直違の紋に誓って

篠川翠

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第三章 若木萌ゆ

出水

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 六月十七日。別働第三旅団はこの日、出水いずみに足を踏み入れていた。季節は梅雨であり、連日雨が降っている。薩軍は広瀬川にかかる広瀬橋を撤去して防戦していたが、官軍は風雨を冒して広瀬橋、竹宮、鍋町より出水の中心を目指した。官軍の勢いに押されて、薩軍はことごとく山、及び平岩に退却。出水は海岸から薩摩へ入る際の要地であり、更に大口を目指そうとしている別働第三旅団は、絶対にこの地を押さえておかなければならなかった。
 剛介と宇都は、とある屋敷に向かっていた。宇都が出水出身であることを知った上官から、「出水の有力者に、降伏を呼びかけてほしい」と命令を受けていたのである。単身では危険だということで、剛介は宇都に付き合って、出水の武家屋敷に向かった。
 平良たいら川に沿って歩みを進めていくと、宇都は、やがて左手にある高台の方へ足を向けた。その先に、出水の武家屋敷が並んでいるという。やがて見えてきた出水郷は、確かに坂の上に屋敷が並んでいた。土留の石垣の上に、生け垣が作られている。生け垣には、蘇鉄など見慣れぬ樹木も植えられているが、さざんかや犬槙いぬまきを植えた生け垣は、どこか失われた二本松の郭内の光景を思い起こさせた。腕木門を構えた白璧に、黒色の甍が映えている。大きくはないが、美しい街だ。
 高台にある武家屋敷から振り返ると、後方に平民の住む街並みが見えた。その遥か彼方には、雨に烟りながらも青々とした海が広がっている。不知火海しらぬいかいだ。幾つもの帆掛け船が浮かんでいる。視線を目の前に転じれば、武家屋敷の辺りには川石が積まれた石垣が続いてた。だが、遥か向こうの畑には黒煙が上がっていた。方角からして、薩軍が火を放ったに違いない。これから、稲が育つ大切な季節だろうに。今年の出水の収穫は、これで期待できまい。
 傍らの宇都を見ると、黙ったまま、その目に怒りを滾らせている。離れた故郷とはいえ、薩軍の蛮行は許し難いに違いなかった。やがて、一つの家の前で立ち止まった。その門扉の脇には、「伊藤」という表札が掲げられている。家人に案内を請うこともないところを見ると、何度か訪れたことがあるのだろう。
「宇都の倅か」
 出てきた老人は、上物の羽織を纏っており、一目でこの土地の上役だと分かる身なりだった。
「伊藤様」
 剛介が、こちらの方は?と尋ねると出水の上級郷士だという。出水の郷士の顔役で、旧藩時代は百石を拝領していたとのことだった。いわば、長老といったところか。日頃は、あまり行儀が良いとは言えない宇都が、背筋を正している。剛介も、宇都につられて自ずと会釈をした。
「ま、上がれ」
 敵だというのに、同郷の気安さもあってか、伊藤は邸内に二人を招き入れた。
「こっちい戻ってきたのか」
 伊藤の言葉に、宇都は首を横に振った。
「もう戻れもはん。西郷殿に従わなかったあてに、出水での居場所はあいもはんから。警視隊に入っていて、たいかなこてこっちい派遣されたまでです」
 その言葉に、胸を突かれた。宇都は、私学校のやり方に異を唱えたばかりに、出水を出て上京して巡査になった。宇都にとって出水は大切な土地でありながら、戻ることが許されない土地であった。そうさせたのは、一部の人間の私怨のためだったのか。それとも……。
「そげなこちゃあるまい。お主の父母も、ちゃんとこん地で生きちょ。さよも、達者だ」
 伊藤はほんのりと笑った。その言葉を聞くと、宇都が目を見開いた。
 宇都の気持ちは、分かる。剛介も長いこと二本松に戻れないと思い込み、昨年、ようやく帰郷を果たしたばかりだったのだから。
「さよが……」
 その目が、心持ち優しい。ひょっとすると……。
「例の許嫁か」
 剛介の言葉に、宇都が頷いた。
「あの、田原坂でお主に斬りかかってきた者の姉だ」
 息を呑んだ。剛介を助ける為に、この男は義弟を斬ったのか。それが薩摩に生まれた者の定めだったとはいえ、改めて聞くと理不尽極まりないと感じる。
 思い出したように、宇都が上官から託された降伏文書を伊藤に差し出した。伊藤は、黙ってそれを読んでいる。

 今般このたび生捕りたる薩摩人どもを取糺すところ謀反の初より一筋に御国の為とのみ思ひ込み其朝敵たるを弁へずして張本人に荷担いたし候、ともがらも少なからず或は此節にいたり降参致すとも官軍にては其罪を許されずなどふらすに付せんかたなく戦死うちじにと覚悟候者も有之これある相聞へ不便の次第に候右様の義は決して無之義に付たとひ張本人にくみし一旦は官軍に刃向ひ候者たり前非を後悔し其趣を訴へ降参を願ふに於ては其罪を被免ゆるされ候、条一刻も早く理非を弁へ賊軍の汚名を免れ申すべく此旨相諭候事

 明治十年五月  官軍
 先鋒本営

 その文書を一読すると、伊藤は「わかった」と一言だけ、述べた。
あても、出来でくっだけ多くの出水の若者わけもんを救うつもいだ」
「と言うと?」
「政府に、降伏する」
 その言葉の意味を受け入れるには、少々の時間が必要だった。
「つまり出水郷士ん全員が、薩軍ん指揮から離るっちゅうこっと」
 宇都が、問い質した。伊藤が、頷く。
かならしそうさすい。出水の者を、もうこれ以上死なせるわけにはいかん」
 思い切った決断だ。この伊藤も、叶うならば、出水の人間を戦いに晒したくなかったのだろう。だが、私学校に与する区長や若者を、押さえきれなかったに違いない。しばし、宇都は考え込んでいたが、やがて、「さしあたり、川畑様に話を入れておきます」とだけ述べた。恐らく、伊藤の決断に反対する者もいるだろう。だが、長者の言うことには逆らえまい。
 伊藤が溜息をついた。
「私などはもう、とうに楽隠居をして、日がな不知火の海を眺めて暮らすつもいじゃった。そいがどうだ。出水は鹿児島かごっまと政府のいさけにまたしてもっ込まれた。戊辰の役の時とひとっこちな」
 剛介は、伊藤の言葉に驚いた。そういえば以前に、宇都は越後から会津に入ったと述べていた。その時も、出水の者は犠牲になったのだろうか。剛介の疑問に答えるように、宇都がぽつりぽつりと話し出した。
「新潟から、会津に入ったあのときは、十七じゃったな。伊藤様に連れられて、会津までた。あの頃は、雪がっ前に一刻もよ出水にもどろごちゃっと、そいばっかいを願っちょったかな」
 束の間懐かしそうな表情を見せたが、それも一瞬のことだった。今の宇都には、かつての官軍として誇る素振りが見られない。それは、出会った当初から一貫していた。何か、会津でやらかしたのか。
わても、会津では酷いことをしっきたとも。王師ちゅう言葉に痴れて、若松の倉から正々堂々と分捕りもしっきた。みしけ滞在の間に、女も犯した。そん女は、目の前で自刃した」
(やはり)
 この男も、戊辰の戦いを綺麗事だけでは乗り切れなかった。あの頃の薩軍は、あちこちで蛮行を働いていた。「王師」という言葉は、彼らの蛮行の免罪符となったに違いない。
「女を犯したそん瞬間は、快楽しか感じなかったがな。眼の前で喉を突かれたあの瞬間は、今でも夢に出てくるこっがある」
 宇都の顔が、苦しげに歪む。だとしたら、宇都はずっとその業を背負い続けていくのだろう。それだけではない。かつて可愛がっていたという同郷の者も、剛介を助ける為に斬った。その瞬間も、きっと脳裏に焼き付けたまま生きていくのではないか。
「だが、郷士は所詮郷士。我等は牛馬とおんなしとしか、城下士の者たちからは思われておらんかった。そん証拠に、郷士の者が死のうと負傷しようと、薩摩本土からの恩賞は一切支給されなかった」
 伊藤が吐き捨てるように述べた。それどころか、先の戦いで鹿児島の城下士があらかた戦死してしまって薩軍の人数が足りなくなると、他国の者や郷士に目をつけた。
 そもそも、いくら薩摩隼人が勇猛だとはいっても、政府軍に本気で潰しにかかられたら、数ではかなわない。敗けるに決まっている。このままでは無闇に若者の命が失われるだけだ。その償いを、薩軍がしてくれるとは思えない。既に、戊辰の例があるのだから。
「虚心坦懐に戦う、というわけにはいかないものなのですね」
 思わず、そんな言葉が口をついて出た。
「こっちんお人は?」
 伊藤が、不思議そうに剛介の紹介を促した。そういえば、何の紹介もされないままに上がり込んでしまったと、今更ながらに思う。宇都は「同じ隊の者です」と答えるに止めたが、剛介は改めて名乗った。
「会津の遠藤剛介と申します。二本松の生まれで、戊辰では薩摩と戦いました」
 剛介の言葉に、伊藤は黙って頭を下げた。きっと、薩摩の者として奥州に色々と思うところがあるに違いない。実際には、会津を朝敵と見做した薩摩の人間はほんの一部で、多くの者は、特に会津を憎んでいるわけではなかったのだろう。ただ、「会津は朝敵である」と叫ぶ城下士には逆らえなかった。そして、絶対的な固陋の概念に、明治になった今でも囚われている。
 そんな薩摩の人間に対して、ふと憐れみを覚えた。結局、従来の武士の在り方を否定しながら最後まで武士の因習に捕われていたのは、薩摩の人間に他ならないのではないか。そんな一部の薩摩人のために、多くの者が犠牲になった。
 しばらく伊藤と宇都の四方山話が続き、その中で、話は田原坂の戦いに及んだ。伊藤が「三郎が犠牲になった」と言うと、宇都は瞑目した。
「伊藤様。申し訳ござんさん。三郎を斬ったのはあてです」
 宇都が、振り絞るように述べる。だが、その義弟となるはずだった男を斬らせたのは、剛介だった。あの瞬間、宇都の胸に去来したものは何だったのか。
 伊藤は、黙って首を横に振った。
「まだ、戦いは終わっちょらん。薩軍、官軍どっちでんよか。一人ひといでも多く出水の若者わけもんが生っ残っくるれあ」
 伊藤の言葉は、胸を抉った。きっと、剛介も伊藤と同じ立場に立ったのならば、一人でも多くの若者の生還を願うだろう。宇都を初めとして、この地から戦場に発った者の多くは、薩摩の大切な未来だったはずなのだから。 

 伊藤に見送られて、剛介等が伊藤の邸宅を出ようとしたときだった。刹那、垣根の影から飛び出してくる小柄な姿があった。その手には、脇差しが握られている。一回り体の大きな宇都が身をかわすと同時に男の両腕を取り、後手に捩じ上げる。脇差しが、道に落ちた。
 あの御船で捕虜にした、中原だった。中原も出水の出だったのか。不意に、やり場のない怒りを覚えた。
「家に帰ったのではないのか」
 剛介の詰問に、少年はぎゅっと唇を噛み締めている。
「答えろ」
 思わず、口調が荒くなった。
「どんわろもこいも、政府に騙されやがって」
 その言葉を聞いた途端、反射的に手が出た。剛介の拳に、中原の体が軽々と吹っ飛んだ。今まで人を斬ったことはあっても、殴ったことはない。微かな痛みを感じて己の拳を見ると、中原の歯で切れたのか、剛介の右手の甲には、赤の線が刻まれていた。
「辺見先生せんせのためならば、こん体などあったらしものか」
 中原は、剛介に殴られたにもかかわらず、きっかりと視線を据えてきた。
「馬鹿馬鹿しい」
 思わず、吐き捨てる。何のために、お前の命を救ったと思っている。まだ先があるからと思えばこそ、温情を掛けたのではないか。
「そげなお前は、私学校の遣(や)い様(よ)に疑問を持たなかったのか」
 宇都が冷ややかに訊ねた。この男が怒るのも無理はない。宇都は私学校のやり方に異を唱え、故郷を追われた。辺見十郎太は、私学校の教師陣の中でも特に過激派として知られていた。その辺見の言に踊らされた将来の義弟を、斬らなければならなかったのだから。
「出水を捨てていった人に、ないがわかっとですか」
 中原が吐き捨てるように言うと、宇都の顔色が変わった。宇都の痛い所をついたに違いない。
「そいに、川路殿のは卑劣だ。巡査ずんさどんを東京から送って、南洲先生せんせの暗殺を図っちょったじゃねですか。己の立身出世の為に、人の情を利用して」
 それは、剛介も思わないではなかった。警視隊の者は、福島や宮城、群馬、茨城には特別徴募の声が掛けられた。それらの者は、そのことからも、奥州の人間の感情を逆手に取ったのは、明らかだった。また、薩摩出身の巡査は、多くの者が郷士出身だった。それも、「郷士を牛馬と同じ様に扱って良い」とする、忸怩たる感情を逆手に取って川路は盛んに士気を煽った。確かに、その発想は悪鬼のようだ。だが、眼の前の若者が綺麗事の御託を並べているのにも、どこか腹立たしさと空々しさを感じる。戦が綺麗事だけで語れると思っているのか。
 確かに我々は、官軍だ。だが、そういうお前はどうだ。綺麗事ばかりを並べ立てて、何を守ろうとしている。
「では、尋ねる。お前が守るべきものとは何だ」
 剛介の問いに、中原は即座に答えた。
「南洲先生だ」
「それだけか」
 思わず、中原を睨みつける。剛介の冷ややかな気配に押されたか、中原は黙った。
「多くの無辜の民を巻き込み、政府のやり方に異を唱える。それが正道のつもりか。従軍を拒む者に暴威を以て迫り、応じなければ斬殺したというではないか。妻子に危害を加えると脅したとも聞いている。それの、何処が天を敬う行いだという」
 私学校は、そもそも鹿児島士族の手で、亡國を憂慮して作られた学校だった。本来は学問をするべきはずの学校が、専ら軍事教練に力を注ぎ、政府から警戒された。遂には、薩摩の者たちの軍事拠点とされるに至り、日本全国の士族に決起を呼びかけようとした。その矛盾に、どうして気づかない。亡國を防ぐための学校ならば、強兵の在り方だけでなく、いかにして民を守るかを教えるべきだったのではないか。それを怠ったからこそ、徒に力に托み、政府のやり方に異を唱える者が決起したのではないか。
 不意に、疲れを感じた。結局、力に物を言わせ、この土地の民に迷惑を掛けているのは自分たちも同じだ。 
「お前は、まだ若い」
 剛介は、静かに言った。
「お前が学んだのは、力の使い方だけだったのか。それを今一度、考えてみることだ」
「でも」
 まだグズグズと言う中原に、さらに畳み掛けた。
「命さえあれば、いくらでもやり直せる」
 その言葉に、中原がはっと目を見開く。お前まで、自分や宇都のように手を汚す必要はない。そして、中原。我々の行いが正道かどうかは、後世の人間が決めることだ。
「でも、大勢の官軍の人間を斬ったし、ずっと賊と言われるだろう。そのような恥辱を受け続けるならば、死んだ方がましだ」
 そう言うと、中原はうなだれた。
 ああ、この少年も「賊」という蔑称で呼ばれることに耐えきれずに、ずっと薩軍の為に働き続けたのか。いや、出水の出ならば、宇都と同じ様に「郷士」であることに鬱屈した思いを持ち、その鬱屈を晴らさんと、私学校に身を投じたのかもしれない。周りの大人が戊辰の役でどれほど苦しめられたかも知らずに、喜び勇んで薩軍の徴募に応じたのだろう。だが、もうよせ。十分に戦ったではないか。
「お前の父母はどのような形であれ、お前が死ぬことを望んではいないと思うぞ」
 剛介は、努めて口調を和らげた。それは、自分自身が二本松に帰って初めて理解したことでもあり、自分自身が子を持つ身となって知ったことでもある。そして、自分が中原の父母であったならば、やはり生きていてほしいと願うだろう。
 恨みがましいような、それでいて助けを求めるような色が、中原の双眸に浮かんだ。
「大丈夫だ」
 畳み掛けるように、剛介は請け合った。
「私も、公や恩師のためならば、命など惜しくないと思っていた時期もあった。だが、戊辰の戦いで『二本松の種子だからこそ生き延びねばならぬ』と言われ、今こうして生きている。生き延びたからこそ、この地に来た。薩摩の者同士の争いがどのようなものか、確かめる為に」
 中原が、目を見開く。側にいた宇都や伊藤も、剛介の言葉に聞き入っていた。
「今では薩摩の者に助けられ、私も薩摩の者を救いたいと思う。本当は分かっているだろう。憎しみは、新たな憎しみしか生まないのだということを。その業に囚われた一番の犠牲者は、西南の地に暮らす者たちだ」
 官軍も、多くの軍夫を使い、薩軍の残兵をあぶり出すために、民舎に火を掛けている。決して、官軍を名乗っているからといって、威張れたものではない。だからこそ、その醜悪さから目を背けてはならないし、相手が薩摩の者だからといって、もう憎む気にはなれない。薩摩の人間の過ちを一番よく分かっているのは、薩摩の人間なのだから。
「この先、お前が裁きを受けてどこへ遣られるかは、我々も分からない。だが、これ以上自分を責めるな。そして、もう人を傷つけるな。これ以上誰かを殺めれば、それだけお前の癒えぬ傷が増えていく。ここは生き延びて、次に繋げ」
 剛介の言葉に、中原が一筋の涙を流した。

 その知らせが届いたのは、鹿児島との連絡がついた七月下旬だった。別働第三旅団は、新撰旅団しんせんりょだんに後任を託す形で、解団するとの伝達があった。既に、川路は東京に戻されている。一説によると、川路は西郷を監視するために、多くの密偵を放ち、西郷の暗殺を図っていた。また、宇都を初めとする郷士に対しては、「地ゴロと馬鹿にされた悔しさを思い出せ」と盛んに巡査としての仕官を勧め、薩摩の者同士の戦いを促した。結果として多くの薩摩人の怨みを買い、それを危惧した大山巌らが、川路を外すことを決めた。
 それを聞いても、剛介は特に何の感慨も沸かなかった。ただ、胸に去来したものは、「これで会津に帰れる」という安堵感のみであった。
 鹿児島から東京に向う船には、どういうわけか宇都も乗っていた。宇都は元々東京の警視局に籍を置いていたから、東京に戻るのも不自然ではない。だが、その心中は穏やかではないだろう。
 その宇都は、今はぼんやりと船の手すりにもたれかかって、海を眺めていた。視線の向こうには、桜島が噴煙を上げている。
「これからどうするつもりだ」
 剛介は、宇都に訊ねた。
「そうだな。まずは、東京で一旦身の回りを整理こばむいつもいだ」
 宇都は、水面から目を離さずに答えた。
「身の回りを整理んたら、出水で三郎の墓参りをしようとも」
 やはり、あの許嫁の弟を斬ったことは、宇都にとっても無念だったのだろう。その申しなさに、身を竦めた。
 剛介の思いを汲み取ったかのように、宇都は生真面目な表情を崩さずに述べた。
「お前のせいではない。めぐり合わせが悪かったとしか、言いようがないな」
 それに対する返答は、持たなかった。そして、思い出されるのはあの中原のことである。
 一度家に帰されたにも関わらず、二度も官軍に歯向かったため、まだ若年とはいえ、今度は見逃してもらえなかった。恐らく、どこかの監獄に行くことになるだろう。だが、それでも立ち直ってほしいと思う。
 もう、三郎や中原のように、純粋故に、時の権力者の意向に振り回される若者を見たくはない。今はまだ戦が続いているが、恐らく、薩軍は敗けるだろう。総じて見れば、戊辰の役の時と同じように、政府軍はあらゆる面において薩軍を圧倒しているからだ。だが薩軍に身を投じた若者らが、自分のように「賊軍」と言われ続ける人生を送っていいわけはない。
「お前は、会津で巡査ずんさどんつづくいのか」
 今度は、宇都が剛介に問いかけた。
「そうだな……」
 今は、国元へ帰れる安堵感しかないが、この戦が終わったら、再び会津で、薩長に対する反目の空気にさらされるだろう。だが、戦の哀しさを知ってしまった自分には、もう「薩長憎し」の先陣を切ることはできない。
 ふと思い出したのは、二本松への帰郷の際に水野から言われた、「知を以て二本松を守る子らを育てたい」という言葉だった。もしも、三郎や中原のような若者が学んだ内容が武に偏ったものではなく、文治の知識だったならば、彼らの運命はまた違っていただろうか。
「知を以て、か……」
 剛介が何気なく呟いた言葉に、宇都が怪訝な顔をした。
「国元の友が、知を以て国を守る子らを育てたいと言っていた。この戦に出てくる前に、その手伝いをしないかと、誘われていてな」
「いいのじゃらせんか」
 宇都が、軽やかに笑いかけた。
「薩摩の者は、あんまいにも武を重んじすぎた。お主の友のように、知を以て事を進めようちゅう発想があったのならば、薩摩も割れずに済んだかもしれんな」
 そう述べる宇都の横顔は、どこか穏やかな表情だった。



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