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第三章 常州騒乱
終焉(1)
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二十七日から数日間は、久しぶりに、鳴海ら五番組も太田の宿で寛ぐことを許された。もっとも水戸藩の諸生方は、四散した散切隊の残党を追って、相羽らが出陣した。助川城の北西には赤沢銅山がある。そこに置かれた会所で田中らは糧食などを調達しようと交渉したが、会所の人間はこれを拒み、腹立ち紛れに散切隊は会所に火を放ち、銅山の施設を爆破した。
この急報を受けた相羽らが太田北部にある町家村まで出陣したところ、散切隊はその北部にある小菅村の方面へ逃げ出し、そこから東金砂山、西金砂山、頃藤村、金沢村と追い詰められていった。だが追求の手を緩めなかった相羽はさらにそれを追い、散切隊は国境にある八溝山の方へ逃亡したという。
二十九日には寺門も馬場村まで戻ってきていた。手勢二百名余りを引き連れ、堂々たる体躯の粕毛に跨って白旗二本の吹き流しをたなびかせている様は、もはや「博徒」と侮る者はいないだろう。
「寺門様のお陰で、ようやく儂らも今宵から枕を高くして眠れます。今や、寺門様の勢いは飛ぶ鳥を落とすほどでございますな」
寺門の逗留先の主である大津弥兵衛は、涙ぐんですらいる。寺門は、すっかりこの地の英雄扱いだ。その光景を、北の黒門のところにある見張り櫓から、鳴海は複雑な思いで眺めた。
翌三十日、鳴海は太田御殿に呼ばれた。助川城は落ちたものの、それとは別に湊方面の戦局について説明を受けるためである。
諸将らに伝えられた約束の刻限まで今しばらくの間があり、鳴海が源太左衛門や与兵衛と共に出された茶を啜っていると、寺門がやってきた。
「内藤様。それがしの元へ兄の敵討ちをしたいという子供が参っております。本懐を遂げさせてやりたいと存じまするが、如何なものでございましょう」
敵討ちは好き勝手にできるものではなく、藩の上役の認可がなければならない。そのため、寺門は内藤にその許可を得に来たのだった。
内藤が、微かに眉を顰めた。鳴海も、内心鼻白む。第一、寺門の言葉遣いが、鳴海に接するときとまるで違う。不快だった。
(敵討ちなど、戦国の世ではあるまいに……)
鳴海も武家のしきたりとして敵討ちは承知しているが、さすがに農民にやらせるものではないと内心では思っていた。だが武士のしきたりによほど憧れがあるものか、寺門は目をきらきらと輝かせて内藤の返答を待っている。
じっと寺門を見つめていた内藤が、口を開いた。
「その子供の言い分は、まことであるのか?」
「まことのようでございます。下孫村の農民、萬屋佐十郎の弟と申しますが、わずか十二歳にして殊勝な心がけではございませぬか。親類の者らに付き添われてきたのですが、敵は助川家中の高橋善次郎という御仁と、大橋村の紺屋貞蔵と判明しているそうでございます」
「……確かに、その名の者らが太田の牢におったな」
内藤はしばらく両腕を組み目を閉じて何事か考え込んでいたが、やがて瞼を開いた。
「そちが介添えとして、始末を見届けてやれ」
鳴海は、思わず目を見開いた。だが、内藤の声は落ち着いていた。
「畏まりました。果たし合いの場所は、稲木村との境の川辺でよろしゅうございますか?」
「村の者の目に触れぬようにな」
うきうきと御殿を出ていく寺門は、相変わらずであった。その姿が見えなくなると、鳴海は思わず内藤に非難の眼差しを向けた。通常の敵討ちならばともかく、牢に入れられた者を引きずり出し、それを嬲り殺しにしようというのである。あまりにも士道に背きやしないか。
「わずか十二歳の子に敵討ちを許されるなど……」
が、内藤は肩を竦めた。
「鳴海殿には申し上げる暇がなかったのだが……。もはや、天狗共らは一律に賊と見做された」
鳴海は、源太左衛門に顔を向けた。源太左衛門の眼差しも、険しい。内藤が言葉を続ける。
「――去る二十六日、宍戸藩の大炊頭様は、執政の鳥井瀬兵衛様に仲介を頼まれ、そこで夏海村の幕府陣営におわす戸田五介殿に投降なされた。それも、自ら江戸へ釈明に参ると申されてな」
沈黙が満ちた。すると、大発勢は降参するということか。だが、自嘲するような内藤の口元を見れば、そう単純な話ではないと察せられた。
「二十七日には、戸田殿は大炊頭様の身柄を松川陣屋へ移され、そこから江戸へお連れしようとなされたらしい。だが、既に水戸に入られていた田沼様から急使が参り、大炊頭様は水戸へ引き戻された」
その意味は、明白だった。田沼ははっきりと、大炊頭を罪人として扱ったのである。市川が大炊頭に対して敵意を顕にしているのとは、意味合いが異なった。
「この意味がおわかりであろう?鳴海殿」
源太左衛門が、ぽつりと呟いた。田沼は市川の意を受け、幕府の意向として天狗共を殲滅するつもりなのだ。それだけではない。藩主慶篤の名代として下向した大炊頭にも、一切の遠慮はなかった。田沼の処置は、安政の大獄以来、もはや御三家と言えども事の成り行き次第では容赦をしないという、幕閣らの意向を反映したものでもあった。市川らは無論、それを徹底的に利用するだろう。
そっと隣を伺うと、与兵衛も視線を伏せている。やはり事の成り行きの凄まじさに、割り切れないものがあるのだろうか。今ほどの内藤の話によれば、諸生党の味方であるはずの二本松軍とて、万が一市川の機嫌を損ねれば、どのような言いがかりをつけられるかわからない。そのような危うさを孕んでいた。
二人の様子を見た源太左衛門が、一つため息をついた。
「お主ら、先に石神と村松に参れ。どのみち、これから水戸御家中の方々も太田に逗留されるのだ。それらの方々の宿もこの分では手狭になるであろうし、我らが宿を明け渡すのが礼儀というもの。額田の南辺は既に平らげられ、散切隊も一掃された。北からの襲撃もさほど心配はなかろう」
「それは……」
体の良い厄介払いということか。気色ばみかけた鳴海を、与兵衛が目頭で押さえた。鳴海に構わず、源太左衛門が言葉を続ける。
「水戸の方々が太田に滞在されると申しても、あくまでも一時のこと。戦の流れ次第では、我らにも湊方面への出陣命令が申し付けられよう。それに備えて、先触れとして出陣を申し付ける。そういうことだ」
源太左衛門の言葉に、内藤が肯いた。どこか源太左衛門の言葉に、ほっとしているようにも見える。
「鳴海殿。日野殿は其処許に『見たくないものは無理に見ずとも良い』と、仰せなのではござるまいか」
内藤の穏やかな言葉に、鳴海は視線を落とした。確かに、寺門はわずなからの可愛げもあるが、日々に増していく残忍の色には、正直閉口させられている。それは寺門の出自のせいだけではなく、勝者が敗者に対して持つ人の残酷さというものであろう。市川はその典型であり、理知的な内藤ですら、今の市川に異を唱えることは出来ない勢いを、市川は身に付けつつある。
「清廉な心持ちだけで政や戦を運べたのならば、まことに楽なのだがな」
内藤と顔を見合わせ、何かを諦めたような寂しげな笑みを口の片端に浮かべた源太左衛門は、いささか疲れているようだった。
この急報を受けた相羽らが太田北部にある町家村まで出陣したところ、散切隊はその北部にある小菅村の方面へ逃げ出し、そこから東金砂山、西金砂山、頃藤村、金沢村と追い詰められていった。だが追求の手を緩めなかった相羽はさらにそれを追い、散切隊は国境にある八溝山の方へ逃亡したという。
二十九日には寺門も馬場村まで戻ってきていた。手勢二百名余りを引き連れ、堂々たる体躯の粕毛に跨って白旗二本の吹き流しをたなびかせている様は、もはや「博徒」と侮る者はいないだろう。
「寺門様のお陰で、ようやく儂らも今宵から枕を高くして眠れます。今や、寺門様の勢いは飛ぶ鳥を落とすほどでございますな」
寺門の逗留先の主である大津弥兵衛は、涙ぐんですらいる。寺門は、すっかりこの地の英雄扱いだ。その光景を、北の黒門のところにある見張り櫓から、鳴海は複雑な思いで眺めた。
翌三十日、鳴海は太田御殿に呼ばれた。助川城は落ちたものの、それとは別に湊方面の戦局について説明を受けるためである。
諸将らに伝えられた約束の刻限まで今しばらくの間があり、鳴海が源太左衛門や与兵衛と共に出された茶を啜っていると、寺門がやってきた。
「内藤様。それがしの元へ兄の敵討ちをしたいという子供が参っております。本懐を遂げさせてやりたいと存じまするが、如何なものでございましょう」
敵討ちは好き勝手にできるものではなく、藩の上役の認可がなければならない。そのため、寺門は内藤にその許可を得に来たのだった。
内藤が、微かに眉を顰めた。鳴海も、内心鼻白む。第一、寺門の言葉遣いが、鳴海に接するときとまるで違う。不快だった。
(敵討ちなど、戦国の世ではあるまいに……)
鳴海も武家のしきたりとして敵討ちは承知しているが、さすがに農民にやらせるものではないと内心では思っていた。だが武士のしきたりによほど憧れがあるものか、寺門は目をきらきらと輝かせて内藤の返答を待っている。
じっと寺門を見つめていた内藤が、口を開いた。
「その子供の言い分は、まことであるのか?」
「まことのようでございます。下孫村の農民、萬屋佐十郎の弟と申しますが、わずか十二歳にして殊勝な心がけではございませぬか。親類の者らに付き添われてきたのですが、敵は助川家中の高橋善次郎という御仁と、大橋村の紺屋貞蔵と判明しているそうでございます」
「……確かに、その名の者らが太田の牢におったな」
内藤はしばらく両腕を組み目を閉じて何事か考え込んでいたが、やがて瞼を開いた。
「そちが介添えとして、始末を見届けてやれ」
鳴海は、思わず目を見開いた。だが、内藤の声は落ち着いていた。
「畏まりました。果たし合いの場所は、稲木村との境の川辺でよろしゅうございますか?」
「村の者の目に触れぬようにな」
うきうきと御殿を出ていく寺門は、相変わらずであった。その姿が見えなくなると、鳴海は思わず内藤に非難の眼差しを向けた。通常の敵討ちならばともかく、牢に入れられた者を引きずり出し、それを嬲り殺しにしようというのである。あまりにも士道に背きやしないか。
「わずか十二歳の子に敵討ちを許されるなど……」
が、内藤は肩を竦めた。
「鳴海殿には申し上げる暇がなかったのだが……。もはや、天狗共らは一律に賊と見做された」
鳴海は、源太左衛門に顔を向けた。源太左衛門の眼差しも、険しい。内藤が言葉を続ける。
「――去る二十六日、宍戸藩の大炊頭様は、執政の鳥井瀬兵衛様に仲介を頼まれ、そこで夏海村の幕府陣営におわす戸田五介殿に投降なされた。それも、自ら江戸へ釈明に参ると申されてな」
沈黙が満ちた。すると、大発勢は降参するということか。だが、自嘲するような内藤の口元を見れば、そう単純な話ではないと察せられた。
「二十七日には、戸田殿は大炊頭様の身柄を松川陣屋へ移され、そこから江戸へお連れしようとなされたらしい。だが、既に水戸に入られていた田沼様から急使が参り、大炊頭様は水戸へ引き戻された」
その意味は、明白だった。田沼ははっきりと、大炊頭を罪人として扱ったのである。市川が大炊頭に対して敵意を顕にしているのとは、意味合いが異なった。
「この意味がおわかりであろう?鳴海殿」
源太左衛門が、ぽつりと呟いた。田沼は市川の意を受け、幕府の意向として天狗共を殲滅するつもりなのだ。それだけではない。藩主慶篤の名代として下向した大炊頭にも、一切の遠慮はなかった。田沼の処置は、安政の大獄以来、もはや御三家と言えども事の成り行き次第では容赦をしないという、幕閣らの意向を反映したものでもあった。市川らは無論、それを徹底的に利用するだろう。
そっと隣を伺うと、与兵衛も視線を伏せている。やはり事の成り行きの凄まじさに、割り切れないものがあるのだろうか。今ほどの内藤の話によれば、諸生党の味方であるはずの二本松軍とて、万が一市川の機嫌を損ねれば、どのような言いがかりをつけられるかわからない。そのような危うさを孕んでいた。
二人の様子を見た源太左衛門が、一つため息をついた。
「お主ら、先に石神と村松に参れ。どのみち、これから水戸御家中の方々も太田に逗留されるのだ。それらの方々の宿もこの分では手狭になるであろうし、我らが宿を明け渡すのが礼儀というもの。額田の南辺は既に平らげられ、散切隊も一掃された。北からの襲撃もさほど心配はなかろう」
「それは……」
体の良い厄介払いということか。気色ばみかけた鳴海を、与兵衛が目頭で押さえた。鳴海に構わず、源太左衛門が言葉を続ける。
「水戸の方々が太田に滞在されると申しても、あくまでも一時のこと。戦の流れ次第では、我らにも湊方面への出陣命令が申し付けられよう。それに備えて、先触れとして出陣を申し付ける。そういうことだ」
源太左衛門の言葉に、内藤が肯いた。どこか源太左衛門の言葉に、ほっとしているようにも見える。
「鳴海殿。日野殿は其処許に『見たくないものは無理に見ずとも良い』と、仰せなのではござるまいか」
内藤の穏やかな言葉に、鳴海は視線を落とした。確かに、寺門はわずなからの可愛げもあるが、日々に増していく残忍の色には、正直閉口させられている。それは寺門の出自のせいだけではなく、勝者が敗者に対して持つ人の残酷さというものであろう。市川はその典型であり、理知的な内藤ですら、今の市川に異を唱えることは出来ない勢いを、市川は身に付けつつある。
「清廉な心持ちだけで政や戦を運べたのならば、まことに楽なのだがな」
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