直違の紋に誓って

篠川翠

文字の大きさ
上 下
15 / 46
第一章 二本松の種子

棚倉城落城

しおりを挟む
「何っ!」
 二本松の陣営に、緊張した声が走った。
 六月十五日、磐城の泉藩主である本多能登守が急使を矢吹に遣わしてきて、「正親町中将が奥羽征討のため軍艦七艘で東下し、弊藩(泉藩)は嚮導の命を受けた」と知らせてきたのである。
 東軍が白河口の戦いに気を取られ、海防を念頭に置いていなかったのは、迂闊であった。諸将は相談して、相馬以南の諸藩を防御に当たらせることにした。仙台兵一千余り、米沢兵三中隊及び純義隊、相馬兵、棚倉兵二千余りがいわき三藩の海岸防衛に向かった。それだけで、白河口の東軍の戦力は大きく削がれたことになる。
 さらに、十七日。再度棚倉藩の使者が矢吹に来て、薩摩藩、大村藩の軍艦が常州平潟に着岸したという。
「間違いはないのか」
 丹波は顔を青ざめさせた。棚倉は、平潟と磐城いわきを結ぶ中間にある城下町である。平潟を押さえられたとなれば、海路を使って西軍が大挙して北上し、挟撃される恐れがある。
 西軍が急遽棚倉攻略を決めたのは、新たに参謀補助の座に就いた板垣退助、伊地知正治いじちまさはるらの意見も大きかった。板垣は、「戦が始まってから随分と日が経つが、このままずるずると長引けば恐らく天下が二つに割れてしまうだろう。棚倉を急襲してこれを取り、東軍を脅すべきである」と主張した。棚倉は白河方面と磐城方面を結ぶ中間地点にある。西軍側の戦略としても、白河と磐城の連携を断つ必要があった。
 丹波が危惧したように、西からは因習、備前、柳川、佐土原さどわら諸藩の兵が来て白河城の本隊と合流した。また、薩摩、熊本、佐土原、岡山、柳川、大村の兵は薩摩、長州、大村の軍艦三艘を差し向けて海路から平潟に上陸した。

 西軍の勢いは止まらない。二十四日未明、板垣らは兵七〇〇を率いて、棚倉に攻め込んだ。東軍は金山村(現在の白河市)にある関山に砲台を据えて、棚倉街道沿いにある郷戸村の切通しに胸壁を築いていた。この場の守備についていたのは、会津の小森一貫斎、木村兵庫、土屋鉄之助、仙台の佐藤宮内くないらである。また、一部の相馬兵・棚倉兵も混じっていた。
 午前五時頃、西軍は三方向から攻めてきた。東軍は狼狽してこれを防ごうとしたが、半刻ほどの銃撃戦を経て、ついに敵わなかった。敵にかなわないと見るや、東軍は須賀川にいる本隊へ救援を求める使者を出した。だが、間の悪いことに、前日は大雨だった。川は増水し、橋が流されて道が寸断されていた。そのため、東軍としてもまさか西軍が攻めてくるとは思ってもみなかったのである。
「須賀川から援軍が来る前に、棚倉を落とせ」
 板垣は、そのように命じていた。
 西軍はそのまま驀進ばくしんし、棚倉城の不意を襲った。元々、磐城方面や白河に多数兵を出していた。したがって、城中には戦を任せられている者がわずか三十人あまりしかいなかった。
 午後二時頃、棚倉城から火の手が上がった。既に、棚倉を守っていた元城主阿部正静は福島方面にある、棚倉藩飛び地の保原を目指して落ち延びていった。
 須賀川の陣営にも「棚倉危うし」の報がもたらされると、東軍は白河城へ再び兵を差し向けた。西軍の多くが棚倉を攻めている間に、白河を奪還しようと試みたのである。だが、兵の人数があまりにも少なく、城内から軽くあしらわれて、かえって撃退されてしまった。
 二十四日に棚倉城が落ちると、棚倉応援の二本松三個小隊は仙台の兵と共に引き揚げて、関和久に陣を敷いた。二本松隊は兵を分遣して川原田に陣を張り、釜の子を警衛した。丹羽主膳が、内藤隼人に代わって隊長になり、斎藤半助、黒田傳太が故青山甚五右衛門、故丹羽舎人に代わって軍監になった。

 ***

 この知らせを、剛介たちは木村道場で聞いた。
「仙台は何をやっているんだ」
 虎治が目を吊り上げている。仙台兵のやる気のなさは、既に少年たちの耳にも入っていた。
「それを言うなら、会津だって不甲斐ないじゃないか。そもそも、この戦は会津を助けるために始まったのだろうに」
 ふんふんと鼻息も荒く、孫三郎が銃を磨いている。
「棚倉が落ちたとなれば、物資の流通も厳しくなるな」
 この前までは「落ち着け」と言っていた水野も、暗い顔をしていた。
 剛介も、落ち着かなかった。在京の藩士は、既に禁裏から「賊名」と名指しされ、禁足処分を受けていた。そのことも、少年たちの心に暗い影を落としていた。そもそも、幼帝を誑かしている賊軍は、薩長ではないか。それに追従する西の諸藩も、どうかしている。
「やはり、我々も戦わせてもらうべきだ」
 虎治が言った。
 そうだそうだ!と、皆が息巻いている。上の方々にお願いしてみよう。
 意見がまとまり、誰が嘆願書を書くかという意見が出た。
「剛介。嘆願書を頼む」
 父親が書の師範を務めていることもあり、剛介は比較的達筆の部類である。剛介が腕まくりをしたその時、銃太郎が静かに言った。
「だめだ」
 まさか、銃太郎に止められると思わなかった一同は、驚いて銃太郎を見つめた。銃太郎が言葉を続ける。
「お前たちは、藩の大切な御子だ。これからの二本松藩の将来を担う人材でもある。その大切な種を、むざむざと外に捨てに行かせるわけにはいかない」
 銃太郎の言葉には、千金の重みがあった。
「でも若先生。武士の本懐は、主君の前に死すことでしょう」
 銃太郎の言葉に負けじと、虎治が言い返す。
「今、我々が先生から銃や砲の撃ち方を教えていただいているのは、何のためですか。このような危急の場合のためではないのですか」
 篤次郎も、声を張り上げた。
 正論であった。さすがに、銃太郎も返す言葉がない。
 とにかく、認められない。そう言うと、銃太郎は一旦その話を打ち切った。

 翌日、朝も早くから杉田村に出かけていった少年たちは、いつもにもまして気合が入っていた。昨日、銃太郎から従軍を止められたのがよほど悔しかったと見える。
 大八車に砲弾を積み込み、杉田村に到着するやいなや、早速虎治と篤次郎が砲弾を詰めて、鬱憤を晴らすかのように、ドオンと放った。五丁先程に、もうもうと土煙が上がった。
「突撃!」
 銃太郎の号令と共にわあわあ言いながら、少年たちが腹這いの姿勢から素早く起き上がり、一斉に駆け出す。
 あの木立の一本々々が、西軍の兵だ。きっと、隼人様の分もかたきを取ってやる。
 目的の柳の木にたどり着くと、剛介は、袈裟懸けにスパッと柳の枝を切り落とした。

 だが、少年たちの気を落とすような出来事はさらに続いた。
 二十九日、西軍は早暁の霧に乗じて逢隈川を渡り、川原田の二本松陣営を襲った。ここで、またしても二本松隊は大敗したと記録されている。(高根三右衛門、土屋甚右衛門、斎藤喜兵衛の諸隊)。丹羽右近、奥野彦兵衛、澤崎金右衛門の諸隊が関和久に滞陣していたため、ここで諸隊は合流し、須賀川まで退却。この戦いでは銃士南部権之丞、渡邊新助、軍医桐生玄貫が戦死した。次いで丹羽丹波(軍事総裁)の部下は須賀川に、土屋、高根、斎藤の諸隊は矢吹に、丹羽(右近)、奥野、澤崎の諸隊は小作田に退いたと記録されている。
 この日、さらに白河城の奪還を図るための軍議が開かれた。この席に出席するために、丹羽丹波や大谷鳴海などは小田川の陣営に赴いた。仙台の泉田志摩、増田歴治、会津の辰野源左衛門などを始め、各藩の参謀らが集っている。
「棚倉は既に落ち、白河から東海岸に至るまでの間は、西軍が充満している。かつ七曲の胸壁は白河からの距離はわずか二十丁。我が方の機密が漏れる恐れがあるだけでなく、守山や三春は阿武隈川を隔てており、あてにならない。いっそ、七曲・小田川・矢吹の三箇所を捨て、須賀川を本陣として時機を待って進撃しようではないか」
 そう言い出したのは、仙台の軍監、増田だった。
(信じられん)
 鳴海は思わず増田を睨みつけた。案の定、仙台藩からも反対の声が上がった。
「太田川は既に敵に焼かれた。そのため、小田川の人は毎夜篝火を炊き、或いは哨兵を出して我が軍のために尽くしてくれている。今これを捨てるのはよろしくない。かつ、兵は進むべきものであり、退くものではない」
 反論を述べたのは、同じ仙台藩の大松沢掃部之輔である。
「そういえば」
 増田が、二本松の面々にちらりと視線を投げかけた。
「二本松の奥方は、大垣の出でしたな」
 確かに、長国公の夫人、久子様は大垣の姫君である。その大垣は、譜代の家柄にも関わらず、西軍に与していた。だが、大垣から降伏勧告の使者が来たという話は、聞こえてこない。
「二本松は、密かに西軍と通じているのではあるまいか。二本松が敗北を重ねているのが、何より怪しまれるところであろう」
 とんでもない言いがかりである。刹那、二本松の面々は色めき立った。敗北を重ねているのは、仙台も同じではないか。
 増田の暴言を否定したのは、やはり仙台の氏家兵庫だった。涙を流して怒りを見せている。
「なるほど、数ヶ月の長きにわたって我が軍は白河で勝てないでいる。勢い振るわず、棚倉は陥落し、人心は沮喪させられている。今またこれを捨て、遠く須賀川に退けば、人心は同盟から離れ、同盟諸藩の危機につながるだろう。このまま兵を進めれば勢いを得て、退けば勢いを失う。一旦失ったものを回復することは、甚だ難しい。公がおっしゃっていたではないか。何が何でも白河を守れと」
 だが、増田は遂に撤退論を取り下げなかった。そして、その日の夜、諸将に何も告げずに、自分の兵らを引き揚げさせた。

 二本松にいる少年たちが一番衝撃を受けたのは、敬学館の教授である渡邊新助の死亡だった。三十代とまだまだ若く、時には家老首座である丹羽丹波にも直言を辞さない熱血漢であり、生徒の間では人気が高かったのだ。聞くところによると、先生は川を挟んで対峙していた西軍に備えて、僚友の南部権之丞と共に哨戒の任に当たっていたという。そこへ、突然松林の中から一斉に砲撃され、一部の仙台藩兵が慌てふためいて逃走した。それに釣られて二本松兵も浮足立って逃げようとした際に、医師の桐生玄貫も含めて三人が犠牲になったという。
 まるで、烏合の衆ではないか。漏れ伝えてくる所によると、仙台兵の一部は、一方的に白河からの引き揚げを宣言したという。
 少年たちは仙台兵の不甲斐なさに怒り、先生の死に涙を流した。
 
 二本松城下に先生の遺骸が運び込まれ、木村道場の一同は再び銃太郎に連れられて、弔問に向かった。
 厳粛な場であるから、誰も、いつものようにはしゃいだりしない。だが、どの少年もやり場のない怒りの炎を、胸中で燻ぶらせていた。
 銃太郎も、何か思うところがあったのだろう。
「先生、やはりお願いします。我々の出陣を、御家老方にお取次ぎください」
 懲りずに、少年一同を代表して、再び虎治が十太郎に懇願した。
「……分かった。私からもお願いしてみよう」
 重々しく銃太郎が頷いた。
「やったー!」
「先生、ありがとうございます!」 
 口々に少年たちが叫んで、銃太郎を囲んだ。
 だが、銃太郎はそう簡単には、出陣許可は下りないだろうと思っていた。恐らく、この子たちに出陣命令が降りるときは、藩の最後のときであろう。それまでは、我々大人の手で二本松を守らねばならぬ。
 先立つ十七日には、世嗣であった五郎君も病を得て薨去していた。城代の内藤四郎兵衛は、若君の枕辺に伏して慟哭したという。今、殿には跡継ぎもいらっしゃらない。考えるだけでも恐ろしいが、もしも殿が城を枕にして亡くなられ、この子たちを死なせるようなことがあっては、二本松が亡びてしまうだろう。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

直違の紋に誓って~ Spin Off

篠川翠
歴史・時代
<剛介の初恋> 本編である「直違の紋に誓って」を書いている最中に、気分転換も兼ねて書き下ろし、本編に先駆けて発表した作品です。 二本松の戦火を逃れて会津に保護された剛介は、どのような青春時代を送ったのか。本編では書ききれなかった青春時代について、描いています。 <父の背中> 会津で父の顔を知らずに育った少年、遠藤貞信。14歳の夏、母の導きにより彼は父との再会を果たします。貞信の父、剛介が妻に語れなかった、会津を離れた本当の理由とは……。 noteで本編を連載中に、フォロワー様から「剛介のその後が知りたい」というリクエストを頂き、誕生した作品です。

剣客逓信 ―明治剣戟郵便録―

三條すずしろ
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞:痛快! エンタメ剣客賞受賞】 明治6年、警察より早くピストルを装備したのは郵便配達員だった――。 維新の動乱で届くことのなかった手紙や小包。そんな残された思いを配達する「御留郵便御用」の若者と老剣士が、時に不穏な明治の初めをひた走る。 密書や金品を狙う賊を退け大切なものを届ける特命郵便配達人、通称「剣客逓信(けんかくていしん)」。 武装する必要があるほど危険にさらされた初期の郵便時代、二人はやがてさらに大きな動乱に巻き込まれ――。 ※エブリスタでも連載中

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。  だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。 その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

浅葱色の桜

初音
歴史・時代
新選組の局長、近藤勇がその剣術の腕を磨いた道場・試衛館。 近藤勇は、子宝にめぐまれなかった道場主・周助によって養子に迎えられる…というのが史実ですが、もしその周助に娘がいたら?というIfから始まる物語。 「女のくせに」そんな呪いのような言葉と向き合いながら、剣術の鍛錬に励む主人公・さくらの成長記です。 時代小説の雰囲気を味わっていただくため、縦書読みを推奨しています。縦書きで読みやすいよう、行間を詰めています。 小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも載せてます。

処理中です...