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第三章 常州騒乱
討伐(8)
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二十日、鳴海は下孫陣屋において、川尻村の番所にいた寺門から「宮田村まで散切隊が出てきた」との知らせを受けた。早速寺門は宮田村まで駆けつけて、散切隊に向かって砲撃を加えたところ、散切隊の者らは慌てて助川城内へ引き返した。そのため寺門らも川尻番所に戻ったという連絡である。さらに、その二日後にも田中愿蔵らは三百人余りを率いて森山まで進出し、諸生党の者らと戦闘になった。この日は風雨の激しい日で、風下に立った田中らは余程難儀したらしく、再び城内へ引き揚げたという。
田中らが一旦助川の城を占拠しながらもしきりに城外の様子を伺っているのは、やはり湊方面との連絡を考えているのだろう。北部には松岡藩があり、そこは諸生方である中山備前守の領地である。田中らは助川城を占拠したのは良いものの、到底援軍は見込めず、焦りが生じているに違いなかった。
寺門からの書状から目を上げた鳴海に、九右衛門が顔を向けた。
「そろそろ、白黒をつける頃合いかもしれませぬな」
「であろうな。太田本陣に使いを出し、公辺の田沼様から何か御指示がないか確かめてみる」
那珂湊にいるであろう大発勢や筑波勢らの動き次第かもしれないが、太田に続々と水戸藩や周辺諸藩の兵が入っているということは、水戸の市川らも、助川に籠もった散切隊の動きを気にしているということだ。恐らく鳴海らは、助川城総攻撃の先触れを任せられることになるだろう。
「いよいよですな」
肩の辺りを包帯でぐるりと巻いた権太左衛門が、口角を上げた。九日の戦いで負傷したものの、「長柄奉行の名に掛けて、番頭の側を離れるなど考えられない」と言い、下孫にやってきていたのである。再び包帯に血が滲んでいるのを見て、鳴海は顔を顰めた。
「お主は手傷を負っているではないか。浄光寺の本陣で養生していても良いのだぞ。成渡も見事代役を果たしてくれておるしな」
「何を申されます、鳴海様。六番組の者は敵将の倅の首級を挙げたそうではありませんか。我々も負けてはおられませぬ」
そう述べると、権太左衛門は自慢の槍を振り回そうとして、「いてて」と顔を顰めた。
「それみろ。言わぬことではない」
苦笑した鳴海を、成渡が複雑な面持ちで見つめていた。その視線に気づかない振りをして、鳴海は井上を手招いた。
「この寺門殿の書状を、本陣の御家老及び水戸の内藤殿に差し出し、次の指示を受けてきてほしい」
「承知仕った」
井上は書状を懐に仕舞うと、軽々と馬に跨った。使番の身とは言え、井上が太田と下孫の間を往還するのも、これで幾度目だろうか。
それからしばらくの間、下孫陣屋では兵らが束の間の休息を堪能していた。前日の嵐が嘘のように、今日は青空が広がっている。だが、約一ヶ月前の常陸入りの頃と比べると、庭先に吹く風は随分と冷たいものとなっていた。鳴海がふと外に目をやると、陣屋からは白い砂州が望める。だが、時期が時期だけに、人影は見当たらなかった。
「鳴海様。よろしかったら、召し上がりませんか?土地の者から分けてもらった秋刀魚を、つみれ汁にしたものですが」
奥の台所の方から、声が掛かった。声の主は右門である。生来の魚好きらしく、右門は戦に出ない時には、土地の者から海の魚についてあれこれと教授してもらっているらしい。その右門も二本松を出立した頃と比べると、近頃は少しばかり精悍さが増したように思える。
「頂こう」
鳴海は、台所に足を運んだ。萬左衛門や市之進などが、ちゃっかりと相伴に預かっている。酒気は鳴海の命令で厳禁となっているため、体が温まる汁物は兵士らに人気の食事なのだった。
「うまそうですな」
鼻をひくひくと蠢かせて、権太左衛門が笑った。その笑顔に釣られ、鳴海も「権太左衛門の分もよそってやってくれ」と言うと、右門は椀にたっぷりと汁を注いだ。汁の表面には、秋刀魚から滲み出た油が浮いている。
「右門殿。大谷家の御子息にしては、なかなかの料理の腕前ですな」
からかうように市之進が述べると、右門は首を竦めた。
「どうぞ父や兄には内緒にして下さいませ。大谷家の子息が魚に夢中になっているとあらば、体裁が良くないと叱られますゆえ」
「だそうな」
鳴海はくすりと笑った。もっとも先の那珂川渡河の際には、右門の観察眼に皆が励まされたのだから、与兵衛が今更咎め立てることはないだろう。それにしても、右門も随分と皆と馴染んだものである。
食事が終わって陣屋の広間で寛いでいると、井上が太田から戻ってきた。井上が水戸藩の内藤から聞いてきたところによると、那珂湊方面では十八日から十九日夜にかけて、激しい戦闘になったという。それを知った幕府軍総督の田沼も、いよいよ笠間を出て水戸に赴き、そこで総指揮を取るのではないかというのが、内藤の見立てだった。
「つきましては明日、軍議のため五番組に太田まで罷り越されたいとの、御家老よりのご伝言でござる」
「左様か」
鳴海は、九右衛門と顔を見合わせた。恐らく次の戦いでは、二本松軍の総力を挙げて、助川城に攻め込むことになる。
田中らが一旦助川の城を占拠しながらもしきりに城外の様子を伺っているのは、やはり湊方面との連絡を考えているのだろう。北部には松岡藩があり、そこは諸生方である中山備前守の領地である。田中らは助川城を占拠したのは良いものの、到底援軍は見込めず、焦りが生じているに違いなかった。
寺門からの書状から目を上げた鳴海に、九右衛門が顔を向けた。
「そろそろ、白黒をつける頃合いかもしれませぬな」
「であろうな。太田本陣に使いを出し、公辺の田沼様から何か御指示がないか確かめてみる」
那珂湊にいるであろう大発勢や筑波勢らの動き次第かもしれないが、太田に続々と水戸藩や周辺諸藩の兵が入っているということは、水戸の市川らも、助川に籠もった散切隊の動きを気にしているということだ。恐らく鳴海らは、助川城総攻撃の先触れを任せられることになるだろう。
「いよいよですな」
肩の辺りを包帯でぐるりと巻いた権太左衛門が、口角を上げた。九日の戦いで負傷したものの、「長柄奉行の名に掛けて、番頭の側を離れるなど考えられない」と言い、下孫にやってきていたのである。再び包帯に血が滲んでいるのを見て、鳴海は顔を顰めた。
「お主は手傷を負っているではないか。浄光寺の本陣で養生していても良いのだぞ。成渡も見事代役を果たしてくれておるしな」
「何を申されます、鳴海様。六番組の者は敵将の倅の首級を挙げたそうではありませんか。我々も負けてはおられませぬ」
そう述べると、権太左衛門は自慢の槍を振り回そうとして、「いてて」と顔を顰めた。
「それみろ。言わぬことではない」
苦笑した鳴海を、成渡が複雑な面持ちで見つめていた。その視線に気づかない振りをして、鳴海は井上を手招いた。
「この寺門殿の書状を、本陣の御家老及び水戸の内藤殿に差し出し、次の指示を受けてきてほしい」
「承知仕った」
井上は書状を懐に仕舞うと、軽々と馬に跨った。使番の身とは言え、井上が太田と下孫の間を往還するのも、これで幾度目だろうか。
それからしばらくの間、下孫陣屋では兵らが束の間の休息を堪能していた。前日の嵐が嘘のように、今日は青空が広がっている。だが、約一ヶ月前の常陸入りの頃と比べると、庭先に吹く風は随分と冷たいものとなっていた。鳴海がふと外に目をやると、陣屋からは白い砂州が望める。だが、時期が時期だけに、人影は見当たらなかった。
「鳴海様。よろしかったら、召し上がりませんか?土地の者から分けてもらった秋刀魚を、つみれ汁にしたものですが」
奥の台所の方から、声が掛かった。声の主は右門である。生来の魚好きらしく、右門は戦に出ない時には、土地の者から海の魚についてあれこれと教授してもらっているらしい。その右門も二本松を出立した頃と比べると、近頃は少しばかり精悍さが増したように思える。
「頂こう」
鳴海は、台所に足を運んだ。萬左衛門や市之進などが、ちゃっかりと相伴に預かっている。酒気は鳴海の命令で厳禁となっているため、体が温まる汁物は兵士らに人気の食事なのだった。
「うまそうですな」
鼻をひくひくと蠢かせて、権太左衛門が笑った。その笑顔に釣られ、鳴海も「権太左衛門の分もよそってやってくれ」と言うと、右門は椀にたっぷりと汁を注いだ。汁の表面には、秋刀魚から滲み出た油が浮いている。
「右門殿。大谷家の御子息にしては、なかなかの料理の腕前ですな」
からかうように市之進が述べると、右門は首を竦めた。
「どうぞ父や兄には内緒にして下さいませ。大谷家の子息が魚に夢中になっているとあらば、体裁が良くないと叱られますゆえ」
「だそうな」
鳴海はくすりと笑った。もっとも先の那珂川渡河の際には、右門の観察眼に皆が励まされたのだから、与兵衛が今更咎め立てることはないだろう。それにしても、右門も随分と皆と馴染んだものである。
食事が終わって陣屋の広間で寛いでいると、井上が太田から戻ってきた。井上が水戸藩の内藤から聞いてきたところによると、那珂湊方面では十八日から十九日夜にかけて、激しい戦闘になったという。それを知った幕府軍総督の田沼も、いよいよ笠間を出て水戸に赴き、そこで総指揮を取るのではないかというのが、内藤の見立てだった。
「つきましては明日、軍議のため五番組に太田まで罷り越されたいとの、御家老よりのご伝言でござる」
「左様か」
鳴海は、九右衛門と顔を見合わせた。恐らく次の戦いでは、二本松軍の総力を挙げて、助川城に攻め込むことになる。
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