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第二章 焦土
大隣寺
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腰を撃たれて、銃太郎は後ろ向きにどうと斃れた。
「先生!」
悲鳴が上がった。銃太郎はそれに構わずむくりと起き上がったが、もう、立ち上がることができない。
「……この重傷では、到底城に入ることは叶わぬ。私の首を取れ。そして、城に退却するのだ」
少年たちは、顔を見合わせた。
「隊長のお怪我は軽症です。我々の肩に縋って、退却しましょう」
虎治が涙声で言った。
「そうです。先生、どうか一緒に」
篤次郎も泣きながら説得にかかった。口々に、「先生」「一緒に御城に入りましょう」と少年たちが叫ぶ。
だが、銃太郎は首を横に振った。
「……押し問答をしている時ではない。早く!」
銃太郎は首を差し伸べた。そして、衛守と目が合った。衛守は一瞬辛そうに目を閉じたが、決意したかのように、一歩前へ踏み出した。
「下がっていなさい」
少年たちを押し止めた。そして刀身をすらりと抜き、真横に構えた。
「御免!」
一言叫ぶと、銃太郎の首に刃を振りかざした。
「うわあ!」
少年たちの間から痛哭の声が上がる。だが手許が狂ったのか一撃では首を落とせず、二度三度と、衛守は刀を振るった。
銃太郎の首が落とされた。
「先生が、死んじまった―。どうしたらいいんだべー!」
誰かが武家言葉も忘れ、地の言葉で泣き叫ぶ。剛介は、あまりにも急な展開に頭がついていかなかった。先程まで、先生は元気に指図していらっしゃたじゃないか。
だが、目の前には既に生気のない銃太郎の首が転がっている。その事実に気がつくと、涙が止まらなくなり、途方もない絶望感が襲ってきた。
あちこちから、「先生」「なして死んじまった」という大きな泣き声が聞こえてくる。銃太郎から後を託された衛守の目からも、涙が流れていた。だがふと見ると、既に敵がこちらへ押し寄せ来つつある。
「さあ、銃太郎殿の体を埋めて、城へ戻ろう」
一刻の猶予もなかった。動ける少年たちは大泣きしながら近くの畑を掘り返して、銃太郎の体をそこに埋めた。そして首は篤次郎が持とうとしたが、思ったよりも重かったのだろう。小柄な篤次郎がよろめいた。
それを見た衛守が篤次郎に手を貸そうと銃太郎の頭髪を掴んだその瞬間、がさごそと竹藪の向こうから音がした。獅子頭の者と、十字の紋を打った陣笠が見える。それに続いて、数十名の西軍の兵がこちらへやってくる。
「敵だ」
「やってしまえ!」
今、無念の死を遂げたばかりの銃太郎の首を前に、皆がぎらぎらと殺気立っている。
衛守は咄嗟に銃太郎の首から手を離し、少年たちを庇うように刀身を持ち替えた。その刀身にはまだ銃太郎の鮮血がこびりついている。しばし、衛守と隊長らしき獅子頭が睨み合った。
「何だ、子供ばかりじゃないか」
西軍の兵が、大声で言った。その言葉を聞いて、剛介はかっとなり柄に手を掛けた。だが反対に、西軍からは次第に殺気が失せていった。
背後の雰囲気を感じ取ったのだろう。獅子頭は、穏やかな口ぶりで言った。
「お主らよう戦ったのう。隊長どんは戦死されたか。痛ましいのう。今は泣いている時ではない。その首級を持って早う引上げるがよい」
少年たちは、信じられない思いで獅子頭を見つめた。西軍にも、情を解する者がいるのか。
少年たちは薩摩兵らと睨み合いながら、じりじりと後退した。
最後に衛守が殿《しんがり》を務め、街道に出ると、皆で城の方へ駆け出した。大壇口から、木村隊の姿が消えた。
それからしばらくして、悠々と薩摩六番隊が大壇の丘へ進んできた。馬上にあって隊を率いるのは、野津七次こと後の陸軍大将、野津道貫《つら》である。激戦であったために隊伍を整える暇はなかったが、自分たちの勝利は決まったも同然である。既に工作部隊に伝令を遣わして、後続の部隊が通りやすいように、目の前にある木柵や胸塁を取り除かせていた。もう後は、街道を進んで二本松城に攻め入るだけだった。
番所のあった吹上茶屋に差し掛かったときである。そこには、一軒の民家があった。
やにわに、二人の青年たちが民家から飛び出してきて、隊列に襲いかかった。
「何事じゃ!」
野津は狼狽した。だが、二人の壮士は真っ直ぐに斬り掛かってきた。たちまち、九人ほどが斬り殺される。襲撃に驚いた馬が暴れ、野津は振り落とされた。その体に一人が襲いかかる。太刀筋は猛烈であり、顔を向けることもできない。部隊は、浮足立って後退しようとした。
「こら、逃げるな!」
逃げようとする部下を、野津は叱った。だがそう言っている側から、剣が襲いかかってくる。どちらが多勢なのか分からないほどの勢いで、薩摩兵らを切り倒していく。野津も、たちまち頭部を始め数カ所を斬られた。多少腕に覚えのあるものであっても、いざ実戦となれば足よりも頭と手が先に出てしまい、鍔元で斬るものである。だが、この二人は落ち着きはらって、次々と一刀で薩摩兵を斬り下げていった。剣道の達人、かつ膂力がなければできないことである。苦痛に耐えながら、野津は感心した。
近くで小隊長の貴島も血を流しながら応戦しているのが、ちらりと見えた。だが、多勢に無勢である。二人の壮士は、やがて銃弾を浴び、蜂の巣のような姿になって息絶えた。
(これがもしも官軍であったならば、あの壮士らの擧は赫赫として青史を照らすに違いない)
野津は一人、胸の中でごちた。
二人の壮士の名は、青山助之丞及び山岡栄治。現在、その戦闘があった地には、顕彰碑が建てられていて、「大壇口の二勇士」と称えられている。
一方、剛介たち木村隊の者は、一旦冠木門の方へ向かった。冠木門から郭内に入り、御両山の間道から城に入ろうと考えたのである。既に何人が落伍したのか、もう分からなくなっていた。だが、若宮に差し掛かった途端、衛守が慌てて一同を制した。衛守の指した方を見ると、至る所に兵が充満し、双方が斬り合っている。中には日の丸の肩章をつけた会津兵の姿もあるようだった。一ノ丁、二ノ丁の方からも、火の手が上がっている。
西軍も東軍も至る所で切り合い、撃ち合っていた。郭内に入るのは、危険極まりない。
「ここで飛び込んでも、犬死にするだけだ。一旦、香泉寺へ向かおう。香泉寺に銃太郎殿の首を埋めてから、大隣寺へ行こう。あそこは代々の御霊廟がある」
衛守の言葉に、その場にいた者たちが頷く。香泉寺には、大きな野仏がある。その奥に、丹羽家の菩提寺でもある大隣寺があった。確かに、丹羽家の祖廟を西軍の蛮行から守らんとして、どこかの隊が守備に回されているのはあり得る話だった。
「はいっ!」
「大壇口から西軍共が登ってくる前に、急ごう」
一行は来た道を引き返し、再び緩やかな坂を下り始めた。そして、大隣寺の手前にある大石まで来たときである。
「衛守様!」
篤次郎が、鋭く言った。前方で、何やら十数人がこちらに向かってしきりに手を振っている。
「味方かもしれません」
才次郎が、嬉しそうに言い、飛び出そうとした。いや、もはやそうであって欲しいという願望だったのかもしれない。
「待て!才次郎」
衛守は、前方の兵の陣笠に十字紋があるのを認めた。薩摩兵である。
「伏せろっ!」
衛守が命令した途端、轟音が響いた。少年たちは、がばっと腹ばいになった。
銃声が止み、剛介は恐る恐る顔をもたげて首を捩った。石の前には、衛守の体が横たわり、その胸からは血が流れていた。即死だったらしい。そこから少し離れたところに、篤次郎も転がっていた。こちらも、ぴくりとも動かない。
まさか、二人ともやられてしまったのか。再び、絶望感に襲われた。
「おい、子供ばかりだ」
敵の隊長らしき男が、眉を顰めて何やら天を指している。その意図を掴みかねていると、周りの兵は空へ向かって撃ち始めた。どうやら、「逃げろ」という合図のようだった。
才次郎が真っ先に飛び出し、銃太郎の首を拾い上げた。それを合図に、少年たちは寺の裏手に回り、眼の前に広がる崖に取り付いた。
再び、背後から銃声が聞こえる。今度は、明らかに少年等に狙いを定めたものだった。
剛介も、爪が剥がれかけているのにも関わらず、必死で木の根を掴んだ。杉の木陰に身を隠しながら、息を殺す。幸い、敵もここまで追ってくる様子はなかった。
だが、皆散り散りになってしまった。もう、近くに剛介を導いてくれる大人はいない。
(考えろ……)
朝からの戦闘と逃避行で、体は既に限界を迎えつつあった。だが、ここで立ち止まったら確実に犬死である。剛介は、考えをまとめようとした。昨日、隊長の銃太郎や副隊長の衛守に伝えられた情報を思い出せ。
大隣寺に敵が現れたということは、永田口の種橋様の小隊は、既に移動している可能性がある。冠木門を通って正面から郭内に侵入するのは、一人では無理だ。となれば、西谷の裏門か、さらにその奥を守る龍泉寺の大谷鳴海隊を頼り、裏から城に入るしかない。
剛介は、用水路を眼下の目印にしながら、山中を走った。
一方、散り散りになった者のうち、数名が香泉寺の大仏前に姿を現した。既に西軍は、大隣寺にもやってきて宝物庫の押さえにかかっているようである。後で分捕りするつもりなのだろうか。
首を持っている才次郎は、西軍らの所業を見て、怒りに身を震わせた。
「才次郎さん」
誰か囁いている。徳田鉄吉だった。その側には、遊佐辰弥もいた。
「無事だったか」
才次郎は、そっと息を吐き出した。
「うん。向こうで、勝十郎さんたちが待っている」
だが、先生の首を持っている限りは、身動きが取れない。敵に見つからないように、そっと寺裏にある桑畑に潜り込み、そこに皆で穴を掘って先生の首を埋め、大きな石を置いて目印とした。
こんな場所で申し訳ないと、再び涙が溢れそうになるのをこらえる。
こっち、と鉄吉が手招きする。それに従っていくと、確かに直違の肩章をつけた少年たちがいた。
香泉寺にたどり着けたのは、才次郎と鉄吉の他には、年長の大桶勝十郎、高橋辰治、遊佐辰弥、後藤釥太、そして思いがけず参戦してきた久保豊三郎だけだった。大壇口の砲撃戦の際にもばらばらになったし、もはや誰が生きていて誰が死んだのか、皆目見当もつかなかった。
この場で一番年長なのは、十七歳の勝十郎である。自ずと、皆は勝十郎が何か言い出すのを待っていた。
「こうなった以上、固まっているのは危険だ。後は、皆心の赴くままに行動しよう」
勝十郎は、きっぱりと言った。それを聞いた豊三郎が、泣きそうな顔をした。大壇口で兄の鉄次郎が斃れたのを見たから、一人ではどうしていいのか、不安なのだろう。
「俺は、豊三郎と一緒に西へ行く」
釥太が一つ頷いて、豊三郎の手を握ってやった。
「分かった。では、私はもう一度御城を目指す。皆、気をつけて」
勝十郎が飛び出す。
「俺も、西軍の奴らを倒しに行く。あれ以上、好き勝手にさせてなるものか」
残った者たちは、怒りに身を任せるままにして、城下への道をたどり始めた。
「先生!」
悲鳴が上がった。銃太郎はそれに構わずむくりと起き上がったが、もう、立ち上がることができない。
「……この重傷では、到底城に入ることは叶わぬ。私の首を取れ。そして、城に退却するのだ」
少年たちは、顔を見合わせた。
「隊長のお怪我は軽症です。我々の肩に縋って、退却しましょう」
虎治が涙声で言った。
「そうです。先生、どうか一緒に」
篤次郎も泣きながら説得にかかった。口々に、「先生」「一緒に御城に入りましょう」と少年たちが叫ぶ。
だが、銃太郎は首を横に振った。
「……押し問答をしている時ではない。早く!」
銃太郎は首を差し伸べた。そして、衛守と目が合った。衛守は一瞬辛そうに目を閉じたが、決意したかのように、一歩前へ踏み出した。
「下がっていなさい」
少年たちを押し止めた。そして刀身をすらりと抜き、真横に構えた。
「御免!」
一言叫ぶと、銃太郎の首に刃を振りかざした。
「うわあ!」
少年たちの間から痛哭の声が上がる。だが手許が狂ったのか一撃では首を落とせず、二度三度と、衛守は刀を振るった。
銃太郎の首が落とされた。
「先生が、死んじまった―。どうしたらいいんだべー!」
誰かが武家言葉も忘れ、地の言葉で泣き叫ぶ。剛介は、あまりにも急な展開に頭がついていかなかった。先程まで、先生は元気に指図していらっしゃたじゃないか。
だが、目の前には既に生気のない銃太郎の首が転がっている。その事実に気がつくと、涙が止まらなくなり、途方もない絶望感が襲ってきた。
あちこちから、「先生」「なして死んじまった」という大きな泣き声が聞こえてくる。銃太郎から後を託された衛守の目からも、涙が流れていた。だがふと見ると、既に敵がこちらへ押し寄せ来つつある。
「さあ、銃太郎殿の体を埋めて、城へ戻ろう」
一刻の猶予もなかった。動ける少年たちは大泣きしながら近くの畑を掘り返して、銃太郎の体をそこに埋めた。そして首は篤次郎が持とうとしたが、思ったよりも重かったのだろう。小柄な篤次郎がよろめいた。
それを見た衛守が篤次郎に手を貸そうと銃太郎の頭髪を掴んだその瞬間、がさごそと竹藪の向こうから音がした。獅子頭の者と、十字の紋を打った陣笠が見える。それに続いて、数十名の西軍の兵がこちらへやってくる。
「敵だ」
「やってしまえ!」
今、無念の死を遂げたばかりの銃太郎の首を前に、皆がぎらぎらと殺気立っている。
衛守は咄嗟に銃太郎の首から手を離し、少年たちを庇うように刀身を持ち替えた。その刀身にはまだ銃太郎の鮮血がこびりついている。しばし、衛守と隊長らしき獅子頭が睨み合った。
「何だ、子供ばかりじゃないか」
西軍の兵が、大声で言った。その言葉を聞いて、剛介はかっとなり柄に手を掛けた。だが反対に、西軍からは次第に殺気が失せていった。
背後の雰囲気を感じ取ったのだろう。獅子頭は、穏やかな口ぶりで言った。
「お主らよう戦ったのう。隊長どんは戦死されたか。痛ましいのう。今は泣いている時ではない。その首級を持って早う引上げるがよい」
少年たちは、信じられない思いで獅子頭を見つめた。西軍にも、情を解する者がいるのか。
少年たちは薩摩兵らと睨み合いながら、じりじりと後退した。
最後に衛守が殿《しんがり》を務め、街道に出ると、皆で城の方へ駆け出した。大壇口から、木村隊の姿が消えた。
それからしばらくして、悠々と薩摩六番隊が大壇の丘へ進んできた。馬上にあって隊を率いるのは、野津七次こと後の陸軍大将、野津道貫《つら》である。激戦であったために隊伍を整える暇はなかったが、自分たちの勝利は決まったも同然である。既に工作部隊に伝令を遣わして、後続の部隊が通りやすいように、目の前にある木柵や胸塁を取り除かせていた。もう後は、街道を進んで二本松城に攻め入るだけだった。
番所のあった吹上茶屋に差し掛かったときである。そこには、一軒の民家があった。
やにわに、二人の青年たちが民家から飛び出してきて、隊列に襲いかかった。
「何事じゃ!」
野津は狼狽した。だが、二人の壮士は真っ直ぐに斬り掛かってきた。たちまち、九人ほどが斬り殺される。襲撃に驚いた馬が暴れ、野津は振り落とされた。その体に一人が襲いかかる。太刀筋は猛烈であり、顔を向けることもできない。部隊は、浮足立って後退しようとした。
「こら、逃げるな!」
逃げようとする部下を、野津は叱った。だがそう言っている側から、剣が襲いかかってくる。どちらが多勢なのか分からないほどの勢いで、薩摩兵らを切り倒していく。野津も、たちまち頭部を始め数カ所を斬られた。多少腕に覚えのあるものであっても、いざ実戦となれば足よりも頭と手が先に出てしまい、鍔元で斬るものである。だが、この二人は落ち着きはらって、次々と一刀で薩摩兵を斬り下げていった。剣道の達人、かつ膂力がなければできないことである。苦痛に耐えながら、野津は感心した。
近くで小隊長の貴島も血を流しながら応戦しているのが、ちらりと見えた。だが、多勢に無勢である。二人の壮士は、やがて銃弾を浴び、蜂の巣のような姿になって息絶えた。
(これがもしも官軍であったならば、あの壮士らの擧は赫赫として青史を照らすに違いない)
野津は一人、胸の中でごちた。
二人の壮士の名は、青山助之丞及び山岡栄治。現在、その戦闘があった地には、顕彰碑が建てられていて、「大壇口の二勇士」と称えられている。
一方、剛介たち木村隊の者は、一旦冠木門の方へ向かった。冠木門から郭内に入り、御両山の間道から城に入ろうと考えたのである。既に何人が落伍したのか、もう分からなくなっていた。だが、若宮に差し掛かった途端、衛守が慌てて一同を制した。衛守の指した方を見ると、至る所に兵が充満し、双方が斬り合っている。中には日の丸の肩章をつけた会津兵の姿もあるようだった。一ノ丁、二ノ丁の方からも、火の手が上がっている。
西軍も東軍も至る所で切り合い、撃ち合っていた。郭内に入るのは、危険極まりない。
「ここで飛び込んでも、犬死にするだけだ。一旦、香泉寺へ向かおう。香泉寺に銃太郎殿の首を埋めてから、大隣寺へ行こう。あそこは代々の御霊廟がある」
衛守の言葉に、その場にいた者たちが頷く。香泉寺には、大きな野仏がある。その奥に、丹羽家の菩提寺でもある大隣寺があった。確かに、丹羽家の祖廟を西軍の蛮行から守らんとして、どこかの隊が守備に回されているのはあり得る話だった。
「はいっ!」
「大壇口から西軍共が登ってくる前に、急ごう」
一行は来た道を引き返し、再び緩やかな坂を下り始めた。そして、大隣寺の手前にある大石まで来たときである。
「衛守様!」
篤次郎が、鋭く言った。前方で、何やら十数人がこちらに向かってしきりに手を振っている。
「味方かもしれません」
才次郎が、嬉しそうに言い、飛び出そうとした。いや、もはやそうであって欲しいという願望だったのかもしれない。
「待て!才次郎」
衛守は、前方の兵の陣笠に十字紋があるのを認めた。薩摩兵である。
「伏せろっ!」
衛守が命令した途端、轟音が響いた。少年たちは、がばっと腹ばいになった。
銃声が止み、剛介は恐る恐る顔をもたげて首を捩った。石の前には、衛守の体が横たわり、その胸からは血が流れていた。即死だったらしい。そこから少し離れたところに、篤次郎も転がっていた。こちらも、ぴくりとも動かない。
まさか、二人ともやられてしまったのか。再び、絶望感に襲われた。
「おい、子供ばかりだ」
敵の隊長らしき男が、眉を顰めて何やら天を指している。その意図を掴みかねていると、周りの兵は空へ向かって撃ち始めた。どうやら、「逃げろ」という合図のようだった。
才次郎が真っ先に飛び出し、銃太郎の首を拾い上げた。それを合図に、少年たちは寺の裏手に回り、眼の前に広がる崖に取り付いた。
再び、背後から銃声が聞こえる。今度は、明らかに少年等に狙いを定めたものだった。
剛介も、爪が剥がれかけているのにも関わらず、必死で木の根を掴んだ。杉の木陰に身を隠しながら、息を殺す。幸い、敵もここまで追ってくる様子はなかった。
だが、皆散り散りになってしまった。もう、近くに剛介を導いてくれる大人はいない。
(考えろ……)
朝からの戦闘と逃避行で、体は既に限界を迎えつつあった。だが、ここで立ち止まったら確実に犬死である。剛介は、考えをまとめようとした。昨日、隊長の銃太郎や副隊長の衛守に伝えられた情報を思い出せ。
大隣寺に敵が現れたということは、永田口の種橋様の小隊は、既に移動している可能性がある。冠木門を通って正面から郭内に侵入するのは、一人では無理だ。となれば、西谷の裏門か、さらにその奥を守る龍泉寺の大谷鳴海隊を頼り、裏から城に入るしかない。
剛介は、用水路を眼下の目印にしながら、山中を走った。
一方、散り散りになった者のうち、数名が香泉寺の大仏前に姿を現した。既に西軍は、大隣寺にもやってきて宝物庫の押さえにかかっているようである。後で分捕りするつもりなのだろうか。
首を持っている才次郎は、西軍らの所業を見て、怒りに身を震わせた。
「才次郎さん」
誰か囁いている。徳田鉄吉だった。その側には、遊佐辰弥もいた。
「無事だったか」
才次郎は、そっと息を吐き出した。
「うん。向こうで、勝十郎さんたちが待っている」
だが、先生の首を持っている限りは、身動きが取れない。敵に見つからないように、そっと寺裏にある桑畑に潜り込み、そこに皆で穴を掘って先生の首を埋め、大きな石を置いて目印とした。
こんな場所で申し訳ないと、再び涙が溢れそうになるのをこらえる。
こっち、と鉄吉が手招きする。それに従っていくと、確かに直違の肩章をつけた少年たちがいた。
香泉寺にたどり着けたのは、才次郎と鉄吉の他には、年長の大桶勝十郎、高橋辰治、遊佐辰弥、後藤釥太、そして思いがけず参戦してきた久保豊三郎だけだった。大壇口の砲撃戦の際にもばらばらになったし、もはや誰が生きていて誰が死んだのか、皆目見当もつかなかった。
この場で一番年長なのは、十七歳の勝十郎である。自ずと、皆は勝十郎が何か言い出すのを待っていた。
「こうなった以上、固まっているのは危険だ。後は、皆心の赴くままに行動しよう」
勝十郎は、きっぱりと言った。それを聞いた豊三郎が、泣きそうな顔をした。大壇口で兄の鉄次郎が斃れたのを見たから、一人ではどうしていいのか、不安なのだろう。
「俺は、豊三郎と一緒に西へ行く」
釥太が一つ頷いて、豊三郎の手を握ってやった。
「分かった。では、私はもう一度御城を目指す。皆、気をつけて」
勝十郎が飛び出す。
「俺も、西軍の奴らを倒しに行く。あれ以上、好き勝手にさせてなるものか」
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