鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

終焉(7)

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 市川が太田に入ってから日を置かずに出陣していったのは、大子方面に天狗勢が移動しているとの報告が入ったからだった。その注進を受けた市川は付近の村々に猟師は太田へ参来するようにとの触れを出させ、また、自らは天下野けがの村、そして月居峠つきおりとうげ方面へと兵を進めさせていった。
 その留守を守るように、新たに太田には新発田藩二千五百名ほどが入って来た。さすがにもう兵を収容するだけの能力はなく、本陣は太田に隣村である檀村まゆみむらやその中心にある佐竹寺や蓮華寺まで宿泊する有り様だった。
 太田での平穏な日々に、鳴海の不機嫌もようやく収まってきた。下士らは既に「そろそろ国元に帰れるのではないか」と口々に噂している。一応は上役として「滅多なことを申すな」とたしなめるのだが、鳴海自身も、ぼちぼち帰れるのではないかという予感がしていた。
 十一月に入ると、湊から天狗勢が一掃されたという知らせが太田に届いた。先の戦いのうち榊原を含む降参した天狗勢は、一旦塩ケ崎の長福寺に身柄を移され、その後十一月二日には佐倉藩領である下総佐原に護送された。
 一方、天狗党殲滅に注力している市川は、未だ太田や水戸に戻ってきていない。二十五日に大子に到着した天狗勢は、そこに数日間滞在した。二十七日には月居峠で市川軍と武田勢の間で激しい戦闘となったが、市川らの峠上からの猛攻撃に遭い、武田勢は大子村に退却を余儀なくされた。既に湊での戦いのときから、大発勢・筑波勢・潮来勢の枠を超えて連携していた天狗勢は、ここで陣容を改め、武田伊賀守が総大将、大軍師の座に山国兵部が就いた。一同は当初の目的である「尊皇攘夷の実現」を求めるため、京都にいる一橋慶喜を頼ることを決定し、西上を決めた。そして諸生党軍の追求を躱すためか、一旦は白河藩領境にほど近い黒羽村や芦野村などを通りながら、そこから進路を南に転換し、矢板を通り上野方面を目指し始めたのである。
 太田に「国境の辺りに賊徒が集結している」という風聞が届いたのは、十一月四日のことだった。二本松藩が藩から持参した弾薬はほぼ尽きているため、今回は新発田藩が生瀬村や大子方面へ出向いている。
「――つきましては、二本松の方々に白河辺までご足労願いたい次第でござる」
 太田御殿で市川からの伝言を伝える佐治の口調は、のんびりしたものだった。すっかり勝ち戦に気が緩んでいると、鳴海は苦笑を抑えた。幾度も死線を潜り抜けてきた鳴海ですら、この数日は具足を解き、陣羽織を羽織るだけの軽装で職務に当たっている。
「白河辺までということは……」
 与兵衛の口調も、どこか上ずっている。
「左様。白河辺で敵兵の姿が見られなければ、塙陣屋への御報告後、そのまま国元へお帰り頂いて結構との、市川様のお言葉でござる」
 内藤が、にっこりと微笑んでみせた。
「――長らく、水藩や太田の皆様には世話になり申した」
 感慨深そうに、源太左衛門が深々と頭を畳につけた。鳴海や与兵衛も、それに倣う。
「何を申されます。世話になったのは、当方でございます。九月の猖獗極まりなかったあの時期に、二本松の方々のお働きがなければ、太田の平穏も海岸方面の平和も、なかったでしょう」
 内藤の言葉には、真情が込められていた。
 鳴海も、指折り数えてみた。二本松を出立してきたのが、八月初め。三ヶ月余りも二本松を離れ、その間に季節はもう冬に移ろおうとしている。
「我らは、この地の民らを守れたのでしょうか」
 鳴海は、胸中に浮かんだ疑問をそのまま口にしてみた。これ位ならば、咎め立てされることはあるまい。
「無論でござる」
 佐治が、深々と肯いた。
「二本松の方々がお命を賭して民を守ろうとしてくださったからこそ、太田は戦火を免れたのでござる。法然寺に眠られている方々については、末代まで香華を手向けさせていただきまする」
 法然寺には、六番組の使番だった佐倉源五右衛門を始めとして、五番組の小笠原是馬介や各村から徴兵した農兵ら、合計十三名が埋葬されている。十七日の湊での戦いで重傷を負った朝河安太夫も、その一人だった。彼らの遺族らが二本松から墓参に来るのは難しいかもしれないが、鳴海も帰藩したら、出来る限り彼らの働きぶりについては何らかの形で報いてやるつもりだった。
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