鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

終焉(2)

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 十月二日、鳴海と与兵衛は源太左衛門ら本軍に先駆けて、陣を移動させた。鳴海は村松の担当である。村松では、虚空蔵尊のある村松山に宿を借り受けた。水戸藩の古刹の一つであり、また、海岸の松林までは八丁程の白砂の道が続いている。ここには援軍として駆けつけた成田又八郎らの手勢も加わり、また、与兵衛ら六番組のいる石神までも、半里ほどしか離れていない。源太左衛門の告げたように、先に水戸藩の筧や壬生藩などがこの地を平らげていたため、平穏そのものだった。鳴海ら二本松勢が北の助川城の総攻撃を行っている頃、こちらでは湊から半里あまりの場所にある平磯村までの進出に成功していた。平磯村には筑波勢の本営が置かれていたが、その脅威も消えた形となる。
「我々も武功を立てられるのかと張り切って参りましたが、既に諸藩の方々がこうもひしめいているとあらば、些か手持ち無沙汰ですな」
 朗らかにそう述べた又八郎に対し、鳴海は黙って苦笑を向けるに留めた。とりわけ久慈浜口や石名坂の激戦については思うところもあるのだが、過ぎたことである。
 五日、太田に留まっている源太左衛門から伝令が届いた。やはり二本松藩も那珂湊への総攻撃の陣営に加えられたというのである。追討軍はおよそ五方面から総攻撃を試みることになっており、もはや大発勢と筑波勢の区分をすることなく、殲滅すると正式に伝えられた。
 二本松藩が割り当てられたのは、中根口西方である。また、部田野にはさらに幕府軍、一本松前浜口には福島藩が割り当てられていた。水戸の総大将である市川は、明神山にて指揮を執る。他にも館山口、小泉口、馬渡口、和田台口、雲雀塚口など要所々々に兵が配置され、この包囲網から突破するのは困難であると察せられた。囲んだ人数は、総勢一万三千人にも及んだ。海上から脱出しようにも、そちらにも幕府の軍艦黒竜丸が、砲門を開いて待ち構えている。
 そして、源太左衛門からもたらされた知らせは、それだけでなかった。
「本日、大炊頭様が御腹を召されたそうでございます。太田にも、水戸より早馬が参りました」
 低い声で告げる外記衛門の言葉に、鳴海はしばし言葉を失った。仮にも、松平頼徳は宍戸藩主である。まして此度は、「慶篤の名代」ということで水戸に下向してきたはずだった。以前郡山でその知らせを受け取った鳴海は、源太左衛門に「予断を持つな」と釘を刺された。だが、まさかこのような形で頼徳が詰め腹を切らされるとは、思いもよらなかった。
「――それ故、本日総攻撃の陣触れが来たのか」
 与兵衛も、小さく呻いた。恐らく、その通りであろう。鳴海らも今更天狗勢に加担したり同情したりできる立場ではないが、あまりにも酷い仕打ちだった。
 宍戸藩は頼徳の切腹に先立ち、頼徳とその父である頼位の官位が剥奪された。そして頼位は羽前新庄藩に、頼徳の子息及び宍戸藩家老中野敬助らは、江戸高松藩預けとなった。江戸の宍戸藩邸は没収され、その建物は守山藩及び府中藩に監守が命じられた。
 宍戸藩は、文字通り取り潰された。

 思いきや野田の案山子の竹の弓引きも放たで朽ち果てむとは

 慶篤の名代として下向したはずなのに、市川らの計略により「賊軍の将」とされたのが、余程無念だったのだろう。鳴海も、密かに太田にも伝えられたという頼徳の辞世の歌には、同情を禁じ得なかった。
 だが、それを口にすることは禁忌である。ため息をついて、やり過ごすしかなかった。
「ところで、湊にいるという大発勢や筑波勢は、未だ動かぬのでしょうか」
 一人、前半の戦いに加わっていない又八郎が、与兵衛に尋ねた。途中からの参戦のためか、大炊頭の死に動揺した様子も見られない。
 与兵衛は、小首を傾げた。
「動いた……という知らせは石神にも来ておらぬ。太田は如何でござるか?」
 外記衛門も、首を振った。
 となれば――。
「湊では大炊頭様から留守を預かった将が指揮を取っており、未だ大炊頭様のご切腹を知らぬのではございませぬか」
 鳴海の見るところ、湊の軍勢が特に動かないというのは、切腹した大炊頭様の命令を死守しているからに違いなかった。賊軍となるのを人一倍嫌った頼徳であれば、彼らからの手出しはおろか、幕軍に対しては抵抗すらするなと命じていったに違いない。
「だとすれば、湊の兵らは憐れでございますな」
 後ろに控えていた九右衛門が呟いた。その言葉に、六番組の物頭である寺西も肯く。敵ではあるのだが、思わず一抹の感傷を抱くほどの苛烈な処置には、鳴海も複雑な思いだった。太田守備から外された鳴海と与兵衛が、太田での喧騒に巻き込まれずに済むのは、ある意味僥倖とも言えた。
 実際、頼徳から出頭の前に那珂湊の留守を命じられた榊原新左衛門は、頼徳の命に忠実に従い、一切の手出しを禁じていた。その一方で頼徳の無事を信じ、また、頼徳の無実を訴えるために、密かに鎮派の同士であった戸田銀次郎に連絡をつけようとしてもいた。戸田銀次郎は成り行きでやむを得ず市川らと行動を共にしているものの、元は市川ら門閥派に対して良い感情は持っていない。
「いずれにせよ、我らも御家老の御下知があるまでは、ここを動くわけにはいかぬ。外記右衛門殿、引き続き連絡をお頼み申す」
 与兵衛の言葉に、外記右衛門は「承知致した」と踵を返し、太田へ戻っていった。

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