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第三章 常州騒乱
終焉(5)
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翌十八日も、夜が明ける前から再び合戦となった。原中に、再び天狗勢が押し出してきたのである。まず北条らの兵が先鋒となり、それに二本松勢が続く。中根から湊方面に押し出していくと、緩やかな丘を下っていく形になる。勢い、幕軍や二本松勢の方が押す形になった。だが、もう天狗勢にその勢いを止める余力はなかった。既に、天狗勢の言葉が聞こえる位の距離まで近づき、砲ではなく槍を振るっている者も少なくなかった。ようやく傷口が塞がった権太左衛門が長槍を振るっているのが、遠目に見える。二刻半程も戦っていただろうか。やがて、三十程の首級が挙げられたという報告が入り、その頃になると、残った天狗勢は湊の方へ逃げ戻っていった。
「我らの矢弾も尽きかけておりまする。そろそろ、引き揚げ時でござろう」
鳴海の陣地へ、岡佐一右衛門が馬を飛ばしてやって来た。
「御家老は何と仰せでござる?」
「一度、中根に集うようにと命じられました。そこで田沼様の御指示を待たれるとの由でございます」
もう、諸生党と市川らの手勢、そして他の幕軍だけで十分だと判断されたのだろうか。十九日には、中根村の陣地で待機していた二本松藩に対し、「太田へ戻って良い」との伝令が来た。その命令を受けて、十九日は枝川まで引き揚げ、二本松軍が太田へ帰陣したのは二十一日だった。
九月に太田入りしてから幾度も戦いを重ねてきた二本松藩の弾薬も、そろそろ残りが少なくなっている。糧食は多少なりとも現地で買い入れることもできるが、兵器や弾薬の類は各藩の自前であったから、出来ることならば残りを節約して帰藩したいと、十右衛門は道中鳴海にこぼした。
太田に到着すると、内藤と佐治が南の黒門で出迎えた。十月に入ってからの太田は、水戸藩兵が多く駐留していた。それに心強さを覚えたのか、佐治もようやくこの土地の陣将らしく、太田やその周辺の見回りに参加しているらしい。鳴海らが最初に太田に到着した頃と比べると、街の者らの顔からも悲壮感が消えつつある。
「お帰りなさいませ」
太田御殿の客間で開かれた酒宴では、鳴海も久しぶりに酒を口にした。諸生党側の勝利が目前である現在、せっかくの饗応を断るのも無礼である。そして漠然とではあるが、最後の総攻撃については、水戸藩の手の者らで決着をつけるのではないかという予感がした。
鳴海や与兵衛が太田を留守にしている間に、散切隊についての報告が太田に届けられていた。
散切隊はあの後、這々の体で八溝山に逃れ、そこで再起を図ろうとした。その人数は、三百人余りもいたという。だが、いかんせん八溝山は峻険な山であり、麓の村までは遥かに遠い。まして、あるのは古くからの寺院とその関連施設のみである。田中らは金七十両を八溝山別当の高梨氏に渡し、それで糧食の調達を依頼した。だが、高梨氏は諸生党や幕府の追求を恐れ、その七十両を手にしたまま何処にか逐電したらしい。
窮地に追いやられた田中は、遂に散切隊の解散を決意した。所持金を分配し、各々が八溝山中を流れる沢沿いに下山を試みたが、その多くが棚倉藩兵や追捕の諸生党の兵によって、捕えられた。
「田中は四日に真名畑村で捕えられ、塙代官所の牢に入れられたそうでございます」
佐治は、口端を上げて鳴海らに告げた。
「左様でござるか」
むっつりと黙り込む鳴海に代わって、与兵衛がにこやかに応じている。その肘が、軽く鳴海の脇腹に当たった。もう少し、愛想良く振る舞えという意だろう。
「――して、田中はその後如何相成りましたかな?」
仕方なく、鳴海は佐治に尋ねた。が、答えは分かりきっている。案の定――。
「田沼意尊様の命により、塙下河原の刑場で斬首されたそうでございます。あの悪党も、命運が尽きましたな」
「そうでござったか……」
静かに応える鳴海を、水戸藩の二人が怪訝そうに見つめている。その視線を感じながら、鳴海は酒杯に視線を落とした。
「鳴海殿。嬉しくはござらぬのか」
鳴海はしばらく口を噤んでいたが、やがて、一つの詩がふと口を衝いて出た。
怒發 冠を衝き
欄に憑る 處
瀟瀟たるあめ歇む。
望眼を抬げ、
天を仰ぎ 長嘯すれば,
壯懷 激烈。
三十の功名 塵與土,
八千里路 雲和月。
等閒にする莫れ、白く了たる 少年の頭,
空しく悲切。
鳴海の詠詩を聞いた源太左衛門が、複雑な表情を作った。それもそのはずで、この詩は南宋の将軍である岳飛が作った、憂国の詩なのである。岳飛は農民の子として生まれながらも抜群の軍功を立て続けたが、和平派の宰相だった秦檜に睨まれ、獄死したのだった。背には「尽忠報国」の入れ墨を入れ、武勇に優れていたばかりでなく、百姓を慈しみ兵士らからも慕われたという、理想の将軍だった。
敵方でありながらも、二本松に投降してきた山野辺主水正や、大発勢の中にもいるはずの憂国の志士らの身の上を思ったときに、自ずとこの詩が脳裏に浮かんできたのである。
鳴海としてはさほど深い意図はなかったのだが、聞き様によっては、水戸藩諸生党のやり方への批判とも取れる内容だった。だが、一度口にした言葉は取り消せるものではない。側で、与兵衛が固唾を飲んでいる気配をひしひしと感じる。今更ながら余計なことを言ったと、臍を噛む。
やがて、内藤がふっと口元を緩めた。どうやら、鳴海の言わんとするところには気づいたらしい。だが、面白がっているようでもある。
「宋代岳飛の『満江紅』ですな。ですが、鳴海殿はその詩を詠んだ時の岳飛よりも、少しばかりお若いでしょう。己の人生を振り返るには、些か早くはございませぬか」
佐治が、内藤の言葉に首を傾げた。どうやら、佐治だけが、この有名な詩を知らなかったらしい。その様子を見た内藤は、目だけで笑ってみせた。
「佐治殿には、この騒擾に片がついてからでも、弘道館で詩の内容を講釈して進ぜよう」
その言葉に、鳴海もほっと胸を撫で下ろした。恐らく、内藤の言葉は酒の席の戯言で終わるだろう。内藤の機転に、鳴海は黙って頭を下げた。
「我らの矢弾も尽きかけておりまする。そろそろ、引き揚げ時でござろう」
鳴海の陣地へ、岡佐一右衛門が馬を飛ばしてやって来た。
「御家老は何と仰せでござる?」
「一度、中根に集うようにと命じられました。そこで田沼様の御指示を待たれるとの由でございます」
もう、諸生党と市川らの手勢、そして他の幕軍だけで十分だと判断されたのだろうか。十九日には、中根村の陣地で待機していた二本松藩に対し、「太田へ戻って良い」との伝令が来た。その命令を受けて、十九日は枝川まで引き揚げ、二本松軍が太田へ帰陣したのは二十一日だった。
九月に太田入りしてから幾度も戦いを重ねてきた二本松藩の弾薬も、そろそろ残りが少なくなっている。糧食は多少なりとも現地で買い入れることもできるが、兵器や弾薬の類は各藩の自前であったから、出来ることならば残りを節約して帰藩したいと、十右衛門は道中鳴海にこぼした。
太田に到着すると、内藤と佐治が南の黒門で出迎えた。十月に入ってからの太田は、水戸藩兵が多く駐留していた。それに心強さを覚えたのか、佐治もようやくこの土地の陣将らしく、太田やその周辺の見回りに参加しているらしい。鳴海らが最初に太田に到着した頃と比べると、街の者らの顔からも悲壮感が消えつつある。
「お帰りなさいませ」
太田御殿の客間で開かれた酒宴では、鳴海も久しぶりに酒を口にした。諸生党側の勝利が目前である現在、せっかくの饗応を断るのも無礼である。そして漠然とではあるが、最後の総攻撃については、水戸藩の手の者らで決着をつけるのではないかという予感がした。
鳴海や与兵衛が太田を留守にしている間に、散切隊についての報告が太田に届けられていた。
散切隊はあの後、這々の体で八溝山に逃れ、そこで再起を図ろうとした。その人数は、三百人余りもいたという。だが、いかんせん八溝山は峻険な山であり、麓の村までは遥かに遠い。まして、あるのは古くからの寺院とその関連施設のみである。田中らは金七十両を八溝山別当の高梨氏に渡し、それで糧食の調達を依頼した。だが、高梨氏は諸生党や幕府の追求を恐れ、その七十両を手にしたまま何処にか逐電したらしい。
窮地に追いやられた田中は、遂に散切隊の解散を決意した。所持金を分配し、各々が八溝山中を流れる沢沿いに下山を試みたが、その多くが棚倉藩兵や追捕の諸生党の兵によって、捕えられた。
「田中は四日に真名畑村で捕えられ、塙代官所の牢に入れられたそうでございます」
佐治は、口端を上げて鳴海らに告げた。
「左様でござるか」
むっつりと黙り込む鳴海に代わって、与兵衛がにこやかに応じている。その肘が、軽く鳴海の脇腹に当たった。もう少し、愛想良く振る舞えという意だろう。
「――して、田中はその後如何相成りましたかな?」
仕方なく、鳴海は佐治に尋ねた。が、答えは分かりきっている。案の定――。
「田沼意尊様の命により、塙下河原の刑場で斬首されたそうでございます。あの悪党も、命運が尽きましたな」
「そうでござったか……」
静かに応える鳴海を、水戸藩の二人が怪訝そうに見つめている。その視線を感じながら、鳴海は酒杯に視線を落とした。
「鳴海殿。嬉しくはござらぬのか」
鳴海はしばらく口を噤んでいたが、やがて、一つの詩がふと口を衝いて出た。
怒發 冠を衝き
欄に憑る 處
瀟瀟たるあめ歇む。
望眼を抬げ、
天を仰ぎ 長嘯すれば,
壯懷 激烈。
三十の功名 塵與土,
八千里路 雲和月。
等閒にする莫れ、白く了たる 少年の頭,
空しく悲切。
鳴海の詠詩を聞いた源太左衛門が、複雑な表情を作った。それもそのはずで、この詩は南宋の将軍である岳飛が作った、憂国の詩なのである。岳飛は農民の子として生まれながらも抜群の軍功を立て続けたが、和平派の宰相だった秦檜に睨まれ、獄死したのだった。背には「尽忠報国」の入れ墨を入れ、武勇に優れていたばかりでなく、百姓を慈しみ兵士らからも慕われたという、理想の将軍だった。
敵方でありながらも、二本松に投降してきた山野辺主水正や、大発勢の中にもいるはずの憂国の志士らの身の上を思ったときに、自ずとこの詩が脳裏に浮かんできたのである。
鳴海としてはさほど深い意図はなかったのだが、聞き様によっては、水戸藩諸生党のやり方への批判とも取れる内容だった。だが、一度口にした言葉は取り消せるものではない。側で、与兵衛が固唾を飲んでいる気配をひしひしと感じる。今更ながら余計なことを言ったと、臍を噛む。
やがて、内藤がふっと口元を緩めた。どうやら、鳴海の言わんとするところには気づいたらしい。だが、面白がっているようでもある。
「宋代岳飛の『満江紅』ですな。ですが、鳴海殿はその詩を詠んだ時の岳飛よりも、少しばかりお若いでしょう。己の人生を振り返るには、些か早くはございませぬか」
佐治が、内藤の言葉に首を傾げた。どうやら、佐治だけが、この有名な詩を知らなかったらしい。その様子を見た内藤は、目だけで笑ってみせた。
「佐治殿には、この騒擾に片がついてからでも、弘道館で詩の内容を講釈して進ぜよう」
その言葉に、鳴海もほっと胸を撫で下ろした。恐らく、内藤の言葉は酒の席の戯言で終わるだろう。内藤の機転に、鳴海は黙って頭を下げた。
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