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第三章 常州騒乱
終焉(3)
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九日には、幕軍総督である田沼自ら柳沢村に兵を進め、自軍の兵を督励して回ったという風聞が聞こえてきた。もっとも、石神も村松も柳沢からはやや距離があるため、鳴海らが田沼の姿を目にすることはなかった。
だが、田沼の督励を受けた幕軍兵らはその勢いのままに湊方面へ兵を進め、翌十日、激戦となった。通称「部田野合戦」と呼ばれるこの戦いは、まずは追討軍が大挙して部田野に押し寄せた。市川の一手が先鋒となり、諸生党側の義勇兵である鯉淵勢五〇〇名余りが先行して一本松から雲雀塚に向かい、それに福島・壬生・宇都宮などの諸藩の兵が続いた。彼らが対峙したのは、やはり前日前浜村に兵を進めていた筑波勢及び潮来勢である。が、苦戦を余儀なくされた筑波勢らは湊に伝令を走らせ、初めて榊原らに対して援軍を乞うた。この援軍要請に対して湊の留守を預かっていた榊原は、筑波勢らの申出を受託し、湊本営を守っていた一手を差し向けた。さらにそれだけでなく、大発勢の首脳陣とは一定の距離を保っていた武田耕雲斎(伊賀守)も、館山から動いた。
この那珂湊本営からの出兵により、形勢が逆転した。緒戦は追討軍が有利に戦を運んでいたものの、初めて連携を組んだ大発勢・筑波勢・潮来勢により押し返され、追討軍は敗退を余儀なくされた。後世、この部田野村での戦いは「元治元年の戦いの中でもっとも激しいものであった」と評されるほどであったと、伝えられている。さらに、今までは基本的に別々の動きを見せていた大発勢・筑波勢・潮来勢が、この戦いで初めて連携した。そのため、この戦局前後から彼らを一括りにして「天狗党」と扱うことも多い。
もっとも天狗党も連合したからといって、さほど余裕が生まれたわけではなかった。大発勢の三千人余りの糧食は、そのほとんどが、天保年間以来湊に備蓄されてきた穀物で賄っている。だが、この時点で残りの糧食は十日分程しかなくなっていた。そのため、大発勢の首脳部の間では、糧食の不足や那珂湊の地形が平坦すぎて防御に適していないことを理由に、陣地を移して体勢を立て直すべきだという意見も出されていた。それでも、未だ頼徳の死を知らない榊原は、頼徳からの命令を忠実に待ち続けて、湊から動こうとしなかったのである。
――十四日、源太左衛門より伝令が来た。明日、源太左衛門らも中根方面へ出撃するので、中根村で待ち合わせるという内容である。鳴海や与兵衛が村松・石神方面の警備を命じられたために交代要員として太田に入った鵜殿平七も、やはり中根村に出陣をしてくるとのことだった。
二本松兵らの留守中の太田守備については、旗本である織田伊賀守と井上越中守らの兵総勢千五百名がこれを守る。既に十四日の八ツ時(午後二時)には彼らの兵が入り、また、鵜殿の出陣と入れ替わるように、筧の軍勢が十七日には太田に入る手筈になっていた。
「我々も、そろそろ移動する頃合いであろう」
鳴海が石神の与兵衛の陣営を訪ねると、与兵衛は、具足の具合を締め直しながら鳴海に告げた。
「十日の件については、お聞きになられたか?」
「聞き申しました」
鳴海は深々と肯いてみせた。十日の件とは、天狗勢が連携して市川・幕軍らを破ったことを指している。
「散切隊が加わっておらず、まことにようございましたな」
鳴海の言葉に、与兵衛が少し笑った。
「そなたらは、散切隊と散々にやりあったからな。色々と存念があるのだろう」
「あの田中愿蔵の面貌は、当面忘れられそうにございませぬ」
が、鳴海の本心はやや違う。二十六日の助川城総攻撃では、結局田中愿蔵らの首級を挙げるまでの余裕はなかった。総攻撃だった割に、あの戦いでは挙がってきた首級の数は案外少ない。わずか七ツほどしかなかったのではないか。それでも、あれだけ攻め立てられて散切隊は四散し、かつ、国境の八溝山の方まで追われていていった。そちらでは相羽の手の者や、領地である棚倉藩及び白河藩による探索が、厳しく行われているはずである。この湊原の総攻撃の目処がつき、鳴海らが太田に帰陣する頃には、何らかの続報が届いているだろう。
だが鳴海は、棚倉方面への追捕を命じられなかったことに、どこか安堵してもいた。皆既に眼の前の戦いに心が向けられているが、あの助川城から逃げていった散切隊の中には、かの者もいるに違いなかった。せめて最期は、武士らしい始末を付けさせてやりたかった。
命乞いをするために二本松陣営に姿を見せた芳之助を、決して許しているわけではない。だが、芳之助の末期の願いについては、一考してやるつもりだった。
十五日、鳴海と与兵衛、そして又八郎は兵を率いて中根村に移動した。ここで源太左衛門と待ち合わせる手筈になっているのである。だが、夜八ツ(午後八時)になっても、源太左衛門の兵らは未だ来ていない。
与兵衛が、眉を顰めた。約束の刻限は、七ツ時だったのである。まさか、見知らぬ土地で道に迷ったということではあるまいか。鳴海も、九右衛門や寺西らと顔を見合わせた。
「何かございましたかな。遅すぎる」
突如、陣営の彼方から小銃のパンパンという音が聞こえてきた気がした。刹那、身が強張る。すわ、敵襲か。続けて、断末魔の声がいくつも風に乗って聞こえてきた。
そこへ、六番組の使番である樽井源太夫が、「只今、御家老御一行が到着なされました」と告げにきた。
「御家老方は、ご無事か」
源太夫は、小首を傾げた。
「あの様子であれば、天狗勢と一戦交えてきたやもしれませぬな。御家老の側におられた小川殿も、多少興奮しているように見受けられました」
暗がりの中から、源太左衛門の兵らが姿を見せた。その後ろには、源太左衛門の白髪が篝火に照らし出され、きらきらと光っている。
「御家老、ご無事でございましたか」
鳴海は、思わず駆け寄った。
「そう易易と賊らの手に掛かってたまるか」
源太左衛門は笑っているが、その側に付き従っている平助からは、微かに血の鉄臭い匂いがした。返り血を浴びたのだろう。
「小川殿、その御姿は……」
又八郎の顔が、強張っている。
「大したことはございませぬ。馬渡村と中根村の境のところで、天狗共と遭遇いたしましてな。道の脇から御家老の列に向かって鉄砲を撃ちかけてきたもので、それを斬り伏せてきたまででございます」
平助はにこにこと笑っているが、やはり先程の銃声は、源太左衛門が天狗勢に襲撃されたものだったらしい。平助によると、馬渡村に差し掛かったところで、先触れを遣り様子を探らせた。すると、どうにも村境の辺りの雰囲気が怪しいという。そこで平助は、先触れの警戒した辺りに伏兵を手配して、源太左衛門への襲撃を阻止したというのだ。雑兵ばかりではあるが、二十程の首級も挙げたらしい。
「……肝が冷えました」
鳴海も、そろそろと息を吐き出した。こう幾度も総大将の首が狙われるようなことがあっては、たまらない。源太左衛門が二本松城中にあるときは、理知的かつ物静かな印象が強かったのだが、案外と、武勇を好むところがある。総大将にも関わらず、自ら戦陣に立つことも厭わない。だからこそ、鳴海も源太左衛門の為に命を賭けられるのだが。
だが、田沼の督励を受けた幕軍兵らはその勢いのままに湊方面へ兵を進め、翌十日、激戦となった。通称「部田野合戦」と呼ばれるこの戦いは、まずは追討軍が大挙して部田野に押し寄せた。市川の一手が先鋒となり、諸生党側の義勇兵である鯉淵勢五〇〇名余りが先行して一本松から雲雀塚に向かい、それに福島・壬生・宇都宮などの諸藩の兵が続いた。彼らが対峙したのは、やはり前日前浜村に兵を進めていた筑波勢及び潮来勢である。が、苦戦を余儀なくされた筑波勢らは湊に伝令を走らせ、初めて榊原らに対して援軍を乞うた。この援軍要請に対して湊の留守を預かっていた榊原は、筑波勢らの申出を受託し、湊本営を守っていた一手を差し向けた。さらにそれだけでなく、大発勢の首脳陣とは一定の距離を保っていた武田耕雲斎(伊賀守)も、館山から動いた。
この那珂湊本営からの出兵により、形勢が逆転した。緒戦は追討軍が有利に戦を運んでいたものの、初めて連携を組んだ大発勢・筑波勢・潮来勢により押し返され、追討軍は敗退を余儀なくされた。後世、この部田野村での戦いは「元治元年の戦いの中でもっとも激しいものであった」と評されるほどであったと、伝えられている。さらに、今までは基本的に別々の動きを見せていた大発勢・筑波勢・潮来勢が、この戦いで初めて連携した。そのため、この戦局前後から彼らを一括りにして「天狗党」と扱うことも多い。
もっとも天狗党も連合したからといって、さほど余裕が生まれたわけではなかった。大発勢の三千人余りの糧食は、そのほとんどが、天保年間以来湊に備蓄されてきた穀物で賄っている。だが、この時点で残りの糧食は十日分程しかなくなっていた。そのため、大発勢の首脳部の間では、糧食の不足や那珂湊の地形が平坦すぎて防御に適していないことを理由に、陣地を移して体勢を立て直すべきだという意見も出されていた。それでも、未だ頼徳の死を知らない榊原は、頼徳からの命令を忠実に待ち続けて、湊から動こうとしなかったのである。
――十四日、源太左衛門より伝令が来た。明日、源太左衛門らも中根方面へ出撃するので、中根村で待ち合わせるという内容である。鳴海や与兵衛が村松・石神方面の警備を命じられたために交代要員として太田に入った鵜殿平七も、やはり中根村に出陣をしてくるとのことだった。
二本松兵らの留守中の太田守備については、旗本である織田伊賀守と井上越中守らの兵総勢千五百名がこれを守る。既に十四日の八ツ時(午後二時)には彼らの兵が入り、また、鵜殿の出陣と入れ替わるように、筧の軍勢が十七日には太田に入る手筈になっていた。
「我々も、そろそろ移動する頃合いであろう」
鳴海が石神の与兵衛の陣営を訪ねると、与兵衛は、具足の具合を締め直しながら鳴海に告げた。
「十日の件については、お聞きになられたか?」
「聞き申しました」
鳴海は深々と肯いてみせた。十日の件とは、天狗勢が連携して市川・幕軍らを破ったことを指している。
「散切隊が加わっておらず、まことにようございましたな」
鳴海の言葉に、与兵衛が少し笑った。
「そなたらは、散切隊と散々にやりあったからな。色々と存念があるのだろう」
「あの田中愿蔵の面貌は、当面忘れられそうにございませぬ」
が、鳴海の本心はやや違う。二十六日の助川城総攻撃では、結局田中愿蔵らの首級を挙げるまでの余裕はなかった。総攻撃だった割に、あの戦いでは挙がってきた首級の数は案外少ない。わずか七ツほどしかなかったのではないか。それでも、あれだけ攻め立てられて散切隊は四散し、かつ、国境の八溝山の方まで追われていていった。そちらでは相羽の手の者や、領地である棚倉藩及び白河藩による探索が、厳しく行われているはずである。この湊原の総攻撃の目処がつき、鳴海らが太田に帰陣する頃には、何らかの続報が届いているだろう。
だが鳴海は、棚倉方面への追捕を命じられなかったことに、どこか安堵してもいた。皆既に眼の前の戦いに心が向けられているが、あの助川城から逃げていった散切隊の中には、かの者もいるに違いなかった。せめて最期は、武士らしい始末を付けさせてやりたかった。
命乞いをするために二本松陣営に姿を見せた芳之助を、決して許しているわけではない。だが、芳之助の末期の願いについては、一考してやるつもりだった。
十五日、鳴海と与兵衛、そして又八郎は兵を率いて中根村に移動した。ここで源太左衛門と待ち合わせる手筈になっているのである。だが、夜八ツ(午後八時)になっても、源太左衛門の兵らは未だ来ていない。
与兵衛が、眉を顰めた。約束の刻限は、七ツ時だったのである。まさか、見知らぬ土地で道に迷ったということではあるまいか。鳴海も、九右衛門や寺西らと顔を見合わせた。
「何かございましたかな。遅すぎる」
突如、陣営の彼方から小銃のパンパンという音が聞こえてきた気がした。刹那、身が強張る。すわ、敵襲か。続けて、断末魔の声がいくつも風に乗って聞こえてきた。
そこへ、六番組の使番である樽井源太夫が、「只今、御家老御一行が到着なされました」と告げにきた。
「御家老方は、ご無事か」
源太夫は、小首を傾げた。
「あの様子であれば、天狗勢と一戦交えてきたやもしれませぬな。御家老の側におられた小川殿も、多少興奮しているように見受けられました」
暗がりの中から、源太左衛門の兵らが姿を見せた。その後ろには、源太左衛門の白髪が篝火に照らし出され、きらきらと光っている。
「御家老、ご無事でございましたか」
鳴海は、思わず駆け寄った。
「そう易易と賊らの手に掛かってたまるか」
源太左衛門は笑っているが、その側に付き従っている平助からは、微かに血の鉄臭い匂いがした。返り血を浴びたのだろう。
「小川殿、その御姿は……」
又八郎の顔が、強張っている。
「大したことはございませぬ。馬渡村と中根村の境のところで、天狗共と遭遇いたしましてな。道の脇から御家老の列に向かって鉄砲を撃ちかけてきたもので、それを斬り伏せてきたまででございます」
平助はにこにこと笑っているが、やはり先程の銃声は、源太左衛門が天狗勢に襲撃されたものだったらしい。平助によると、馬渡村に差し掛かったところで、先触れを遣り様子を探らせた。すると、どうにも村境の辺りの雰囲気が怪しいという。そこで平助は、先触れの警戒した辺りに伏兵を手配して、源太左衛門への襲撃を阻止したというのだ。雑兵ばかりではあるが、二十程の首級も挙げたらしい。
「……肝が冷えました」
鳴海も、そろそろと息を吐き出した。こう幾度も総大将の首が狙われるようなことがあっては、たまらない。源太左衛門が二本松城中にあるときは、理知的かつ物静かな印象が強かったのだが、案外と、武勇を好むところがある。総大将にも関わらず、自ら戦陣に立つことも厭わない。だからこそ、鳴海も源太左衛門の為に命を賭けられるのだが。
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