46 / 46
終章 若木達の行方
若木達の行方
しおりを挟む
翌日、天には柔らかな蒼穹が広がっていた。剛介は荷を背負うと、深々と義母に頭を下げた。
「では、行ってまいります」
今度の出立は、戦うために行くのではない。未来を切り拓くための出立だ。そう思うと、心が弾む。
「行ってらっしゃい。いつでも、戻ってきてくださいね」
義母は、にこりと笑った。
奥州街道を北に進むと、かつて和左衛門が植林させた北谷の山林が見えてきた。ふと足を止めて振り返ると、視界の奥には安達太良のなだらかな稜線がくっきりと浮かび上がっている。まだ山の嶺には白い雪が残っているが、これから進もうとする北谷の山林は、淡く萌黄色に染まっていた。
かつて焦土となった二本松は、新たな芽吹きの季節を迎えていた。
十年前のあの日。先生や木村道場の朋輩が目の前で傷つけられ、それでも二本松を取り戻そうと、会津に逃れた。会津は未だ冬の名残を残しているかもしれない。だが、やがて会津にも春が訪れるだろう。
遠藤家の人々を思うと、ふと涙が滲みそうになった。慌てて、指先で眼尻を拭う。
剛介の子供時代を育んでくれた土地が二本松であるのならば、剛介を大人へと導いてくれた土地が、会津だった。あの時代、会津も多くのものを失った中で、生活風習の異なる他藩の子供を養育するのは、大変なことだったに違いない。
生活苦に追われながらも、若松中学に通わせ学問を極めさせてくれた義父の清尚。猪苗代で心が死にかけていた剛介に気を配り、会津に馴染ませようと尽力してくれた義兄の敬司。一心に剛介を慕い、妹から妻へと立場を変えていった伊都。そして、大切な息子であり、恩師の名を託した貞信。叶うならば、いつか再び会津を訪れ、彼らの幸せな生活を垣間見たい。
もしかしたらこの先、自分も新たな家族を持つかもしれない。だが、会津の人々から受けた恩は、ずっと忘れまい。これから二本松で持つであろう家族も、会津に残してきた人々も、どちらも剛介にとってはかけがえのない存在なのだから。
――そして、西南の役。
あの戦いに身を投じたのが正しかったのかどうかは、今でも判断がつきかねた。あの戦いのために西南の地を踏まなければ、自ら手を汚さずに済んだ反面、薩摩への憎悪を胸に抱き続けながら、会津で暮らしていたのかもしれなかった。
だが、二本松に戻ってくることを選んだのは、自分だ。西南の役は、薩摩への怨讐を乗り越え、剛介が新たな道を歩む決心をさせてくれた戦いでもあった。取り立てて喧伝することでもないが、戦いの本質を教えてくれた野津大佐や、たとえ戦の勝者であっても、犯した罪の意識からは逃れられなかった宇都の姿は、剛介にとって忘れ難い薩摩の人々だった。
自分がこれから育てていくであろう次の種子たちには、戦の怨讐に囚われることなく、また、諍いを起こさないような智慧を持つ者になってほしい。自分も二本松の大人として、真の智慧を持つ御子たちを大切に育てていこう。自分が二本松や会津の大人たちに教えられたように。
戊辰の戦いでは、多くの者が犠牲になった。だが、二本松の全てが滅んだ訳ではない。かつての二本松の御子らは、傷つけられながらも、なお、この地を守ろうとそれぞれのやり方で歩みを進めている。その事実は、剛介にとっても誇りだった。そして、自分もこれからの二本松の育て手になる。
もう、剛介も戦場に立つことはないだろう。
これで、良い。
剛介は、再び前を向いて、力強く歩を進めた。
***
戊辰の戦いの後。あの時戦った者のうち、ある者は医師となって活躍した。木村道場で大砲の点火係だった虎治は、外科医になり、赤十字病院に勤務した。また、別の者は地方の長となって、郷土の復興に尽力した。剛介の甥である平島太郎八は、平島松尾を名乗り、上京して河野広中の右腕として活躍。帰郷後は、福島県の自由民権運動に参加し、最終的には代議士になっている。
かつて少年たちが演習を重ねた青田ケ原は、その後、安達地方の振興の為にと刀を鍬に持ち替えた者たちによって耕され、美田へと生まれ変わっていった。二本松少年隊関係者では、剛介と共に砲術を学んだ大島七郎が、駒場農学校卒業後に青田ケ原開墾事業に従事。後に福島県農事試験場の技手になった。
大正六年七月。少年隊の一人であった水野良之は、会津の白虎隊が「薩摩琵琶に弾じ、浪花節に歌い、あるいは演劇に脚色して武士道鼓吹の資と為せるを以て、人口に広く膾炎せざるなきに至れる」現状を憂い、戦後五十年の法会の席で、出席者に一冊の本を配った。
それが、「二本松戊辰少年隊記」である。
少年たちが二本松の為に戦ったのは、自藩への忠義と誇りからである。だが、決して綺麗事ではなかった。後世の者に、自分たちのような思いを、させてはならない。その思いが、重く閉ざしていた口を開かせたのだろう。時は、日本が第一次世界大戦の戦勝国として、祝賀の雰囲気に浮かれているときであった。そのような中で、隣藩の悲劇が美化されて「誤った武士道」が広く膾炎されている実態を、彼は憂慮したのではないか。
同じく二本松藩の為に、戊辰戦争当時十九歳で出陣した佐倉強哉氏は、昭和六年に発行された二本松少年隊のパンフレットの中で、次のような文を残している。
「戊辰の戦雲収まって六十余年。我が二本松藩は忘れられていた。それは丹羽氏は忝なくも皇胤の末葉なるにあいなくも賊名を負ったのに惶懼して辯解の辞を発しなかったからではあるまいか。時運ここに還り来ってその真相の一端を述べうるのは幸であると思う」
かつての武谷剛介こと今村剛介氏は、その後、教師として多くの子供たちを世に送り出した。彼もまた、折々につけて二本松少年隊の事実を伝え、二本松の武士道に誇りを持ちつつも、決して戦いを美化しなかった一人である。
昭和十五年。二本松少年隊の最後の生き残りとして、今村剛介氏はその生涯を閉じた。享年、八十六歳。戒名、誠忠院義徹良剛居士。
【完】
「では、行ってまいります」
今度の出立は、戦うために行くのではない。未来を切り拓くための出立だ。そう思うと、心が弾む。
「行ってらっしゃい。いつでも、戻ってきてくださいね」
義母は、にこりと笑った。
奥州街道を北に進むと、かつて和左衛門が植林させた北谷の山林が見えてきた。ふと足を止めて振り返ると、視界の奥には安達太良のなだらかな稜線がくっきりと浮かび上がっている。まだ山の嶺には白い雪が残っているが、これから進もうとする北谷の山林は、淡く萌黄色に染まっていた。
かつて焦土となった二本松は、新たな芽吹きの季節を迎えていた。
十年前のあの日。先生や木村道場の朋輩が目の前で傷つけられ、それでも二本松を取り戻そうと、会津に逃れた。会津は未だ冬の名残を残しているかもしれない。だが、やがて会津にも春が訪れるだろう。
遠藤家の人々を思うと、ふと涙が滲みそうになった。慌てて、指先で眼尻を拭う。
剛介の子供時代を育んでくれた土地が二本松であるのならば、剛介を大人へと導いてくれた土地が、会津だった。あの時代、会津も多くのものを失った中で、生活風習の異なる他藩の子供を養育するのは、大変なことだったに違いない。
生活苦に追われながらも、若松中学に通わせ学問を極めさせてくれた義父の清尚。猪苗代で心が死にかけていた剛介に気を配り、会津に馴染ませようと尽力してくれた義兄の敬司。一心に剛介を慕い、妹から妻へと立場を変えていった伊都。そして、大切な息子であり、恩師の名を託した貞信。叶うならば、いつか再び会津を訪れ、彼らの幸せな生活を垣間見たい。
もしかしたらこの先、自分も新たな家族を持つかもしれない。だが、会津の人々から受けた恩は、ずっと忘れまい。これから二本松で持つであろう家族も、会津に残してきた人々も、どちらも剛介にとってはかけがえのない存在なのだから。
――そして、西南の役。
あの戦いに身を投じたのが正しかったのかどうかは、今でも判断がつきかねた。あの戦いのために西南の地を踏まなければ、自ら手を汚さずに済んだ反面、薩摩への憎悪を胸に抱き続けながら、会津で暮らしていたのかもしれなかった。
だが、二本松に戻ってくることを選んだのは、自分だ。西南の役は、薩摩への怨讐を乗り越え、剛介が新たな道を歩む決心をさせてくれた戦いでもあった。取り立てて喧伝することでもないが、戦いの本質を教えてくれた野津大佐や、たとえ戦の勝者であっても、犯した罪の意識からは逃れられなかった宇都の姿は、剛介にとって忘れ難い薩摩の人々だった。
自分がこれから育てていくであろう次の種子たちには、戦の怨讐に囚われることなく、また、諍いを起こさないような智慧を持つ者になってほしい。自分も二本松の大人として、真の智慧を持つ御子たちを大切に育てていこう。自分が二本松や会津の大人たちに教えられたように。
戊辰の戦いでは、多くの者が犠牲になった。だが、二本松の全てが滅んだ訳ではない。かつての二本松の御子らは、傷つけられながらも、なお、この地を守ろうとそれぞれのやり方で歩みを進めている。その事実は、剛介にとっても誇りだった。そして、自分もこれからの二本松の育て手になる。
もう、剛介も戦場に立つことはないだろう。
これで、良い。
剛介は、再び前を向いて、力強く歩を進めた。
***
戊辰の戦いの後。あの時戦った者のうち、ある者は医師となって活躍した。木村道場で大砲の点火係だった虎治は、外科医になり、赤十字病院に勤務した。また、別の者は地方の長となって、郷土の復興に尽力した。剛介の甥である平島太郎八は、平島松尾を名乗り、上京して河野広中の右腕として活躍。帰郷後は、福島県の自由民権運動に参加し、最終的には代議士になっている。
かつて少年たちが演習を重ねた青田ケ原は、その後、安達地方の振興の為にと刀を鍬に持ち替えた者たちによって耕され、美田へと生まれ変わっていった。二本松少年隊関係者では、剛介と共に砲術を学んだ大島七郎が、駒場農学校卒業後に青田ケ原開墾事業に従事。後に福島県農事試験場の技手になった。
大正六年七月。少年隊の一人であった水野良之は、会津の白虎隊が「薩摩琵琶に弾じ、浪花節に歌い、あるいは演劇に脚色して武士道鼓吹の資と為せるを以て、人口に広く膾炎せざるなきに至れる」現状を憂い、戦後五十年の法会の席で、出席者に一冊の本を配った。
それが、「二本松戊辰少年隊記」である。
少年たちが二本松の為に戦ったのは、自藩への忠義と誇りからである。だが、決して綺麗事ではなかった。後世の者に、自分たちのような思いを、させてはならない。その思いが、重く閉ざしていた口を開かせたのだろう。時は、日本が第一次世界大戦の戦勝国として、祝賀の雰囲気に浮かれているときであった。そのような中で、隣藩の悲劇が美化されて「誤った武士道」が広く膾炎されている実態を、彼は憂慮したのではないか。
同じく二本松藩の為に、戊辰戦争当時十九歳で出陣した佐倉強哉氏は、昭和六年に発行された二本松少年隊のパンフレットの中で、次のような文を残している。
「戊辰の戦雲収まって六十余年。我が二本松藩は忘れられていた。それは丹羽氏は忝なくも皇胤の末葉なるにあいなくも賊名を負ったのに惶懼して辯解の辞を発しなかったからではあるまいか。時運ここに還り来ってその真相の一端を述べうるのは幸であると思う」
かつての武谷剛介こと今村剛介氏は、その後、教師として多くの子供たちを世に送り出した。彼もまた、折々につけて二本松少年隊の事実を伝え、二本松の武士道に誇りを持ちつつも、決して戦いを美化しなかった一人である。
昭和十五年。二本松少年隊の最後の生き残りとして、今村剛介氏はその生涯を閉じた。享年、八十六歳。戒名、誠忠院義徹良剛居士。
【完】
0
お気に入りに追加
8
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(5件)
あなたにおすすめの小説
直違の紋に誓って~ Spin Off
篠川翠
歴史・時代
<剛介の初恋>
本編である「直違の紋に誓って」を書いている最中に、気分転換も兼ねて書き下ろし、本編に先駆けて発表した作品です。
二本松の戦火を逃れて会津に保護された剛介は、どのような青春時代を送ったのか。本編では書ききれなかった青春時代について、描いています。
<父の背中>
会津で父の顔を知らずに育った少年、遠藤貞信。14歳の夏、母の導きにより彼は父との再会を果たします。貞信の父、剛介が妻に語れなかった、会津を離れた本当の理由とは……。
noteで本編を連載中に、フォロワー様から「剛介のその後が知りたい」というリクエストを頂き、誕生した作品です。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
国殤(こくしょう)
松井暁彦
歴史・時代
目前まで迫る秦の天下統一。
秦王政は最大の難敵である強国楚の侵攻を開始する。
楚征伐の指揮を任されたのは若き勇猛な将軍李信。
疾風の如く楚の城郭を次々に降していく李信だったが、彼の前に楚最強の将軍項燕が立ちはだかる。
項燕の出現によって狂い始める秦王政の計画。項燕に対抗するために、秦王政は隠棲した王翦の元へと向かう。
今、項燕と王翦の国の存亡をかけた戦いが幕を開ける。
鎌倉最後の日
もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
やはり美しかった。何度拝読しても。
初めての投票します。読了後も特に惹かれる場所へエールに来ます♪
ありがとうございます!
創作の部分もありますが、生き延びた二本松少年隊の実像も知って戴けたならば、幸いです。
応援に参上しました♪
こちらの使い方がいまいちわかっていなくて、エールというものを初送りしてみます ✧*。(ˊᗜˋ*)✧*。 どきどき
ありがとうございます(*^^*)
アルファポリスの機能は、私もいまいち分かっていません(笑)。
一章読了。現代人にも読みやすい工夫がされているよね!
文体と構成を特に高く評価し、投票。
忖度なしですぜ。ひひ
長い話にも関わらず、読んでいただきましてありがとうございます(*^^*)
この剛介のご子孫の方と取材を通して知り合い、数々の貴重なエピソードを教えて頂きました。
第二章・第三章もぜひお楽しみ下さいませ❤