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第三章 若木萌ゆ
台運寺
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三月。
二本松から毎日福島に通うにはどうしても無理がある距離なので、福島では下宿に入ることになった。だが、一日あれば二本松の家に帰れる距離でもある。ごく近くということもあり、旅立ちの悲壮感は、それほど感じなかった。
明日には福島へ出立するという、その日。剛介は、銃太郎の墓がある台運寺に詣でた。
あの頃は、まさか教師を目指そうとは思わなかった。ひたすら、「公のため」「二本松のため」に尽くすことを教えられ、武士以外の職は考えられなかった。だが、銃太郎が教えてくれたのは砲術だけでない。仁や義など、人として大切にしなければならないことも、多く教わった。これから先も、きっと自分は銃太郎の背を追いかけていくに違いない。
今の自分を先生が見たら、どのような感想を持っただろう。
長いこと銃太郎の墓前で手を合わせた後、そろそろ家へ戻ろうとした時である。
ふと、背後に人の気配を感じた。そこには、一人の老人が立っていた。
「御家老……」
相手は、あの丹羽丹波だった。猪苗代で、一度は剛介を見放そうとした人物である。
長いこと、忘れられない顔でもあった。もっとも、出会った時に既に相手は初老だったはずだが、あの時から相手はさらに年老いている。鋭かった眼光も、今では穏やかなものになっていた。
剛介は、黙って会釈をして立ち去ろうとした。
「待て」
その声に、思わず足を止めた。相変わらず、声だけは鋭い。
「少し、付き合わぬか。武谷剛介」
よく、相手は自分のことを覚えていたものだと思う。そもそも父の作左衛門はともかく、剛介は一介の藩士の子弟に過ぎない。それも、母成峠で戦った一〇〇人のうちの一人で、猪苗代でわずかに声をかけられただけだ。やはり剛介と丹波も、切れぬ因縁があるということなのだろうか。
磐根との会話を思い出し、剛介の体は自然と強張った。
丹波は、剛介と同じように銃太郎の墓前に手を合わせると、長いこと、そのまま動こうとはしなかった。
やがて、ぽつりと呟いた。
「儂を、恨んでいるか」
思いがけない、丹波の言葉だった。剛介は、丹波の意図が分からずに困惑した。その様子を見て、丹波は「猪苗代のことじゃ」と付け加えた。
「いいえ」
きっぱりと、剛介は言った。
「一昔も前に、過ぎたことです」
丹波は、足元に視線を落とした。
「詫びもさせてくれぬのか。一年前と同じように」
「一年前……」
昨年は半年余りも九州で戦塵に塗れていた。その前の秋に初めて二本松に里帰りしたのだが、あの時の剛介の里帰りを知っているのは、下長折の家族と水野と虎治、磐根くらいのものである。
「心安寺を訪れたことがあっただろう」
そういえば先祖への報告も兼ねて心安寺にも足を運んでいたと、今さらながら思い出した。
あそこにも、仲間の墓がある。木村道場の者では、徳田哲次、木村丈太郎、高橋辰治らが眠っていた。二本松に帰ってきてから、水野からそのことを教えられたので、剛介も先日墓参りに行ってきたばかりだった。
「心安寺でお主を見かけた時は、息が止まるかと思うた」
丹波の言葉に、剛介は戸惑った。丹波は丹羽一族に系譜を連ねるから、丹波の菩提寺は大輪寺か蓮華寺のはずである。ということは、個人的に少年たちの墓参りに来ていたのだろう。そして、そこで成長した剛介を見かけたということか。
まさか、丹波が自分のことを気にかけていたとは思わず、「はあ」と間抜けな声が出た。
そんな剛介に構わず、丹波は続けた。
猪苗代で剛介らが出立した後、丹波たちは二十三日に若松に到着した。だが、既に若松城下は火に包まれ、とても城に入って会津と共に戦うどころではなかった。
「もう、我々は戦うことすら無理だと、鳴海に諭された」
丹波は、自嘲するかのように口元を歪めた。
そこで、公のいらっしゃる米沢を目指すことにして、会津から米沢への入り口の一つである塩川に向かった。塩川で麗性院らと合流し、桧原峠を越えて三十日にようやく米沢に辿り着くことができた。
だが家老座上かつ軍事総裁であった丹波は、米沢では戦犯として厳しい眼差しに晒された。米沢でも厳重な監視下に置かれ、そのため、他の藩士よりも帰藩が遅れた。かつての軍務総裁という立場を慮ってのことだろう。明治になってからの新体制の二本松藩の執政からは、丹波は一切外された。名前を出すことすら憚れるのではないだろうか。かつて、公に次ぐ権勢を誇ったこの男を恨んだ人も、相当にいたはずである。
「あの猪苗代での三浦の言葉は、堪えた」
思い出した。
三浦の言葉は、散々な言いようだった。
国家老という重職にありながら、何もしなかったではないか。城の危急を救うこともできず、多くの者の義を辱め、名を汚し、自分だけが生き延びようとした。あまつさえ、子供にさえ当たった。
そう言って、丹波を詰った。剛介の知る限り、国家老の丹波に面と向かって罵声を浴びせたのは、義制くらいのものである。
「確かに、三浦の言う通りだった。あの後、三浦に再び説教されたわ。武谷殿のご子息を会津に置き去りにしたことを、いつか詫びよと。だが、二本松に戻ってからも蟄居させられ、下長折を訪ねることすら許されなかった。儂に許されたのは、せいぜい殿のための嘆願書を書いて出府し、亡き者の墓参りをするくらいだった。おかげで、未だに『丹波はいつになったら腹を切るのか』と言う者も多い」
自嘲するように、丹波は口を歪めた。この老人は、あの戦いの後、周りからの責め苦を負いながらひたすら耐えてきたのか。
「あの場におった大谷鳴海も、三浦も、もうこの世にはおらぬ。三浦など、大阪に行ってしまったから墓参りすら出来なくなってしまった」
ここまで心境を吐露されると、さすがに丹波が気の毒になってきた。三浦に対しては、墓前で詫びようにも、あまりにも遠すぎて行くことすら叶えられそうにない。そもそも、丹波自身も数年前にやっと永蟄居が解けたばかりだった。二本松の戦犯の一人ではあるが、あまりにも不自由な身には違いない。
「三浦の理論で言えば、お主も、儂を恨む資格はあろう」
どうだろう。剛介は薩長を憎いと思ったことはあるが、二本松藩の者に対して怨みを持つ気にはなれなかった。思わず、首を横に降った。
「あの頃は、公に忠義を貫くことしか頭にありませんでしたから」
それに。
「私は、会津で生き永らえました。二本松の大切な種子だからこそ、皆様から生きねばならぬと言われましたゆえ」
丹波が目を見開いた。だが、と言葉を続ける。
「お主の同胞も、数多く死んだだろう。その後、生きている事を恥とは思わなかったか」
剛介は、穏やかに微笑んだ。
「皆が死に絶えてしまっては、奥州の復興は成し遂げられませぬ。それ故、生きなければならぬと思ったまでです」
束の間、沈黙が流れた。
あの頃、丹波の振る舞いに嫌気がさしていたのは間違いない。それでも、恨みというのとは違う感情だった。
本当に目の前の老人は、何も考えていなかったのだろうか。確かに、丹波は多くの過ちも犯してきたのだろう。その一方で、半左衛門のような無名の者の才を見出す器量も、多分に持ち合わせていた。剛介の同胞の墓参りに来ていたらしいことからも、どうも一部の者が言うように、単なる奸臣とは思えなくなってきた。
「私からもお尋ねしたき議がございます」
剛介からの質問は、意外だったのだろう。丹波が眉を上げた。
「子供の頃の記憶故、誤解もあろうかとは思いますが。丹波さまについては、良いお話を聽く機会は少のうございました。あの頃の丹波様は、二本松をどうされたかったのでしょう」
剛介は、それが疑問であった。この老人が専横のあまり多くの者を処断し、長らく藩の重鎮の座にあったという噂は、本当だったのだろうか。丹波に見出されたという父の名誉のためにも、そうであってほしくなかった。
「……そうだな」
丹波は、淡々と語った。
儂は、江戸藩邸にも長くあった。それゆえ、薩摩や長州の軍事力が決して侮れないものであることも、よく知っておった。かの藩の下士達は、家柄に関係なく取り立てられることもあり、それが薩長の強みであった。西方は利を上げるのが上手い者が多い。その儲けで最新の軍備を整えた。己の国を富ませるためには、固陋に捕らわれずに柔軟に考える。
そのやり方を、別の形で二本松でも取り入れられないか。そう考えたからこそ、黄山を始めとする商人も探索に向かわせ、商人らの考え方も取り入れようとした。儂のところに多くの商人が訪うていたのは、そのためよ。二本松を富ませるために、できるだけ多くの才を求めようと思い、自ら探して歩いたこともあった。
また、隣には会津がおった。会津には多くの優秀な者たちがいたのは、お主も知っておろう。会津の忠義の精神は、我らが手本とする道でもあった。西方の合理性と、会津の忠義心。それを組み合わせれば、二本松のような小藩でも荒波を乗り越えていけるのではないか。そう思っていた。
だが、それを周りの者には相談できなかった。丹羽の系譜に連なる者が、西国のやり方を真似るなど、他の者たちが認めるはずがない。そもそも、藩の気風が質素倹約だからの。商人らに礼を尽くそうとすれば賂に走ったと言われる。西国のように二本松を富ませる為には、まずは理に叶うことこそが大切だ。そのように考える者を多数召し抱え、強い軍事力を備えたのが、薩摩を始めとする西国の藩だったというのに。
剛介は、息を呑んだ。
確かにあの頃、二本松は質素倹約が美徳とされていた。たとえば、公の食膳であっても、いわしが付けばごちそうの部類であるという具合である。西国の者に軽んじられたのは、そのような経済力の差もあっただろう。丹波は、それを知っていた。
西国の真似をしたくとも、思うようにはいかなかった。二本松は、会津のように親藩であるわけでもない。小さな外様が生き残るには、どうすればよいか。それを常に考えておった。幕府や周りの大藩の信を得るために、富津の砲台番も長く引き受け、水戸の天狗党の征伐にも兵を出した。
だが、その心を分かち合える者があまりにも少なすぎた。信を見せようとすればするほど金がかかり、藩の財政は窮乏していく。藩の穴を繕おうとすれば、鼻持ちならない専横だと藩の者から批判される。
そなたも知っているように、儂の祖父の貴明様は藩校を整備し、多くの人材と交わり、文化を育てて権勢を誇った。その知恵が儂にも受け継がれているはずと教育され、そのようにしてきたつもりだったのだがな。
さらに、大恩のある会津の好意に甘えて藩の御子を委ねるなど、到底許されることではなかった。儂のしたことは、丹羽一族に泥を塗りたくるも同然だった。
「そうだったのですか……」
剛介は、深々と息を吐いた。やはり、丹波も二本松の行く末を案じ、粉骨砕身する日々を送ってきた武士の一人だったということか。
名門の貴顕として育ったからこそ、丹波でなければ見えてこない視点があった。だが、多くの者が丹波の苦悩を理解してこなかった。
「二十八日。儂は会津の辰野殿を追って土湯の国境まで行っていた。三春が裏切り、どういうわけか二本松は講和するという話が、会津に伝えられていた。兵が足りぬのは分かっていたから、会津の助けを求めるために辰野殿に頭を下げて、二十九日に共に二本松に入る約束をした。だが……」
丹波は、そこで言葉を切った。
剛介が初めて知った、落城の日の事実であった。丹波は決して逃げようとしていたのではない。ただ、あまりにも他の家臣に対して、説明できない事情を一人で抱えすぎた。
そのことが、丹波を追い詰めて頑なにしていたのではないか。そして、戦後は人が変わったようにひたすら慰撫や鎮魂につとめた。だが、今までの経緯が経緯だ。人情に篤い反面、裏切り者は決して許さない二本松で、到底理解を得られるとは思えない。
相手が死んでしまって、直接詫びることすら出来ない相手も多くいる。
「結局、儂のつまらぬ見栄が二本松を滅ぼしたも同然だ。二本松の多くの者を、賊に貶めてしまった」
丹波は、吐き捨てるように言った。
「お止めくださいませ」
剛介は、鋭く言った。瞬間、丹波が、剛介の口調にびくりと体を震わせた。
「二本松の者自らが賊を名乗るようになっては、死んだ者たちが浮かばれません」
銃太郎先生を始め、多くの者は二本松を守ろうとして死んだ。決して、錦旗に歯向かうなどと考えなかったに違いない。ただ、公とその民を守りたかっただけだ。
さらに、剛介は言葉を重ねた。
「我々が、奥羽同盟の信義の為に戦ったのは、西軍の暴挙に憤ったからでありましょう。あの時の薩長の暴挙を許そうとは思いません。彼らは我々のことを一方的に断罪しようとした。
ですが、薩長が二本松のことをあまりにも知らなかったように、二本松の者もまた、薩長を知ろうとはしなかった。鬼の如く、思いこんでいた。彼らを憎んでいたからこそ、あの戦いに命を賭しました」
剛介は、野津との会話を思い出しながら続けた。
「しかし、薩長の全員がそのような鬼であったわけではございませぬ。薩摩の者に情けをかけられたこともございました」
ふっと、息を吐く。
「私も、西南の役で多くの薩摩の兵を斬って参りました。ですが、私以上に薩摩の同胞を斬ったのも、また薩摩の人間でした。薩摩の者の過ちは、薩摩の者が征伐せねばなるまいと言って」
丹波は目を見張った。
「お主、西南の役にも行ってきたのか」
剛介は頷いた。
「大壇の戦の時の指揮官に、親しく言葉を掛けていただいたこともございます。あの戊辰の役で、二本松は見事な国であると感じたそうです。西郷らは自ら敵を作って戦おうとすることでしか、己の正当性を主張できなかったのだろうと、その御方は申しておりました。東国の国々と共に歩む道を探ろうともせず、義に冥き多くの郷土の者らを扇動した。それが、薩摩の大きな誤りであったと」
「それは、勝者の詭弁であろう」
丹波が吐き捨てるように言った。その言葉は、多くの二本松の民の心を代弁していた。
「そうかもしれませぬ」
剛介は、慎重に答えた。
「ですが、たとえ我々が詭弁と感じたとしても、野津様の中では、亡き者を悼む心に偽りはないのだと思います」
剛介はそう言うと、野津から貰ったあの歌を取り出し、丹波に見せた。
うつ人もうたるる人もあはれなり共に御国の人と思へば
野津が言う御国は、決して薩摩のことだけを指しているのではない。かつての敵国の民も含むのだろう。野津を始め、剛介らを見逃してくれた兵や、安部井又之丞や丹羽和左衛門を埋葬した人がいた。又之丞の子を思う心に感動し、又之丞が守ろうとした古事記伝の写しを大切に保管させた者がいた。それもまた、薩摩の人の一面であった。そこまで否定するのは、さすがに人としての道に外れるであろう。
そして丹波の誤解を招く振る舞いもまた、多くの二本松の民を傷つけることになった。もっと早くに其の事を相談していたら、また違った道もあったのかもしれない。
二度の戦いに出陣して学んだことは、固陋に囚われた憎しみだけでは、本当の意味で平かな世は訪れない、ということだった。
丹波が、再び黙り込んだ。
剛介自身も、全く手を汚していないとは言い切れなかった。
「私も、人の事は兎や角言えません。西南の役では、私学校の生徒を始め、多くの若者を幾人も手に掛けてきました」
剛介は、口元を歪ませた。そうしなければ、殺されたのはきっと自分だっただろう。だが、それでも「子供を犠牲にした」という罪のような意識は残る。「戊辰の怨みを晴らした」という爽快感は、遂に得られなかった。戦の本質は、綺麗事だけでは語れない。戊辰や西南の役は、そのことを教えてくれた。
「酷いの」
ようやく、丹波はそれだけを呟いた。
剛介も、否定するつもりはない。戦は酷い。勝っても負けても。
西南の役で戦った者たちは、一昔前の自分らと大きな差はなかったのではないか。剛介はそう思うのである。野津は、それを知っていた。もしかしたら、銃太郎も戦の本質に気付いていたかもしれない。自分たちもあの土地の若者らも、己の誇りと信念を賭して戦った。だが、純粋故に、何と残酷なことだったことか。
「左様。戦は酷いものです。私は、次の種子らには武力を以て事を制そうとするのではなく、知を以て事を制してほしいと思います」
剛介の頭には、先日の磐根や水野との会話があった。これからは武ではなく文を以て民のために尽くす。そのような担い手を育てることこそが、これからの二本松にふさわしい。
「そうか」
丹波は、深々と息をついた。
「知を以て、か」
「かの土地の者らは、親兄弟でも敵味方に分かれ、同胞で殺し合わねばなりませんでした。それも戦の本質と言えばそれまで。ですが、そこまで彼らを駆り立てたものは、彼らが義と信ずるものでした。
結局のところそれぞれの義があり、それが全てと思いこんでいる限りは必ず敵を生み、争いを招く。その犠牲になるのは多くの無辜の民です。徴兵制が敷かれ、これからは武士だけでなく多くの民も死ぬ機会が増えて参りましょう。そうしないための知恵を持つ人材を、私は育てたいと思っています。それもまた、二本松の武士としての生き様ではないでしょうか」
恐らく、丹波の祖父である貴明が元々目指したのは、そのような二本松の姿だったのではないか。そのために財力を注ぎ、多くの人材と交わった。また、敬学館を整備して藩の子弟の教育にも力を入れた。
やはり、二本松は美しい国だ。
「もう一度訊く。そなたは、儂を恨んではおらぬのか」
丹波は、剛介に再度訊ねた。
「いいえ」
くどい。
「丹波様が私を会津の地に捨てたと言うならば、私も似たようなことをしました」
会津に妻と息子を置いてきたことについては、弁明するつもりはない。だが、私欲の為に、会津の苗木を二本松で育てようとは思わなかった。だから会津に残してきた。
「己がしてきたことについては、弁明するつもりはございません。丹波様が咎人だというなれば、民や我が子を守りきれなかった私も、同じく咎を背負っていくつもりです」
貞信は、ゆくゆくは自分を恨むかもしれない。だが、その苦しみも甘んじて受けようと思う。今の自分には、私人としての矜持よりも、もっと大切なものがあるのだから。
気がつくと、日が傾きつつあった。これ以上、老人を引き止めるのも酷であろうと、剛介は立ち上がった。
「長々と失礼しました。では、これにて」
剛介は、一礼してくるりと体の向きを帰ると、家への道を辿り始めた。
「武谷剛介」
まだ何かあるのか、と剛介は多少うんざりしながら、振り返った。
「お主に生きて再び相まみえることが出来て、本当に良かった」
丹波は、初めて笑顔を見せた。その眼差しは、剛介に対する慈愛が溢れていた。
二本松から毎日福島に通うにはどうしても無理がある距離なので、福島では下宿に入ることになった。だが、一日あれば二本松の家に帰れる距離でもある。ごく近くということもあり、旅立ちの悲壮感は、それほど感じなかった。
明日には福島へ出立するという、その日。剛介は、銃太郎の墓がある台運寺に詣でた。
あの頃は、まさか教師を目指そうとは思わなかった。ひたすら、「公のため」「二本松のため」に尽くすことを教えられ、武士以外の職は考えられなかった。だが、銃太郎が教えてくれたのは砲術だけでない。仁や義など、人として大切にしなければならないことも、多く教わった。これから先も、きっと自分は銃太郎の背を追いかけていくに違いない。
今の自分を先生が見たら、どのような感想を持っただろう。
長いこと銃太郎の墓前で手を合わせた後、そろそろ家へ戻ろうとした時である。
ふと、背後に人の気配を感じた。そこには、一人の老人が立っていた。
「御家老……」
相手は、あの丹羽丹波だった。猪苗代で、一度は剛介を見放そうとした人物である。
長いこと、忘れられない顔でもあった。もっとも、出会った時に既に相手は初老だったはずだが、あの時から相手はさらに年老いている。鋭かった眼光も、今では穏やかなものになっていた。
剛介は、黙って会釈をして立ち去ろうとした。
「待て」
その声に、思わず足を止めた。相変わらず、声だけは鋭い。
「少し、付き合わぬか。武谷剛介」
よく、相手は自分のことを覚えていたものだと思う。そもそも父の作左衛門はともかく、剛介は一介の藩士の子弟に過ぎない。それも、母成峠で戦った一〇〇人のうちの一人で、猪苗代でわずかに声をかけられただけだ。やはり剛介と丹波も、切れぬ因縁があるということなのだろうか。
磐根との会話を思い出し、剛介の体は自然と強張った。
丹波は、剛介と同じように銃太郎の墓前に手を合わせると、長いこと、そのまま動こうとはしなかった。
やがて、ぽつりと呟いた。
「儂を、恨んでいるか」
思いがけない、丹波の言葉だった。剛介は、丹波の意図が分からずに困惑した。その様子を見て、丹波は「猪苗代のことじゃ」と付け加えた。
「いいえ」
きっぱりと、剛介は言った。
「一昔も前に、過ぎたことです」
丹波は、足元に視線を落とした。
「詫びもさせてくれぬのか。一年前と同じように」
「一年前……」
昨年は半年余りも九州で戦塵に塗れていた。その前の秋に初めて二本松に里帰りしたのだが、あの時の剛介の里帰りを知っているのは、下長折の家族と水野と虎治、磐根くらいのものである。
「心安寺を訪れたことがあっただろう」
そういえば先祖への報告も兼ねて心安寺にも足を運んでいたと、今さらながら思い出した。
あそこにも、仲間の墓がある。木村道場の者では、徳田哲次、木村丈太郎、高橋辰治らが眠っていた。二本松に帰ってきてから、水野からそのことを教えられたので、剛介も先日墓参りに行ってきたばかりだった。
「心安寺でお主を見かけた時は、息が止まるかと思うた」
丹波の言葉に、剛介は戸惑った。丹波は丹羽一族に系譜を連ねるから、丹波の菩提寺は大輪寺か蓮華寺のはずである。ということは、個人的に少年たちの墓参りに来ていたのだろう。そして、そこで成長した剛介を見かけたということか。
まさか、丹波が自分のことを気にかけていたとは思わず、「はあ」と間抜けな声が出た。
そんな剛介に構わず、丹波は続けた。
猪苗代で剛介らが出立した後、丹波たちは二十三日に若松に到着した。だが、既に若松城下は火に包まれ、とても城に入って会津と共に戦うどころではなかった。
「もう、我々は戦うことすら無理だと、鳴海に諭された」
丹波は、自嘲するかのように口元を歪めた。
そこで、公のいらっしゃる米沢を目指すことにして、会津から米沢への入り口の一つである塩川に向かった。塩川で麗性院らと合流し、桧原峠を越えて三十日にようやく米沢に辿り着くことができた。
だが家老座上かつ軍事総裁であった丹波は、米沢では戦犯として厳しい眼差しに晒された。米沢でも厳重な監視下に置かれ、そのため、他の藩士よりも帰藩が遅れた。かつての軍務総裁という立場を慮ってのことだろう。明治になってからの新体制の二本松藩の執政からは、丹波は一切外された。名前を出すことすら憚れるのではないだろうか。かつて、公に次ぐ権勢を誇ったこの男を恨んだ人も、相当にいたはずである。
「あの猪苗代での三浦の言葉は、堪えた」
思い出した。
三浦の言葉は、散々な言いようだった。
国家老という重職にありながら、何もしなかったではないか。城の危急を救うこともできず、多くの者の義を辱め、名を汚し、自分だけが生き延びようとした。あまつさえ、子供にさえ当たった。
そう言って、丹波を詰った。剛介の知る限り、国家老の丹波に面と向かって罵声を浴びせたのは、義制くらいのものである。
「確かに、三浦の言う通りだった。あの後、三浦に再び説教されたわ。武谷殿のご子息を会津に置き去りにしたことを、いつか詫びよと。だが、二本松に戻ってからも蟄居させられ、下長折を訪ねることすら許されなかった。儂に許されたのは、せいぜい殿のための嘆願書を書いて出府し、亡き者の墓参りをするくらいだった。おかげで、未だに『丹波はいつになったら腹を切るのか』と言う者も多い」
自嘲するように、丹波は口を歪めた。この老人は、あの戦いの後、周りからの責め苦を負いながらひたすら耐えてきたのか。
「あの場におった大谷鳴海も、三浦も、もうこの世にはおらぬ。三浦など、大阪に行ってしまったから墓参りすら出来なくなってしまった」
ここまで心境を吐露されると、さすがに丹波が気の毒になってきた。三浦に対しては、墓前で詫びようにも、あまりにも遠すぎて行くことすら叶えられそうにない。そもそも、丹波自身も数年前にやっと永蟄居が解けたばかりだった。二本松の戦犯の一人ではあるが、あまりにも不自由な身には違いない。
「三浦の理論で言えば、お主も、儂を恨む資格はあろう」
どうだろう。剛介は薩長を憎いと思ったことはあるが、二本松藩の者に対して怨みを持つ気にはなれなかった。思わず、首を横に降った。
「あの頃は、公に忠義を貫くことしか頭にありませんでしたから」
それに。
「私は、会津で生き永らえました。二本松の大切な種子だからこそ、皆様から生きねばならぬと言われましたゆえ」
丹波が目を見開いた。だが、と言葉を続ける。
「お主の同胞も、数多く死んだだろう。その後、生きている事を恥とは思わなかったか」
剛介は、穏やかに微笑んだ。
「皆が死に絶えてしまっては、奥州の復興は成し遂げられませぬ。それ故、生きなければならぬと思ったまでです」
束の間、沈黙が流れた。
あの頃、丹波の振る舞いに嫌気がさしていたのは間違いない。それでも、恨みというのとは違う感情だった。
本当に目の前の老人は、何も考えていなかったのだろうか。確かに、丹波は多くの過ちも犯してきたのだろう。その一方で、半左衛門のような無名の者の才を見出す器量も、多分に持ち合わせていた。剛介の同胞の墓参りに来ていたらしいことからも、どうも一部の者が言うように、単なる奸臣とは思えなくなってきた。
「私からもお尋ねしたき議がございます」
剛介からの質問は、意外だったのだろう。丹波が眉を上げた。
「子供の頃の記憶故、誤解もあろうかとは思いますが。丹波さまについては、良いお話を聽く機会は少のうございました。あの頃の丹波様は、二本松をどうされたかったのでしょう」
剛介は、それが疑問であった。この老人が専横のあまり多くの者を処断し、長らく藩の重鎮の座にあったという噂は、本当だったのだろうか。丹波に見出されたという父の名誉のためにも、そうであってほしくなかった。
「……そうだな」
丹波は、淡々と語った。
儂は、江戸藩邸にも長くあった。それゆえ、薩摩や長州の軍事力が決して侮れないものであることも、よく知っておった。かの藩の下士達は、家柄に関係なく取り立てられることもあり、それが薩長の強みであった。西方は利を上げるのが上手い者が多い。その儲けで最新の軍備を整えた。己の国を富ませるためには、固陋に捕らわれずに柔軟に考える。
そのやり方を、別の形で二本松でも取り入れられないか。そう考えたからこそ、黄山を始めとする商人も探索に向かわせ、商人らの考え方も取り入れようとした。儂のところに多くの商人が訪うていたのは、そのためよ。二本松を富ませるために、できるだけ多くの才を求めようと思い、自ら探して歩いたこともあった。
また、隣には会津がおった。会津には多くの優秀な者たちがいたのは、お主も知っておろう。会津の忠義の精神は、我らが手本とする道でもあった。西方の合理性と、会津の忠義心。それを組み合わせれば、二本松のような小藩でも荒波を乗り越えていけるのではないか。そう思っていた。
だが、それを周りの者には相談できなかった。丹羽の系譜に連なる者が、西国のやり方を真似るなど、他の者たちが認めるはずがない。そもそも、藩の気風が質素倹約だからの。商人らに礼を尽くそうとすれば賂に走ったと言われる。西国のように二本松を富ませる為には、まずは理に叶うことこそが大切だ。そのように考える者を多数召し抱え、強い軍事力を備えたのが、薩摩を始めとする西国の藩だったというのに。
剛介は、息を呑んだ。
確かにあの頃、二本松は質素倹約が美徳とされていた。たとえば、公の食膳であっても、いわしが付けばごちそうの部類であるという具合である。西国の者に軽んじられたのは、そのような経済力の差もあっただろう。丹波は、それを知っていた。
西国の真似をしたくとも、思うようにはいかなかった。二本松は、会津のように親藩であるわけでもない。小さな外様が生き残るには、どうすればよいか。それを常に考えておった。幕府や周りの大藩の信を得るために、富津の砲台番も長く引き受け、水戸の天狗党の征伐にも兵を出した。
だが、その心を分かち合える者があまりにも少なすぎた。信を見せようとすればするほど金がかかり、藩の財政は窮乏していく。藩の穴を繕おうとすれば、鼻持ちならない専横だと藩の者から批判される。
そなたも知っているように、儂の祖父の貴明様は藩校を整備し、多くの人材と交わり、文化を育てて権勢を誇った。その知恵が儂にも受け継がれているはずと教育され、そのようにしてきたつもりだったのだがな。
さらに、大恩のある会津の好意に甘えて藩の御子を委ねるなど、到底許されることではなかった。儂のしたことは、丹羽一族に泥を塗りたくるも同然だった。
「そうだったのですか……」
剛介は、深々と息を吐いた。やはり、丹波も二本松の行く末を案じ、粉骨砕身する日々を送ってきた武士の一人だったということか。
名門の貴顕として育ったからこそ、丹波でなければ見えてこない視点があった。だが、多くの者が丹波の苦悩を理解してこなかった。
「二十八日。儂は会津の辰野殿を追って土湯の国境まで行っていた。三春が裏切り、どういうわけか二本松は講和するという話が、会津に伝えられていた。兵が足りぬのは分かっていたから、会津の助けを求めるために辰野殿に頭を下げて、二十九日に共に二本松に入る約束をした。だが……」
丹波は、そこで言葉を切った。
剛介が初めて知った、落城の日の事実であった。丹波は決して逃げようとしていたのではない。ただ、あまりにも他の家臣に対して、説明できない事情を一人で抱えすぎた。
そのことが、丹波を追い詰めて頑なにしていたのではないか。そして、戦後は人が変わったようにひたすら慰撫や鎮魂につとめた。だが、今までの経緯が経緯だ。人情に篤い反面、裏切り者は決して許さない二本松で、到底理解を得られるとは思えない。
相手が死んでしまって、直接詫びることすら出来ない相手も多くいる。
「結局、儂のつまらぬ見栄が二本松を滅ぼしたも同然だ。二本松の多くの者を、賊に貶めてしまった」
丹波は、吐き捨てるように言った。
「お止めくださいませ」
剛介は、鋭く言った。瞬間、丹波が、剛介の口調にびくりと体を震わせた。
「二本松の者自らが賊を名乗るようになっては、死んだ者たちが浮かばれません」
銃太郎先生を始め、多くの者は二本松を守ろうとして死んだ。決して、錦旗に歯向かうなどと考えなかったに違いない。ただ、公とその民を守りたかっただけだ。
さらに、剛介は言葉を重ねた。
「我々が、奥羽同盟の信義の為に戦ったのは、西軍の暴挙に憤ったからでありましょう。あの時の薩長の暴挙を許そうとは思いません。彼らは我々のことを一方的に断罪しようとした。
ですが、薩長が二本松のことをあまりにも知らなかったように、二本松の者もまた、薩長を知ろうとはしなかった。鬼の如く、思いこんでいた。彼らを憎んでいたからこそ、あの戦いに命を賭しました」
剛介は、野津との会話を思い出しながら続けた。
「しかし、薩長の全員がそのような鬼であったわけではございませぬ。薩摩の者に情けをかけられたこともございました」
ふっと、息を吐く。
「私も、西南の役で多くの薩摩の兵を斬って参りました。ですが、私以上に薩摩の同胞を斬ったのも、また薩摩の人間でした。薩摩の者の過ちは、薩摩の者が征伐せねばなるまいと言って」
丹波は目を見張った。
「お主、西南の役にも行ってきたのか」
剛介は頷いた。
「大壇の戦の時の指揮官に、親しく言葉を掛けていただいたこともございます。あの戊辰の役で、二本松は見事な国であると感じたそうです。西郷らは自ら敵を作って戦おうとすることでしか、己の正当性を主張できなかったのだろうと、その御方は申しておりました。東国の国々と共に歩む道を探ろうともせず、義に冥き多くの郷土の者らを扇動した。それが、薩摩の大きな誤りであったと」
「それは、勝者の詭弁であろう」
丹波が吐き捨てるように言った。その言葉は、多くの二本松の民の心を代弁していた。
「そうかもしれませぬ」
剛介は、慎重に答えた。
「ですが、たとえ我々が詭弁と感じたとしても、野津様の中では、亡き者を悼む心に偽りはないのだと思います」
剛介はそう言うと、野津から貰ったあの歌を取り出し、丹波に見せた。
うつ人もうたるる人もあはれなり共に御国の人と思へば
野津が言う御国は、決して薩摩のことだけを指しているのではない。かつての敵国の民も含むのだろう。野津を始め、剛介らを見逃してくれた兵や、安部井又之丞や丹羽和左衛門を埋葬した人がいた。又之丞の子を思う心に感動し、又之丞が守ろうとした古事記伝の写しを大切に保管させた者がいた。それもまた、薩摩の人の一面であった。そこまで否定するのは、さすがに人としての道に外れるであろう。
そして丹波の誤解を招く振る舞いもまた、多くの二本松の民を傷つけることになった。もっと早くに其の事を相談していたら、また違った道もあったのかもしれない。
二度の戦いに出陣して学んだことは、固陋に囚われた憎しみだけでは、本当の意味で平かな世は訪れない、ということだった。
丹波が、再び黙り込んだ。
剛介自身も、全く手を汚していないとは言い切れなかった。
「私も、人の事は兎や角言えません。西南の役では、私学校の生徒を始め、多くの若者を幾人も手に掛けてきました」
剛介は、口元を歪ませた。そうしなければ、殺されたのはきっと自分だっただろう。だが、それでも「子供を犠牲にした」という罪のような意識は残る。「戊辰の怨みを晴らした」という爽快感は、遂に得られなかった。戦の本質は、綺麗事だけでは語れない。戊辰や西南の役は、そのことを教えてくれた。
「酷いの」
ようやく、丹波はそれだけを呟いた。
剛介も、否定するつもりはない。戦は酷い。勝っても負けても。
西南の役で戦った者たちは、一昔前の自分らと大きな差はなかったのではないか。剛介はそう思うのである。野津は、それを知っていた。もしかしたら、銃太郎も戦の本質に気付いていたかもしれない。自分たちもあの土地の若者らも、己の誇りと信念を賭して戦った。だが、純粋故に、何と残酷なことだったことか。
「左様。戦は酷いものです。私は、次の種子らには武力を以て事を制そうとするのではなく、知を以て事を制してほしいと思います」
剛介の頭には、先日の磐根や水野との会話があった。これからは武ではなく文を以て民のために尽くす。そのような担い手を育てることこそが、これからの二本松にふさわしい。
「そうか」
丹波は、深々と息をついた。
「知を以て、か」
「かの土地の者らは、親兄弟でも敵味方に分かれ、同胞で殺し合わねばなりませんでした。それも戦の本質と言えばそれまで。ですが、そこまで彼らを駆り立てたものは、彼らが義と信ずるものでした。
結局のところそれぞれの義があり、それが全てと思いこんでいる限りは必ず敵を生み、争いを招く。その犠牲になるのは多くの無辜の民です。徴兵制が敷かれ、これからは武士だけでなく多くの民も死ぬ機会が増えて参りましょう。そうしないための知恵を持つ人材を、私は育てたいと思っています。それもまた、二本松の武士としての生き様ではないでしょうか」
恐らく、丹波の祖父である貴明が元々目指したのは、そのような二本松の姿だったのではないか。そのために財力を注ぎ、多くの人材と交わった。また、敬学館を整備して藩の子弟の教育にも力を入れた。
やはり、二本松は美しい国だ。
「もう一度訊く。そなたは、儂を恨んではおらぬのか」
丹波は、剛介に再度訊ねた。
「いいえ」
くどい。
「丹波様が私を会津の地に捨てたと言うならば、私も似たようなことをしました」
会津に妻と息子を置いてきたことについては、弁明するつもりはない。だが、私欲の為に、会津の苗木を二本松で育てようとは思わなかった。だから会津に残してきた。
「己がしてきたことについては、弁明するつもりはございません。丹波様が咎人だというなれば、民や我が子を守りきれなかった私も、同じく咎を背負っていくつもりです」
貞信は、ゆくゆくは自分を恨むかもしれない。だが、その苦しみも甘んじて受けようと思う。今の自分には、私人としての矜持よりも、もっと大切なものがあるのだから。
気がつくと、日が傾きつつあった。これ以上、老人を引き止めるのも酷であろうと、剛介は立ち上がった。
「長々と失礼しました。では、これにて」
剛介は、一礼してくるりと体の向きを帰ると、家への道を辿り始めた。
「武谷剛介」
まだ何かあるのか、と剛介は多少うんざりしながら、振り返った。
「お主に生きて再び相まみえることが出来て、本当に良かった」
丹波は、初めて笑顔を見せた。その眼差しは、剛介に対する慈愛が溢れていた。
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