鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

終焉(9)

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 八槻宿では、棚倉藩の代官が出迎えてくれた。そこで改めて散切隊の件について尋ねると、やはり首領の男は、藤田芳之助だった。元二本松藩士と判明したのも、彼が所持していた守り札が二本松神社の社紋が入った護符だからで、それに己の名前を書き記していたという。
 芳之助が不意打ちにされたという場所は、元々牛馬が畑に入るのを防ぐために、両側に頑丈な杭柵が張り巡らされていた細道だった。道幅も六尺しかなく、到底逃げるのは無理だろうという場所である。この坂に石井、そして芳之助とその従者が差し掛かったところで、石井の通報を受けた棚倉藩士らが芳之助らを誰何した。田儀・名古屋・岡田・そして同心の大賀が、芳之助を誰何した棚倉藩士の名である。
「棚倉藩の剣術師範である山田直之丞殿をお訪ね申すところでござる」
 その言葉に、四人は顔を見合わせた。予定通りである。第一、そのような者は棚倉家中にはいなかった。もっとも家中の誰かが、偽名を騙っていただけかもしれないが。
「ここを通られるのであれば、大小の所持は認められぬ。我らにお渡し願いたい」
 一人が思い切ったように、そう告げた。その言葉を聞いた芳之助は少し考えてから肯き、「受け取られよ」と左手で二本の大小を腰から外して渡すと同時に、空いた右手を背中に廻した。背中に、もう一刀を隠し持っていたのである。背中の刀を抜きざまに、大賀を袈裟斬りにし、その返す刀で田儀に斬りつけた。
 この瞬間、道の両側に伏せられていた郷筒が、同時に発砲された。その砲の数発が、芳之助の体を貫く。にも関わらず、芳之助は背から抜いた一刀を手にして、剣豪としての矜持をまざまざと見せつけた。だが多勢に無勢で、両脇から竹槍で農民に突き刺されて四肢の自由を失い、手にした刀を取り落とすと共に、芳之助は絶命した。彼に付き従っていた従者も、やはり全身に銃弾を浴び、農兵らに串刺しにされて命を落としたという。
 従者もまた、二本松の守り札を所持していた。間違いなく、かつて大橋宿で「芳之助様の地獄巡りの供をする」と言っていた清吉だろう。
 芳之助の壮絶な最期は、ここしばらく、棚倉藩士の間で語り草となっているらしい。
 瞑目したまま、鳴海は棚倉藩からの説明を聞いた。あの男は、最期は何を思っていたのだろう……。
「――我が藩の者が、貴藩の方々の御手を煩わせることになり、誠に申し訳ござらぬ」
 ようやく、鳴海は低声で謝罪を絞り出し、畳に額を付けた。経緯がどうあれ、芳之助が棚倉藩士に刃を向けたのは、間違いなかった。
「御顔をお上げなされませ」
 慌てたように、代官が手を振った。どうも、鳴海の平身低頭の姿に困惑を隠せていないらしい。そして、ちらりと口元に苦笑を浮かべた。
「我が藩の平潟陣屋からも、二本松藩の方々の勇ましいご活躍は聞いておりまする。あの藤田芳之助という者が我らに刃を向けたのは確かでござるが、それが二本松の方々の武勇の名を汚すものとは、思いませぬ」
 その言葉に、鳴海は再び頭を下げた。さすがに芳之助が棚倉藩士を殺めたとあっては、既に死人とはいえ、源太左衛門や与兵衛に事の次第を報告せざるを得なかった。
 翌々日、八槻宿の本陣の居間で顔を合わせた源太左衛門と与兵衛も、鳴海の報告に顔を曇らせた。が、源太左衛門は深々とため息をついたのみだった。
「そうか……。芳之助は死んだか……」
 三人が水野日向守から承った「芳之助を始末せよ」という主命は、思わぬ形で幕を閉じたのだった。
「如何がしたものでござるかな、御家老」
 与兵衛の顔にも、疲労の色が滲んでいる。処罰を与えようにも、芳之助は既に彼岸の人である。家としての処分を下そうにも、一昨年の脱藩騒動の折に、芳之助の実家である八郎兵衛家は取り潰しとなった。ついでに言えば、脱藩した後に水戸藩からは「元水戸藩士」という扱いを受けていた、中途半端な身分である。これ以上、始末をつけようがないのだ。
 ふと、鳴海と源太左衛門の視線が絡み合った。
「――鳴海殿の御手で、始末を付けてみられるかな?」
 源太左衛門の口元には、仄かな微笑が浮かんでいた。
「よろしいのですか?」
 鳴海は、顔を上げた。組の子の不祥事であるならばともかく、この後始末は、本来であれば家老である源太左衛門の職分領域だ。
「この二年余り、お主は守山藩との関わりを契機として、幾度となく尊攘派と対峙してきたのだ。であれば、最後の始末までやり遂げてみるが良い」
 その言葉に、鳴海は顔を引き締めた。源太左衛門の命令は、鳴海に対して「番頭」としての以上の働きを期待するものであった。
「謹んで、お受け仕りまする」
 ゆっくりと頭を下げる鳴海に、源太左衛門がいつもの穏やかな笑みを見せた――。

 その日の夕方、鳴海は大島成渡ただ一人を伴にして、八槻の宿から大梅村のあの塚へ、馬を飛ばした。
 芳之助や清吉がここに埋められているかは、定かではない。だが、「天狗党の者」として扱われたのであれば、恐らく他の者らと一緒に埋められているだろうと、鳴海は思った。
 黙って手を合わせる鳴海の背後で、成渡も手を合わせているのが感じられた。
「……芳之助は、結局どのような者として死んだのでしょうね」
 成渡がぽつりと呟いた。
 尊攘派志士の一人としてなのか、それとも二本松の人間としてのけじめだったのか。背中にも刀を隠し持っていたという話からすると、言葉とは裏腹に、最初から死ぬ気で棚倉領に下ってきたのかもしれない。
「塚の中で眠っている散切隊の者たちから見れば、我々も市川殿も、大した違いのないように見えるだろうな」
 鳴海の自嘲に、成渡が鋭い眼差しを向けた。何も言わないが、勘のいい成渡のことだ。鳴海らが下士に伝えられない、藩執行部ならではの事情の難しさを察したことだろう。
「あの馬鹿が……」
 そう呟く鳴海の口調は震えていたが、成渡と二人の今は、気にならなかった。 

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