鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

討伐(10)

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 翌二十五日、小川平助と植木次郎右衛門の兵が、河原子に入った。鳴海たちより後に太田本陣を出立してきた小川らは、二百名余りの兵を源太左衛門から預かってきたという。そして、明朝明け六ツ半より総攻撃との命令が、総督である田沼の名で発せられた。夕刻、平助と植木は数名の供回りを連れて、河原子から下孫の陣屋に打ち合わせにやってきた。
「日が昇るのと同時に、攻撃というわけですな」
 いつもの穏やかな声で、平助が所感を述べた。そのまま、しばらく助川付近の絵図を眺めている。どうやら、太田に控えている源太左衛門の名代として、明日の二本松軍の陣割を考えているらしい。やがて図面から顔を上げると、一同に顔を向けた。
「明朝の総攻撃では、九右衛門殿は山の手の押さえ、植木殿にはこの河原子の押さえを、まずはお頼み申す。拙者と鳴海殿は水藩の戸祭殿と共に、街道に面した三の丸側から城内に向かって大小を撃ちかけるということで、如何でござろう」
「ふむ……」
 鳴海は、小さく肯いた。平助の側には、実弟である十右衛門も控えている。
「鳴海殿。戸祭殿の砲兵は如何ほどの人数がおられる?」
「確か、三十名ほどであろう。大沼の海防陣屋から大小を持ち出したと伺っており申す」
 鳴海の回答に、十右衛門が満足げに肯いた。
「であれば、砲は十分に足りるな。十日に石名坂で戦った兵がそのまま助川の城に雪崩込んだのならば、天狗共の数は七百ほどか」
 人数の上では、明らかに諸生党の方が有利であった。が、先日から度々奇襲を仕掛けてきている散切隊のことである。彼らがどのように動くか、予断は許されなかった。
「明日は朝から戦い通しになりましょう。下士らには早めの夕食を命じて、十分に眠らせて明日に備えさせるとしましょうかな」
 眼の前でゆったりと笑っている平助だが、いざ戦いとなれば、たちまち猛将に豹変するのだろう。鳴海はその姿を脳裏に描き、ひっそりと笑みを浮かべた。山野辺主水正を太田御殿まで護送した際に、源太左衛門から伝え聞いた話からしても、平助の武勇ぶりは夙に知られていくに違いない。
 平助と植木が河原子に戻っていくのを見送ると、鳴海は徐々に気が高ぶってくるのを感じた。やはり、戦の前というのは興奮が醒めやらぬものらしい。
 それでも部下らに早めの食事と就寝を命じたが、肝心の自分はというと、とろとろと微睡むのが精一杯だった。が、七ツになるかならないかの時刻か。
「敵襲!」
 誰かが叫ぶのに、はっと目を見開いた。陣屋に備え付けてある半鐘が、がんがんと打ち鳴らされている。叩いているのは、遊佐孫九郎か。見ると、街の方から煙が立ち昇っているのが見えた。わーっと、兵士らの喊声が聞こえてくる。
「鳴海殿!」
 成渡や権太左衛門、五番組の面々が部屋へ駆け込んできた。既に皆具足を身に着けている。鳴海も手早く鎧を纏って陣羽織を羽織り、兜の緒を締める。
「河原子におわす小川殿や植木殿らと合流する。急げ!」
 厩舎から愛馬を引き出して跨ると、その腹を蹴った。散切隊が街に放った炎と煙に怯えた馬が、狂ったように嘶きを上げながら河原子への夜道を疾走する。
 あっという間に一同が河原子に着くと、こちらにも既に下孫の騒動は伝わっていた。
「散切隊の夜襲ですか」
 平助の平素通りの声色にすっと心が落ち着くのを感じつつ、鳴海は肯いた。
「こちらに出てきたということは、やはり奴らは村松を通って、湊を目指そうとしているのかもしれませぬな」
 平助が、ちらりと海辺の方に目をやった。外はまだ夜明けまで遠く、星だけが明るい星月夜となっている。
「裏手の小山に一度皆を集め、体勢を整えてから成沢まで奴らを追うとしますか」
 成沢方面に散切隊を追い返し、水戸の伝令が伝えてきた命令よりも一足早く、このまま攻撃態勢に移行しようというのだ。声は淡々と落ち着いているが、既に平助の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「昨夜は皆を早く休ませましたからな。気合は十分でござろう」
 鳴海も、笑い返した。どうやら今日は、長い一日になりそうだった。
「行くぞ」
 あちこちで、「おう!」と野太い声が上がった。そのまま、部隊を北の助川方面に転じさせる。鳴海も得物を手にして、前方に躍り出た。
 一丁程彼方には、石名坂や大橋宿で遭遇した白皙の美男子が、松明の明かりの中に浮かび上がっている。色白の面は相変わらず目立つが、その眦は吊り上がっており、美男子の面影とは程遠い。むしろ、悪鬼の形相と言うべきだろう。
「あの色白の男こそ、悪名高き田中愿蔵だ。討ち取って名を挙げよ!」
 鳴海が采幣で男を指し示すと同時に、鳴海の両脇を馬が駆け抜けるのを感じた。誰か抜け駆けしようとしているらしい。忌々しそうにこちらを振り返った田中が舌打ちしたかと思うと、馬首を巡らせ、ぴしりと自分の馬の首筋に鞭を当てた。田中の馬が蹄音を轟かせ、あっという間に駆け出す。その背中を慌てて追いかけたのは、紛れもなく芳之助だった。だが、先日のような感傷に浸る余裕は、今の鳴海にはなかった。
「逃がしたか」
 息を弾ませながら呟く鳴海に、平助が真顔を向けた。
「いずれにせよ、もう少しで夜が明けまする。このまま総攻撃の陣形に移りましょう」
 田中や芳之助を逃したのは悔やまれるが、五番組の部下らにも、次の戦いに備えて休息させなければならない。渋々平助に向かって肯くと、鳴海は前日の打ち合わせ通りに、九右衛門の率いる歩兵隊に対して山側への移動を命じた。 
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