直違の紋に誓って~ Spin Off

篠川翠

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剛介の初恋

第6話

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 二人が出掛けてしまうと、昼の華燭の典の賑わいはどこへやら、一転して静寂が訪れた。誰が用意したものか、既に、奥には二組の布団が延べられている。直視するのも気詰まりで、剛介は、風呂の支度を頼んだ。せめて、清潔な体で向き合ってやりたい。
 だが、のらりくらりと事を先延ばしにする剛介にお構いなしに、刻々と時間は過ぎていく。剛介に続き伊都も風呂に入ってくると言って、風呂場へ立っていってしまうと、座敷には剛介一人がぽつねんと残された。新床から少し離れたところには、灯火が橙色の光を放って、揺らめいている。
 全く、大壇口に立ったときの方が、よほど気楽だった。そう一人ごちて、自分の言葉に呆れかえる。だが、どうにも色恋は苦手なのだ。
 ふと、先日、初めて伊都を抱き締めたときの手触りを思い出す。あの柔らかな体が、自分のものになるのかと考えると、奇妙な疼きが走った。
「何をされているのです?」
 振り返ると、襦袢姿の伊都が立っていた。湯上がりだからなのか、ほんのりと顔が桜色に染まっている。いつもは結い上げている黒髪も、紐で一本に束ねられているだけの簡素な格好だ。
「伊都か」
「他に誰がいるのです」
 呆れたように、伊都が返した。もちろん、今は伊都と二人きりだ。その事実に、こそばゆさを覚える。
「不束者ではありますが、何卒、よろしくお願い致します」
 新床を前にして、どうしてこの娘は落ち着き払っていられる。
「こちらこそ、よろしく頼む」
 それだけ言うと、気まずい沈黙が流れた。湯上がりの、さっぱりとした香りだけが、その場に人間がいることを主張していた。
 義兄はうまくやれと言っていたが、何をどうしろというのだ。なまじっか、先頃まで「妹」だった者が「女性」に転じたからといって、すぐに抱けるかという思いもある。それなのに、剛介の意志とは関係なしに、体の疼きは収まってくれない。
 終に剛介の沈黙に諦めかけたのか、伊都が布団を捲ってその中に潜り込んだ。華燭の典で疲れていたのもあるのだろう。剛介も息を吹きかけて燭台の火を消し、伊都に続いて自分の布団に潜った。このまま休ませてやるべきか。だが、宵闇にほんのりと浮かぶ白い襦袢は、どうにも男の情欲を駆り立てて止まない。
 思い切って、布団の境界線を越えて、伊都の滑らかな足に自分の足を絡ませてやった。驚いたように、伊都がこちらを見る。
 後は、勢いだった。そのまま伊都の方へずりずりと体を寄せていくと、両腕に伊都の体を包んだ。その体は、やはりやわやわとしていて、剛介の手のひらや腕に、心地よく感じられた。が、抱きしめられているその体は、若干力んでいるようにも感じる。これから起ころうとしていることに、伊都も緊張しているのだろう。
(自分だけではない)
 その事実に、狂おしいばかりに愛おしさが溢れる。思い切って襦袢の合わせ目からするりと忍び込ませ、胸元に手を当ててみれば、トクトクと、心臓の鼓動が伝わってきた。
「怖いか?」
 少しでも緊張を和らげてやろうと、もう片方の手で流れるような黒髪をなでてやりながら、剛介は囁いた。伊都は、夜目にも分かるくらい、顔を上気させている。
「どうして、怖いことがありましょう。伊都はずっと、お慕いしていましたのに」
 伊都の口から、剛介への想いが直接語られたのは、初めてである。やはり、伊都はずっと剛介の事を想ってくれていたのだ。かわゆい。その唇を吸ってやると、甘やかな液が流れ込んでくる。
 それをきっかけに、本能が命じるままの行動に移った。左手で伊都の細腰を抱いたまま、空いた手で下帯を解く。伊都を傷つけないように、壊れ物を扱うかのように、そうっと、そうっと。だが、少しずつ体を開いていく。さすがに、破瓜の瞬間は痛みを伴ったのか、伊都の顔が歪められた。それも一瞬のことで、後は剛介にされるがままになっていた。時折、愉悦の表情を見せたのは、気のせいか。
 最後まで至った頃には、中天の月の明かりが、窓の外から流れ込んでいた。剛介から受け取った生命の源を、一滴も無駄にはするまいと、伊都は足をつぼめている。
 ふと目が合うと、どちらからともなく、柔らかな笑みが口元に浮かんだ。これが、夫婦の呼吸というものだろうか。
「伊都」
「はい」
「妻になってくれて、ありがとう」
 剛介の言葉に、伊都は、艶めいた仕草で剛介に甘えた。伊都の目から見ても、今今までの「剛介兄様」とは違っている。妹としてではなく、ちゃんと「女性」として、伊都を扱ってくれた。
「剛介様。一つお尋ねしてもよろしゅうございますか?」
 名実共に妻となったゆとりからか、伊都は少し意地の悪い質問をした。
「今までに、想い人はいらっしゃいませんでしたの?」
 剛介は、体の向きはそのままに、ふいっと顔を天井に向けた。剛介の胸板は、今までの名残を示すかのようにしっとりと濡れている。
「いるわけがないだろう。二本松にいた時には、毎日剣の稽古や砲術の稽古に追われ、会津に来てからは『おなごと口を利いてはならぬ』と言われていたのだから」
「まあ」
 ころころと、伊都が笑い声を立てた。嘘のつけない剛介のことだ。その言葉通りであれば、剛介にとっても、伊都が初恋の相手ということである。
 女としては、この上ない名誉ではないか。
「そういう伊都はどうなのだ」
 剛介の問いに、伊都は再び剛介の胸に顔を埋めた。
 聞くまでもなかったか。それにしても、本当に他の男にかどわされなくて良かった。二人はそのまま、二羽の小鳥が寄り添うように、眠りに落ちていった。
 
 清尚と敬司は、翌日の昼頃戻ってきた。ご丁寧にも、朝までゆっくりさせてやろうとの配慮である。戻ってきた敬司が見たところ、剛介と伊都の間は、まだ多少なりともぎこちなさは残るが、女遊びに長けた敬司には、一目で分かった。どうやら妹の上機嫌な様子からすると、ちゃんと、夫婦としての務めも果たしたらしい。
「心配して、損をした」
 再び剛介の耳にそう囁いてやると、剛介の耳朶は真っ赤に染まった。
義兄上あにうえ!」
「冗談、冗談」
「どうだか」
「まあ、そういきりたつな」
 敬司が、愉快そうにからからと笑った。
 本当に、この義兄は。夫婦のことでからかうのは、これくらいにして欲しい。剛介は、思わず天を仰いだ。
 実の息子と義理の息子のたわいもないやり取りを、義父の清尚はにこにこと笑って眺めていた。眼の前に繰り広げられる光景は、熊倉の戦で命を散らした龍二と敬司のやり取りを思い出す。やはり長男と次男も、戊辰の戦が会津に及ぶまでは、このようにじゃれ合っていたものだった。一見豪放な印象を与える敬司だが、年下の者を扱う際には、さり気なく細かい気配りをする。猪苗代で、孤独に打ちひしがれていた少年の姿は、そこにはなかった。きっと、敬司とも良い兄弟になるに違いない。
 そこへ、伊都が四人分の茶を持ってきた。
「お茶を淹れました」
 伊都の声も、どことなく弾んでいる。その声に呼び戻され、剛介と敬司は座敷に戻った。
「剛介。伊都」
 清尚は、温もりを感じる父の声色で、二人に呼びかける。
「結婚、おめでとう」
 どこからともなく、不如帰の声が聞こえてくる。まだ番を探しているのか、啼き方が下手だ。だが、あの不如帰ほととぎすも、いずれは連れ合いを見つけて、上手に啼くようになるだろう。
 眼の前の若夫婦も、かくあれと、清尚は密かに祈るのだった――。

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