直違の紋に誓って

篠川翠

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第二章 焦土

炎上前日

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 翌二十八日の朝は、どうしたわけか砲声がぴたりと止んだ。
「静かになったな」
 虎治が伸びをしながら、目庇をかざした。
「うん」
 剛介もつられて本宮方面を見る。すると、街道をよろよろと歩いてくる一行が見えた。どうやら、本宮方面で戦っていた部隊が帰ってきたらしい。激闘をくぐり抜けてほぼ徹夜で帰藩したからなのか、随分とやつれた様子である。
 木村隊の後方には、一足先に帰藩していた丹羽右近にわうこん隊が布陣していた。木村隊はこの丹羽右近隊の砲隊という位置づけである。
 おそらく、これから軍議なのであろう。振り返ると、見慣れない陣笠を被った士卒が、右近隊の方から馬を駆って本宮方面に飛び出していくのが見えた。
「先生、あれは大垣藩の紋ではないですか?」
 孫三郎が銃太郎に訊ねたが、銃太郎は首を横に振った。
「迂闊なことを申してはならん」
 そこへ、伝令がやってきた。
 どうしたわけか、「松坂門まで引き揚げるべし」との帰陣命令が出たという。銃太郎は不思議に思い、使いの者に訊ねた。すると、「藩論が降伏と決まったらしい」という。
(そんな馬鹿な)
 確かに、しきりに大垣藩の使者らしきものは姿を見せている。だが、降参の合図である鐘の音も聞こえてこない。
「隊長、おかしくないですか?」
 駒之助が口を尖らせた。剛介もそう思った。まさか、この後に及んで降参だなんて。
「我々は、死を以てのみ、君公の恩に報いるだけです」
 才次郎も、銃太郎に食って掛かっている。
 銃太郎もこの命令には困惑して、衛守と顔を見合わせた。 
「藩命では致し方ない。一旦、松坂門まで引き揚げないか?」
 衛守が少年たちと銃太郎の間を取りなすように、提案した。
「そうですね」 
 少年たちはまだぶつくさ言っていたが、衛守の言う通りである。仕方なく、せっかく据え付けた大砲を大八車に乗せ、それを引いて松坂門を目指した。道は上り坂ということもあって、足取りは重かった。
 やがて松坂門に辿り着くと、仕方なく門扉のところに皆で固まって待機した。
 その時、頭上からドーンという砲声が響き渡った。剛介は、びくりと身を震わせた。
「敵襲ですか?」
 剛介の側にいた衛守が、首を横に振った。
「いや、城の中からだ。何かがおかしい」

 ***
 
 砲声の正体は、一学の提案によるものだった。「世嗣がおられない以上、何としても殿には生き延びて貰わねば、祖廟に申し訳が立たぬ」ということで、意見は一致しているのだが、肝心の長国公が首を縦に振らないのである。
「事は既にここまで至ってしまったのだ。どうして私一人が生き忍ぶことができようか。この病躯はもとより惜しむほどのものでもない。城を枕にして斃れるのみだ」
 そう言って聞かないのである。
「止むを得まい」
 一学はそう呟くと、砲を撃たせた。
「何事だ」
 さすがに、長国公も驚いて布団を跳ね除けた。
「敵襲でございます。急ぎ、城を出るお支度を」
 慌てふためく長国公を布団ごと担がせ、一学は輿に乗せるよう命じた。
 輿に乗せられても尚、公は城に残ると言い張った。だが老臣が涙を流して説得に当たり、遂に公は首を縱に振らざるを得なかった。家老日野源左衛門、用人大谷主米介おおやしゅめのすけ、安井九左衛門、青山助左衛門、崎田傳右衛門、用達梅原剛太左衛門がこれに随行した。これが、二十八日午前十時頃のことである。
 一学はほっと胸を撫で下ろしたが、息をつく暇もない。ただちに、帰藩していた番頭及び重臣らを集め、陣割にかかった。
 
 徹底抗戦が決まると、直ちに城下の陣割りが決められた。城下戦の陣割は、以下の通りである。

 城西 龍泉寺 一個小隊 
        銃士隊長 大谷鳴海
        銃卒隊長 青山伊右衛門
        軍監   黒田傳太
        副軍監  高橋文平
 城西 永田口 一個小隊
        銃士隊長 種橋主馬介
        銃卒隊長 中村太郎左衛門
        軍監   松井織衛
 城南 大壇関門 三個小隊
        銃士隊長 丹羽右近
        副隊長  丹羽兵庫
        銃卒隊長 土屋甚右衛門
        同    丹羽伝十郎
        軍監   原兵太夫
 城の東南 光覚寺山 一個小隊
        銃士副隊長 成田助九郎
        銃士副隊長 丹羽主膳
 逢隈川渡船場高田口 二個小隊
        銃士隊長 高根三右衛門
        銃卒隊長 渡辺岡右衛門
        軍監 齋藤半助
        副軍監 下河辺城之助
 逢隈川供中口 二個小隊
        銃士隊長 樽井弥五右衛門
        銃卒隊長 水野九右衛門
        同    吉田数右衛門
        軍監   安田宗十郎
 城東 三森町口 一個小隊
        銃卒隊長 上田清左衛門
 大手口 両社山 二個小隊
        銃士隊長 日野大内蔵
        銃卒隊長 齋藤喜兵衛
        軍監   武谷半左衛門
 搦手 竹田門 一個小隊(老人組)
        銃士隊長 本山大助
        軍監   花房直之進
        副軍監  羽木権太兵衛
 松坂門 一個小隊
        銃士副隊長 丹羽内蔵助
        同     和田弓人
        同     丹羽直記
 池の入門 一個小隊
        銃士副隊長 丹羽門十郎
        同     江口伝治
 久保町門 一個小隊
        銃士副隊長 本山主税
        同     内藤甚蔵
 西谷馬場末の両門 二個小隊
        持筒頭   丹羽九郎
        持筒頭   佐野善兵衛
 城背塩沢口 一個小隊
        長柄奉行  下河辺梓
        同     千賀孫右衛門
 城内箕輪門 一個小隊
        銃士隊長  丹羽族之助
        旗奉行   高橋九郎


 城内守陣
 家老     丹羽掃部介
        丹羽一学
 大城代    内藤四郎兵衛
 城代     服部久左衛門
 城代     丹羽和左衛門
 軍事奉行   広瀬七郎右衛門
        成田弥格
 用人     丹羽勘右衛門
        瀬尾右衛門兵衛
 郡代     植木次郎右衛門
        丹羽新十郎
 軍監     岩井田内記
        山岡多膳
 副軍監    木村造酒
 勘定奉行   村島清右衛門
        安部井又之丞
 
 正に、総力戦であった。

 だが、和左衛門はまだ諦めていなかった。軍議の解散の後、和左衛門は密かに屋敷を抜け、馬に跨がり本宮もとみや方面に向かった。西軍の先鋒に取り次いでもらおうと思ったのである。
(大垣藩が助力してくれるならば、まだ和議の見込みはある)
 たとえ殿が無事に同盟藩である米沢へ落ち延びたとしても、肝心の城や城下が灰燼となってしまっては、どうして二本松が蘇ることがあろうか。和左衛門は、その事ばかりを考えてきたからこそ、一学や新十郎のような過激派の意見に傾聴する気にはなれなかったのである。
 しかし、いざ本宮近くまで来てみると、須賀川から進軍してきた仙台・会津兵らと西軍の激しい戦闘が繰り広げられていた。遠方には、どちらが火を放ったものか、あちこちから火の手が上がっているのが見える。
 とても、あの戦中に飛び込めるものではなかった。もはや、和左衛門に出来ることは、城に戻って明日の総攻撃に備えるしかないのではないか。
 無念ではあるが、火の手を避けて安達太良山麓から大きく迂回し、和左衛門はこっそりと屋敷に戻った。
「いかがなされましたか」
 悄然とした主の様子が気になったのだろう。杉村善之介が、声をかけた。
「事は終わった」
 それだけ言うと、和左衛門は口をつぐんだ。きっと明日には、自分は城を枕にして死ぬことになるだろう。
「御酒をお持ちします」
「それは良い。そなたも付き合え」
 家臣の気遣いが嬉しく、和左衛門は微笑んだ。しばしお待ちを、と言い、善之助が厨へと走った。見納めになるかもしれぬ二本松の街並みを目に焼き付けようと、全ての戸を開け放つと、月光の柔らかな光が雪崩込んだ。向こうには、それぞれの門や街道沿いに篝火が炊かれ、錦絵のようである。
 やがて、善之助は盆に徳利と猪口を二つ載せて、持ってきた。
 和左衛門は、黙って杉村に注いでやった。
(皆の者、済まぬ)
 民政に深い感心を持ち、民の為に尽力してきた和左衛門であった。同じ丹羽の姓を持ちながら、容赦なく藩のためと称して独断で御用金を徴収し、専横憚らない丹波らと対立したこともある。だが、それももう明日で終わる。
「のう、善之助」
「何でございましょう」  
「あの北谷きただにの山は、どうなったであろう」
 和左衛門は、昔日を懐かしむように笑った。昔、領内の山林の荒廃を見かねて、和左衛門が自ら人夫に下知して、信夫郡との境三里にも渡って、植林させたものである。
「今は、大層な山になっております」
 善之助はくすりと笑った。善之助の出身の水原村も、その中に含まれていた。
「明日の戦でも、生き永らえてほしいものじゃ。せっかく松や楢を植えたのだからな」
 主の思いを汲み取り、善之助は目頭に熱いものを感じた。 

 ***

 午後になると、松坂門の前で待機していた木村隊に、再び出陣命令が下された。
「やっぱり、降参は間違いだったんだ」
 虎治が拳を突き上げた。
「二本松の武勇を、薩長に思い知らせてやろう」
 篤次郎も、駆け出す。
「こら、お前たち。坂道なのだから足元に気をつけろ」
 慌てて銃太郎が注意した。だが、少年たちの勢いは止まらない。あの曲がりくねった坂道を、大砲の乗せられた大八車が、勢いよく下っていく。
「あっ!」
 大八車を引いていた孫三郎が、石にでも躓いたのか、転んだ。その拍子に、大八車は態勢を崩して勢いよく桑畑の方へ突っ込んでいく。
「誰か、止めろ!」
 衛守の怒鳴る声がした。だが、もう遅い。ガシャガシャと大きな音を立てて、大八車は桑畑の中に突っ込んで止まった。
「砲は、無事か?」
 慌てて銃太郎も桑畑へ飛び込んだ。砲はこれ一門しかない。傷つけたら大事である。
 だが銃太郎が見たところでは、特に傷ついてはいないようだった。
 ほっとしたと同時に、銃太郎は少年たちを叱った。
「まったく、これから戦に臨むのだぞ」
 さすがに、少年たちも自分たちの所業の結果に、しょんぼりとうなだれた。
 それから、桑畑から砲を引き揚げるのは大変な苦労だった。皆でうんうん言いながら、少年たちは苦労して畑の上に砲を引っ張り上げた。
 苦労して引っ張り上げた砲を再び大八車に乗せると、また大壇口に戻り再び砲を据え付けた。
「明日こそは、必ず敵が来るだろう。見張りを怠らないように」
 銃太郎が、一同に言い渡した。
 そこへ、もう一人少年が現れた。
「あれ、兄上?」 
 豊三郎の兄の鉄次郎である。本宮で大砲に吹き飛ばされたというが、額には鉢巻きのように白い包帯が巻かれているのが痛々しい。
「豊三郎、いい加減に家へ戻れ。母上はお前の帰りを待ちわびている」
 母は、既に避難の準備を整えていた。後は、豊三郎が戻り次第城下を離れて米沢に向かうつもりなのだ。
「嫌だ。もう俺だってこの隊に認められたんだ」
 一晩木村隊の皆と行動したことで、妙に肚が据わったのだろう。豊三郎の面構えだけは、他の少年と何ら変わらなかった。
 しばし二人は睨み合い、遂に鉄次郎が根負けした。
「いい弟じゃないか」
 剛介は、ぽんと鉄次郎の背を叩いた。自分も次男なので、何かというと子供扱いされて悔しい豊三郎の気持ちは、よく分かる。
 鉄次郎は合掌して、皆に頭を下げた。ついでに、弟の頭を押さえつけて、強引に頭を下げさせる。
「皆、済まない。この通りだ」
 構わないさ。気にするな。
 そのような声が、あちこちから聞こえた。

  



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