直違の紋に誓って

篠川翠

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第一章 二本松の種子

白河攻防

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 閏四月二十五日に東軍に敗北した西軍は、そのまま白河城を捨て置く訳にはいかなかった。直ちに白河城を奪回するため、薩摩・長州・大垣・忍藩の兵の諸兵を、芦野に集結させた。その数、約七〇〇ほどである。
 一方、東軍も会津藩、仙台藩からも軍が派遣された。これらに加えて、旧幕府軍である純義隊、新選組、棚倉藩も合流し、総勢二五〇〇名近くの藩兵が白河近郊に終結した。数だけを見れば、東軍が圧倒的に有利だったと言える。
 新選組や純義隊は、白河南方の境明神みょうじんさかいに防衛ラインを設け、白坂口まで探索を出して厳戒態勢を敷くことを主張したが、この案は却下された。会津の旧臣等の前では、彼等は所詮余所者に過ぎなかったのかもしれない。東軍の主力である会津藩の総督は西郷頼母さいごうたのも、副総裁は横山主税よこやまちからであったが、両名とも戦闘経験は皆無であった。
 地元民を買収し、東軍の情報をいち早く把握していた西軍は、これに対して軍を右翼・中央・左翼の三つに分けた。白河城は桜町、雷神山らいじんやま、稲荷山、立石山たていしやまに囲まれており、それらが敵の城下への侵入を防ぐ造りとなっている。
 午前四時、まず右翼隊が棚倉口で鬨の声を上げた。棚倉口の守備についていた純義隊及び、仙台兵らは苦戦し、会津藩や棚倉藩が応援に駆けつけた。一方で薩摩藩の一隊が桜町付近で戦闘を繰り広げ、別働隊が雷神山の峰続きの丘陵地帯に侵攻。そのまま雷神山を占拠した。 
 これより一刻ほど後の午前六時、西軍の左翼隊は白河城下西方にある立石山の攻撃を開始。午前十一時頃には、西軍が立石山を完全占拠、続けて午前八時には、中央隊が白坂口から進軍して稲荷山を攻撃した。砲撃戦となったが、雨天の中で、東軍の旧式の砲は、西軍の砲に到底敵わなかった。火力が全く違うのである。
 そこへ右翼隊・左翼隊も駆けつけ、稲荷山の東軍が孤立する恐れが出てきた。それを危惧した横山主税が稲荷山に駆けつけたが、銃撃されて死亡。指揮官を失った士気の低下は、著しかった。
 正午過ぎには、西軍の白河城奪還は完全成功を収めた。東軍の死者は一説によると、三〇〇人余り。それに対して西軍の死者はわずか一〇名と、三〇倍もの開きがあった。
 天候の不運も重なったが、火力及び軍事作戦の巧みさに大きく差があったのは、紛れもない事実である。
 また、白河城下も甚大な被害を被った。郡山の検断(郡山宿最高責任者)である今泉久三郎の日記によると、白河の市中の七割が消失したと伝えられている。

 ***

 この敗報を、丹波らは白河手前の矢吹で聞いた。二十七日に二本松を出立し、翌日には郡山まで進んでいたものの、須賀川すかがわに入ろうとしたところ、仙台兵が溢れていたため、須賀川手前の笹川ささかわ日出山ひでのやまに宿泊。さらに二十九日にやっと矢吹に至り、明日こそは白河へと思っていた。その翌朝、朝早くから砲声が矢吹まで響き、戦況を把握できないまま白河からの敗走兵に遭遇した。
「敗けた、だと?」
 丹波は、その知らせを信じられない思いで聞いた。思わず、番頭の丹羽右近や高根三右衛門と顔を見合わせる。
 だが、奥州街道の向こうから引き揚げてくるのは、紛れもなく仙台兵だった。聞けば、会津藩や仙台藩の重臣も多数戦死し、主力軍である会津兵は勢至堂に後退。仙台兵は、二本松まで引き揚げるという風聞も伝わってきた。
 それでも、彼らに立ち止まっている猶予はない。
 同日、各藩公らが奥羽列藩建白書に署名し、正式に奥羽列藩同盟が成立した。発足時は奥羽列藩二十四藩、後に越後方面の諸国も加わって、合計三十一藩からなる大連盟である。盟主は六十二万石の大藩である、仙台藩だった。

 奥羽二十五藩盟約書

 一.此度於仙台白石表、奥羽列藩会議、以公平正大之道、同心協力、尊奉朝廷、撫惟生霊、欲以維持皇國、仍盟約如左
 一.恃強凌弱、或傍観他危急者於有之者、挙列藩可加譴責
 一.構私営利、漏泄機密、離間同盟者於有之者、可加譴責事
 一.妄労人馬、不顧細民之艱苦者、可加譴責事
 一.大事件列藩衆議可帰公平旨、至軍事之機会細微之節同等而衆議可随大国之号令事
 一.殺戮無辜、掠奪金穀之類、都而侵名分者於有之者、速可処厳科事

 このたび仙台藩白石において開かれた奥羽列藩会議は、公平正大の道を持って、心を一つにして朝廷を尊び奉り、民を慈しみ、皇國を維持できるよう、左記の盟約を結ぶものである。
 一.強きを頼み、弱きを虐げ、或いは傍観し他の者の危急を傍観している者は、列藩を挙げて譴責を加えるべきこと。
 一.営利を私し、機密を漏洩し、同盟から離脱しようとする者は、譴責を加えるべきこと。
 一.人馬の労を妄し、民の艱苦を細かく顧みざる者は、譴責を加えるべきこと。
 一.大事件は列藩の衆議で公平に扱うべし。軍事の機会の細微に至っては衆議で公平に扱い、大国の号令に従うこと。
 一.無辜を殺戮し、金穀の類を略奪し、街を犯した者は、速やかに厳罰に処すこと。

 以上
 慶応四年閏四月

 また、仙台の玉蟲左太夫、若生文十郎らは、白河の処置について、次のような献策をしていた。
 一. 白河へ西軍の打入るを差止むべきこと
 二. 無法に討入らば曲彼にあり、會藩たるもの決死防衛すべし
 三. 総督府下参謀大逆無道の罪を聲して之を放逐せしむべき事
 四. 以上の始末とならば二本松闔國の兵勢を蓋し本通りより先鋒として進むべし
 五. 仙藩大擧白河を根據として四方の諸藩を發縱指示すべし
 六. 連合諸藩出兵應援蓋力勿論のこと猶豫狐疑或いは兩端を懐き傍観するものは厳重に處置すべし。
 七. 會兵大擧高原より日光に打出て近傍故幕の遺兵を語らひ進撃すべし
 八. 宇都宮の西軍を追拂ひ常野の諸藩を引つけ、利根川を境にして深根固帯、傍ら房総迄も手を延ばす事、但し江戸は取り易く守り難し、時宜次第暫く後圖に附し、北越の聲聞策廡を待ち、萬全の見込を据え大擧致すべき事
 九. 米藩より應援人數差出すべき事

 あくまでも奥羽列藩同盟は薩長の暴政に端を発したのであり、その旨を新政府に哀訴すると共に、天下に広く意見を求めようではないか、というのが奥羽列藩同盟の本質である。仙台の首脳陣の献策中では、世良を強く非難すると共に、二本松藩を先鋒として西軍に当たることが明言された。


 白河を西軍に奪われた衝撃は、二本松城下にも走った。
 同日にはさらに半隊長成田助九郎、内藤隼人らが率いる一個小隊が笹川へ向けて出立し、三日には丹波が率いる先発隊と合流している。
 さらにその翌日、二個小隊が郡山に到着した。銃士隊長大谷鳴海、銃卒隊長青山伊右衛門、軍監丹羽舎人、副軍監高橋文平らがこの第三陣を率いていた。
 一旦白河から引き揚げてきた東軍は、五日には、笹川を出発して次の宿場町である須賀川に進んだ。以後、須賀川が白河奪還作戦の本拠地となり、十一日には会津藩、十二日には仙台藩が相次いで須賀川に到着している。
 その一方で、白河藩の東方に隣接する棚倉藩は、いつ西軍が白河から攻めてきても、おかしくない状態だった。そのため、早くから二本松藩に使者を派遣して援軍を要請しており、二本松藩もそれに応じる形で、七日には、棚倉に向けて三個小隊を棚倉藩の応援に向かわせた。

 白河落城の知らせを聞いた銃太郎は、唇を引き結んだ。父が不在になった道場は、父の門弟も、父と同じように従軍した者が多かったのである。そのため、道場は今までにも増して、子供の姿が目立つようになった。
 前線には壮年の者たちが出ていたから、自ずと後方支援の人手不足になる。丹波からは、「門弟たちにさらに多くの弾丸を作らせよ」との指示の手紙が来ていた。
 剛介らの生活はますます多忙になった。白河方面の部隊を助けるために、一人あたり三百もの弾を作れという達しが、銃太郎を通して伝えられた。日々、薬研で火薬をすりつぶし、粒状に加工されて戻ってきた火薬を、今度はくるりくるりと紙で巻いていく。その繰り返しだった。
「若先生、白河では我々の方が兵が多かったのでしょう?なのに、どうして我が軍は負けたのですか?」
 悔しそうにごしごしと顔をこすりながら、篤次郎が訊ねた。その指先には、先程まで作っていた弾の火薬の粉末がついている。篤次郎の顔は、たちまち海坊主のように汚れた。
「向こうの方が、戦術が巧みだったということだな」
 余り気乗りがしない様子で、銃太郎は子供らに告げた。事実、東軍は地の利や兵数に頼りすぎていた面もあるだろう。また、砲や銃の性能の違いも大きかった。一日は雨天だったため、未だ火縄銃やゲベール銃などが多い仙台藩や会津藩では、銃砲がほぼ使えなかったのである。
 気候は、既に梅雨に入っている。これからの時期、鉄砲が使えなくなると厄介なことになりそうだった。
 一刻も早く、この子らを育て上げなくては。
 銃太郎は焦燥に駆られながらそう思う一方で、できることであれば、この子たちを戦地に立たせたくなかった。志だけは立派だが、まだまだ無邪気な子供たちである。今日も、「誰が半刻で一番多く弾を作れるか」などと言って、競争していた。
「ほら、顔を拭きなさい」
 心持ち強く篤次郎の顔をこすってやると、「先生、痛いです!」と篤次郎が身をくねらせて、銃太郎の腕から逃げようとした。
「こらーっ!待て」
 口では怒ってみせるものの、銃太郎もこの子ら一人ひとりが、実の弟のようにかわいくて仕方ないのだろう。
 そんな賑やかな道場の片隅では、遊佐辰弥ゆさたつやが肩を落としていた。
(どうしたんだろう)
 剛介は紙を巻く手を止めて、辰弥の様子を窺った。どうも、このところ彼の様子が変なのだ。今もどことなくうわの空で、紙を巻いている。
「剛介、手が止まっている」
 水野が横からさり気なく、剛介に注意を促した。だが、それに構わず訊ねてみる。
「辰弥の奴、この頃元気がないだろう?どうしたんだろうと思って」
 すると、剛介の隣に座っていた虎治が、声をひそめた。
「お父上のことで、気を落としているのかもしれない」
 辰弥の父親である昇之進は成田弥左衛門方の与力だが、とある事情のために、謹慎減俸を命じられたらしい。この流れでいくと、息子である辰弥も、道場を辞めなくてはならないかもしれないというのだ。
 見知った顔が減っていくのは、寂しい。遊佐家にどのような事情があるのかは知らないが、できるものならば、これ以上、木村道場から人が減らないでほしかった。
 銃太郎も、周りからやや距離を取っている辰弥の様子が気になっていたのだろう。時折、ちらちらと目を向けている。
 そこへ、道場の入り口に女人が立った。丸髷を結っている品のいい夫人は、どうやら誰かの母親らしかった。
 銃太郎は夫人に軽く頭を下げると、外へ出ていった。子供らに聞かせたくない話をするのだろう。
「母上ったら、わざわざ道場にいらっしゃらなくても……」
 辰弥がブツブツと呟いているところを見ると、来客は辰弥の母親なのだろう。小さな子供のように扱われて、よほど嫌らしい。
 外から漏れ聞こえてくる声に耳をそばだてていると、辰弥の母親は、しきりに恐縮しているようだ。虎治の話は本当だったらしく、外聞を憚って、辰弥を辞めさせたいというのだ。その母親を、銃太郎がなだめている。
「辰弥も志は二本松の武士そのもの。公のために尽くしたいという思いは、他の子らにも劣らぬでしょう。お父上のことは、また別の問題です」
 銃太郎の言葉に、辰弥が飛び出していった。
「母上。どうか、お願いいたします。きっと藩のためにお役に立ってみせますから」
 やがて、話は決し、再び道場に戻ってきた辰弥の顔は、晴れ晴れとしていた。辰弥と銃太郎の説得により、引き続き道場に通わせてもらえるらしい。
「良かったな」
「うん」
 剛介らも、ほっと息をついた。
 さすが先生だ。自分も、藩のお役に立てるように頑張らねば。
 新たな決意を胸に、剛介は弾丸を一つ、手にした――。
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