
なるほど、確かに行列の先頭を行く若君には、どことなく気品が感じられた。だが、見方によっては「ただそれだけ」にすぎない。その馬の後ろには、やはり数騎の武者が付き従っている。
「昨年、お父上を亡くされたと伺いました」
さしあたり、無難なところから会話の緒を見つけてみる。
「左様。お父上の式部大輔行春様は、弓馬の道にかけては肩を並べる者はなく、軍門に臨んだ際には一度も敗れたことがなかった」
そう言う遠藤雅楽守の目は潤んでいる。しまった。老人の繰り言が始まるかと、図書亮は内心臍を噛んだが、意に反して、彼は淡々と話を続けた。
「そのお父上のご気性を受け継がれたのであろうな。為氏公も容儀才徳が備わっており、勇猛なご気性であられる」
「さらに、弁舌も鮮やかであり、横逆をお嫌いになる」
「慈悲の心をお持ちになり、家人の罪は軽くし、褒章を重んじられる」
雅楽守と安房守は、交互に「若君」の自慢を繰り返した。それにいちいち頷いてやるが、実際には、図書亮は聞き流しているに過ぎなかった。現に、二階堂氏がこうして鄙の地へやってきているのはなぜか。鎌倉公方についたために、鎌倉周辺や遠江国の所領を幕府から召し上げられ、実質的には「都落ち」の一行だからではないか。
それを十三歳の子供がどうこうできるわけがない、というのが、図書亮の本音だった。
それに、ただの下向にしてはいやに物々しすぎる。七日に鎌倉を出立して以来今日で六日目だが、鎌倉を出てから具足を脱いだ日はなかった。野伏などの襲撃に備えるだけにしても、四〇〇余りという人数は多い気がした。
「――というわけだ。ひとまず、今晩の宿所に無事に入れたら、若君にお引き合せ致そう」
ようやく、安房守と雅楽守の長い「若君自慢」が終わったらしい。その二人も、緋縅や藍縅の鎧を纏っている。明らかに戦場の装いだった。
「はあ。で、なぜ皆様戦の装いなのでしょうか」
怖いもの知らずなのか、宍草与一郎が下野守に尋ねた。宍草は、どうやら六代将軍である足利義教の勘気に触れたのがきっかけで鎌倉に下向し、そこでさらに「二階堂家臣団」に紛れ込んで、奥州で一旗上げようとしているとの噂だった。
「それは治部大輔がこの岩瀬の太守を気取り、ありとあらゆる物を欲しいままにしているからよ」
安房守が苦々しく答えた。
「ということは、もしかして須賀川の御城で今晩休むには……」
「左様。力で奪い取るしかない」
武者らしく、雅楽守がきっぱりと言い切った。
図書亮はがっくりした。いい加減、今晩にはこの重たい具足を脱いで休めると考えていたのである。それどころか、目的の地について早々と戦とは。
それにしても、「岩瀬の太守気取りの治部大輔」とは、一体何者なのか。
そこへやってきたのは、安藤式部少輔綱義だ。図書亮が鎌倉にいた時分に一色時家の自害を聞き、近所の誼で真っ先に図書亮を保護してくれ、二階堂家へ引き合わせてくれた恩人でもある。安藤は須田家との縁が深く、そのため二階堂家に入って日が浅い図書亮や藤兵衛、半内でも「須田美濃守」の名前は知っていたのだ。
「図書亮殿。戦のご経験は?」
「多少は」
図書亮の初陣は、十七の永享の乱の時であった。持氏公周りの武者として武蔵府中まで遠征させられたが、結局負けた。
「美濃守様には話をつけておき申した。これより先、前へ出られて武功を挙げられよ」
つまり、二階堂家での居場所を自分で作ってこいということだ。
「かしこまりました」
大きく息を吸い、腹を括った。これで命を落としたのならば、それはそれまでた。だが、犬死してたまるものか。宮内一色家の浮沈も、図書亮の肩にかかっている。
足早に駆けて、行列の前方に近づく。近付くごとに、目の前には騎馬武者の数が増えていった。
後ろから、駒の足を早めて下野守や雅楽守が行列に戻ってきた。彼らの顔も先程までの寛いだ表情は既になく、緊張の色が隠せない。
やがて、行列は幾つか小山が連なっている丘に差し掛かった。丘の尾根を進んでいるのでさほど坂は急に感じられないが、その両脇は、なかなかの坂になっているようだ。なるほど、須賀川は天然の要害の地であるらしい。
一行は「南ノ原口」と言われる部分に差し掛かった。安藤によると、ここから進んだ先に、須賀川城の大手門があるらしい。
「皆の者、ぬかりはないか」
錆びたような大音声が響く。あれが、二階堂家臣団を束ねる須田美濃守か。年の頃にして五十路ほど。彼の側には安房守と雅楽守、そして別の武者がいた。
須田美濃守は、両脇にいる安房守と雅楽守に頷くと、二人は両翼へ兵を引き連れて散っていった。どうやら、須賀川城にはいくつか門があり、四方から囲むつもりらしい。
だが、今図書亮が対峙している大手門の側には櫓が組まれていて、その天辺には幾人もの兵の姿が見えた。
「治部大輔殿。只今為氏公が須賀川の地にご到着された。門を開けられよ」
須田美濃守が城内に向かって呼びかけると、返事代わりに、一本の強弓が飛んできた。
それを合図に、戦闘が始まった。図書亮も、すらりと太刀を抜いて門扉に取り付こうとした。だが、前方の門扉との間には堀が巡らされ、水を湛えている。そして、二の丸や本丸は土塁を築いた上に建てられており、下手にいる鎌倉軍は、城内からの弓矢の格好の餌食となった。
たちまち鎌倉勢は一人二人と弓で射殺され、その死体は堀の中へ転げ落ちた。
その光景に図書亮はぞっとしたが、戦に怯むようでは武士とは言えない。だが、あの強弓の雨をどうやって避けるか。
ふとこの道を来る時に、両脇に町家があったのを思い出し、駆け戻る。町家のうちの一軒の戸を乱暴に叩くと、町人らしき男が顔を覗かせた。
「すまないが、これを借りていくぞ」
そう言うと、図書亮は土間に立てかけてあった簀子を手にした。もっとも「借りていく」とは言ったものの、実質的には強奪である。これを、楯代わりにして城壁に接近しようと思いついたのだ。
元の場所に戻ると、中からも城兵が出てきて、斬り合いが始まっていた。
「我こそは、上野国の一色図書亮。足利家に系譜を連ねる者である。我こそはと思ゆる者は、出会え出会え!」
大声を張り上げてみるが、片手に簀子では、どうにも締まらない。そんな図書亮を見兼ねたのか、誰かが袖を引いた。見ると、箭部安房守だった。その口元には、微かに笑いが浮かんでいる。
「元来義を重んじて節義に臨む時、その命は塵芥よりも軽く感じるのが、兵というものではありますがな。もう少し時宜を考えられよ」
どうやら、彼が浮かべていた微笑は「苦笑い」のようだった。
安房守はしばし思案していたが、その間にも鎌倉方の兵は突撃していき、討ち取られていく。辺りには既に夕闇が広がり、どうやらこれ以上戦を続けるのは無理のようだった。
そこへ、須田美濃守がやってきた。彼も図書亮の奇妙な出で立ちに一瞬目を止めたが、すぐに安房守に目を向けた。
「城内の兵が多すぎるな」
「左様。戦の勝負は必ずしも勢いの多少によるものではありませぬが……」
二人の意見は、どうやら一旦退却に傾いている。その気配は、図書亮にも感じられた。
「戦は時の運もあるとは申せ、それは平時のこと。城中の兵はあまりにも多く、こちらはわずか二、三〇〇ほどしか手勢がおりませぬ。ここは、少数の兵で大勢の敵に対峙するよりも速やかにこの舘の囲みを解いて兵を引き、次の策を練るほうが良いのではござらぬか」
下野守は、何気ない様子で美濃守に進言した。もっとも、下野守は美濃守と同格扱いだから、それほど気を使っているわけでもないのかもしれない。
「うむ。若君には、拙宅で我慢して頂くとしよう」
豪胆にも、須田美濃守はちらりと唇に笑みを浮かべた。そして、図書亮に再び視線を巡らせると、初めて視線を合わせてくれた。
「一色図書亮と申したな。名乗りは良かった。だが、町の者を怒らせると後々厄介だ。それは返してこられるがよかろう」
その言葉を聞くと、図書亮は暗闇にも関わらず、思わず顔を赤らめた。
――背後から、城兵の囃し立てる声が聴こえてくる。だが、美濃守はそれに構わず伝令を走らせて諸兵をまとめると、須賀川の丘の急峻な坂を下り始めた。その道は、ここへ来た時とは異なり、東へと続いている。
「これから、どこへ向かうのだ?」
すぐ前から、心細そうな少年の声が聞こえてきた。まだ声変わりもしていない。この声の持ち主は、間違いなく主の「二階堂為氏」だろう。
きっと彼も、今晩は「須賀川城」で休めると思っていたに違いない。その当てが外れた。
「御屋形、ご心配召さるるな。これから和田の我が舘へご案内致しますれば、皆へ御下知を」
「その和田の舘とは、遠いのか?」
為氏も、須賀川に足を踏み入れるのはこれが初めてなのだろう。その声は、心細そうだった。
夜道を行軍するのは、図書亮もまっぴらだった。
「一里にも満たぬでしょう。行く道も下るだけです」
「相分かった」
美濃守に答える少年の声は、幾分かほっとしたようだった。だが、果たして図書亮ら家臣の寝泊まりする場所はあるのだろうか。
そんな心配が顔に出ていたのか、美濃守はこちらを見て、説明してくれた。
「旗本も含め、多くの者はこちらにも家人のいる屋敷を持っておる。そなたら新参の旗本は、和田に来るが良かろう。館も二棟ある故、新参衆の寝泊まりする軒くらいは用意する」
その言葉に、図書亮は安堵した。どうやら安藤から聞いていた以上に、須田美濃守はこの辺りの一大勢力の持ち主らしい。ひょっとしたら、その勢力は主の二階堂為氏以上かもしれなかった。
「よし。儂も久しぶりに高館の屋敷に帰るとしよう」
遠藤雅楽守も、大きく伸びをし、首筋を揉んでからこきこきと音を鳴らした。どうやら、彼も無事だったらしい。
彼の屋敷のある「高館」は、昔ある上人が米山寺という寺を開山した近くにあると、雅楽守は説明してくれた。近くには釈迦堂川という川があり、会津地方への交通の要衝でもあるとのことだった。
さらに、これから図書亮一同が向かう「和田」には、逢隈川という大河も流れているらしい。
そもそも、須賀川という地名は「清々しい川」という言葉が転じたところから、名付けられたという。
「なるほど」
遠藤雅楽守の説明に、図書亮は肯いた。鎌倉生まれの鎌倉育ちの図書亮には、何本も川が流れる土地というのが、新鮮だった。
ひとまず須田美濃守の言葉通りに、新参の家臣は一旦「和田館」に入る事になった。図書亮はもちろん、鎌倉から一緒にやってきた忍藤兵衛、倭文半内、宍草与一郎、土岐右近大夫、相生玄蕃・若狭の兄弟。黒月与右衛門、佐々木左近大輔、伊土井藤内など、他国に生国を持つ者も多かった。その他にも、元々鎌倉時代に二階堂氏がこの土地を拝領してから旗本、すなわち戦の時のみ「二階堂一門」として参加するものも多いのだという。それらには、荒木田清右衛門、薄井源左衛門尉、片寄新蔵人、箭内和泉守、飯村豊前守、内田肥前守、鹿島隼人、圓谷若狭守、石井大学など、うっすらと名前だけは図書亮も知っている者も含まれていた。
どうやら図書亮が想像していた以上に、須賀川の二階堂家は一大勢力を築いているらしかった。振り返ってみれば、その祖である二階堂行政公は鎌倉幕府の政所別当も務め、南北朝の戦乱も強かに生き延びた一族である。周囲の侍が頼みにするのも頷ける家柄なのだった。「たかが鄙の地の豪族」と内心小馬鹿にしていた自分を、図書亮は恥じた。
和田に着くと、戦の労いと称して酒宴まで用意されていた。どうやら美濃守は、あの戦いの最中で為氏の代わりにあれこれと下知をしていた傍らで、和田村を始めその周辺に待機していた弟たちにに伝令を走らせていたらしい。その一件からも、人心掌握も通じているらしいことが伺えた。
眼の前には、酒膳が並べられている。その指図をしているのは、美濃守の妻と、息子の嫁だった。
酒膳の席で、上座についているのは主君である「為氏」だった。そして、その席で図書亮は初めてまともに主の顔を見た。
色白で瓜実顔。少年ながらも、確かに育ちの良さを感じる品の良い容貌だった。だが、「勇猛果敢」「弁舌も鮮やか」という評価はどうだろう。今も戦の緊張から解き放たれたのか、目をしょぼしょぼさせており、眠たそうだ。
「皆の者。今日は誠に大義であった」
まずは、為氏から労いの言葉が掛けられた。
「本来であれば、須賀川の城下に入れてやりたかったのだが、私の力が及ばず済まぬ」
何と為氏は、家来に向かって頭を下げている。それを、慌てて誰かが止めた。
「御屋形。主が簡単に頭を下げるものではありませぬ」
戰場では見なかったが、側に侍っているところを見ると、彼も二階堂一門衆か四天王の一人だろう。
「筑後守。この者たちを須賀川に入れてやれなかったのは、私の器量不足だからに相違なかろう」
為氏がしょんぼりと肩を落としている。すると、相手は四天王の残りの一人、守屋筑後守か。
「御屋形。今日はまだ様子を見たまでです。後日、必ず治部を諾わせましょうぞ」
脇から、箭部安房守が慰めるように言い添えた。
なるほど、確かに「お人柄も優れている」ようであった。用意された酒をちびちびと舐めながら、図書亮は新しい主を観察した。
「それにしても、治部大輔殿の増上慢は鎌倉に聞こえてきた以上ですな」
下座にいる安藤綱義が苦々しげに呟く。
「安藤殿。その治部大輔というのは、何者ですか?名前だけはしきりに聞くのですが」
藤兵衛が、綱義に質問した。
「二階堂の一門には違いないがな。あれは二階堂の面汚しよ」
藤兵衛の問いに答えたのは、なぜか別の人間だった。答えたついでに、「二階堂山城守行澄だ」と名乗ってくれた。
「奴は、元々若君のお父上の代官に過ぎなかった。二階堂の一族は、遠く行政公のご長男の行光公の系譜と、弟君の行村公の系譜がある。儂は行村公の系譜だが、若君は行光公の系譜じゃな。治部の奴も儂と同族だが、須賀川では東に住まう者は行光公に縁のある者が多く、西に住まう者は行村公に縁のある者が多い。だが、元は同族。それほど同族同士で啀み合うことはなかった。だが――」
そこで、行澄は言葉を切った。
「保土原の叔父上。そこまで旗本に明かすのは……」
脇から、三十路半ばと見える男が口を挟んだ。「保土原の叔父上」と呼びかけるところを見ると、彼も「二階堂一門衆」だろう。
「いや、矢田野殿。我々に味方してもらうならば、ある程度事情を知っていたほうが良かろう」
箭部安房守が、「矢田野殿」の言葉を遮った。やはり一見温厚そうに見えながら、彼もなかなかの食わせ者である。
そこまで聞いたら、絶対に裏切れないではないか。
「丁度良い。源蔵、若君を寝所へお連れせよ」
美濃守は弟にそう命じると、為氏は大人しくそれに従った。身内の悪口を聞きたくない思いもあったのだろう。
為氏の姿が完全に見えなくなったのを確認して、安房守は新参衆を手招き、この度の「下向」の経緯について説明し始めた――。
それが、一色図書亮の正直な感想だった。ため息しか出てこない。どうして、こんな鄙の地に足を踏み入れることになってしまったのだろう。
図書亮は名字からも分かるように、名門一色家の血を引いている。一色家は鎌倉時代に北条氏に睨まれ御家を潰されそうになったところを、足利家にとりなしてもらったという。そのため足利家には絶対忠誠の誓いを立てているのだった。一色家の祖である公深は鎌倉幕府に仕え、さらにその孫である直氏は、足利尊氏に仕えて鎮西探題の役目も拝領した。さらに九州が平らげられると関東の所領に戻ってきて、鎌倉公方に仕える「宮内一色家」の祖となった。
ここまではまあ良かった。ついていなかったのは、近年である。
そもそもは、幕府の開祖である足利尊氏公が、当時南北朝の対立から南朝の残党勢力への備えとして、「鎌倉公方」の役職を設けたことによる。この鎌倉公方の初代の座には、二代目将軍義詮公の弟君である「基氏」公が就任した。
図書亮の父の時家は、一族である直兼共々、鎌倉公方である足利持氏にたいそう信頼され、相模守護に任じられた。だが、その持氏は京都にいる六代将軍義教と、悉く対立した。
そればかりではなく、時家が任じられた相模守護の任命権は京都の幕府が持つものであり、この人事は鎌倉府の独断だった。これも永享の乱の遠因の一つである。
さらに、初代鎌倉公方基氏の息子である氏満は、一説によると「将軍」になることを約束されていたという。だがその約束は果たされず、氏満は長男の満兼に後を嗣がせた。だけでなく、その弟である「満貞」を須賀川にある稲村御所に、さらに「満直」を安積郡にある「篠川」に派遣した。表向きは「南朝の残党勢力に睨みを効かせる」という事だったが、奥州の勢力を掌中にし、上方の幕府に対抗するとの意図も会ったのだろう。特に稲村公方は、当時既に須賀川の領主として自他共に認められていた「二階堂氏」の後ろ盾を得て、稲村に新たに館を築いた。二階堂氏と鎌倉公方の「足利家」の縁は、このときから深まっていたのである。
二階堂一族は、刑部行嗣の時代には一族を挙げて起誓文を稲村公方に差し出すなど、鎌倉公方からも「信頼できる一族だ」と認識されていた。
だが、その稲村公方は先年の「永享の乱」で持氏と共に、鎌倉で命を散らした。
早い話が、この「永享の乱」で持氏側についた一族は、言わば「負け組」である。だが、「二階堂家は鎌倉以来の名家であり、多少負けを蒙ったとしても、なんとかしてくれるだろう」という打算から、彼等の一族郎党の他にも、「旗本」としてこの岩瀬への下向に加わっている者たちもいたのである。
そんな沈んだ気分とは裏腹に、天気は良い。
時は弥生十三日。鎌倉を発ってから六日目にして踏んだ「岩瀬」の地は、とても戦乱が待っているとは思えない土地だった。うらうらと暖かな日であり、鎌倉よりも「みちの奥」の感が強い岩瀬地方でも、のんびりとした空気が漂っている。
「おい、ため息をつくな」
隣を歩いていた忍藤兵衛が、肘で図書亮の脇腹をつついた。
「美濃守様に叱られるぞ」
「ふん。美濃守殿は為氏公のお守りで手一杯だろうよ」
藤兵衛の言う所の「美濃守」というのは、須田美濃守のことに違いなかった。実質、須賀川二階堂家臣団の牽引役である。
そもそも、一色家は足利一門に系譜を連ねる名門である。血筋の折り目の正しさから言えば「二階堂家」にも引けをとらないのであり、藤兵衛の言うところの「美濃守」は、一色家から見れば陪臣にも等しい身分だ。
とは言え、今隣を歩いている藤兵衛は鎌倉で幼い頃から共に過ごしてきた仲だ。彼も血筋からすれば、一色家よりも格は落ちる。
それを思えば、ここで身分がどうのこうの並べ立てても、野暮なだけだろう。
藤兵衛は鎌倉居住時代、彼の父が須賀川にいた稲村公方に仕えていたこともあり、早くから二階堂家の家中の者とは顔見知りだったらしい。鎌倉にいた時分に藤兵衛が語った所によると、忍氏は「白川結城氏」の血を引いているという。藤兵衛が二階堂氏を頼ったのは、その関係もあるのかもしれなかった。
また、稲村公方は岩瀬地方における鎌倉府の出先機関であり、出羽・奥羽の守護大名や探題のまとめ役でもあった。永享の乱でその稲村公方が消滅し、さらに結城合戦で結城氏が悉く誅されたのは、藤兵衛にとってはかなり衝撃的な出来事だっただろう。
さらに、一旦は幕府側についた「篠川公方」も、永享十二年、有力な家人であった結城氏朝らの呼びかけに応じた畠山・石橋・伊東・蘆名・田村・石川の連合軍に亡ぼされた。
つまり現在、南奥における「鎌倉府」の出向機関、即ち「奥州府」は壊滅しているのである。
――そこへ、為氏一行はのこのことやってきた。
「そもそも、何で為氏公が岩瀬に下向することになったんだよ」
図書亮は、藤兵衛に小声で尋ねた。さすがに、二階堂一門の耳に入っては拙い話だろう。
「うーん。何でも、発端は為氏公のお父上が亡くなったのが、始まりだったとのことだ」
「そうそう。昨年嘉吉三年に、お亡くなりになられたらしい。その前年に、須賀川城を途中まで築城されていたというから、元々こちらに骨を埋めるつもりだったのかもしれんな」
脇から、倭文半内が口を挟んだ。この男も元々は下野国出身であり、足利家の家来筋である。
半内の言葉に、藤兵衛がしたり顔でうなずいた。
「ふうん。で、為氏公は今いくつだっけ?」
二階堂家中の中では比較的新顔である図書亮は、新しい主のことはよく知らなかった。
「お前なあ。主となる方のお歳くらい知っておけ」
そう言いつつも、半内は「今年で十三になられる」と教えてくれた。
「十三!?」
思わず、大声が出てしまった。途端に、周りの武士にぎろりと睨まれる。図書亮は、慌てて首を竦めた。
十三と言ったら、まだ子供ではないか。そんな子供に、よくついていこうと決意したものだ。自分も、藤兵衛も半内も。
いや、それは他の面々も同じに違いなかった。
「お人柄は優れていらっしゃるとのことだ」
藤兵衛が、とりなすように述べた。
「子供の人柄が当てになるかよ」
「お主、ひねくれ過ぎだ」
半内が笑った。
「何か、御屋形様のことで気になることでもあるのかな?」
向こうから馬首を巡らせて、人好きのする男がやってきた。反射的に、図書亮は頭を下げた。相手は明らかに図書亮とは格が違う。馬に乗ってやってきたところを見ると、二階堂一門衆か四天王の一人に違いなかった。
「いえ。図書亮は鎌倉に住んでいたときには二階堂家の皆様と交わることがありませんでしたから、まずは御屋形様のお人柄を知っていただきたく……」
半内が、慌てて取り繕ってくれた。
「ふむ。それなら儂から説明しようか」
相手はにこにこと人の良さげな笑みを浮かべている。だが、その目は笑っていないことに、図書亮は気づいた。
「儂は、箭部安房守。これでも、二階堂家では家老を勤めている」
自ら名乗ってくれて助かった。やはり四天王の一人だった。これが舐めた態度を取り続けていたら、手打ちにされても文句は言えないところだっただろう。見たところ、年は四十路半ばか。さらに、彼の後ろからもう一人武将が現れた。こちらはすっかり鬢が白くなっているが、まだ姿勢はしゃんとしていて、背筋が伸びている。こちらも雰囲気からすると、二階堂家の重鎮に違いない。
「これは、遠藤雅楽守殿」
下野守は軽く会釈をした。
「この者たちが、若君の話を聞きたいそうな」
「ふむ」
遠藤雅楽守は、ちらりとこちらに一瞥を寄越した。
「確か上州宮内一色家のご子息でしたな」
図書亮は黙って会釈を返した。陪臣ともいうべき相手に頭を下げねばならぬことに、軽く屈辱を感じるのだ。
「二階堂家の若君は御年十三になられるが、一門の諸士は悉く若君のお人柄を慕っておる」
なるほど、確かに行列の先頭を行く若君には、どことなく気品が感じられた。だが、見方によっては「ただそれだけ」にすぎない。その馬の後ろには、やはり数騎の武者が付き従っている。
「昨年、お父上を亡くされたと伺いました」
さしあたり、無難なところから会話の緒を見つけてみる。
「左様。お父上の式部大輔行春様は、弓馬の道にかけては肩を並べる者はなく、軍門に臨んだ際には一度も敗れたことがなかった」
そう言う遠藤雅楽守の目は潤んでいる。しまった。老人の繰り言が始まるかと、図書亮は内心臍を噛んだが、意に反して、彼は淡々と話を続けた。
「そのお父上のご気性を受け継がれたのであろうな。為氏公も容儀才徳が備わっており、勇猛なご気性であられる」
「さらに、弁舌も鮮やかであり、横逆をお嫌いになる」
「慈悲の心をお持ちになり、家人の罪は軽くし、褒章を重んじられる」
雅楽守と安房守は、交互に「若君」の自慢を繰り返した。それにいちいち頷いてやるが、実際には、図書亮は聞き流しているに過ぎなかった。現に、二階堂氏がこうして鄙の地へやってきているのはなぜか。鎌倉公方についたために、鎌倉周辺や遠江国の所領を幕府から召し上げられ、実質的には「都落ち」の一行だからではないか。
それを十三歳の子供がどうこうできるわけがない、というのが、図書亮の本音だった。
それに、ただの下向にしてはいやに物々しすぎる。七日に鎌倉を出立して以来今日で六日目だが、鎌倉を出てから具足を脱いだ日はなかった。野伏などの襲撃に備えるだけにしても、四〇〇余りという人数は多い気がした。
「――というわけだ。ひとまず、今晩の宿所に無事に入れたら、若君にお引き合せ致そう」
ようやく、安房守と雅楽守の長い「若君自慢」が終わったらしい。その二人も、緋縅や藍縅の鎧を纏っている。明らかに戦場の装いだった。
「はあ。で、なぜ皆様戦の装いなのでしょうか」
怖いもの知らずなのか、宍草与一郎が下野守に尋ねた。宍草は、どうやら六代将軍である足利義教の勘気に触れたのがきっかけで鎌倉に下向し、そこでさらに「二階堂家臣団」に紛れ込んで、奥州で一旗上げようとしているとの噂だった。
「それは治部大輔がこの岩瀬の太守を気取り、ありとあらゆる物を欲しいままにしているからよ」
安房守が苦々しく答えた。
「ということは、もしかして須賀川の御城で今晩休むには……」
「左様。力で奪い取るしかない」
武者らしく、雅楽守がきっぱりと言い切った。
図書亮はがっくりした。いい加減、今晩にはこの重たい具足を脱いで休めると考えていたのである。それどころか、目的の地について早々と戦とは。
それにしても、「岩瀬の太守気取りの治部大輔」とは、一体何者なのか。
そこへやってきたのは、安藤式部少輔綱義だ。図書亮が鎌倉にいた時分に一色時家の自害を聞き、近所の誼で真っ先に図書亮を保護してくれ、二階堂家へ引き合わせてくれた恩人でもある。安藤は須田家との縁が深く、そのため二階堂家に入って日が浅い図書亮や藤兵衛、半内でも「須田美濃守」の名前は知っていたのだ。
「図書亮殿。戦のご経験は?」
「多少は」
図書亮の初陣は、十七の永享の乱の時であった。持氏公周りの武者として武蔵府中まで遠征させられたが、結局負けた。
「美濃守様には話をつけておき申した。これより先、前へ出られて武功を挙げられよ」
つまり、二階堂家での居場所を自分で作ってこいということだ。
「かしこまりました」
大きく息を吸い、腹を括った。これで命を落としたのならば、それはそれまでた。だが、犬死してたまるものか。宮内一色家の浮沈も、図書亮の肩にかかっている。
足早に駆けて、行列の前方に近づく。近付くごとに、目の前には騎馬武者の数が増えていった。
後ろから、駒の足を早めて下野守や雅楽守が行列に戻ってきた。彼らの顔も先程までの寛いだ表情は既になく、緊張の色が隠せない。
やがて、行列は幾つか小山が連なっている丘に差し掛かった。丘の尾根を進んでいるのでさほど坂は急に感じられないが、その両脇は、なかなかの坂になっているようだ。なるほど、須賀川は天然の要害の地であるらしい。
一行は「南ノ原口」と言われる部分に差し掛かった。安藤によると、ここから進んだ先に、須賀川城の大手門があるらしい。
「皆の者、ぬかりはないか」
錆びたような大音声が響く。あれが、二階堂家臣団を束ねる須田美濃守か。年の頃にして五十路ほど。彼の側には安房守と雅楽守、そして別の武者がいた。
須田美濃守は、両脇にいる安房守と雅楽守に頷くと、二人は両翼へ兵を引き連れて散っていった。どうやら、須賀川城にはいくつか門があり、四方から囲むつもりらしい。
だが、今図書亮が対峙している大手門の側には櫓が組まれていて、その天辺には幾人もの兵の姿が見えた。
「治部大輔殿。只今為氏公が須賀川の地にご到着された。門を開けられよ」
須田美濃守が城内に向かって呼びかけると、返事代わりに、一本の強弓が飛んできた。
それを合図に、戦闘が始まった。図書亮も、すらりと太刀を抜いて門扉に取り付こうとした。だが、前方の門扉との間には堀が巡らされ、水を湛えている。そして、二の丸や本丸は土塁を築いた上に建てられており、下手にいる鎌倉軍は、城内からの弓矢の格好の餌食となった。
たちまち鎌倉勢は一人二人と弓で射殺され、その死体は堀の中へ転げ落ちた。
その光景に図書亮はぞっとしたが、戦に怯むようでは武士とは言えない。だが、あの強弓の雨をどうやって避けるか。
ふとこの道を来る時に、両脇に町家があったのを思い出し、駆け戻る。町家のうちの一軒の戸を乱暴に叩くと、町人らしき男が顔を覗かせた。
「すまないが、これを借りていくぞ」
そう言うと、図書亮は土間に立てかけてあった簀子を手にした。もっとも「借りていく」とは言ったものの、実質的には強奪である。これを、楯代わりにして城壁に接近しようと思いついたのだ。
元の場所に戻ると、中からも城兵が出てきて、斬り合いが始まっていた。
「我こそは、上野国の一色図書亮。足利家に系譜を連ねる者である。我こそはと思ゆる者は、出会え出会え!」
大声を張り上げてみるが、片手に簀子では、どうにも締まらない。そんな図書亮を見兼ねたのか、誰かが袖を引いた。見ると、箭部安房守だった。その口元には、微かに笑いが浮かんでいる。
「元来義を重んじて節義に臨む時、その命は塵芥よりも軽く感じるのが、兵というものではありますがな。もう少し時宜を考えられよ」
どうやら、彼が浮かべていた微笑は「苦笑い」のようだった。
安房守はしばし思案していたが、その間にも鎌倉方の兵は突撃していき、討ち取られていく。辺りには既に夕闇が広がり、どうやらこれ以上戦を続けるのは無理のようだった。
そこへ、須田美濃守がやってきた。彼も図書亮の奇妙な出で立ちに一瞬目を止めたが、すぐに安房守に目を向けた。
「城内の兵が多すぎるな」
「左様。戦の勝負は必ずしも勢いの多少によるものではありませぬが……」
二人の意見は、どうやら一旦退却に傾いている。その気配は、図書亮にも感じられた。
「戦は時の運もあるとは申せ、それは平時のこと。城中の兵はあまりにも多く、こちらはわずか二、三〇〇ほどしか手勢がおりませぬ。ここは、少数の兵で大勢の敵に対峙するよりも速やかにこの舘の囲みを解いて兵を引き、次の策を練るほうが良いのではござらぬか」
下野守は、何気ない様子で美濃守に進言した。もっとも、下野守は美濃守と同格扱いだから、それほど気を使っているわけでもないのかもしれない。
「うむ。若君には、拙宅で我慢して頂くとしよう」
豪胆にも、須田美濃守はちらりと唇に笑みを浮かべた。そして、図書亮に再び視線を巡らせると、初めて視線を合わせてくれた。
「一色図書亮と申したな。名乗りは良かった。だが、町の者を怒らせると後々厄介だ。それは返してこられるがよかろう」
その言葉を聞くと、図書亮は暗闇にも関わらず、思わず顔を赤らめた。
――背後から、城兵の囃し立てる声が聴こえてくる。だが、美濃守はそれに構わず伝令を走らせて諸兵をまとめると、須賀川の丘の急峻な坂を下り始めた。その道は、ここへ来た時とは異なり、東へと続いている。
「これから、どこへ向かうのだ?」
すぐ前から、心細そうな少年の声が聞こえてきた。まだ声変わりもしていない。この声の持ち主は、間違いなく主の「二階堂為氏」だろう。
きっと彼も、今晩は「須賀川城」で休めると思っていたに違いない。その当てが外れた。
「御屋形、ご心配召さるるな。これから和田の我が舘へご案内致しますれば、皆へ御下知を」
「その和田の舘とは、遠いのか?」
為氏も、須賀川に足を踏み入れるのはこれが初めてなのだろう。その声は、心細そうだった。
夜道を行軍するのは、図書亮もまっぴらだった。
「一里にも満たぬでしょう。行く道も下るだけです」
「相分かった」
美濃守に答える少年の声は、幾分かほっとしたようだった。だが、果たして図書亮ら家臣の寝泊まりする場所はあるのだろうか。
そんな心配が顔に出ていたのか、美濃守はこちらを見て、説明してくれた。
「旗本も含め、多くの者はこちらにも家人のいる屋敷を持っておる。そなたら新参の旗本は、和田に来るが良かろう。館も二棟ある故、新参衆の寝泊まりする軒くらいは用意する」
その言葉に、図書亮は安堵した。どうやら安藤から聞いていた以上に、須田美濃守はこの辺りの一大勢力の持ち主らしい。ひょっとしたら、その勢力は主の二階堂為氏以上かもしれなかった。
「よし。儂も久しぶりに高館の屋敷に帰るとしよう」
遠藤雅楽守も、大きく伸びをし、首筋を揉んでからこきこきと音を鳴らした。どうやら、彼も無事だったらしい。
彼の屋敷のある「高館」は、昔ある上人が米山寺という寺を開山した近くにあると、雅楽守は説明してくれた。近くには釈迦堂川という川があり、会津地方への交通の要衝でもあるとのことだった。
さらに、これから図書亮一同が向かう「和田」には、逢隈川という大河も流れているらしい。
そもそも、須賀川という地名は「清々しい川」という言葉が転じたところから、名付けられたという。
「なるほど」
遠藤雅楽守の説明に、図書亮は肯いた。鎌倉生まれの鎌倉育ちの図書亮には、何本も川が流れる土地というのが、新鮮だった。
ひとまず須田美濃守の言葉通りに、新参の家臣は一旦「和田館」に入る事になった。図書亮はもちろん、鎌倉から一緒にやってきた忍藤兵衛、倭文半内、宍草与一郎、土岐右近大夫、相生玄蕃・若狭の兄弟。黒月与右衛門、佐々木左近大輔、伊土井藤内など、他国に生国を持つ者も多かった。その他にも、元々鎌倉時代に二階堂氏がこの土地を拝領してから旗本、すなわち戦の時のみ「二階堂一門」として参加するものも多いのだという。それらには、荒木田清右衛門、薄井源左衛門尉、片寄新蔵人、箭内和泉守、飯村豊前守、内田肥前守、鹿島隼人、圓谷若狭守、石井大学など、うっすらと名前だけは図書亮も知っている者も含まれていた。
どうやら図書亮が想像していた以上に、須賀川の二階堂家は一大勢力を築いているらしかった。振り返ってみれば、その祖である二階堂行政公は鎌倉幕府の政所別当も務め、南北朝の戦乱も強かに生き延びた一族である。周囲の侍が頼みにするのも頷ける家柄なのだった。「たかが鄙の地の豪族」と内心小馬鹿にしていた自分を、図書亮は恥じた。
和田に着くと、戦の労いと称して酒宴まで用意されていた。どうやら美濃守は、あの戦いの最中で為氏の代わりにあれこれと下知をしていた傍らで、和田村を始めその周辺に待機していた弟たちにに伝令を走らせていたらしい。その一件からも、人心掌握も通じているらしいことが伺えた。
眼の前には、酒膳が並べられている。その指図をしているのは、美濃守の妻と、息子の嫁だった。
酒膳の席で、上座についているのは主君である「為氏」だった。そして、その席で図書亮は初めてまともに主の顔を見た。
色白で瓜実顔。少年ながらも、確かに育ちの良さを感じる品の良い容貌だった。だが、「勇猛果敢」「弁舌も鮮やか」という評価はどうだろう。今も戦の緊張から解き放たれたのか、目をしょぼしょぼさせており、眠たそうだ。
「皆の者。今日は誠に大義であった」
まずは、為氏から労いの言葉が掛けられた。
「本来であれば、須賀川の城下に入れてやりたかったのだが、私の力が及ばず済まぬ」
何と為氏は、家来に向かって頭を下げている。それを、慌てて誰かが止めた。
「御屋形。主が簡単に頭を下げるものではありませぬ」
戰場では見なかったが、側に侍っているところを見ると、彼も二階堂一門衆か四天王の一人だろう。
「筑後守。この者たちを須賀川に入れてやれなかったのは、私の器量不足だからに相違なかろう」
為氏がしょんぼりと肩を落としている。すると、相手は四天王の残りの一人、守屋筑後守か。
「御屋形。今日はまだ様子を見たまでです。後日、必ず治部を諾わせましょうぞ」
脇から、箭部安房守が慰めるように言い添えた。
なるほど、確かに「お人柄も優れている」ようであった。用意された酒をちびちびと舐めながら、図書亮は新しい主を観察した。
「それにしても、治部大輔殿の増上慢は鎌倉に聞こえてきた以上ですな」
下座にいる安藤綱義が苦々しげに呟く。
「安藤殿。その治部大輔というのは、何者ですか?名前だけはしきりに聞くのですが」
藤兵衛が、綱義に質問した。
「二階堂の一門には違いないがな。あれは二階堂の面汚しよ」
藤兵衛の問いに答えたのは、なぜか別の人間だった。答えたついでに、「二階堂山城守行澄だ」と名乗ってくれた。
「奴は、元々若君のお父上の代官に過ぎなかった。二階堂の一族は、遠く行政公のご長男の行光公の系譜と、弟君の行村公の系譜がある。儂は行村公の系譜だが、若君は行光公の系譜じゃな。治部の奴も儂と同族だが、須賀川では東に住まう者は行光公に縁のある者が多く、西に住まう者は行村公に縁のある者が多い。だが、元は同族。それほど同族同士で啀み合うことはなかった。だが――」
そこで、行澄は言葉を切った。
「保土原の叔父上。そこまで旗本に明かすのは……」
脇から、三十路半ばと見える男が口を挟んだ。「保土原の叔父上」と呼びかけるところを見ると、彼も「二階堂一門衆」だろう。
「いや、矢田野殿。我々に味方してもらうならば、ある程度事情を知っていたほうが良かろう」
箭部安房守が、「矢田野殿」の言葉を遮った。やはり一見温厚そうに見えながら、彼もなかなかの食わせ者である。
そこまで聞いたら、絶対に裏切れないではないか。
「丁度良い。源蔵、若君を寝所へお連れせよ」
美濃守は弟にそう命じると、為氏は大人しくそれに従った。身内の悪口を聞きたくない思いもあったのだろう。
為氏の姿が完全に見えなくなったのを確認して、安房守は新参衆を手招き、この度の「下向」の経緯について説明し始めた――。
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