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第三章 若木萌ゆ
再出発
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明治十一年、二月。
剛介は一旦下長折の実家に帰省し、事の次第を説明した。
会津に「妻子を残してきた」と聞くと、母の紫久はひどくがっかりした。ついぞ会うことのなかった嫁や孫に会うことを、心底楽しみにしていたのだろう。
「離縁……」
半左衛門も達も、また渋い顔をした。「御子」を大切にする二本松において、子を捨ててまで新たな人生を切り開くなど、ひどく嫌がられる話には違いない。
だが、剛介の性分を考えると、私情の為に会津に残るのはいずれ無理が来るに違いない。遠藤の家はどうも惣領が戻る気配はないというし、家を守るためには、貞信が継ぐのが一番には違いなかった。
剛介は、達と共にいずれは遠藤家に詫びに行くということで、養子縁組の離縁話は、決着した。
そして、福島に赴いて入学試験を受け、剛介は一〇〇人のうちの一人に選ばれた。その結果がもたらされると、「これを機に」ということで、二本松町の戸長に養子縁組の届けを出し、剛介は「今村剛介」を名乗るようになった。
養子縁組をした以上、下長折の実家にいるのも憚れる。剛介は義理の母親となった半左衛門の義妹と一緒に、二本松に住み始めた。
新しい住まいは、奇しくも、二ノ丁の元の武家屋敷の辺りにあった。戊辰前は、すぐ近くに箕輪門が望めた地域である。戊辰の役の時に城は焼け落ちてしまったが、それでも、霞ヶ城の路は変わっていない。寒風が小止みになり、入学前の勉強の準備に疲れると、剛介は城跡を散策して回った。
***
「しかし、お主が二本松へ戻ってきて良かった」
既に学校の教員として活躍している水野は、剛介が二本松に戻ってきて以来、再び顔を合わせる仲となっていた。学校の仕事が忙しいはずだが、世間話をする仲間が出来たのが嬉しいようである。学業も積極的に奨励していた二本松らしく、年回りが近いところでは、澤田勝之介や鹿野虎之介も教員になっているという話だった。
目の前にいる朋輩が、昨年の帰郷の折に声を掛けてくれたのも、教員を目指すきっかけの一つである。
「今思えば、私も、銃太郎先生に薫陶を受けた部分も大きいのだろうな」
春の忙しい時機だというのに、水野は剛介の自宅を訪問して、義母が出してくれた茶を啜った。
「とうとう我々も、銃太郎先生の年を越してしまったな」
剛介も、くすりと笑う。
「銃太郎先生が今でも生きておられたなら、どのような教師になっていたと思う?」
剛介の問いに、水野は小首を傾げた。
「砲術はさすがにないだろう。お体に恵まれていたから、体育の教師かな」
なるほど。それが一番しっくりきそうだ。
「または、算術も優れていらっしゃったから、数学も教えられていたかもしれぬな。いずれにせよ、子供らの将来を大切にされる教師になっておられただろう」
二人は、穏やかに微笑んだ。
あの、木村道場での日々が懐かしい。藩命で砲術を学んだ日々ではあったが、それでも、自分たちは砲術だけでなく、もっと多くの事を先生から学んだ。
懐かしい北条谷への道を辿ると、あの頃の自分たちの息遣いが聴こえてくるようだ。
仏壇に手を合わせ、銃太郎の父親の貫治に「銃太郎先生のような、立派な教師になります」というと、貫治は嬉しそうに笑ってくれた。
「何やら、あの頃の銃太郎を思い出す」と言って。
そんなある日。
剛介は、法輪寺に足を運んだ。ここには、江戸帰りが自慢だった小沢幾弥の墓がある。幾弥も、愛宕山で砲術隊の一員として戦った。今となっては彼も懐かしい人物の一人である。
そういえば、安部井家の墓所もこの寺にあると、磐根が言っていた。本丸で自害した安部井又之丞は、父の同僚だった。何とはなしに安部井家の墓石の方へ足を向けると、当の磐根が手を合わせているのに出会った。
「磐根様」
剛介は、思わず声をかけた。若松で磐根と語り合わなかったら、剛介が二本松に戻ってきたか少々疑わしい。磐根もまた、剛介の恩人の一人であった。
「剛介殿か」
磐根は、ゆっくりと振り向いた。
「お父上のお墓参りですか」
「父も、だがな」
磐根の視線の先を追っていくと、その先には「安部井香木」の名前が刻まれていた。享年、二十四歳。
「西南の役で、だ」
磐根が悔しそうに呻く。壮蔵もまた、「香木」と名前を改めて、新たな道を切り開こうとしたのだろう。それなのに。五月末に、三重市の戦いで薩摩兵の銃弾に斃れたという。
「二本松の者が賊軍と言われるのは我慢が出来ない。その汚名を晴らすと言って、弟は陸軍士官学校に入った」
壮蔵は剛介とは異なり、軍人として招集され少尉まで昇りつめた。だが、戊辰の役の激戦を生き抜いた男としては、あまりにも惜しまれる最期だった。
西南の役では、十八名の二本松の士族が命を落とした。福島県内の西南戦争に参加した者のうち、旧会津藩と旧二本松藩は、その人数が突出している。二本松町の場合、安達郡と合わせて百五十九名の元士族が九州の地に赴いた。密かに「戊辰の怨みを晴らす」という意図で、徴募に応じた者もかなりいたのではないだろうか。
「私の教えが間違っていたのか……」
磐根はため息をついた。年の離れた弟を、磐根は養子として養育していたのだった。
「結局、安部井の家は私だけになってしまった」
やるせない。次男の正夫も、三年前に病没したという。
剛介も、黙って手を合わせた。
「なあ、剛介殿。二本松はこのまま薩長閥の言いなりになっていては駄目だ」
磐根の言葉に、剛介はぎょっとした。まさか、反乱を起こそうとでも言うのだろうか。剛介の懸念を感じたのか、磐根は慌てたように、首を振った。
「各々の分を弁えつつも、気力を養い、品行を慎む。志操を正し、学業に励んで知識を広めるべきだ」
どこかで聞いたような言葉だ、と思った。何のことはない。敬学館で常々言い聞かされていたことではないか。
「私は、この土地が好きだ。ただ、それを武士だけのものではなく、あまねく民衆に広めたい。人民が勢いづき、その勢いを増すほどに、天下の福祉が損なわれるようなことがあってはならぬ。天下の重みを一人ひとりが分かち合い、人民としての責務を全うするべきではないだろうか。今度は、公のためではなく、遍く人民の為に、私の本然を全うするつもりだ」
磐根の父である又之丞も、二本松藩の行く末を憂慮していた一人だった。家格が高くないために、藩政に加われずに無念な思いをしたこともあっただろう。だが磐根は、そんな父を心から尊敬していた。一年前に出会ったときもそうだったが、磐根の言葉の端々から亡き父への敬愛が感じられる。
磐根は戦に出ることはなかったが、その見識の広さは端倪すべからずものがある。磐音もまた、二本松が誇る志士の一人だ。きっと、ご自分なりのやり方で、これからの世を切り開こうとしているのだろう。武ではなく文を以て、泰平の世の礎を築こうとしている。
剛介は素直にそう感じた。
「そういえば」
磐根は、首を傾げた。
「お主はあれからどうしていた」
剛介が二本松に戻ってきたというのは、どこからか聞き込んできたらしい。ただ、詳しい事情はあまり人に語りたくなかった。剛介にとっても、特に誇るべきことでもない気がする。
「香木殿と同じように、九州へ参っておりました」
そうか、と磐根は複雑そうな顔をした。弟は戦死したが、剛介は生き残った。これ以上二本松の者の死を聞くのは、磐根も辛いのだろう。剛介の身近で言うならば、大壇口で共に戦った者のうち、半数近くがこの世にいない。それ以外にも、多くの知己が露と消えた。
少しでも明るい話題にしようと、剛介は話を転じた。
「不肖ではありますが」
剛介は、師範学校の給費生に選ばれたことを報告した。それを聞くと、磐根は嬉しそうな顔をした。
「やはり、武谷先生の息子だな」
「そうでしょうか」
剛介も、笑いながら返した。これまでさんざん言われてきたから、姿形が父に似ているという自覚はあった。もっとも、中身は大分違うような気もする。父も戊辰の役の折には臨時の軍監まで任されたくらいだから、兵法や武芸にも通じていたのは確かだろう。だが、遅くに出来た子である剛介には、どうも甘い父であった。機会があれば戦いに出たがっていた自分とは少し違う。
「武谷先生は、身分を気にしない懐をお持ちだった。だからこそ我が父も、武谷先生が丹波様に才を見出されたときにも、当然だと思ったのだろうな」
一人思い出に耽る磐根の言葉に、剛介の耳が止まった。
「どういうことでしょう?」
父が丹波とも関わりがあったとは、初耳である。てっきり、二人には接点がないと思いこんでいた。そういえば、父の口から藩内の政治事情を聞かされたことは、ほとんどなかった。
不審そうな顔をする剛介に、磐根は戸惑ったようだ。
「私の父は早くから勤王の志を持っていたから、丹波様にはどうも煙たがられていた気がする。だが、武谷先生の才にいち早く気付いたのは、先代の丹波様だったと、亡き父上から伺ったことがあった。丹波様の事は好きになれなかったが、丹波様に見出された武谷先生の才とお人柄は、誰しも惚れ込んだと」
磐根の言葉で思い出されることがあった。戊辰の役の時には、雲上人から何度も「武谷先生の息子」と呼びかけられた。てっきり、父は学館の教師か勘定奉行として知られているだけなのだろうと思っていたが、それとはまた別の顔を、父は持っていたということか。
丹波が父の才を認めていたというのも、意外といえば意外だった。家老座上が七十石の小身の藩士と積極的に関わりを持っていたとは、思いもよらなかった。
黙り込んでしまった剛介を、しまった、という顔つきで磐根が見つめている。そもそも、丹波は昔から嫌われる傾向があった。まして、今では二本松藩の戦犯扱いである。
「少々、口が過ぎたかな」
ばつが悪そうな磐根の言葉に、剛介は「いいえ」と答えた。猪苗代での件は、剛介の運命も大きく変えた。あの時の決断を恨んでいるわけでも後悔しているわけでもない。ただ、丹波がどのようなつもりで自分等を置いていくに至ったのか。その心境には興味があった。
「父には父の生き様があったでしょうから。それについて今更、兎や角言うつもりはありません」
剛介は、きっぱり言った。
「そうか」
磐根は、ほっとしたようだった。
「丹波様の件はさておき、剛介殿が二本松の子らを育てるというのは、私も賛成だ。きっと、武谷先生もお喜びだろう」
「ええ」
義母もだが、師範学校の合格を真っ先に報告した相手は、やはり実父だった。結局のところ、兄よりも自分の方が父に近い職を選んだことに生る。
「いつか、私のところに剛介殿の教え子が来るかな」
磐根は愉快そうに笑った。
あり得るかもしれない。国学を愛し、義に篤い磐根は、間違いなくこれからの国造りに欠かせない人物だろう。
「優秀な子を育てられるよう、まずは私が精進致します」
生真面目な顔で剛介は、磐根に宣言した。
「何かあれば、私も力になろう」
二本松の人間らしく、磐根は神妙に頷いた。
剛介は一旦下長折の実家に帰省し、事の次第を説明した。
会津に「妻子を残してきた」と聞くと、母の紫久はひどくがっかりした。ついぞ会うことのなかった嫁や孫に会うことを、心底楽しみにしていたのだろう。
「離縁……」
半左衛門も達も、また渋い顔をした。「御子」を大切にする二本松において、子を捨ててまで新たな人生を切り開くなど、ひどく嫌がられる話には違いない。
だが、剛介の性分を考えると、私情の為に会津に残るのはいずれ無理が来るに違いない。遠藤の家はどうも惣領が戻る気配はないというし、家を守るためには、貞信が継ぐのが一番には違いなかった。
剛介は、達と共にいずれは遠藤家に詫びに行くということで、養子縁組の離縁話は、決着した。
そして、福島に赴いて入学試験を受け、剛介は一〇〇人のうちの一人に選ばれた。その結果がもたらされると、「これを機に」ということで、二本松町の戸長に養子縁組の届けを出し、剛介は「今村剛介」を名乗るようになった。
養子縁組をした以上、下長折の実家にいるのも憚れる。剛介は義理の母親となった半左衛門の義妹と一緒に、二本松に住み始めた。
新しい住まいは、奇しくも、二ノ丁の元の武家屋敷の辺りにあった。戊辰前は、すぐ近くに箕輪門が望めた地域である。戊辰の役の時に城は焼け落ちてしまったが、それでも、霞ヶ城の路は変わっていない。寒風が小止みになり、入学前の勉強の準備に疲れると、剛介は城跡を散策して回った。
***
「しかし、お主が二本松へ戻ってきて良かった」
既に学校の教員として活躍している水野は、剛介が二本松に戻ってきて以来、再び顔を合わせる仲となっていた。学校の仕事が忙しいはずだが、世間話をする仲間が出来たのが嬉しいようである。学業も積極的に奨励していた二本松らしく、年回りが近いところでは、澤田勝之介や鹿野虎之介も教員になっているという話だった。
目の前にいる朋輩が、昨年の帰郷の折に声を掛けてくれたのも、教員を目指すきっかけの一つである。
「今思えば、私も、銃太郎先生に薫陶を受けた部分も大きいのだろうな」
春の忙しい時機だというのに、水野は剛介の自宅を訪問して、義母が出してくれた茶を啜った。
「とうとう我々も、銃太郎先生の年を越してしまったな」
剛介も、くすりと笑う。
「銃太郎先生が今でも生きておられたなら、どのような教師になっていたと思う?」
剛介の問いに、水野は小首を傾げた。
「砲術はさすがにないだろう。お体に恵まれていたから、体育の教師かな」
なるほど。それが一番しっくりきそうだ。
「または、算術も優れていらっしゃったから、数学も教えられていたかもしれぬな。いずれにせよ、子供らの将来を大切にされる教師になっておられただろう」
二人は、穏やかに微笑んだ。
あの、木村道場での日々が懐かしい。藩命で砲術を学んだ日々ではあったが、それでも、自分たちは砲術だけでなく、もっと多くの事を先生から学んだ。
懐かしい北条谷への道を辿ると、あの頃の自分たちの息遣いが聴こえてくるようだ。
仏壇に手を合わせ、銃太郎の父親の貫治に「銃太郎先生のような、立派な教師になります」というと、貫治は嬉しそうに笑ってくれた。
「何やら、あの頃の銃太郎を思い出す」と言って。
そんなある日。
剛介は、法輪寺に足を運んだ。ここには、江戸帰りが自慢だった小沢幾弥の墓がある。幾弥も、愛宕山で砲術隊の一員として戦った。今となっては彼も懐かしい人物の一人である。
そういえば、安部井家の墓所もこの寺にあると、磐根が言っていた。本丸で自害した安部井又之丞は、父の同僚だった。何とはなしに安部井家の墓石の方へ足を向けると、当の磐根が手を合わせているのに出会った。
「磐根様」
剛介は、思わず声をかけた。若松で磐根と語り合わなかったら、剛介が二本松に戻ってきたか少々疑わしい。磐根もまた、剛介の恩人の一人であった。
「剛介殿か」
磐根は、ゆっくりと振り向いた。
「お父上のお墓参りですか」
「父も、だがな」
磐根の視線の先を追っていくと、その先には「安部井香木」の名前が刻まれていた。享年、二十四歳。
「西南の役で、だ」
磐根が悔しそうに呻く。壮蔵もまた、「香木」と名前を改めて、新たな道を切り開こうとしたのだろう。それなのに。五月末に、三重市の戦いで薩摩兵の銃弾に斃れたという。
「二本松の者が賊軍と言われるのは我慢が出来ない。その汚名を晴らすと言って、弟は陸軍士官学校に入った」
壮蔵は剛介とは異なり、軍人として招集され少尉まで昇りつめた。だが、戊辰の役の激戦を生き抜いた男としては、あまりにも惜しまれる最期だった。
西南の役では、十八名の二本松の士族が命を落とした。福島県内の西南戦争に参加した者のうち、旧会津藩と旧二本松藩は、その人数が突出している。二本松町の場合、安達郡と合わせて百五十九名の元士族が九州の地に赴いた。密かに「戊辰の怨みを晴らす」という意図で、徴募に応じた者もかなりいたのではないだろうか。
「私の教えが間違っていたのか……」
磐根はため息をついた。年の離れた弟を、磐根は養子として養育していたのだった。
「結局、安部井の家は私だけになってしまった」
やるせない。次男の正夫も、三年前に病没したという。
剛介も、黙って手を合わせた。
「なあ、剛介殿。二本松はこのまま薩長閥の言いなりになっていては駄目だ」
磐根の言葉に、剛介はぎょっとした。まさか、反乱を起こそうとでも言うのだろうか。剛介の懸念を感じたのか、磐根は慌てたように、首を振った。
「各々の分を弁えつつも、気力を養い、品行を慎む。志操を正し、学業に励んで知識を広めるべきだ」
どこかで聞いたような言葉だ、と思った。何のことはない。敬学館で常々言い聞かされていたことではないか。
「私は、この土地が好きだ。ただ、それを武士だけのものではなく、あまねく民衆に広めたい。人民が勢いづき、その勢いを増すほどに、天下の福祉が損なわれるようなことがあってはならぬ。天下の重みを一人ひとりが分かち合い、人民としての責務を全うするべきではないだろうか。今度は、公のためではなく、遍く人民の為に、私の本然を全うするつもりだ」
磐根の父である又之丞も、二本松藩の行く末を憂慮していた一人だった。家格が高くないために、藩政に加われずに無念な思いをしたこともあっただろう。だが磐根は、そんな父を心から尊敬していた。一年前に出会ったときもそうだったが、磐根の言葉の端々から亡き父への敬愛が感じられる。
磐根は戦に出ることはなかったが、その見識の広さは端倪すべからずものがある。磐音もまた、二本松が誇る志士の一人だ。きっと、ご自分なりのやり方で、これからの世を切り開こうとしているのだろう。武ではなく文を以て、泰平の世の礎を築こうとしている。
剛介は素直にそう感じた。
「そういえば」
磐根は、首を傾げた。
「お主はあれからどうしていた」
剛介が二本松に戻ってきたというのは、どこからか聞き込んできたらしい。ただ、詳しい事情はあまり人に語りたくなかった。剛介にとっても、特に誇るべきことでもない気がする。
「香木殿と同じように、九州へ参っておりました」
そうか、と磐根は複雑そうな顔をした。弟は戦死したが、剛介は生き残った。これ以上二本松の者の死を聞くのは、磐根も辛いのだろう。剛介の身近で言うならば、大壇口で共に戦った者のうち、半数近くがこの世にいない。それ以外にも、多くの知己が露と消えた。
少しでも明るい話題にしようと、剛介は話を転じた。
「不肖ではありますが」
剛介は、師範学校の給費生に選ばれたことを報告した。それを聞くと、磐根は嬉しそうな顔をした。
「やはり、武谷先生の息子だな」
「そうでしょうか」
剛介も、笑いながら返した。これまでさんざん言われてきたから、姿形が父に似ているという自覚はあった。もっとも、中身は大分違うような気もする。父も戊辰の役の折には臨時の軍監まで任されたくらいだから、兵法や武芸にも通じていたのは確かだろう。だが、遅くに出来た子である剛介には、どうも甘い父であった。機会があれば戦いに出たがっていた自分とは少し違う。
「武谷先生は、身分を気にしない懐をお持ちだった。だからこそ我が父も、武谷先生が丹波様に才を見出されたときにも、当然だと思ったのだろうな」
一人思い出に耽る磐根の言葉に、剛介の耳が止まった。
「どういうことでしょう?」
父が丹波とも関わりがあったとは、初耳である。てっきり、二人には接点がないと思いこんでいた。そういえば、父の口から藩内の政治事情を聞かされたことは、ほとんどなかった。
不審そうな顔をする剛介に、磐根は戸惑ったようだ。
「私の父は早くから勤王の志を持っていたから、丹波様にはどうも煙たがられていた気がする。だが、武谷先生の才にいち早く気付いたのは、先代の丹波様だったと、亡き父上から伺ったことがあった。丹波様の事は好きになれなかったが、丹波様に見出された武谷先生の才とお人柄は、誰しも惚れ込んだと」
磐根の言葉で思い出されることがあった。戊辰の役の時には、雲上人から何度も「武谷先生の息子」と呼びかけられた。てっきり、父は学館の教師か勘定奉行として知られているだけなのだろうと思っていたが、それとはまた別の顔を、父は持っていたということか。
丹波が父の才を認めていたというのも、意外といえば意外だった。家老座上が七十石の小身の藩士と積極的に関わりを持っていたとは、思いもよらなかった。
黙り込んでしまった剛介を、しまった、という顔つきで磐根が見つめている。そもそも、丹波は昔から嫌われる傾向があった。まして、今では二本松藩の戦犯扱いである。
「少々、口が過ぎたかな」
ばつが悪そうな磐根の言葉に、剛介は「いいえ」と答えた。猪苗代での件は、剛介の運命も大きく変えた。あの時の決断を恨んでいるわけでも後悔しているわけでもない。ただ、丹波がどのようなつもりで自分等を置いていくに至ったのか。その心境には興味があった。
「父には父の生き様があったでしょうから。それについて今更、兎や角言うつもりはありません」
剛介は、きっぱり言った。
「そうか」
磐根は、ほっとしたようだった。
「丹波様の件はさておき、剛介殿が二本松の子らを育てるというのは、私も賛成だ。きっと、武谷先生もお喜びだろう」
「ええ」
義母もだが、師範学校の合格を真っ先に報告した相手は、やはり実父だった。結局のところ、兄よりも自分の方が父に近い職を選んだことに生る。
「いつか、私のところに剛介殿の教え子が来るかな」
磐根は愉快そうに笑った。
あり得るかもしれない。国学を愛し、義に篤い磐根は、間違いなくこれからの国造りに欠かせない人物だろう。
「優秀な子を育てられるよう、まずは私が精進致します」
生真面目な顔で剛介は、磐根に宣言した。
「何かあれば、私も力になろう」
二本松の人間らしく、磐根は神妙に頷いた。
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