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第三章 常州騒乱
討伐(2)
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翌々日、鳴海らは大橋宿に布陣していた。先日の戦いを経て、石名坂が再び攻防の場となりそうな予感がしていたのである。石名坂の宿は、散切隊の者によって既に焼かれており、とても宿泊できる状態ではなかったという事情もあった。
「噂には聞いておりましたが、散切隊の所業は乱暴極まりないですな」
昼餉の席で戸祭が苦々しげにそう吐き捨てるのを、鳴海は黙って聞いていた。その散切隊指揮官の一人が、まさかかつての二本松藩士だったというのは、口が裂けても言えない。同じ思いなのか、傍らで食事を取る九右衛門の口も、噤んだままだ。そこへ、水藩の若者が駆け込んできた。
「申し上げます。石名坂村に、白袴に白襷の異形の者らの姿が見えているそうでございます」
鳴海は、戸祭と顔を見合わせた。異形の者ということは、田中愿蔵率いる散切隊に違いない。久慈浜から助川城を目指して北上してきたのだろう。
「直ちに参る」
大橋宿から石名坂は、十丁ほどしか離れていない。正しく目と鼻の先である。戦装束のままだった鳴海はすぐさま食事を切り上げ、馬上の人となった。
先日戦ったのだから、石名坂の地形は頭に入っている。だが――。
「万が一、鉾を逆さにするような者が現れたならば、いかが致します?鳴海殿」
政之進が鳴海に問うた。その意味するところは、「内通者が現れたらどうするか」ということである。与兵衛があっさりと鴨志田や大貫ら地元の者に裏切られ、六番組が大損害を被ったことが頭にあったのだろう。
「その者、決して許すまじ……と申したいところであるがな」
鳴海は、微かに口元を歪めた。
「日立の地理に冥い我らが深追いしたところで、傷口を広げるだけであろう。その際には、裏切り者の処断を戸祭殿にお任せして我らは太田へ引き揚げ、水藩の上役の方々や御家老の御指示を仰ぐ」
戸祭が、ちらりとこちらを見た。何が言いたげではあるが、六番組の悪例もある。低声で「承知致した」と述べたのみだった。
――案の定というべきか。姿を見せたのは、やはり散切隊だった。それも、石名坂の間道には伏兵がおり、それらの者が弓矢鉄砲を打ちかけてくる。今回はあの白皙の若い指揮官の姿は見当たらず、また、芳之助の姿も見えなかった。そのことにやや安堵しながらも、鳴海は戸祭に視線を投げかけた。
「間道に伏兵がいたということは、まず間違いなくこの土地の者が散切隊に手を貸しておりましょうな」
苦々しげに、戸祭が肯く。
「先ほど、それらしき者の姿を確認致しました。拙者も金沢合戦の折に、散々手こずらされた相手でござる」
金沢合戦のときに戸祭がやり合ったというのは、先に源太左衛門が最初に助川城に総攻撃を仕掛けたときのことだろう。弘道館での軍議の最中に、山野辺主水正らと諸生党が戦になっているという報告が舞い込んできたのを、鳴海は思い出した。
「あの茅根貞蔵は、元より山野辺家中の天狗党の者らに傾倒しておりました。大和田村の者故、貞蔵にとっては石名坂は我が家の庭のようなものでござろう」
「然らば、無理は禁物でござるな。一旦大橋宿か太田へ引き揚げ、善後策について協議いたしませぬか」
鳴海の言葉に、戸祭は渋々といった体で肯いた。本来であれば深追いしたいところなのだろうが、金沢合戦の際の敗北の経験が、戸祭の矜持に「待った」をかけている。
「鳴海殿、よろしいのですか?このままだと、散切隊に助川を明け渡すことになりますが……」
政之進が再び鳴海に尋ねた。鳴海は、しばし考え込んだ。
助川の北方には、中山備前守が率いる松岡藩の兵がある。また、入四間方面には相羽の兵も控えているはずだった。加えて、壬生藩の主力部隊が太田に入ったということは、額田周辺の情勢が諸生党側に有利に傾いてきており、余力が生まれ始めているのだろう。さらに、水戸藩からの増援がそちら側に回ることも考えられた。
であれば、いっそ散切隊を助川に追い込んでしまい、湊周辺の筑波勢や大発勢と合流させずに勢力を分断させるほうが、望ましいかもしれない。
「助川城が落城したのであれば、あそこへ立て籠もってもじきに限度が来る。火の手が上がっていたのであれば、恐らく城の食糧倉なども焼かれたであろうしな」
鳴海は、きっぱりと断じた。
「なるほど……。散切隊を、いっそ袋の鼠にしてしまおうということでございますか」
政之進が微かに笑った。
「いずれは攻めることになろうが、今は捨て置いて構うまい」
鳴海の返答に、井上も肯いた。
「散切隊は、元々天狗勢の中でも嫌われております。たとえ多少地元で兵を募ったとしても、他の隊から嫌われているのであれば、大炊頭様や藤田小四郎らの協力は見込めますまい」
井上の言葉に納得したのか、九右衛門も肯いた。その場で戸祭は「必ず茅根貞蔵を捕まえ、処断する」と約束し、一同は大橋宿を経て、再度太田に戻ることになった。
「噂には聞いておりましたが、散切隊の所業は乱暴極まりないですな」
昼餉の席で戸祭が苦々しげにそう吐き捨てるのを、鳴海は黙って聞いていた。その散切隊指揮官の一人が、まさかかつての二本松藩士だったというのは、口が裂けても言えない。同じ思いなのか、傍らで食事を取る九右衛門の口も、噤んだままだ。そこへ、水藩の若者が駆け込んできた。
「申し上げます。石名坂村に、白袴に白襷の異形の者らの姿が見えているそうでございます」
鳴海は、戸祭と顔を見合わせた。異形の者ということは、田中愿蔵率いる散切隊に違いない。久慈浜から助川城を目指して北上してきたのだろう。
「直ちに参る」
大橋宿から石名坂は、十丁ほどしか離れていない。正しく目と鼻の先である。戦装束のままだった鳴海はすぐさま食事を切り上げ、馬上の人となった。
先日戦ったのだから、石名坂の地形は頭に入っている。だが――。
「万が一、鉾を逆さにするような者が現れたならば、いかが致します?鳴海殿」
政之進が鳴海に問うた。その意味するところは、「内通者が現れたらどうするか」ということである。与兵衛があっさりと鴨志田や大貫ら地元の者に裏切られ、六番組が大損害を被ったことが頭にあったのだろう。
「その者、決して許すまじ……と申したいところであるがな」
鳴海は、微かに口元を歪めた。
「日立の地理に冥い我らが深追いしたところで、傷口を広げるだけであろう。その際には、裏切り者の処断を戸祭殿にお任せして我らは太田へ引き揚げ、水藩の上役の方々や御家老の御指示を仰ぐ」
戸祭が、ちらりとこちらを見た。何が言いたげではあるが、六番組の悪例もある。低声で「承知致した」と述べたのみだった。
――案の定というべきか。姿を見せたのは、やはり散切隊だった。それも、石名坂の間道には伏兵がおり、それらの者が弓矢鉄砲を打ちかけてくる。今回はあの白皙の若い指揮官の姿は見当たらず、また、芳之助の姿も見えなかった。そのことにやや安堵しながらも、鳴海は戸祭に視線を投げかけた。
「間道に伏兵がいたということは、まず間違いなくこの土地の者が散切隊に手を貸しておりましょうな」
苦々しげに、戸祭が肯く。
「先ほど、それらしき者の姿を確認致しました。拙者も金沢合戦の折に、散々手こずらされた相手でござる」
金沢合戦のときに戸祭がやり合ったというのは、先に源太左衛門が最初に助川城に総攻撃を仕掛けたときのことだろう。弘道館での軍議の最中に、山野辺主水正らと諸生党が戦になっているという報告が舞い込んできたのを、鳴海は思い出した。
「あの茅根貞蔵は、元より山野辺家中の天狗党の者らに傾倒しておりました。大和田村の者故、貞蔵にとっては石名坂は我が家の庭のようなものでござろう」
「然らば、無理は禁物でござるな。一旦大橋宿か太田へ引き揚げ、善後策について協議いたしませぬか」
鳴海の言葉に、戸祭は渋々といった体で肯いた。本来であれば深追いしたいところなのだろうが、金沢合戦の際の敗北の経験が、戸祭の矜持に「待った」をかけている。
「鳴海殿、よろしいのですか?このままだと、散切隊に助川を明け渡すことになりますが……」
政之進が再び鳴海に尋ねた。鳴海は、しばし考え込んだ。
助川の北方には、中山備前守が率いる松岡藩の兵がある。また、入四間方面には相羽の兵も控えているはずだった。加えて、壬生藩の主力部隊が太田に入ったということは、額田周辺の情勢が諸生党側に有利に傾いてきており、余力が生まれ始めているのだろう。さらに、水戸藩からの増援がそちら側に回ることも考えられた。
であれば、いっそ散切隊を助川に追い込んでしまい、湊周辺の筑波勢や大発勢と合流させずに勢力を分断させるほうが、望ましいかもしれない。
「助川城が落城したのであれば、あそこへ立て籠もってもじきに限度が来る。火の手が上がっていたのであれば、恐らく城の食糧倉なども焼かれたであろうしな」
鳴海は、きっぱりと断じた。
「なるほど……。散切隊を、いっそ袋の鼠にしてしまおうということでございますか」
政之進が微かに笑った。
「いずれは攻めることになろうが、今は捨て置いて構うまい」
鳴海の返答に、井上も肯いた。
「散切隊は、元々天狗勢の中でも嫌われております。たとえ多少地元で兵を募ったとしても、他の隊から嫌われているのであれば、大炊頭様や藤田小四郎らの協力は見込めますまい」
井上の言葉に納得したのか、九右衛門も肯いた。その場で戸祭は「必ず茅根貞蔵を捕まえ、処断する」と約束し、一同は大橋宿を経て、再度太田に戻ることになった。
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