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第三章 常州騒乱
凱旋(1)
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十一月十七日、鳴海らは郡山陣屋に立ち寄った。既にここにも二本松軍の活躍が伝えられており、上から下への大騒ぎを演じながらの祝宴となった。
「皆様はまことに獅子奮迅の御働きだったと、聞き及んでおります」
出陣以来の顔合わせとなる錦見と今泉は、大盤振る舞いで鳴海らの労を労ってくれた。明日にはいよいよ二本松城下に入る。それを思うと、鳴海の顔も自然と緩んだ。
「こちらでは、皆に変わりはないか」
鳴海の問いかけに、錦見と今泉が顔を見合わせた。しばし逡巡していたが、やがて錦見が口を開いた。
「――守山藩の三浦平八郎殿が、一昨日、江戸で揚屋入りを申し付けられたそうでございます」
その言葉に、鳴海は背筋に冷水を浴びせられた心地がした。確かに、あの男とは随分と因縁を持ち、幾度も煮え湯を飲まされた。だが、嶽の出湯で語り合った言葉に偽りは感じられず、あれ以来、平八郎は水戸激派の暴走を止めるために奔走していたと、鳴海は信じていたのだ。
「何かの間違いではないのか」
鳴海の小声の呟きに、錦見が首を振った。
「今朝方、守山藩の陣屋に早馬が参りました。六月、平八郎殿が松川陣屋に赴いたまではようございました。ですが去る八月の水戸神勢館の戦いにおいて、大炊頭様をお助けするためにと、平八郎殿は守山藩の手の者を幾人か大炊頭様の一行に加えられましたでしょう。それが原因で、諸生党の市川殿から賊徒の一味と見做されたそうでございます」
鳴海は、唇を噛んだ。あの戦いでは、鳴海も与兵衛や内藤らと共に、大発勢と対峙している。受け持っていた部署との兼ね合いもあり、恐らく平八郎とは邂逅していないだろう。だが、聞かされて気分のいいものではなかった。
「それだけではございませぬ。平八郎殿が大炊頭様をお助けするためにと遣わした三本木鎗三郎ら三名は、水戸城内に向かって発砲したとの由。だけでなく、この度の江戸藩邸からの呼び出しにも応じず、行方知れずになっておりまする。彼らを遣わした平八郎殿も、一切の責任を取らされ、揚屋入りを命じられたそうでございます」
市川の苛烈さは、共に戦っていたときから感じてはいた。だが、藩主慶篤の名代として派遣された大炊頭に対する処分や、その後の天狗党派と見做された者らへの処分は、あまりにも度を越していた。
守山藩の受難は、それだけにとどまらなかった。
十月二日、幕閣らの方針により再び参勤交代が命じられた仙台藩は、伊達慶邦を奉じて郡山宿に宿泊していた。そこで守山陣屋の一人である庄司数衛門は、伊達藩に水戸藩の内紛鎮静化の斡旋をしてもらおうと、仙台藩家老の古内左近介に一二名の連署からなる嘆願書を提出したのである。
仙台藩ではこれを受理し、同時に守山藩でもその旨を江戸小石川の藩邸に報告するため、六日、庄司と小林権蔵を江戸へ向かわせた。だが十一日に江戸に到着した両名は行動の差し替えが命じられ、水戸本藩からもきつい詮議を受けた。結局両名は、小石川の水戸藩邸で揚屋入りとなったという。平八郎が揚屋入を命じられた翌日のことだった。
むっつりと黙り込んだ鳴海を、今泉が不思議そうに見つめている。
「あまり嬉しそうではございませぬな、鳴海様」
「愉快な理由があるまい」
その言葉に、錦見や今泉が顔を曇らせた。彼らも、平八郎とは面識がある。平八郎は二本松に何かとちょっかいを掛けてきたこともあったが、郡山に常駐している錦見らとは、時に協力することもあったはずであった。
市川の苛烈さは、恐らく国元の留守を守っていた丹波らにも伝えられている。元々諸生党に好意的であった丹波は、田沼らの追求を恐れて、ますます勤皇派への取締りを強化するに違いなかった。が、それが悪手だというのは、嫌というほど目の当たりにしている。少なくとも、過剰に尊攘派を取り締まることで、水戸藩のように藩を割るような真似は避けなくてはならなかった。
「――この話、丹波様らにもお伝えしたのだろうな?」
鳴海の問いかけに、錦見は「無論でございます」と応じた。隠しておけることでもないから、当然と言えば当然である。
が、ここから先は鳴海ら執行部が考えるべき事柄である。「よく知らせてくれた」と述べるて、鳴海は再び酒を煽った。
帰国して明日には城下に入ろうという今、強いて皆の浮かれた雰囲気を壊すこともない。鳴海は無理矢理笑みを浮かべ、下座の部下らの輪の中に入っていった。
「皆様はまことに獅子奮迅の御働きだったと、聞き及んでおります」
出陣以来の顔合わせとなる錦見と今泉は、大盤振る舞いで鳴海らの労を労ってくれた。明日にはいよいよ二本松城下に入る。それを思うと、鳴海の顔も自然と緩んだ。
「こちらでは、皆に変わりはないか」
鳴海の問いかけに、錦見と今泉が顔を見合わせた。しばし逡巡していたが、やがて錦見が口を開いた。
「――守山藩の三浦平八郎殿が、一昨日、江戸で揚屋入りを申し付けられたそうでございます」
その言葉に、鳴海は背筋に冷水を浴びせられた心地がした。確かに、あの男とは随分と因縁を持ち、幾度も煮え湯を飲まされた。だが、嶽の出湯で語り合った言葉に偽りは感じられず、あれ以来、平八郎は水戸激派の暴走を止めるために奔走していたと、鳴海は信じていたのだ。
「何かの間違いではないのか」
鳴海の小声の呟きに、錦見が首を振った。
「今朝方、守山藩の陣屋に早馬が参りました。六月、平八郎殿が松川陣屋に赴いたまではようございました。ですが去る八月の水戸神勢館の戦いにおいて、大炊頭様をお助けするためにと、平八郎殿は守山藩の手の者を幾人か大炊頭様の一行に加えられましたでしょう。それが原因で、諸生党の市川殿から賊徒の一味と見做されたそうでございます」
鳴海は、唇を噛んだ。あの戦いでは、鳴海も与兵衛や内藤らと共に、大発勢と対峙している。受け持っていた部署との兼ね合いもあり、恐らく平八郎とは邂逅していないだろう。だが、聞かされて気分のいいものではなかった。
「それだけではございませぬ。平八郎殿が大炊頭様をお助けするためにと遣わした三本木鎗三郎ら三名は、水戸城内に向かって発砲したとの由。だけでなく、この度の江戸藩邸からの呼び出しにも応じず、行方知れずになっておりまする。彼らを遣わした平八郎殿も、一切の責任を取らされ、揚屋入りを命じられたそうでございます」
市川の苛烈さは、共に戦っていたときから感じてはいた。だが、藩主慶篤の名代として派遣された大炊頭に対する処分や、その後の天狗党派と見做された者らへの処分は、あまりにも度を越していた。
守山藩の受難は、それだけにとどまらなかった。
十月二日、幕閣らの方針により再び参勤交代が命じられた仙台藩は、伊達慶邦を奉じて郡山宿に宿泊していた。そこで守山陣屋の一人である庄司数衛門は、伊達藩に水戸藩の内紛鎮静化の斡旋をしてもらおうと、仙台藩家老の古内左近介に一二名の連署からなる嘆願書を提出したのである。
仙台藩ではこれを受理し、同時に守山藩でもその旨を江戸小石川の藩邸に報告するため、六日、庄司と小林権蔵を江戸へ向かわせた。だが十一日に江戸に到着した両名は行動の差し替えが命じられ、水戸本藩からもきつい詮議を受けた。結局両名は、小石川の水戸藩邸で揚屋入りとなったという。平八郎が揚屋入を命じられた翌日のことだった。
むっつりと黙り込んだ鳴海を、今泉が不思議そうに見つめている。
「あまり嬉しそうではございませぬな、鳴海様」
「愉快な理由があるまい」
その言葉に、錦見や今泉が顔を曇らせた。彼らも、平八郎とは面識がある。平八郎は二本松に何かとちょっかいを掛けてきたこともあったが、郡山に常駐している錦見らとは、時に協力することもあったはずであった。
市川の苛烈さは、恐らく国元の留守を守っていた丹波らにも伝えられている。元々諸生党に好意的であった丹波は、田沼らの追求を恐れて、ますます勤皇派への取締りを強化するに違いなかった。が、それが悪手だというのは、嫌というほど目の当たりにしている。少なくとも、過剰に尊攘派を取り締まることで、水戸藩のように藩を割るような真似は避けなくてはならなかった。
「――この話、丹波様らにもお伝えしたのだろうな?」
鳴海の問いかけに、錦見は「無論でございます」と応じた。隠しておけることでもないから、当然と言えば当然である。
が、ここから先は鳴海ら執行部が考えるべき事柄である。「よく知らせてくれた」と述べるて、鳴海は再び酒を煽った。
帰国して明日には城下に入ろうという今、強いて皆の浮かれた雰囲気を壊すこともない。鳴海は無理矢理笑みを浮かべ、下座の部下らの輪の中に入っていった。
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